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世の終わりに働きを行うべく中国で受肉した神の目的と意義は何か。

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2.世の終わりに働きを行うべく中国で受肉した神の目的と意義は何か。

関連する神の言葉

「神の働きのどの段階も、人間のために行われるもので、それはすべての人間のためなのだ。それは受肉した神の働きであるが、それでもすべての人間を対象とする。神はすべての人間の神であり、すべての被造物とそうでないものの神である。受肉した神の働きは限られた範囲のものであるし、この働きの目的もまた限られているが、神が働きのために受肉するたびに、神は、その働きの対象として究極的な代表を選ぶ。神は単純で平凡な集団を働きの対象とはせず、肉の働きの代表となるだけの能力ある集団を選ぶ。この集団が選ばれるのは、神が受肉して行う働きの範囲が限られているためで、受肉した神のために特に用意され、受肉した神の働きのために特に選ばれるのである。神が働きの対象を選ぶのは、根拠のないことではなく、原則による。働きの対象は、受肉した神の働きに有益なものでなければならず、また、すべての人間を代表する者でなければならない。たとえば、ユダヤ人はイエス自らによる贖罪を受け容れることで全人類を代表することができた。また、中国人は受肉した神自身による征服を受け容れることで全人類を代表できる。ユダヤ人が全人類を代表したことには根拠がある。また中国人が、神自らによる征服を受け容れることで全人類を代表することにも根拠がある。ユダヤ人の間で行われた贖いの働き以上に贖いの意義を示すものはない。また、中国人の間での征服以上に征服の働きの完全性と成功を明らかにするものもない。」

『言葉は肉において現れる』の「堕落した人間は受肉した神による救済をより必要としている」より

「この段階の働きが人々を完全にすることだけに関わっているなら、それは、イギリス、アメリカ、イスラエルなどどこにおいてもできる。それはどの国の人々にもすることができる。しかし、征服する働きは選ばれたものでなくてはならない。征服する働きの第一ステップは短期間である。さらに、それはサタンを辱しめ、全宇宙を征服するために用いられる。これは征服する最初の働きである。神を信じる人ならだれでも完全にしてもらうことができる、と言うこともできる。なぜなら、完全になることは長期間の変化の後でしか成就することができないからだ。しかし、征服されることはべつのことである。征服される人の良い見本は、最後方でのろのろと歩き、最も深い闇に生きており、最も堕落して、最も神を受け入れ難く、最も神に不従順な人でなければならない。このような人こそ、征服されたことを証拠立てることができる。征服する働きの主な目標はサタンを打ち負かすことである。もう一方で、人々を完全にする主な目標は人々を神のものとすることである。それは征服する働きがここであなたがたのような人たちに対してなされたと、人々が証しするためである。征服された人々、後になって証しをさせることが目的である。これら征服された人々はサタンを辱しめるという目的を達成するために用いられる。」

『言葉は肉において現れる』の「完全にされた者だけが意義ある人生を送ることができる」より

「ヤーウェの働きは世界の創造で、始まりであった。この段階の働きは働きの終わりで、終結である。最初に、神の働きはイスラエルの選民のあいだで実行され、最も聖なる地における新しい時代の夜明けであった。最後の段階の働きは、世界を裁き、時代を終わらせるために最も汚れた国で実行される。最初の段階では、神の働きは最も明るい地で行われ、最後の段階は最も暗い場所で実行され、この暗やみは追い払われ、光がもたらされ、すべての人々は征服されるであろう。この最も汚れた、最も暗い場所にいる人々が征服され、すべての人々が神の存在と誰が真の神であるかを認め、すべての人々がすっかり確信したとき、この事実は全宇宙におよんで征服の働きを行なうのに用いられるであろう。この段階の働きは象徴的である。一旦この時代の働きが終わると、六千年の経営の働きは完全に終わりを迎えるであろう。一旦最も暗いこの場所にいる人々が征服されると、他の場所も同じようになることは言うまでもない。そのように、中国での征服の働きのみが、象徴としての意味を持つ。中国は暗闇のすべての勢力を具現化しており、中国の人々は肉なる者、サタンのもの、そして血肉による者を表している。赤い大きな竜によって最も堕落させられ、神に最も反抗して、人間性が最も卑しく汚れているのは中国人である。だから彼らはすべての堕落した人間性の典型なのである。⋯⋯なぜわたしはあなたがたはわたしの経営計画の補助であるといつも言ってきたのか。それは堕落、汚れ、不義、敵対、そして反抗が最も完全にあらゆる形で現れているのは中国の人たちの中においてだからである。一方で中国人の能力は乏しく、他方で中国人の生活と考え方は遅れており、習慣、社会環境、家族――すべてが劣っており、最も遅れている。地位もまた低い。この場所での働きは象徴的で、この試験的な働きが全て実行された後、神の次の働きはもっと順調に進むだろう。もしこの段階の働きが完成され得るなら、次の働きも勿論完成される。この段階の働きが達成されたなら、大いなる成功がおさめられ、全宇宙におよぶ征服は完全に終わりとなるであろう。実際、あなたがたのあいだで働きが成功したなら、これは全宇宙におよんで成功したと同じことである。これがわたしがあなたがたを模範、見本とする意義である。」

