日々の神の御言葉: 受肉 | 抜粋 135
今日、実際神に関する人々の認識は相変わらず偏り過ぎており、受肉の意義への理解はまだあまりにも取るに足らないものである。神の受肉のこととなると、人々は神の働きと言葉を通して、神の霊にはとても多くが含まれており、非常に豊かであることを知る。しかし、それにもかかわらず、神の証しは最…
神の出現を待ち望むすべての人を歓迎します!
多くの人は、ほんとうにわたしを愛したいと願うが、彼らの心が自分のものではないために、自身を制御できない。多くの人は、わたしの与える試練の中で、ほんとうにわたしを愛している。しかし、わたしが本当に存在することを把握できず、わたしの実在ではなく、単に空虚の中でわたしを愛しているに過ぎない。多くの人は、わたしの前に心を差し出した後、もはや顧みない。そして、彼らの心は機会があり次第、サタンに掠め取られる。その後、彼らはわたしを離れる。多くの人は、わたしが言葉を与えるとき、ほんとうにわたしを愛する。しかし、霊でわたしの言葉を愛するのではなく、公共物ででもあるかのように気安く用いて、気が向けばいつでも元の場所に投げ戻すのだ。人間は苦痛の中でわたしを求め、試練の中にあって、わたしを探す。平和の時にはわたしを楽しみ、危険になると、わたしを否定する。忙しい時にはわたしを忘れ、暇な時には、わたしに対しておざなりな態度をとる。しかし、けっして誰も生涯を通じてわたしを愛しはしない。人間がわたしの前で熱心であればいいと思う。わたしに何かよこせとは言わない。ただ、すべての人がわたしを真剣に受け止め、わたしを欺くのではなく、誠意を人間の内に取り戻せるようにしたいのだ。わたしの啓きや照らし、努力はすべての人を貫く。しかし、人間のあらゆる行動の真相が人々を貫き、わたしに対する欺きが貫く。人間には母の胎にいるときから欺きの種が備わっていたものででもあるかのようだ。生まれながら欺きの特別の技術をもっているかのようなのだ。そのうえ、人間はけっしてそのことを漏らさない。誰一人、そうした欺きの技術の源を見通した者はいない。その結果、人間はそれと気付かずに欺きの中で生き、自身を許しているかのようで、それが、自分で意図的にわたしを騙そうとしているのではなく、神の計らいででもあるかのように振る舞う。これこそが、人間がわたしを欺く原因なのではないか。これは人間の狡猾なしわざではないのか。わたしはけっして人間の巧みな言葉に惑わされたことはない。わたしはずっと以前に人間の本質を見抜いていたのだから。人間の血にどれほどの不純物が含まれているか、どれほどサタンの毒がその髄に潜んでいるか、誰が知っているのか。人間は日々にそれに慣れ、サタンのしわざに無感覚になり、「健康的な生き方」を見つけることには何の関心もない。
『神の出現と働き』「全宇宙への神の言葉、第二十一章」(『言葉』第1巻)より
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サタンとヤーウェ神の対話 ヨブ記 1:6-11 ある日、神の子たちが来て、ヤーウェの前に立った。サタンも来てその中にいた。ヤーウェは言われた、「あなたはどこから来たか」。サタンはヤーウェに答えて言った、「地を行きめぐり、あちらこちら歩いてきました」。ヤーウェはサタンに言われた、…
イエスの受肉という真実が明るみにでて初めて人は、天の父がいるだけではなく、子とさらには霊がいるということに気づいた。これが、天には父と子と聖霊のすべてを一つにした三位一体の神がいるという、人の抱いている従来の観念である。すべての人間が次のような観念を持っている。神は一人だが、三つ…
あなたは受肉の神を認め、言葉の肉における出現を認めると言うが、神の背後でなんらかの事柄、神の要求に反することを行い、心の中では神を恐れていない。これが神を認めるということか。あなたは神が言うことは認めるが、自分ができることを実行せず、神の道にも従わない。これが神を認めるというこ…