日々の神の御言葉: 人類の堕落を暴く | 抜粋 328

自分自身を見つめ、すべての行いにおいて義を実践しているかどうか、そしてすべての行動が神の監視を受けているかどうかを確かめなさい。これは神を信じる者が物事を行う際の原則である。神を満足させられること、神の世話と保護を受け入れることによって、あなたがたは義であるとされる。神の目から見れば、神の世話と保護、そして神に完全にされることを受け入れ、神のものとされるすべての人が義であり、神はそれらの人を皆かけがえのないものとみなす。神の現在の言葉を受け入れれば受け入れるほど、神の心意を受け取り理解することができるようになり、それによりさらに神の言葉を生き、神の求めを満たすことができるようになる。これがあなたがたに神が委ねる任務であり、あなたがたの誰もがこれを成し遂げることができなければならない。まるで神が変化しない粘土の像ででもあるかのように、自分の観念によって神を推し測り限定したり、神を聖書に由来する特性にすっかり限定し、限られた働きの範囲に閉じ込めたりするなら、それは神を断罪したことを証明している。旧約聖書時代のユダヤ人は、神はメシアという名称以外では呼ばれることなどありえず、そしてメシアと呼ばれるものだけが神であるかのように、神を自分たちの心に描いた形の固定した偶像とみなしたために、そしてまた人は神を(命のない)粘土の像であるかのように仕え崇拝したために、彼らは当時のイエスを十字架に張り付け、死刑を宣告した。こうして罪のないイエスは死刑に処されたのである。神はなんの罪もなかったのに、人は神を許そうとせず、神を死刑にすることを強く要求したため、イエスは磔刑に処された。人は神は不変であるといつも信じており、聖書という一冊の書物に基づいて神を定義する。まるで人が神の経営を完全に理解しており、人が神のなす事すべてをその手中に収めているかのようである。人々は極度に愚かであり、極度に傲慢で、誰にも誇張の才能がある。神についてのあなたの認識がいかに優れていようとも、わたしは言う。あなたは神を知らず、神に最も敵対する者であり、神を断罪した。神の働きに従い、神に完全にされるための道を歩くことがあなたにはまったくできないからである。神はなぜ人の行いに決して満足しないのか。それは人が神を知らず、観念を持ちすぎており、人の神についての認識が現実とまったく一致しておらず、それどころか、同じ主題を代わり映えもなく単調に繰り返し、どのような状況でも取り組み方が同じだからである。そのために、今日地上にやってきた神は、再び人間によって十字架に張り付けられる。人類のなんと残酷なことか。共謀と陰謀、お互いからのひったくり合い、名声や富の奪い合い、殺し合い……一体いつ終わるのか。神が語った何十万語もの言葉にもかかわらず、誰一人として目覚めてはいない。人々は自分の家族、息子や娘、職業、将来の見通し、地位、虚飾、金のために、また食べるもの、着るもの、肉体のために行動する。しかし一体、真に神のために行動している者はいるのか。神のために行動している者でさえ、神を知っている者は非常に少ない。自身の利害のために行動しない人はどれほどいるのか。自身の地位を守るために他人を抑圧したり排斥したりしない人はどれほどいるのか。だから神は幾度となく無理やり死刑に処され、無数の野蛮な裁判官が神を断罪し、再び十字架に張り付けたのである。真に神のために行動ゆえに義人と呼ばれうる者はどれほどいるのか。

神の前で聖者や義なる者として完全にされるのはそれほど容易なことであろうか。「地上に義なる者はなく、義なる者はこの世にいない」という言葉は真実である。あなたがたが神の前に出るとき、自分の着ているもの、自分の言葉と行動のひとつひとつ、考えと思いのひとつひとつ、さらには毎日見る夢について考えなさい。これらはすべて、あなた自身のためのものである。それが真実の状態ではないか。「義」とは、他者に施しを行うことではなく、隣人を自分自身のように愛することでもなく、口論や喧嘩、強奪や盗みをしないということでもない。義とは、神に託された任務を自分の本分とし、神による采配と取り決めとを自分の天与の使命として、時と場所を選ばず、ちょうど主イエスがすべてを行ったように、それらに従うことである。これが神の言う義である。ロトが義と呼ばれることができたのは、神から送られた二人の天使を損得を顧みずに救ったからである。ただし、彼がこの時に行ったことが義と呼ばれうるだけであり、彼を義なる者と呼ぶことはできない。それはあくまで、ロトが神を見ており、二人の娘を天使と引き換えに差し出したからであり、彼の過去の行いすべてが義を表していたわけではない。そのためわたしは、「地上に義なる者はいない」と言う。現在回復の流れにある者の中にも、義と呼ばれうる者はいない。あなたの行為がいかに良いものであっても、いかに神の名を讃えているように見えても、人を殴ることも呪うこともなく、人から盗むことも奪うこともなくても、それで義なる者と呼ばれることはできない。それは普通の人でも行えることだからである。今ここで重要なのは、あなたが神を知らないということである。今言えるのは、あなたは現在幾ばくかの正常な人間性を有しているということだけであり、神が言う義の要素は一切有していない。それゆえ、あなたがすることは何一つ、あなたが神を知っているということを証明できないのである。

『神の出現と働き』「悪人は必ず罰を受ける」(『言葉』第1巻)より

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