『言葉は肉において現れる』の「神の働きのビジョン(2)」より

「中国の人々は、かつて神を信じたことが全くなく、ヤーウェに仕えたことも、イエスに仕えたことも全くない。中国の人々は、香を焚き、叩頭し、紙銭を燃やし、仏陀を拝むことしかできない。彼らは偶像を崇拝するだけであり、皆極度に反逆的であるため、人々の地位が低ければ低いほど、それは神があなたがたから得る栄光が一層大きいことを示す。⋯⋯仮に中国の地に生まれていたのがヤコブの子孫であって、あなたがたが皆その子孫であったとしたら、あなたがたに業を行うことの意義は何であろうか。サタンは何と言うであろうか。サタンはこう言うであろう。「彼らはかつてあなたを畏れていましたが、もう長らく誰もそれを受け継いでいません。しかし、彼らの祖先はあなたを畏れ、始めからあなたに従い、あなたを裏切ったことは全くありません。しばらくの時間を経て、それが受け継がれなくなったということだけです。彼らは人類の中で最も暗く、最も賤しく、最も遅れた者たちではありません。彼らは最初からあなたを認めていました。そのようなやり方には全く意義がありません。本当にこのようなやり方で行われたのであれば、この業で誰が確信するでしょうか。」全宇宙の中で、中国人は最も遅れた人々である。彼らは賤しい生まれで、誠実さが乏しく、愚鈍であり、俗悪で退廃的である。中国人にはサタンのような性質が浸透し、穢れ果てており放縦である。あなたがたは、それら全ての性質を持っている。それらの堕落した性質に関しては、この業が完了した後、人々はその性質を投げ捨て完全に従うことができるようになり、完全にされるであろう。唯一この種の業から得られる実だけが、創造物の間での証しと呼ばれるのだ。」

『言葉は肉において現れる』の「モアブの子孫を救うことの重要性」より

「今モアブの子孫に対して業を行うということは、最も暗い所へ落ちた者たちを救うということである。モアブの子孫は呪われたが、神は彼らから栄光を得ることを望んでいる。なぜなら、モアブの子孫は皆、当初は心に神の無い人々であったからである。そのような者たちを神に従い神を愛する者にすることだけが真の征服であり、そのような業の成果が最も貴重であり、最も説得力のあるものである。ただそれだけが栄光を得るということであり、それこそが終わりの日に神が得ることを望んでいる栄光である。これらの人々は、地位が低いものの、今こんなにも大きな救いを得ることができる。それはまさに神によって高められることである。この業は極めて意義深く、神は裁きを通してこれらの人々を獲得するのである。神は彼らを故意に罰しようとしているのではなく、彼らを救うために来たのだ。仮に神が終わりの日に依然としてイスラエルで征服の業を行っているとすれば、それは価値の無いことである。たとえその業に成果があったとしても、それには少しの価値も、大きな意義も無く、神は全ての栄光を得ることはできないであろう。神は、最も暗い所に落ち最も遅れているあなたがたに対して業を行っている。これらの人々は神が存在することを認めず、神が存在することを未だに知らずにいる。これらの創造物は、神のことを忘れてしまうほどまで、サタンにより堕落させられている。彼らはサタンによって盲目にされているので、天に神が存在することを全く知らない。あなたがたは皆、心の中で偶像、サタンを崇拝している。あなたがたは最も賤しく、時代遅れの者ではなかろうか。あなたがたは最も賤しい肉であり、個人的な自由を欠き、また苦難も受けている。また、あなたがたはこの社会の中で最も地位の低い者たちであり、信仰の自由さえない。これが、あなたがたに業を行うことの意義である。」

