日々の神の御言葉: 終着点と結末 | 抜粋 591
今日、人が勝利者になって、完全にされることを求めるのは、地上で普通の人の生活を送る以前に求めたことであり、サタンが束縛されること以前に人が求める目標である。人が勝利者になって完全にされ、大いに用いられることを求めるのは、実質的にサタンの影響から逃れることである。人が追求しているの…
神の出現を待ち望むすべての人を歓迎します!
神に付き従うとき、人間はめったに神の心意や、神の思いや神の人間に対する態度に留意しないということです。人間は神の思いを理解していないので、神の意図や性質について質問をされると、混乱します。深い不信に陥り、推測したり予想したりするのです。これはどういう姿勢ですか。それは、神を信仰する大部分の人は、神を中身のない空気のようなもの、ある瞬間には存在しているが、次の瞬間には存在していないようなものとみなしているという事実を証明しています。なぜわたしはこのように表現するのですか。それは、問題に遭遇するたびに、あなたがたは神の心意を知らないからです。なぜ神の心意を知らないのです。現在知らないだけでなく、最初から最後まで、この問題に対する神の態度を知りません。神の姿勢が見えず、わからないのですが、それについてしっかり考えたことがあるのですか。知ろうとしたことがあるのですか。それについて話し合ったことがあるのですか。ありません。これにより、あなたが信仰する神と、現実の神とは無関係であるという事実が裏付けられます。神への信仰において、あなたは自分や自分の指導者の意図しか考えず、神の言葉の表面的かつ教義的な意味しか考えず、神の心を真剣に知ろうとしたり、求めたりすることはありません。これが現状ではありませんか。この問題の本質はかなり酷いです。長年にわたり、わたしは神を信じる大勢の人と会ってきました。彼らはその信仰ゆえに、頭の中で神をどのように変えてしまいましたか。神を中身のない空気のような存在として信仰する人がいます。彼らは、神の存在に関する疑問に答えられません。なぜなら、神の存在も不在も感じることも意識することもできず、ましてやはっきりと見ることも理解することもできないからです。意識下では、神は存在しないと考えているのです。一方で、神が人間であるかのように、神を信仰する人もいます。彼らは、自分たちにできないことは神にもできず、神は自分たちと同様に考えているに違いない、と信じています。彼らによる神の定義は「目に見えず、触れることのできない人」です。操り人形であるかのように神を信仰する人もいます。彼らは、神には感情がなく、神は粘土の彫像であり、問題に直面しても、神にはどのような態度も、観点も思想もなく、人間の思うままであると信じています。人間は単に自分の好き勝手に信仰しているだけです。人が神を偉大にすれば、神は偉大であり、小さくすれば、神は小さくなります。人間が罪を犯して神の憐れみや寛容、愛が必要なとき、神は慈しみを与えなくてはなりません。人は自分の頭の中に「神」を作り、その神に自分の要求や願望をすべて満たさせます。時や場所、人が何をしているかを問わず、自分の妄想を、神の扱いや神への信仰にあてはめます。自分で神の性質を侵害しておきながらも、神は自分を救うことができるとそれでも信じている人さえいます。その人が、神の愛は無限であり、神の性質が義であり、人間がどれほど神の怒りを買ったとしても、神はそれを一切覚えていないと思い込んでいるからです。人間の欠点や過ち、不従順は、人の性質の一時的な表面化で、神は人に機会を与え、寛容で辛抱強いと信じているのです。神は今まで同様、人を愛すると信じています。したがって、救いへの希望は大いにもっています。事実、人が神をどのように信じようと、真理を追い求めていない限り、神はその人に否定的態度を取ります。それは、神への信仰において、神の言葉が記された本を手に取り、それを宝とみなし、毎日読んで勉強しても、真の神を無視しているからです。神をただの空気や普通の人間とみなし、人によっては操り人形のようにみなしているからです。なぜわたしはこのように表現するのですか。それは、わたしの見る限り、あなたがたが問題に遭遇しようと、難しい状況に直面しようと、あなたの意識下にあり、内部に形成されるものは、神の言葉や真理の追求と一切関係がないからです。あなたが知っているのは、自分が何を考えているか、自分の観点は何かであり、自分の考えや観点を神に強制しているのです。人の考えでは、それが神の観点となり、そうした観点を自分が絶対に守る基準とするのです。このまま行くと、時間と共に、あなたは神からどんどん遠ざかって行きます。
『神を知ることについて』「神の性質と神の働きが達成する成果をいかにして知るか」(『言葉』第2巻)より
信仰上の悩みや疑問がありましたら、いつでもご連絡ください。
今日、人が勝利者になって、完全にされることを求めるのは、地上で普通の人の生活を送る以前に求めたことであり、サタンが束縛されること以前に人が求める目標である。人が勝利者になって完全にされ、大いに用いられることを求めるのは、実質的にサタンの影響から逃れることである。人が追求しているの…
あなた方はみな神の前で報いを受け、神の目に喜ばしく映る対象となれれば嬉しいだろう。それは、人が神を信じるようになった後、誰もが望むことである。人は一途に更なる高みを目指し、他の人に劣ることを喜ばないからである。人はみなこのようである。正にこのような理由から、あなた方の多くは、いつ…
未信者について、神の業の背後にある原則は、善を讃えて悪を懲罰するものですか。例外はありますか。(ありません。)神の業に原則があることを理解しましたか。未信者は実際に神を信じておらず、神の指揮に従うこともありません。加えて神の統治を認識しておらず、ましてや神を認めることなどありませ…
自分自身を見つめ、すべての行いにおいて義を実践しているかどうか、そしてすべての行動が神の監視を受けているかどうかを確かめなさい。これは神を信じる者が物事を行う際の原則である。神を満足させられること、神の世話と保護を受け入れることによって、あなたがたは義であるとされる。神の目から見…