全能神教会 アプリ

神の声を聞き主イエスの再臨を喜んで迎えなさい!

真理を探求されている方々からのご連絡をお待ちしています

終わりの日に働きを行うべく中国で受肉した神の目的と意義は何か

10

関連する神の言葉

ヤーウェの働きは世界の創造で、始まりであった。この段階の働きは働きの終わりで、終結である。最初に、神の働きはイスラエルの選民のあいだで実行され、最も聖なる地における新しい時代の夜明けであった。最後の段階の働きは、世界を裁き、時代を終わらせるために最も汚れた国で実行される。最初の段階では、神の働きは最も明るい地で行われ、最後の段階は最も暗い場所で実行され、この暗やみは追い払われ、光がもたらされ、すべての人々は征服されるであろう。この最も汚れた、最も暗い場所にいる人々が征服され、すべての人々が神の存在と誰が真の神であるかを認め、すべての人々がすっかり確信したとき、この事実は全宇宙におよんで征服の働きを行なうのに用いられるであろう。この段階の働きは象徴的である。一旦この時代の働きが終わると、六千年の経営の働きは完全に終わりを迎えるであろう。一旦最も暗いこの場所にいる人々が征服されると、他の場所も同じようになることは言うまでもない。そのように、中国での征服の働きのみが、象徴としての意味を持つ。中国は暗闇のすべての勢力を具現化しており、中国の人々は肉なる者、サタンのもの、そして血肉による者を表している。赤い大きな竜によって最も堕落させられ、神に最も反抗して、人間性が最も卑しく汚れているのは中国人である。だから彼らは堕落した全人類の典型なのである。これは、他の国々にはまったく問題がないということではない。人間の考えることはどれも同じである。他国の人々は優秀であるかもしれないが、神を知らなければその人々は神に逆らっていることになる。なぜユダヤ人は神に逆らい、神を拒んだのか。なぜパリサイ派の人々も神に逆らったのか。なぜユダはイエスを裏切ったのか。当時、弟子の多くはイエスのことを知らなかった。なぜ人々は、イエスが十字架にかけられ、そして復活した後でさえもイエスを信じなかったのか。人間の不服従はどれも同じではないのか。中国の人々は単にひとつの例にされたというだけである。征服されたときには中国人は模範、見本となり、他国の人々の規準の役目を果たすであろう。なぜわたしはあなたがたはわたしの経営計画の補助であるといつも言ってきたのか。それは堕落、汚れ、不義、敵対、そして反抗が最も完全にあらゆる形で現れているのは中国の人たちの中においてだからである。一方で中国人の能力は乏しく、他方で中国人の生活と考え方は遅れており、習慣、社会環境、家族――すべてが劣っており、最も遅れている。地位もまた低い。この場所での働きは象徴的で、この試験的な働きが全て実行された後、神の次の働きはもっと順調に進むだろう。もしこの段階の働きが完成され得るなら、次の働きも勿論完成される。この段階の働きが達成されたなら、大いなる成功がおさめられ、全宇宙におよぶ征服は完全に終わりとなるであろう。実際、あなたがたのあいだで働きが成功したなら、これは全宇宙におよんで成功したと同じことである。これがわたしがあなたがたを模範、見本とする意義である。

『言葉は肉において現れる』の「神の働きのビジョン(2)」より

中国の人々は、かつて神を信じたことが全くなく、ヤーウェに仕えたことも、イエスに仕えたことも全くない。中国の人々は、香を焚き、叩頭し、紙銭を燃やし、仏陀を拝むことしかできない。彼らは偶像を崇拝するだけであり、皆極度に反逆的であるため、人々の地位が低ければ低いほど、それは神があなたがたから得る栄光が一層大きいことを示す。…仮に中国の地に生まれていたのがヤコブの子孫であって、あなたがたが皆その子孫であったとしたら、あなたがたに業を行うことの意義は何であろうか。サタンは何と言うであろうか。サタンはこう言うであろう。「彼らはかつてあなたを畏れ、始めからあなたに従い、あなたを裏切ったことは全くありません。彼らは人類の中で最も暗く、最も賤しく、最も遅れた者たちではありません」本当にこのようなやり方で行われたのであれば、この業で誰が確信するだろうか。全宇宙の中で、中国人は最も遅れた人々である。彼らは賤しい生まれで、誠実さが乏しく、愚鈍であり、俗悪で退廃的である。中国人にはサタンのような性質が浸透し、穢れ果てており放縦である。あなたがたは、それら全ての性質を持っている。それらの堕落した性質に関しては、この業が完了した後、人々はその性質を投げ捨て完全に従うことができるようになり、完全にされるであろう。唯一この種の業から得られる実だけが、創造物の間での証しと呼ばれるのだ。

