日々の神の御言葉: 神の働きを認識する | 抜粋 142
世の終わりに受肉した神は、言葉を発することを主目的として来た。人間のいのちに必要なことをすべて説明し、どの人が入るのかを示し、神の働きを見せ、神の知恵・全能・驚くべきさまを見せるために来た。神はさまざまな方法で語るが、人間はそこに神の至高、神の偉大さ、さらに、神の謙虚と神秘なさま…
神の出現を待ち望むすべての人を歓迎します!
誰もが神を信じて生きる自らの生活を顧み、神を求めるにあたり神を真に理解しているか、真に把握しているか、そして真に神を知るに至っているか、様々な種類の人間に対し神がどのような姿勢で臨むかを知っているか、また神は自分にどのような業を施しているか、神は自分の行為を、それぞれどのように定義しているかを理解しているか確認する必要がある。あなたの隣にあり、あなたを進むべき道へと導き、あなたの運命を定め、あなたに必要なものを授ける神。よく考察してみた結果として、その神について、あなたは本当のところ、どの程度理解し、どの程度知っているであろうか。神があなたに対して毎日どのような業を施しているかを、あなたは知っているか。神のあらゆる業の根底となる原則と目的を、あなたは知っているか。神があなたをどのようにして導いているかを、あなたは知っているか。神がどのようにしてあなたに授けるかを、あなたは知っているか。神があなたを導く方法を、あなたは知っているか。神があなたから得たいと思っていること、そして神があなたの中で達成したいと思っている事柄を、あなたは知っているか。あなたが取る様々な姿勢に対して、神がどのような態度で臨むかを、あなたは知っているか。あなたが神に愛される人間であるかどうかを、あなたは知っているか。神の喜び、怒り、悲しみ、楽しみの根源と、その背後にある思いや考え、そしてその本質を、あなたは知っているか。究極的に、あなたが信じる神とはどのような存在であるかを、あなたは知っているか。このような問題は、あなたが全く理解できたことがないもの、考えたことのないものではないだろうか。神を信じることを追求する上で、神の言葉を真に体得すること、経験することで、あなたの神に関する誤解がとけたことは、かつてあるだろうか。あなたは、神の懲らしめ、鍛錬を受けた後に、真に神に従い、神を思うようになったことが、かつてあるだろうか。あなたは、あなたが神の刑罰と裁きを受けている時に、人間の反抗、人間のサタンのような本性を知り、神の聖さの片鱗を理解するようになったことは、かつてあるだろうか。神の言葉による導きと啓きによって、あなたが新たな人生観を得始めただろうか。あなたは、神から授かった試練のなかで、人間にとっての神の不可侵さや、神があなたに要求していること、いかにして神があなたを救っているかを感じてきただろうか。神に対して誤解するというのはどういうことか、そしてその誤解をとく方法を知らないのであれば、今まであなたには神との真の交わりが一切無く、神を全く理解していないか、少なくともあなたが神を理解したいと望んだことは一切ない、と言える。神の懲らしめと鍛錬が何かを知らないのであれば、神に従うこと、神を思うこととはどのようなことかを知らないこと、あるいは少なくとも神に従うこと、神を思うことがかつて無かったことは確実である。かつて神の刑罰と裁きを受けたことが無いのであれば、神の聖さとは何かを知らないこと、またそれ以上に、人間の反抗とは何かをよく知らないことは確実である。未だに正しい人生観あるいは人生の目的を持っておらず、自分の人生の将来について迷い、優柔不断で、前に進むことを躊躇さえしているのであれば、あなたが神の導きと啓きを真に受けていないことは確実であり、また神の言葉により備えられた、あるいは再び満たされたことも無いと言える。今まで神からの試練を通ったことが無いのであれば、人間にとっての神の不可侵さが何なのか、神があなたに要求していることは、究極的には何かについて理解していないし、ましてや、人間を経営し救う神の業とは究極的には何かを知らないことは、言うまでもない。ある者が何年間にわたり神を信じているかに関わらず、その者が神の言葉を経験することも認識することもかつて無かった場合、その者が救いへの道を歩んでいないこと、その者の神に対する信仰は実の無いものであること、そしてその者の神に関する認識が皆無であることは確実であり、またその者は神を畏れることとは何かについて、全く見当もついていないことは言うまでもない。
『神を知ることについて』「序文」(『言葉』第2巻)より
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