『言葉は肉において現れる』の「モアブの子孫を救うことの重要性」より

終わりの日の御業が、最も暗く遅れた地である中国で行われているのだろうか。それは、神の聖さと義を現すためである。つまり、暗い場所では、神の聖さを一層明るく照らすことが出来る。その真相は、こうした物事を行うのは、ひとえに神の御業の為である。あなたがたが知っているのは、天の神が地に来られて自分達の中に居ること、そして神はあなたがたの汚れと反逆性により際立ったものとされており、あなたがたは神の知識を得られるようになったことだけである。これは素晴らしい励みではないか。

『言葉は肉において現れる』の「征服の御業の第2段階は、どのように実りを迎えるか」より

「神が地上に来た時、神はこの世のものではなく、この世を楽しむために肉となったのではない。神の働きが、神の性質を最もよく現し、また、その働きが最も意義のあるものとなる所は、神が生まれた場所であった。それが聖なる地であれ穢れた地であれ、神がどこで業を為すかに関わらず神は聖い。この世界のあらゆるものは神によって造られたのだ。ただ全てのものがサタンによって堕落させられてしまったのである。しかしながら、万物は依然として神のものであり、全ては神の掌中にある。神が穢れた地に来て業を行うのは、神の聖さを現すためである。神は自分の業のためにそうするのだ。即ち、この穢れた地の人々を救うために神はひどい辱めを耐え忍び、このような業を為すのである。それは、証しのためであり、全人類のためである。この種の業によって人々が見ることができるのは神の義である。更にそれは神の至高の権威を示すことができる。神の偉大さと正義は、誰も顧みないような賤しい人々の群れを救うことを通して示される。穢れた地に生まれることは、決して神が賤しいことを証明するものではない。それは専ら神の偉大さと人類への真の愛を万物が見るようになるためである。神がこのように業を行えば行うほど、それは神の人間への純粋な愛、完璧な愛が一層現される。」

『言葉は肉において現れる』の「モアブの子孫を救うことの重要性」より

「全宇宙のすべての神の働きは、この一団の人々に焦点を当てている。神はすべての努力をし、あなたがたの犠牲となった。全宇宙のすべての聖霊の働きを取り戻し、あなたがたに与えたのだ。だから私は言う。あなたがたは幸運なのだと。それに加えて神は、自分が選んだイスラエルの民から自分の栄光をあなたがたへと移した。それはあなたがた一団を通して、神の計画の目的を全て明らかにするためである。ゆえにあなたがたは神の嗣業を受け、更に神の栄光の継承者となるのだ。あなたがたは皆このような言葉を覚えているだろう。『このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。』誰でもこの言葉を耳にしたことがあるだろうが、その言葉の真意を理解した者はいない。今日あなたがたは、この言葉の真の意味をよく理解している。これらの言葉は終わりの日に神が成就するものだ。そしてそれは、赤い大きな竜の横たわる地で、竜にひどく苦しめられている人々の上に成就する。赤い大きな竜は神を迫害する神の敵であり、よってこの地において神を信じる者たちは屈辱や迫害を受けている。ゆえにこれらの言葉は、あなたがた一団の身に実現するのだ。神に逆らう地において働きが行われるため、すべての神の働きは過度の妨害を受け、神の言葉の多くはすぐには達成されない。ゆえに、人々は神の言葉によって精錬される。これもまた、苦しみの要素である。神にとって赤い大きな竜の地で自分の働きを実行することは非常に困難だが、神はこのような困難を通して、自分の働きのひとつの段階を実行し、自分の知恵と素晴らしい業を明らかにする。神はこの機会を通して、この一団の人々を完全にする。人々の苦しみ、彼らの素質、そしてこの汚された地における人々のすべてのサタン的な性質がゆえに、神はその清めや征服の働きを行うことで栄光を手にし、その業の証人となる人々を手にするのだ。これが、神がこの一団の人々に行った全ての犠牲に関する完全な意義だ。つまり、神は自身に逆らう者たちを通して征服の働きを行うのだ。そうすることでのみ、神の力が現わされるのだ。言い換えれば、汚された地にいる者たちのみが神の栄光の継承者に相応しく、これが唯一、神の力を際立たせることができるのだ。それだから、神の栄光は汚された地とそこに住む者たちから得られると言おう。これが神の心だ。これはイエスの段階の働きと同じだ。イエスは、彼自身を迫害したパリサイ人たちを通してのみ栄光を受けることができた。そのような迫害やユダの裏切りがなければ、イエスは嘲笑されたり中傷されたりすることもなく、ましてや十字架に付けられることなどなく、栄光を受けることは不可能だったに違いない。神が各段階のどこで働いても、どこで肉の働きをしても、神はそこで栄光を受け、自分が得ようとする者たちを得るのである。これが神の働きの計画であり、神の経営である。」

