言葉は肉において現れる(続編)朗読

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言葉は肉において現れる(続編)朗読

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終わりの日のキリストの語られる言葉(選集)朗読

それではまず讃美歌を歌おう。

The Kingdom Anthem (I) The Kingdom Has Descended on the World

God’s kingdom has come on earth; God’s person is full and rich. Who can stand still and not rejoice? Who can stand still and not dance? Oh Zion, raise your banner of victory to celebrate for God. Sing your song of victory to spread His holy name over the world. Countless people praise God with joy, countless voices exalt His name. Look at His awesome deeds; now His kingdom on earth has come. 

All things on earth, make yourselves clean; come and make offerings to God. Stars, return to your nest in the sky, show God’s might in the heavens above. On earth voices rise up and sing, pouring out infinite love and boundless reverence to God. He attently listens to them. Countless people praise God with joy, countless voices exalt His name. Look at His awesome deeds; now His kingdom on earth has come.

On that day all things are revived, God in person comes to the earth. Flowers burst out in joyful bloom, birds sing and all things rejoice. See the kingdom of Satan fall as the salute of God’s kingdom sounds, trampled down, never to rise again, drowned beneath the anthem of praise. Countless people praise God with joy (with joy), countless voices exalt His name (His name). Look at His awesome deeds; now His kingdom on earth has come.

Who on earth dare rise to resist? When God stands among men, He’s brought His wrath and all disasters to earth. The world has become God’s kingdom. Clouds roll and toss in the skies, lakes and streams stir up a merry tune. Resting animals leave their caves, and man is awakened from their dreams. Now that longed-for day has arrived and all honor God with their songs, the most beautiful songs of all time. Countless people praise God with joy (with joy), countless voices exalt His name (His name). Look at His awesome deeds; now His kingdom on earth has come.

この歌を歌うとき、あなた方は毎回何を考えるであろうか。(神の国の美しさがどれほど壮麗か、そして人間と神が永遠に共にあることを考えると、喜びで非常に興奮する。) 神と共にあるために、人間がとらなければならない形について考えたことがある者はいるだろうか。あなた方の想像では、神と共にあり、神の国で栄光ある生活を送るためには、人間はどのようにあるべきであろうか。(人間には改められた性質がなければならない。)人間には改められた性質がなければならない、ということだが、どの程度改められている必要があるだろうか。改められた人間は、どのようになるであろうか。(聖なる人間になる。) 聖さの基準は何であろうか。(全ての思想や考え方がキリストと一致していることである。) その一致とは、どのようにして表出されるであろうか。(人間は神を拒まず、裏切らず、神に絶対的に服従し、神を心から畏れる。) あなた方の答えには正しいものも幾つかある。皆心を開いて、あなた方の心の声を述べて欲しい。(神と共に神の国で暮らす人間は、真理を追究し、他の者や物事に少しも邪魔されること無く本分を尽くし、それを誠実にすることができる。そして闇の影響から抜けだし、神の心と調和して、神を畏れ、悪を避けられるようになる。) (自分の物事の見方を神と調和させ、闇の影響から抜け出すことが出来る。最低限の基準は、サタンに搾取されないこと、腐敗した性質を捨て去ること、神に対して従順になることである。闇の影響から抜け出すことが重要だと思う。ある者が闇の影響から抜け出せず、サタンの呪縛から抜け出せない場合、その者は神の救いを得ていない。) (神により全き存在とされる基準は、人間が神の心、神の思いとひとつになること、神を拒まなくなること、自分を知り、真理を実践し、神に関する認識を得て、神を愛し、神と協調することである。人間に必要とされる行動は、これらが全てである。)