『言葉は肉において現れる』の「モアブの子孫を救うことの意義」より

今モアブの子孫に対して業を行うということは、最も暗い所へ落ちた者たちを救うということである。モアブの子孫は呪われたが、神は彼らから栄光を得ることを望んでいる。なぜなら、モアブの子孫は皆、当初は心に神の無い人々であったからである。そのような者たちを神に従い神を愛する者にすることだけが真の征服であり、そのような業の成果が最も貴重であり、最も説得力のあるものである。ただそれだけが栄光を得るということであり、それこそが終わりの日に神が得ることを望んでいる栄光である。これらの人々は、地位が低いものの、今こんなにも大きな救いを得ることができる。それはまさに神によって高められることである。この業は極めて意義深く、神は裁きを通してこれらの人々を獲得するのである。神は彼らを故意に罰しようとしているのではなく、彼らを救うために来たのだ。仮に神が終わりの日に依然としてイスラエルで征服の業を行っているとすれば、それは価値の無いことである。たとえその業に成果があったとしても、それには少しの価値も、大きな意義も無く、神は全ての栄光を得ることはできないであろう。神は、最も暗い所に落ち最も遅れているあなたがたに対して業を行っている。これらの人々は神が存在することを認めず、神が存在することを未だに知らずにいる。これらの創造物は、神のことを忘れてしまうほどまで、サタンにより堕落させられている。彼らはサタンによって盲目にされているので、天に神が存在することを全く知らない。あなたがたは皆、心の中で偶像、サタンを崇拝している。あなたがたは最も賤しく、時代遅れの者ではなかろうか。あなたがたは最も賤しい肉であり、個人的な自由を欠き、また苦難も受けている。また、あなたがたはこの社会の中で最も地位の低い者たちであり、信仰の自由さえない。これが、あなたがたに業を行うことの意義である。

『言葉は肉において現れる』の「モアブの子孫を救うことの意義」より

神が地上に来た時、神はこの世のものではなく、この世を楽しむために肉となったのではない。神の働きが、神の性質を最もよく現し、また、その働きが最も意義のあるものとなる所は、神が生まれた場所であった。それが聖なる地であれ穢れた地であれ、神がどこで業を為すかに関わらず神は聖い。この世界のあらゆるものは神によって造られたのだ。ただ全てのものがサタンによって堕落させられてしまったのである。しかしながら、万物は依然として神のものであり、全ては神の掌中にある。神が穢れた地に来て業を行うのは、神の聖さを現すためである。神は自分の業のためにそうするのだ。即ち、この穢れた地の人々を救うために神はひどい辱めを耐え忍び、このような業を為すのである。それは、証しのためであり、全人類のためである。この種の業によって人々が見ることができるのは神の義である。更にそれは神の至高の権威を示すことができる。神の偉大さと正義は、誰も顧みないような賤しい人々の群れを救うことを通して示される。穢れた地に生まれることは、決して神が賤しいことを証明するものではない。それは専ら神の偉大さと人類への真の愛を万物が見るようになるためである。神がこのように業を行えば行うほど、それは神の人間への純粋な愛、完璧な愛が一層現される。

