日々の神の御言葉: 終わりの日における裁き | 抜粋 83
人間の肉体の堕落を裁くのには、受肉した神以上にふさわしいものはいない。もし神の霊が直接裁いたならば、それはすべてを含むものではないであろう。そのうえ、そうした働きは人間には受け入れがたいものだったろう。なぜなら、霊は人間と直接会うことができず、そのため効果は即座に見られるものでも…
神の出現を待ち望むすべての人を歓迎します!
真理に関するあなたがたの理解は、自分自身の状態と一体となっていますか。実生活では、どの真理が、自分が遭遇した人や出来事や物事に関連しているかをまず考えなければなりません。こうした真理の中に神の旨を見出し、自分が遭遇した物事と神の旨を関連づけることができるからです。自分が遭遇した物事について、真理のどの側面がそれと関連しているかを知ることなく、神の旨を直接求めにいったところで、そのような盲目的なやり方で成果を得ることはできません。真理を求めて神の旨を理解したければ、まずは自分にどのようなことが起きているのか、それが真理のどの側面と関連しているかを検討してから、神の言葉の中に、自分が経験したことに関連する特定の真理を探し出す必要があります。次に、その真理の中から自分にふさわしい実践の道を探します。そのようにすることで、神の旨に関する間接的な理解が得られます。真理を探して実践することは、機械的に教義を適用することでも、公式に従うことでもありません。真理は公式のようなものでも、法則でもないのです。真理は死んだものではなく、いのちそのものであり、生きているものであり、被造物が人生において従うべき法則、生きる上でもたなければならない法則です。それは、あなたが経験によって可能な限り深く理解する必要があるものなのです。自分の経験がどの段階に達していようと、あなたは神の言葉や真理から離れることができず、神の性質についてあなたが理解していること、神が所有するものと神そのものについてあなたが知っていることはどれも、神の言葉の中に表わされています。それらには真理と切り離せないつながりがあるのです。神の性質、そして神が所有するものと神そのものは、それ自体真理です。真理は神の性質と、神が所有するものと神そのものを表わす真正なものです。それによって神が所有するものと神そのものは具体的なものになり、またはっきり述べられることになります。神が何を好むか、何を好まないか、あなたに何をしてほしいのか、あなたが何をするのを許すのか、どのような人を嫌ってどのような人に喜ぶかを、それはあなたにはっきり伝えるのです。神が表わす真理の背景から、人々は神の喜び、怒り、悲しみ、幸福、そして神の本質を理解することができます。これが神の性質の現われです。神の言葉から神が所有するものと神そのものを知り、神の性質を理解することを除いて最も重要なのは、実践的な経験を通じてこの理解に達する必要性です。神を知るために自分を実生活から切り離せば、その人は神を知ることができません。神の言葉から何らかの理解を得られる人がいたとしても、その理解は教義や言葉に限られ、本当の神自身と差異が生じることになります。
いま話し合っていることはどれも、聖書に記録された物語の範囲内にあるものです。これらの物語と、そこで起きたことの分析によって、人間は神が表わしてきた神の性質と、神が所有するものと神そのものを理解することができ、それによって神のあらゆる側面をより広く、深く、包括的に、そして徹底的に知ることができます。では、神のあらゆる側面を知るには、これらの物語を通して知るのが唯一の方法ですか。違います。それが唯一の方法ではありません。神の性質をより十分に知るには、神の国の時代における神の言葉と働きのほうが役立つからです。しかし、神の性質を知り、神が所有するものと神そのものを理解するには、人々が親しんでいる聖書の中の実例や物語を通して行なうほうがより簡単だと思います。裁きと刑罰の言葉、および神が現在表わしている真理を一語一語取り上げ、それによってあなたに神を理解させようとすれば、あなたはあまりに退屈で面倒だと感じ、中には神の言葉は型通りだと感じる人さえいるでしょう。しかし、こうした聖書の物語を例として取り上げ、神の性質を知る手助けとすれば、人々は退屈さを感じません。これらの例を説明する過程で、気分や感情、思いや考えといった、神の心にそのときあった事柄の詳細は人間の言葉で語られており、その目標はひとえに、神が所有するものと神そのものが型通りのものでないことを人々が理解し、感じ取るようにすることだと言えるでしょう。それは伝説でもなければ、人々が見たり触ったりすることができないものでもありません。それは実在するもの、人々が感じ取って理解できるものなのです。これが最終的な目標です。この時代に生きる人々は祝福されていると言えるでしょう。聖書の物語を用いることで、神の以前の働きについて認識を広げ、神が行なった働きを通して神の性質を知ることができるからです。そして神が表わしてきた性質を通じて、人類に対する神の旨を理解し、神の聖さと人間への配慮の具体的な現われを理解することができます。このようにして、人々は神の性質をより詳細に、より深く知ることができるのです。これはあなたがたの誰もがいま感じられることだと思います。
『神を知ることについて』「神の働き、神の性質、そして神自身 3」(『言葉』第2巻)より
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神は人類を創造したが、神が人間世界に来ると、人々は神に抵抗しようとし、あたかも神が世界を放浪する孤児か、国を持たない俗世の人間のように、自分たちの領土から追い払おうとする。誰も神に愛着を覚えず、誰も真に神を愛さず、誰も神の到来を歓迎したことがない。それどころか、神の到来を見ると、…
最初、旧約聖書の律法の時代に人間を導くのは、子どもの生活を導くようなものだった。原初の人類はヤーウェから生まれたばかりで、彼らこそイスラエル人だった。彼らはいかに神を崇めるべきかも、いかに地上で生きるべきかも分からなかった。言うなれば、ヤーウェは人類を創造したが、つまりアダムとエ…
あなたがたは、今では神と人類の最大の違いを感じますか。それでは、万物の支配者は誰ですか。それは人間ですか。(いいえ。)それでは、万物の取り扱い方における神と人間の相違は何ですか。(神様は万物を支配して取り決められ、人間はそのすべてを享受します。)あなたがたはこの意見に賛成ですか。…