人間の心の中における結末の重さ

あなた方の心には、自分が歩むべき道について何らかの考えがあり、それについてかなり把握し、理解しているようである。しかし、あなた方の言葉が空虚なものとなるか、事実となるかは、日々実践する事柄において、あなた方が何に注意しているかにより決まる。あなた方は真理の教義と内容の両方について、長年にわたり真理のあらゆる側面から収穫を得てきた。それにより証明されるのは、現在の人間は真理を求める事に重点を置いている、ということである。その結果、真理のあらゆる側面と事項が、一部の人々の心に、確実に根ざしている。しかし、わたしが最も恐れていることは何であろうか。それは、あなた方の心では、真理という事項とその理論が根ざしていても、実際の内容にそれほど重点が置かれていないことである。あなた方が問題や試練に遭遇したとき、選択に迫られた時、そうした真理の事実をどの程度活用できるであろうか。そうした事実は、あなた方が困難を乗り越える際や、神の趣意を満たして試練を乗り越える際に役立つであろうか。あなた方は試練に耐え、はっきりと大声で神の証しをするであろうか。あなたは、それらの問題に関心を持ったことがあるであろうか。あなた方に尋ねるが、あなた方の日々の考えや思いにおいて、自分にとって最も大事な物事は何であろうか。あなた方は、このことについて結論に達しているだろうか。あなた方は何が最も重要であると考えているであろうか。「真理を実践することが最も重要である」という者もいれば、「当然ながら、神の言葉を毎日読むことが最も重要である」という者や、「当然ながら、毎日神の前に出て、神に祈ることが最も重要である」という者、「当然ながら、毎日きちんと自分の本分を尽くすことが最も重要である」という者もいる。さらに、神に満足してもらう方法、あらゆる物事において神に従う方法、神の心に沿って行動する方法について、ひたすら考えているだけであると言う者もいる。そうであろうか。それが全てであろうか。たとえば、「常に神に服従したいが、何かあると神に服従出来ない。」という者がいる。「神に満足してほしいと常に思っている。神にただ一度だけでも満足してもらえればよいのだが、神に満足してもらうことは決して出来ない。」と言う者もいる。「神に服従したいと常に思っている。試練の時、何も不満を言わず要求もせずに、神の采配にゆだね、神の統治と計画に従いたいと常に思っている。しかしほぼ毎回、従うことができない。」と言う者もいる。「決断に迫られると、どうしても真理を実践することを選べない。私は常に肉の欲を満たしたい、自分の勝手な願望を満たしたいと思う。」と言う者もいる。その原因は何であろうか。あなた方は、神の試練が起こる前に、何度も自分自身に挑んだり、試したり、試練を課した事はないだろうか。本当に神に従い、神に満足してもらえるか、絶対に神を裏切らないようにすることが出来るか、試してみよ。自分自身や自分の勝手な願望を満足させずに、自分の個人的な選択をせずに、ただ神に満足してもらうように出来るか、試してみよ。このように出来る者はいるだろうか。実際には、あなた方の目の前にある真実はただひとつである。それはあなた方全員にとって関心が最も高く、最も知りたい事、つまり自分自身の結末と終着点に関する事柄である。あなた方は気付いていないかも知れないが、それは誰も否定出来ないことである。人間の結末、神の人間に対する約束、神が人間を進ませようとする終末に関する真理に関しては、それに関連する神の言葉を既に何度か研究している者がいることを、わたしは知っている。その一方で、自分の心の中で何度もそれを探し、考えるが、何の結果も得られなかったり、曖昧な結論に達したりする者もいる。結局、こうした者は自分を待ち受けている結末はどのようなものかについて確信していない。真理に関する交わりや教会の生活を受け入れ、自分の本分を尽くす時、常に殆どの者が、自分の結末はどうなるだろうか、最期までその道を歩き続けられるだろうか、人間に対する神の姿勢はどのようなものだろうか、といった疑問の答えを知りたいと思う。自分には、過去に神が喜ばない言動があった、自分は神に不従順だった、神を裏切る行為をした、神に満足してもらえないことをした、神の心を傷つけ、神を落胆させた、神に忌み嫌われることをした、だから、おそらく自分の結末は不明であろう、と懸念する者さえいる。大部分の人間が自分の結末に不安を感じていると言えるであろう。「自分は大丈夫だと100%確信している。自分は神の趣意を満足できると100%確信している。自分は神の心に叶う者であって、神の賞讃を受ける者である。」などと、敢えて言う者はいない。神の道に従うことはことさらに困難であり、真理を実践するのは何よりも難しいと考える者もいる。最終的に、こうした人々は、自分が救いようの無い者であると考え、敢えて良い結末に期待することは無い。あるいは、こうした人々は神の趣意を満たして救われることが出来ないと考えているので、自分に結末は無く、好ましい終着点に到達できないと言う。人々が正確にはどのように考えるかを問わず、皆自分の結末について何度も疑問を抱いている。自分の将来に関する疑問や、神が業を終えた時に自分が何を得るかに関する疑問について、こうした人々は常に計算し、計画を立てている。人一倍犠牲を払う人もいる。自分の家族や職業を捨てる者や、結婚生活を諦める者、辞職して神のために生活する者、本分を尽くすために自宅を去る者、困難な道を選び、最も過酷で骨の折れる務めに取り組む者、富や持っている物の全てを捧げる者、真理や神を知ることを求める者もいる。自分が何をするかを決める方法を問わず、行動時の作法は重要であろうか。(重要では無い。 )それでは、それが重要でない理由は、どのようにして説明されるであろうか。作法が重要でないとしたら、何が重要であろうか。(表面上の良い行いは、真理を実践していることを表すものではない。) (皆が考えている物事は重要ではない。重要なのは、真理を実践しているかどうか、自分が神を愛しているかどうかである。)(反キリストと偽の長の没落から、表面上の行いが最も重要ではないことが分かる。彼らは表面的に多くの物事を捨て去り、代償を厭わないように思われるが、詳しく検討すると、彼らには神を畏れる心が無く、あらゆる面で神に反抗している。彼らは重要な時常にサタンと共にあり、神の業を阻害する。したがって、ここで主に検討すべきことは、終わりの時に自分がどちらの立場に立つか、そして自分の観点がどのようなものであるかである。) 皆素晴らしい意見を持っている。また、既にあなた方は真理の実践や神の趣意、神の人間に対する要求に関する基本的認識を備え、その基準を満たしている。そのような意見を聞いて、極めて感心している。あなた方の意見は、不適切な言葉も所々にあるが、真理に相応しい説明内容に近い。それは、あなた方が、自分の周囲の人々や物事、神が定めた環境、自分が見るもの全てに関して、独自の真の認識を得ているということである。その認識は、真理に近い。あなた方の意見は完全に理解可能なものではなく、極めて妥当とは言えない言葉もいくつかあるが、あなた方の認識は、既に真理の現実に近い。そうした意見を聞いて、わたしは気持が良い。