『言葉は肉において現れる』の「モアブの子孫を救うことの意義」より

神はあなたがたにすべての努力を注ぎ、あなたがたのためにすべてを犠牲にした。そして全宇宙における聖霊のすべての働きを取り戻し、あなたがたに与えたのだ。それが、あなたがたは幸運なのだとわたしが言う理由である。さらに神は、自らが選んだイスラエルの民から自分の栄光をあなたがたへと移した。それはあなたがた一団を通して、神の計画の目的を全て明らかにするためである。それゆえ、あなたがたは神の嗣業を受ける者、更には神の栄光の継承者となるのだ。あなたがたは皆このような言葉を覚えているだろう。「このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。」あなた方は皆過去にこの言葉を耳にしたことがあるが、その言葉の真意を理解した者はひとりもいない。今日あなたがたは、この言葉の持つ真の意義をよく理解している。これらの言葉は終わりの日に神が成就するものである。そしてそれは、赤い大きな竜の横たわる地で、竜にひどく苦しめられている人々の上に成就する。赤い大きな竜は神を迫害する神の敵であり、よってこの地において神を信じる者たちは屈辱や迫害に晒されている。それ故、これらの言葉はあなたがた一群の中で実現するのだ。神に逆らう地において働きが行われるため、神のすべての働きは過度の妨害を受け、神の言葉の多くはすぐには達成されない。したがって、人々は神の言葉によって精錬される。これもまた、苦しみの要素である。赤い大きな竜の地で働きを実行することは神にとって非常に困難だが、神はこのような困難を通して、自分の働きのひとつの段階を行い、自分の知恵と不思議な業を明らかにする。神はこの機会を通して、この一群の人々を完全にする。人々の苦しみ、彼らの素質、そしてこのけがれた地の人々のサタン的なすべての性質故に、神はその清めや征服の働きを行うことで栄光を手にし、神の業の証に立つ人々を得るのだ。これこそが、神がこの一群の人々のために行った全ての犠牲のすべての意義である。つまり、神は自身に逆らう者たちを通して征服の働きを行うのだ。そうすることによってのみ、神の大いなる力が現わされるのだ。言い換えれば、けがれた地にいる者たちのみが神の栄光を受け継ぐに相応しく、これが唯一、このことによってのみ神の大いなる力を際立たせることができる。それだからわたしは、神の栄光はけがれた地とそこに住む者たちから得られると言うのだ。これが神の旨である。これはちょうどイエスの働きの段階と同じだ。イエスは、彼を迫害したパリサイ人たちを通してのみ栄光を受けることができた。そのような迫害やユダの裏切りがなければ、イエスは嘲笑されたり中傷されたりすることもなく、ましてや十字架に付けられることなどなく、栄光を受けることは不可能だったに違いない。神が各時代にどこで働こうが、肉としての働きをどこで行おうが、神はそこで栄光を受け、自らが得ようとする者たちを得るのである。これが神の働きの計画であり、神の経営である。

数千年に渡る神の計画において、肉による働きは二つの部分から成っている。そのひとつは十字架に付けられることであり、これによって神は栄光を受けた。もう一つは終わりの日の征服と人を完全にする働きであり、それによっても神は栄光を受ける。これが神の経営である。したがって、神の働きや神があなたがたに託したことをあまり簡単に考えてはならない。あなたがたは皆、すべてを超越した、神の永遠で重みのある栄光の継承者であり、それは神が特別そう定めたのである。神の栄光の二つの部分のうち、一つはあなたがたの中に現れている。神の栄光の一つの部分すべてがあなたがたに授けられており、あなたがたがそれを相続する。これは神によって引き上げられることであり、はるか昔に予め定められた神の計画である。大きな赤い竜が住む地において神が偉大な働きを行ったことを考えれば、その働きをどこか別の地で行えば、とうの昔にすばらしい実を結んでおり、容易に人に受け入れられていただろう。また、神を信じる西洋の聖職者たちにとっては、そのような働きを受け入れることはいとも簡単なことだろう。それはイエスによる働きの段階が前例となっているからだ。だから、神は自らが栄光を得るこの段階の働きを別のどの場所でも達成し得ないのである。つまり、全ての人間から支持され、全ての国から認められているので、神の栄光が「留まる」ところがないのだ。そしてこれこそが、この地におけるこの段階の働きが持つ極めて重要な意義である。