「⋯⋯大きな赤い竜が住む地において神が偉大な働きを行ったことを考えれば、その働きをどこか別の地で行えば、とうの昔にすばらしい実を結んでおり、容易に人に受け入れられていただろう。神を信じる西洋の聖職者たちにとっては、そのような働きを受け入れることはいとも簡単なことだっただろう。イエスによる段階の働きが前例となっているからだ。だから、神は自身が栄光を得るこの段階の働きを別のどの場所でもなしえないのである。つまり、全ての人間から支持され、全ての国から認められているので、神の栄光を得ることができないのだ。そしてこのような事実にこそ、この段階の働きがこの地でなされることの重要な意味がある。」

『言葉は肉において現れる』の「神の働きは人間が想像するほど簡単か」より

「神は世界全体を造った。神はイスラエルでだけではなく全宇宙の一人ひとりと神の6000年の経営(救いの)計画を行った。人々が中国、米国、英国あるいはロシアに住んでいるかに関わらず、人々はみなアダムの子孫である。人々はみな神により創られた。一人として神の被造物の範囲から離脱できず、誰一人として『アダムの子孫』というレッテルから逃れられない。人々はみな神の被造物でありアダムの子孫である。人々は堕落したアダムとエバの子孫でもある。神の被造物はイスラエル人だけでなくすべての人々である。それにも関わらず、被造物の中には呪われた者もいれば祝福された者もいる。イスラエル人には望ましい事柄がたくさんある。イスラエル人が最も堕落していない民だったため、神は最初にイスラエル人に働きを行った。彼らに比べると中国人は活気がなく、イスラエル人に匹敵することなど望むべくもない。したがって、神は最初にイスラエルの人々の中で働きを行い、神の働きの二番目の段階はユダヤでのみ行われた。この結果、人々は多くの観念や多くの規則を形成する。実際、神が人の観念に従って行動するとしたら、神はイスラエル人の神であるだけだろう。この場合、神は神の働きを異邦人の諸国に拡大できないだろう。神は被造物すべての神ではなくイスラエル人だけの神であるからである。預言書では、ヤーウェの名は異邦人の諸国で偉大であり、ヤーウェの名は異邦人の諸国に広まるだろうと預言は語る。預言がこのように語るのはなぜか。神がイスラエル人だけの神ならイスラエルでしか働きを行わないだろう。その上、神はこの働きを拡大せず、この予言を行わないだろう。神がこの予言を行ったため、神は神の働きを異邦人の諸国、あらゆる国と場所に拡大させる必要があるだろう。神はこのように述べたので、その通りにするだろう。これが神の計画である。神は天と地、および万物を造った主であり、被造物すべての神だからである。神がイスラエル人の中で働きを行おうとユダヤ全体で働きを行おうと、神が行う働きは全宇宙と全人類の働きである。赤い大きな竜の国で今日、異邦人の一国で神が行う働きはやはり全人類の働きである。イスラエルは地上の神の働きの礎であり得る。同様に中国も異邦人の諸国での神の働きの礎になり得る。神は『ヤーウェの名は異邦人の諸国で偉大であろう』という預言を今成就させなかったか。異邦人の諸国における神の働きの最初の段階は、赤い大きな竜の国で神が行っているこの働きを指す。受肉した神がこの土地で働きを行い、これらの呪われた人々の間で働きを行うことは特に人の観念に反するかもしれない。これらの人々は最もみすぼらしく何の価値もない。これらの人々は皆ヤーウェが最初に見捨てた人々である。人々は他の人々に見捨てられ得るが、神に見捨てられるならこうした人々には何の地位もなくなり、最低の価値を持つだろう。被造物の一部としてサタンに占領されていることあるいは他の人々に見捨てられていることはどちらも悲惨なことであるが、被造物の一部が創造主に見捨てられるなら、これはその人の地位が最低であることを意味する。モアブの子孫は呪われ、この低開発国内で生まれた。疑いもなくモアブの子孫は暗黒の影響を受けた最低の地位の人々である。これらの人々は過去に最低の地位であったので、これらの人々に対して行われる働きは人間の観念を打ち砕くことが最も可能であり、神の6000年の経営(救いの)計画全体にとって最も有益な働きでもある。神がこれらの人々の間で働くことは人の観念を打ち砕くことが最も可能な行動である。この働きにより神はひとつの時代を開始する。これより神は人の観念をすべて打ち砕く。これにより神は恵みの時代全体の働きを終える。神の最初の働きはユダヤで、イスラエルの範囲内で行われた。異邦人の諸国では時代を開始する働きは全くしなかった。神の働きの最終段階は異邦人の間で行われるだけでなく、なおさら呪われた人々の間で行われる。この点はサタンに屈辱を確実に与え得る証拠である。こうして、神は全宇宙の被造物すべての神に『なり』、万物の主、命あるすべてのものにとって崇拝の対象になる。」