人間が持つ信仰は真理の代替とはなり得ない

一部の人々は、苦難に耐え、代償を払い、表面上の行動も極めて良好であり、尊敬されて皆から賞讃されている。あなた方はどう思うだろうか。こうした表面上の行動は、真理を実践しているとみなせるだろうか。この者は神の趣意を満たしていると言えるであろうか。人々が、こうした者に対して何度も、神を満足させている、真理を実践する道を歩んでいる、神の道を歩んでいると考えるのは、何故だろうか。このように考える者がいるのは、何故だろうか。これを解釈する方法は、ひとつしかない。それは、どのような解釈であろうか。それは、多くの人々にとって、真理の実践とは何か、神に満足してもらうとはどのようなことか、真理の現実を知るとはどのようなことか、といった疑問が不明瞭だ、ということである。そうしたわけで、表面上霊的で高貴で高尚な印象を与える者に、しばしば騙される者がいる。文字上の事柄や教義上の事柄について語ることが出来て、言動や行動が賞讃に値する者について、その者を賞讃する人々は、その者の行動の本質や背後にある原則、目的について検討しない。また、こうした人々はその者が真に神に服従しているか、真に神を畏れ、悪を避ける者であるかを検討しない。こうした人々は、その者の本質的な人間性を見抜くことが出来ない。むしろ、こうした人々は、その者に最初に知り合ってから、徐々にその者を賞讃し、崇敬し、最終的にその者は、人々の崇拝対象となる。さらに、一部の人々の考えでは、自分が崇拝する対象となる者、家族や職業を捨て、表面的に代償を支払うことが出来る崇拝対象が、真に神を満足させるものであり、好ましい結末と終着点を迎えることができる者であると信じている。こうした人々の心の中では、これらの崇拝対象が、神が賞讃する人々である。人々にこのように考えさせる原因は何であろうか。この問題の本質は何であろうか。この問題により、どのような結末が引き起こされるであろうか。まず、この問題の本質について話をする。