『言葉は肉において現れる』の「神の働きは人間が想像するほど簡単か」より

神は天と地のすべてを、そして万物を造り被造物のすべてを造った。どうして神が神の働きをイスラエルのみに限定することができるのか。その場合、神が被造物全体を造って何になるのか。神は世界全体を造った。神はイスラエルにおいてだけではなく全宇宙の一人ひとりを対象に神の6000年の経営(救いの)計画を行った。人々は中国、米国、英国あるいはロシアに住んでいるかに関わらず、みなアダムの子孫である。人々はみな神により創られた。誰一人として神の被造物の範囲から離脱できず、誰一人として「アダムの子孫」という呼称から逃れられない。人々はみな神の被造物でありアダムの子孫である。人々は堕落したアダムとエバの子孫でもある。神の被造物はイスラエル人だけでなくすべての人々である。それにも関わらず、被造物の中には呪われた者もいれば祝福された者もいる。イスラエル人には望ましい事柄がたくさんある。イスラエル人が最も堕落していない民だったため、神は最初にイスラエル人に働きを行った。彼らに比べると中国人は活気がなく、イスラエル人に匹敵することなど望むべくもない。したがって、神は最初にイスラエルの人々の中で働きを行い、神の働きの第二の段階はユダヤでのみ行われた。この結果、人々は多くの観念や多くの規則を形成する。実際、神が人の観念に従って行動するとしたら、神はイスラエル人の神であるだけだろう。この場合、神は被造物すべての神ではなくイスラエル人だけの神であるから、神の働きを異邦人の諸国に拡大できないだろう。預言書は、ヤーウェの名は異邦人の諸国で偉大になり、ヤーウェの名は異邦人の諸国に広まるだろうと語る。預言書がこのように語るのはなぜか。神がイスラエル人だけの神ならイスラエルでしか働きを行わないだろうし、この働きを拡大せず、この預言を行わないだろう。神はこの預言を行ったからには、彼の働きを異邦人の諸国、あらゆる国と場所に拡大させる必要があるだろう。彼がこのように述べたからには、その通りにするだろう。これが神の計画である。神は天と地、および万物を造った主であり、被造物すべての神だからである。神がイスラエル人の中で働きを行おうとユダヤ全体で働きを行おうと、神が行う働きは全宇宙と全人類の働きである。赤い大きな竜の国で──異邦人の国で──今日神が行う働きはやはり全人類の働きである。イスラエルは地上の神の働きの礎であり得る。同様に中国も異邦人の諸国での神の働きの礎になり得る。これで神は「ヤーウェの名は異邦人の諸国で偉大になるであろう」という預言を成就させていないか。異邦人の諸国における神の働きの最初の段階は、赤い大きな竜の国で神が行っているこの働きを指す。受肉した神がこの土地で働きを行い、これらの呪われた人々の間で働きを行うことは特に人の観念に反するかもしれない。これらの人々は最も卑しく何の価値もない。これらの人々は皆ヤーウェが最初に見捨てた人々である。人々は他の人々に見捨てられ得るが、神に見捨てられるならこうした人々は何の地位もなくなり、最低の価値を持つだろう。被造物の一部としてサタンに占領されていることあるいは他の人々に見捨てられていることはどちらも悲惨なことであるが、被造物の一部が創造主に見捨てられるなら、これはその人の地位が最低であることを意味する。モアブの子孫は呪われ、この発達の遅れた国に生まれた。疑いもなくモアブの子孫は暗黒の影響を受けた最低の地位の人々である。これらの人々は過去に最低の地位であったので、これらの人々に対して行われる働きは人間の観念を打ち砕くことが最も可能であり、神の6000年の経営(救いの)計画全体にとって最も有益な働きでもある。神がこれらの人々の間で働くことは人の観念を打ち砕くことが最も可能な行動である。この働きにより神はひとつの時代を開始する。これにより神は人の観念をすべて打ち砕く。これにより神は恵みの時代全体の働きを終える。神の最初の働きはユダヤで、イスラエルの範囲内で行われた。異邦人の諸国では時代を開始する働きは全くしなかった。神の働きの最終段階は異邦人の間で行われるだけでなく、呪われた人々の間でさらに多く行われる。この点はサタンに屈辱を最も確実に与え得る証拠である。こうして、神は全宇宙の被造物すべての神に「なり」、万物の主、命あるすべてのものにとって崇拝の対象になる。