「⋯⋯神は自分の被造物の中で働きを行うことを望むので、思い通りの完成まで確実に行うだろう。神の働きに有益な人々の中で神は働きを行う。従って、人々の中で働きながらすべての因習を神は打ち砕く。「呪われた」「罰せられた」「祝福された」という言葉は神には意味がない。ユダヤ人は非常に善良で、イスラエルの選民も邪悪な民ではない。彼らは良い能力と人間性の人々である。ヤーウェは最初彼らの間で働きを開始し、神の最初の働きを行ったが、神が今神の征服の働きの受容者として彼らを使おうとするなら意味がないだろう。彼らも被造物の一部であり多くの積極的側面を持っているが、この段階の働きを彼らの間で実行することは意味がないだろう。神は誰も征服できず、すべての被造物を説得することもできないだろう。これが赤い大きな竜の国のこれらの人々に神の働きを移動することの意味である。ここでの深い意味は、神がひとつの時代を始めること、すべての規則とすべての人間の観念を打ち砕くこと、そしてまた恵みの時代全体における働きを神が終えることである。神の現在の働きがイスラエル人の中で実行されるなら、神の6000年の経営(救いの)計画が終わる時までに、神はイスラエル人だけの神であり、イスラエル人だけが神の選民であり、イスラエル人だけが神の祝福と約束を受け継ぐに値するとすべての人が信じることになるだろう。世の終わりの間、赤い大きな竜の国の異邦人の中で神は受肉している。神はすべての被造物の神としての神の働きを完了している。神は経営(救い)の働き全体を完成しており、赤い大きな竜の国で神の働きの中心部分を終了する。三つの段階の働きの中心は人の救済、すなわち被造物すべてに創造主を崇めさせることである。⋯⋯神の働きの過去のふたつの段階はイスラエルで行われた。終わりの日の神の働きのこの段階がやはりイスラエル人の間で行われるなら、被造物すべてはイスラエル人のみが神の選民であると信じるばかりでなく、神の経営(救いの)計画全体も望ましい効果を達成しないであろう。神の働きのふたつの段階がイスラエルで行われた期間、異邦人の諸国では新しい働きは全く行われず、時代を始める神の働きも行われなかった。時代を始める働きのこの段階はまず異邦人の諸国で行われ、その上、まずモアブの子孫の間で行われる。これにより時代が始まった。神は人の観念の中に含まれた認識をすっかり打ち砕き、少しでも存在することを許さなかった。征服の働きにおいて、神は人の観念、人の古い、初期の認識方法を打ち砕いた。神は、神に関して規則はないこと、神に古いものは何もないこと、神が行う働きは完全に解放され完全に自由であること、神が行う事すべてにおいて神は正しいことを人々に理解させる。あなたは、被造物の間で神が行うすべての働きに完全に従わなければならない。神がするすべての働きには意味があり、神自身の考えと知恵に従って行い、人の選択や観念に従って行うことはない。神は自身の働きに有益なことをする。自身の働きに有益でないものは、どんなに良いとしても神は行わない。神は働きを行い、神の働きの意味と目的に従って神の働きの受容者と場所を選ぶ。神は過去の規則には固着せず、古い常套手段に従わない。その代わり、働きの意味に従って神は神の働きを計画する。結局、神は本当の効果と期待される目的の達成を望む。あなたが今これらを理解しないなら、この働きはあなたにいかなる効果も達成しないだろう。」