人々の観点や行動、人々がどのような原則を選択して実践するかという問題、そして人々が通常強調する物事に関するこうした問題は、基本的に全て神の人類に対する要求とは無関係である。人間が重要視する物事が浅薄であるか深遠であるか、文字や原則であるか、現実であるかを問わず、人間は、最も遵守すべき物事を遵守せず、最も知るべき事柄を知らない。その理由は、人間が全く真理を好まないということである。したがって、人間は神の言葉による原則を探して実践するために時間や労力を費やすことを望まない。むしろ、人間は近道をし、理解していること、知っていることをまとめて、優良な慣行や行動とすることを望む。ゆえに、こうした概要が人間の目標となり、実践すべき真理となる。このことによる直接的な結末は、人間が真理を実践する代替として、人間の優良慣行を用いることであり、それは神の機嫌を取りたいという人間の欲望も満たす。これにより、人間は真理に対抗し、神に釈明し、対立するようになる。それと同時に、人々は無節操に神を忘れ、自分の心の中の崇拝対象を神の代わりとする。人間にこうした無知な行動や見方、あるいは一方的な見方と行動を取らせる原因は、ただひとつである。本日はそのことについて述べる。その理由は、人間は、神に付き従い、日々神に祈りを捧げ、神の言葉を読んでいても、実際には神の趣意を理解していないということである。このことが問題の原因である。神の心を理解し、神が好む物事や嫌悪する物事、神が求める事柄や拒む事柄、神が愛する人間と嫌う人間、神の人間に対する要求において神が適用する基準、神が人間を全きものとする際に採る方法を理解している者がいたとすれば、その者は、それでもなお自分の個人的な考えを持つ事が出来るであろうか。その者は別の人間を崇拝できるであろうか。普通の人間は、そうした者の偶像となり得るであろうか。ある者が神の趣意を理解している場合、その者の観点は、もう少し理にかなっている。そうした者は、堕落した人間を自分の判断で崇拝対象とすることは無く、また真理を実践する道を進んでゆく際に、僅かな簡単な規則や原則を任意で遵守することが真理を実践することであるとは考えない。