…神の働きはすべての被造物に向けられている。創造された後呪われたかによって行われるものではない。神の経営(救い)の働きは被造物のすべてに向けられており、呪われなかった選民ではない。神は自分の被造物の中で働きを行うことを望むので、思い通りの完成まで確実に行うだろう。神の働きに有益な人々の中で神は働きを行う。従って、神はすべての因習を打ち砕きながら人々の中で働く。「呪われた」「罰せられた」「祝福された」という言葉は神には意味がない。ユダヤ人は非常に善良で、イスラエルの選民も悪い民ではない。彼らは良い素質と人間性の人々である。ヤーウェは最初彼らの間で働きを開始し、神の最初の働きを行ったが、神が今神の征服の働きの受容者として彼らを使おうとするなら意味がないだろう。彼らも被造物の一部であり多くの積極的側面を持っているが、この段階の働きを彼らの間で実行することは意味がないだろう。彼は誰も征服できず、すべての被造物を説得することもできないだろう。これが赤い大きな竜の国のこれらの人々に神の働きを移動することの意味である。ここでの深い意味は、神がひとつの時代を始めること、すべての規則とすべての人間の観念を打ち砕くこと、そしてまた恵みの時代全体における働きを終えることである。現在の働きがイスラエル人の中で実行されるなら、6000年の経営(救いの)計画が終わる時には、すべての人が神はイスラエル人だけの神であり、イスラエル人だけが神の選民であり、イスラエル人だけが神の祝福と約束を受け継ぐに値すると信じることになるだろう。世の終わりの間、赤い大きな竜の国の異邦人の中で神は受肉している。彼はすべての被造物の神としての神の働きを完了している。彼は経営(救い)の働き全体を完成しており、赤い大きな竜の国で神の働きの中心部分を終了する。三つの段階の働きの中心は人の救い、すなわち被造物すべてに創造主を崇めさせることである。従って、この働きのどの段階も非常に有意義である。神は意味や価値のないことは決して行わない。一方では、働きのこの段階はひとつの時代を始めることとふたつの前の時代を終わらせることから成っている。他方ではすべての人間の観念と人間のすべての古い信仰形態や認識方法を打ち砕くことから成っている。ふたつの前の時代の働きは異なる人間の観念に従って行われた。しかし、今回の段階は完全に人間の観念を除去しており、それにより完全に人々を征服する。モアブの子孫の征服を用い、モアブの子孫の間で行われる働きを用いて、神は全宇宙の人々をすべて征服するだろう。これは神の働きのこの段階の最も深い意味であり、神の働きのこの段階の最も尊い側面である。たとえあなたが今自らの地位が低く、価値があまりないことを知っているとしても、それでもあなたは最も大きい喜びに出会ったことを感じるだろう。あなたは大いなる祝福を受け継ぎ、大いなる約束を手に入れ、そしてあなたは神のこの偉大な働きを完成でき、神の本当の顔を見ることができ、神の本来の性質を知り、神の心を行える。神の働きの前のふたつの段階はイスラエルで行われた。終わりの日の神の働きのこの段階がやはりイスラエル人の間で行われるなら、被造物すべてはイスラエル人のみが神の選民であると信じるばかりでなく、神の経営(救いの)計画全体も望ましい効果を達成しないであろう。神の働きのふたつの段階がイスラエルで行われた期間、異邦人の諸国では新しい働きは全く行われず、時代を始める神の働きも行われなかった。時代を始める働きのこの段階はまず異邦人の諸国で行われ、その上、まずモアブの子孫の間で行われる。これにより時代が始まった。神は人の観念にこめられた認識をすっかり打ち砕き、少しでも存在することを許さなかった。征服の働きにおいて、神は人の観念、人の古い、初期の認識方法を打ち砕いた。彼は、神に関して規則はないこと、神に古いものは何もないこと、彼が行う働きは完全に解放され完全に自由であること、彼が行う事すべてにおいて彼は正しいことを人々に理解させる。あなたは、被造物の間で彼が行うすべての働きに完全に従わなければならない。彼がするすべての働きには意味があり、彼自身の考えと知恵に従って行い、人の選択や観念に従って行うことはない。彼は自身の働きに有益なことをする。自身の働きに有益でないものは、どんなに良くても彼は行わない。彼は働きを行い、彼の働きの意味と目的に従って彼の働きの受容者と場所を選ぶ。彼は過去の規則には固着せず、古い常套手段に従わない。その代わり、働きの意味に従って彼は彼の働きを計画する。結局、彼は本当の効果と期待される目的の達成を望む。あなたが今これらを理解しないなら、この働きはあなたにいかなる効果ももたらさないだろう。

『言葉は肉において現れる』の「神はすべての被造物の主である」より

関連した内容

  • 神は終わりの日に中国で受肉したが、これについて聖書の預言と神の言葉にどのような根拠があるのか

    多くの場所で神は、秦の地で勝利者の一団を得ると預言した。勝利者が得られるのは世界の東方なので、神の二回目の受肉が見られる場所は間違いなく秦の地で、それはまさに赤い大きな竜がとぐろを巻いているところである。

  • 真理とは何か。聖書の知識と教義とは何か

    実際、真理とは、人生の格言の中でも最も現実に則しており、人類の全ての格言に勝るものなのだ。それは神が人間に要求すること、神が自ら為した業である。だから、人生の格言と呼ばれる。

  • 人々が救われ完全にされるように、神の働きの三段階はどのように次第に深化するのか

    神の経営全体は、三段階に分割され、各段階において、人間に対して適切な要求が為される。さらに、様々な時代が経過し進行してゆくにつれ、全人類に対する神の要求はより高くなる。このようにして、この神の経営の働きは、人間が「言葉は肉として現れる」という事実を目の当たりにするまで、段階ごとに進んで絶頂に達する。

  • 神の働きの各段階と神の名との関係

    ヤーウェ、イエス、メシアはすべてわたしの霊を表すが、これらの名前は単にわたしの経営(救いの)計画の異なる時代を示すものであり、わたしの全体を表すものではない。地上の人々がわたしを呼ぶ名前のどれも、わたしの性質全体、わたしであるすべてを明確に示すことはできない。それらは単に異なる時代にわたしが呼ばれる異なる名前にすぎない。