『言葉は肉において現れる』の「神はすべての被造物の主である」より

「神の現れは人が思うようなかたちで来ることはない。ましてや神が人の言うままに現れるようなことはない。神は、自分の判断で動き、自分の計画に従って働く。さらに、神には神自身の目的と方法がある。神は自分のしようとすることを人に相談したり話し合ったりする必要はない。ましてや一人一人に自分がしようとすることを知らせるようなことはない。これが神の性質であり、それはすべての人が認めるべきことである。⋯⋯」

「アメリカ人でも、イギリス人でも、どこの国の人でも、自分という枠を乗り越え、自分という存在を超越し、神の創造物として神の働きを見なくてはならない。そうすれば、神の足跡を枠にはめることはないだろう。それは、特定の国や民族に神が現れることはないだろうと考えている人が多いからである。ああ、神の働きの意義はなんと深く、神の現れはなんと重要か。それは人の観念や考えで測ることなどできるのだろうか。そのため、神の現れを探し求める際には、みずからの国籍や民族性という枠を突き抜けるべきである。そうすれば、自分自身の観念に制約されることなく、神の現れを喜び迎えることができる。そうでなければ、暗闇の中にいつまでもとどまり、神から認められることもない。」

「神は全人類の神である。神が自分を一つの国や民族の所有物とすることはない。神が自分の計画にある働きを、形式や国、民族といった制限を受けることなく行う。これまであなたはこのような形式を考えたこともなかったかもしれないし、そのような形式があることを否定するかもしれない。神が現れる国や民族は差別されている最貧国かもしれない。しかし、神には神の知恵がある。神は、自分の力によって、また自分の真理と性質を通して、自分と心が一つになっている人々をすでに得ている。それは神が求めていた人々で、神に征服され、苦しい試練とあらゆる迫害に耐え、最後の最後まで神に従うことのできる人々である。神が形式や国の制約を受けずに現れる目的は、神が自分の計画どおりに働きを完成できるようにするためにである。たとえば、神がユダヤの地で肉となったとき、その目的は十字架の働きを完成させ、人類をあがなうためだった。しかし、ユダヤ人は神にそのようなことができるわけがないと考えた。神が肉となって、主イエスの姿をとって現れることなどありえないと考えたのである。この『ありえない』という思いが、ユダヤ人が神を罪に定め、神に敵対してしまう原因となった。そして、最終的にはイスラエルの破滅へとつながった。今日も、多くの人が同じような間違いを犯している。神は今すぐにでも現れるかもしれないと当てもなく言いながらも、神の現れを罪に定める。その『ありえない』という思いが再び、神の現れを自分たちの想像できる範囲に押し込めてしまっているのである。⋯⋯『ありえない』という思いを脇に置いておきなさい。人が不可能だと思えば思うほど、実際に可能になる。神の知恵は天より高く、神の思いは人の思いより高く、神の働きは人の思いや観念をはるかに超越するものだからである。不可能であればあるほど、そこには探し求めるべき真理がある。人の観念と想像を超えるものであればあるほど、そこには神の心が詰まっている。どこで自分を現そうとも、神は神だからである。神の本質が現れる場所や方法で変わることはない。神の性質は、神の足跡がある場所によらず、いつも同じである。神の足跡がどこにあろうとも、神は全人類の神である。たとえば、主イエスはイスラエル人の神というだけでなく、アジア、ヨーロッパ、アメリカの人々の神でもある。さらに言えば、全宇宙で唯一無二の神である。だから、神の語る言葉から神の心を探し求め、神の現れを発見し、神の足跡に従おう。神は真理であり、道であり、いのちである。神の言葉とその現れは共存する。また、神の性質と足跡はいつでも人類に対して開いている。兄弟姉妹たちよ。ここに記した言葉に神の現れを見てとってほしい。そして、新しい時代に向かって神の足跡をたどってゆき、神の現れを待ち望む人々に用意された新天新地にたどりついてほしいのである。」

『言葉は肉において現れる』の「神の現れによる新時代の到来」より