神が人間の結末を決定する際の基準については、多数の意見がある

この主題に戻り、結末に関する事柄について話をする。

人間は皆自分の結末に懸念を抱いているが、あなた方は神が結末を決める方法を知っているであろうか。神はどのようにして人間の結末を決めるであろうか。また、神はどのような基準を適用して人間の結末を決めるであろうか。さらに、人間の結末が未決の時、神はどのような業によりその結果を示すであろうか。それを知っている者はいるだろうか。たった今述べた通り、神の言葉を既に長年にわたり研究している者たちがいる。そうした人々は人類の結末や、その結末が分類される種別、様々な人々の将来に待ち受ける様々な結末に関する手がかりを探している。またそうした人々は、神の言葉がどのように人間の結末を決めるのか、神はどのような基準を適用するのか、神はどのようなやり方で人間の結末を決めるのかも知りたいと考えている。しかし、そうした人々は、結局何も見出せない。事実、それについて述べた神の言葉は、稀少である。それは何故であろうか。人間の結末が示されていない限り、神は最期に起こる事柄を誰かに伝えることも、誰かにその者の終着点を事前に知らせることも望まない。その理由は、神がそのようなことをしても、人間にとって何ら利点が無いからである。ここでは、神がどのように人間の結末を決定するか、人間の結末を決定し、それを示す際に神が適用する原則、そしてある者が生き残れるか如何を決定する際に神が適用する基準に限定して話をしたいと考えている。あなた方が最も懸念しているのは、そうしたことでは無かろうか。どのようにすれば、人間は神が人間の結末を決定する方法を理解できるだろうか。これについては、つい先ほどあなた方の意見で少し述べられていた。あなた方の中に、それは自分の本分を誠実に尽くしているかどうか、神のために時間を費やしているかどうかの問題であると述べた者や、神に服従し、神に満足してもらう事であると述べた者、神の憐れみに服する事であると述べた者、そして慎ましく生活する事であると述べた者がいた。あなた方がそうした真理を実践する時、想像の原則を実践する時、神がどう思うかを、あなた方は知っているだろうか。そのようなことを続けることで、神の趣意が満足されるかどうか、それは神の基準に応じるかどうか、それは神の要求に応じるかどうかを、考えたことがあるだろうか。大部分の者がそのようなことを真剣に考えていないことと思う。大部分の者が、神の言葉の一部や、説教の一部、あるいは自分が敬愛する霊的人物の基準を機械的に適用し、こうしなければいけない、ああしなければいけないと、自分自身を強制するのみである。大部分の者が、それが正しいやり方であると考え、結局どうなるかを問わず、それを守ろうとし、実践している。「長年そのように信じてきた。常にそのように実践してきた。自分は神を本当に満足させたような気がする。また自分も得るところが多かったと感じる。そのようにしてきた期間、多くの真理や、それまで知らなかった多くの事を知った。特に、自分の考えや観点が変わり、人生の価値も大きく変わり、この世の中についてかなり理解できた」などと考える者がいる。そうした者は、それが収穫であり、それが人間に対する神の業の最終結果であると考える。あなた方は、そうした基準と自分の実践した事柄全てにより、神の趣意を満たしていると考えているであろうか。確信を持って「もちろんである。神の言葉に従って実践し、兄弟が説教で話し、わたしたちに伝えた通りに実践している。常に自分の本分を尽くし、神に付き従い、神から離れたことは一度も無い。だから、全く確信を持って、神に満足してもらっていると言える。神の趣意をどの程度理解しているか、神の言葉をどの程度理解しているかによらず、神と共にあることを求める道を常に歩んで来た。自分達が正しく行動し、正しく実践していれば、その結果は正しいものとなるであろう。」という者もいるであろう。こうした観点について、あなた方はどう思うであろうか。この観点は正しいであろうか。おそらく「そうした事は考えた事が無い。ひたすら自分の本分を尽くし、神の言葉が要求することに従って行動していれば、自分は生き残ることが出来るということだけを考えている。神の心を満足させられるかといった疑問や、神が要求する基準に達しているかどうかは、今まで考えたことが無い。神は私に述べられた事は無いし、明確な指示を与えられたことも無いのだから、私が生きている限り、神は満足され、神は私に対してそれ以上のことを求められないであろう」と言う者もいるであろう。こうした考えは正しいであろうか。わたしに関する限り、こうした実践方法や思考方法、観点は、すべて人間を空想的にしたり、多少盲目的にしたりするものである。わたしがこう述べると、多少落胆して「盲目的とは、どういうことか。それが『盲目的』であるとすれば、我々の救いや生存に対する望みは少なく、極めて不確実ではなかろうか。そのような言い方は、私達に冷水を浴びせるようなものではないだろうか」と述べる者もいるであろう。あなた方がどう考えたとしても、わたしは自分の言動であなた方に冷水を浴びせるような意図は無い。むしろ、それは神の趣意に関するあなた方の理解を向上させ、神の考えや神が実現したい事柄、神はどのような人間を好み、何を嫌悪し、何を蔑視し、どのような人間を自身のものとしたいと思うか、そしてどのような人間を拒否するかに関するあなた方の認識を向上させることを意図するものである。それは、あなた方各人の行動や考えが、神により要求される基準からどれほど離れてしまっているかを、あなた方が明瞭に理解するのを支援し、あなた方の心を明瞭にすることを意図するものである。こうした事柄について話す必要があるであろうか。なぜなら、あなた方は長年信者であり続け、多くの説教を聞いて来たが、最も不足しているのは、まさにこうした事柄であることをわたしは知っているからである。あなた方は、あらゆる真理をノートに書き記し、自分の頭と心の中で個人的に重要であると思ったことも記録してきたかも知れない。あなた方が実践する時にそれを使うよう計画して、神に満足してもらうように。自分に何か必要な時に、それを使うように。目の前の困難を乗り越えるために、それを使うように。あるいは単にそうした真理と共に人生を過ごすように。わたしに関しては、あなた方が実践するだけの場合、具体的に、どのように実践するかは重要ではない。それでは、極めて重要な事柄は何であろうか。それは、あなた方が実践している時、あなた方のしていること、あなた方の行動全てが、神の望むことであるかどうか、あなた方の行動や考え、心の中にある結果と到達点が、すべて神の趣意を満足させ、神の要求に応じ、神に認められるものであるかどうかに関して、あなた方が心に確信を持つことである。重要なのは、そうした事柄である。

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