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人間の結末への神の采配

人が人を判断する基準は人の振る舞いである。行いが善い者は義なる人であり、行いが悪い者は邪悪な者である。神が人を判断する基準は、その本質が神に従順であるかどうかである。つまり、その人の振る舞いが良いか悪いか、語る言葉が正しいかそうでないかに関わらず、神に従順な者は義であり、不従順な者は敵であり、悪者である。一部の人は善い行いによって未来のよい終着点を獲得しようと思い、一部の人はよい言葉によって未来のよい終着点を手に入れたいと考える。人々はみな、神が人の行い、或いは人の言葉によって人の結末を定めると間違った信じ方をし、ゆえに多くの人は偽ってこれらを用いて恵みを獲得しようとする。

後に安息の中で生き残る人々はみな苦難の日を経験し、しかも神のために証しをしてきた人である。彼らはみな自分の本分を果たしてきた人であり、神に従おうとする人である。仕える機会を利用して真理の実践を免れようと思う人たちはみな、生き残ることができないだろう。神がすべての人の結末を定めるのは、適切な基準に基づいている。神は人の言行だけに基づいてそれを決定するのでもなく、ひとつの期間の行いに基づいて決定するのでもない。だれ一人として自分の悪の報いから逃れられず、また、だれ一人として自分の悪行を隠して滅びの苦しみから逃れることもできない。

要するに、邪悪な者は永遠に生きることはできず、安息の中に入ることもできない。義なる人のみが安息の主人である。人類が正しい軌道に乗った後、人は正常な人間の生活をするようになる。彼らはみな自身の本分を尽くし、神に全く忠実である。彼らは不従順と堕落した性質を完全に脱ぎ捨て、神のために生き、神ゆえに生きる。彼らはもう神に背かず、逆らわず、神に完全に従うことができる。これこそ神と人の生活であり、神の国の生活であり、安息の生活である。

『言葉は肉において現れる』の「神と人は共に安息に入る」より編集

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