唯一無二の神自身 5

(その3)

神の聖さについては、これは良く知った題目であるかもしれませんが、これについて話し合うには、人によってはやや抽象的になり、内容がやや深いものになるかもしれません。過去において、人はこの題目の実際的な側面にめったに対応しなかったからです。けれど、心配することはありません。わたしたちはゆっくり取り組み、皆さんが神の聖さが何であるか理解できるようにわたしが手助けします。初めに、こう言っておきましょう。もし誰かをよく知りたいのなら、ただその人がすることと、その人の行動の結果を観察すれば、その人の本質を見ることができます。まず最初に、神の聖さについてこの観点から話し合いましょう。言い換えれば、サタンの本質は邪悪なので、サタンの人間に対する行動は、無限に人間を堕落させることです。サタンは邪悪なので、サタンが堕落させた人々は確実に邪悪です。そうですね。「サタンは邪悪であるから、サタンが堕落させた人はおそらく聖なる人であろう」と誰か言うでしょうか。なんという冗談でしょう。そんなことが一体可能でしょうか。(いいえ。)それでは、そのように考えないで、この側面から話し合いましょう。サタンは邪悪であり、それには本質的で実際的な一面があり、これはただの空虚な話ではありません。わたしたちはサタンを中傷しようとしているのではありません。ただ、真実と現実について話し合っているのです。これは何人かの人、あるいはなんらかの部類の人を傷つけるかもしれませんが、それに悪意はありません。おそらく皆さんはきょうこれを聞いて、少し不愉快に感じるでしょうが、近いうちに、それを認識できるようになったとき、皆さんは自分を見下し、わたしたちがきょう話し合ったことは皆さんにとって、とても有益で価値があることだと感じます。サタンの本質は邪悪ですから、サタンの行動の結果は必然的に邪悪であるか、少なくともサタンの邪悪と関連しています。こう言うことができますか。(はい。)それではサタンはどのように人間を堕落させるのでしょうか。まず、この世と人類のあいだにサタンによってもたらされた邪悪で、目に見えるもの、人が感じることができるものに特に着目しなければなりません。皆さんは、これまでにこのことについて考えたことがありますか。あまり考えたことがないかもしれませんから、わたしが何点か挙げてみます。サタンが提案する進化論について誰でも知っていますね。それは人間が研究している知識の分野の一つではありませんか。(そうです。)サタンはまず知識を用いて人間を堕落させ、その独自の方法で人間に知識を授けます。そしてサタンは科学を用いて人間を堕落させ、人間の知識、科学、神秘的な物事、あるいは人々が探索してみたいと思う物事への関心を喚起します。次にサタンが人間を堕落させるのに用いるのは、伝統文化と迷信です。これに続いて、サタンは社会動向を用います。これらはすべて人々が日常生活において遭遇する物事で、これらは皆、人々の身近にあるもの、見るもの、聞くもの、触れるもの、経験するものに関連しています。これらは一人ひとりを取り囲んでいて、逃れることも抜け出ることもできないものだと言うことができます。これらのことに影響を受けたり、感化されたり、支配されたり、束縛されたりすることを避ける方法は人類にはありません。それらを押しのけるには人は無力なのです。

1.サタンはいかに知識を用いて人間を堕落させるか

最初に知識について話し合います。誰もが知識を好ましいものとみなすのではないでしょうか。あるいは、少なくとも人は「知識」という言葉の言外の意味は否定的というよりは肯定的だと考えます。それではなぜ、サタンは人間を堕落させるために知識を用いるとわたしたちはここで言っているのですか。進化論は知識の一側面ではありませんか。ニュートンの科学的法則は知識の一部ではありませんか。地球の引力は知識の一部ですね。(はい。)それではなぜ、人類を堕落させるためにサタンが用いるものの項目のうちに知識が挙げられるのですか。皆さんはこのことをどうとらえますか。知識はその中に少しでも真理を含んでいますか。(いません。)では、知識の本質は何ですか。(真理に背きます。)人間が学ぶ知識は何の基盤の上に習得されますか。それは進化論にもとづいていますか。人間が探索した知識、その総括は、無神論にもとづいていませんか。(もとづいています。)この知識のうちの何かに神とのつながりがありますか。それは神を崇拝することとつながっていますか。真理とつながっていますか。(いいえ。)では、サタンは人間を堕落させるためにどのように知識を用いるのでしょうか。わたしはたったいま、この知識のうちの何も神を崇拝することや真理につながっていないと言いました。このことについて、「真理とは関係ないかもしれないが、人を堕落させることはない」と考える人もいます。皆さんはこれをどうとらえますか。人の幸福は人が自らの手で作り出すものに左右されると、あなたは知識から習いましたか。人間の運命は自らの手にあるとあなたは知識から習いましたか。(はい。)これはどのような話ですか。(それは戯言です。)その通り。これは戯言です。知識は、話し合うには複雑なものです。知識のある部分は知識以上の何ものでもないと簡単に言うことができます。それは、神を崇拝しないことと、神が万物を創造したという認識の不在にもとづいて習得される知識の部分です。このような知識を学ぶとき、人は神が万物を支配しているものとして見ず、神が万物を監督、管理しているものとして見ません。代わりに人がすることは、その分野の知識をひたすら研究し、探索し、知識にもとづいた解答を求めるだけです。けれど、もし人が神を信じず、代わりにただ研究を行なうだけならば、決して真の解答を見つけ出すことはありません。そうですね。知識は、人がひもじい思いをしないように、生活の糧を与えるだけ、仕事を提供するだけ、収入をもたらすだけです。しかし、それは決して人に神を崇拝させることはなく、人を悪から遠ざけることはありません。知識を学べば学ぶほど、神に反抗し、神について調べ、神を試し、神に逆らいたくなります。それでは今、知識が人に教えているのは何であるとわかりますか。これはすべてサタンの哲学です。堕落した人類の中にあるサタンの哲学と生存の法則は、真理と何かのつながりがありますか。(ありません。)真理とはまったく無関係ですし、実のところ、真理の反対です。「生きていることは動いていることである」と人はよく言いますが、これはどのような話ですか。(それは戯言です。)「人は鉄で、米は鋼である。食事を抜くと人は飢えたように感じる」とよく人は言いますが、これは何ですか。これはさらに酷い虚偽で、それを聞くと吐き気を催します。人のいわゆる知識に、サタンはその人生哲学と思想をかなり浸み込ませています。またサタンはそれをしつつ、人間にサタンの思想、哲学、視点を取り入れさせて、人間が神の存在を否定するように、神の万物の支配と人間の運命の支配を否定するようにしむけようとします。だから、人間の勉学が進むにつれ、人間はさらに知識を習得し、神の存在が曖昧になるのを感じ、神は存在しないとまで感じることもあります。サタンが人間の頭脳に視点、観念、思想を追加するにつれ、これらの思想を人間の頭脳に入れ、人間はこれにより堕落させられるのではありませんか。(そうです。)そのとき人間の生活の基盤は何ですか。人間はその知識に本当に依存していますか。いいえ。人間はその知識に隠されたサタンの思想、視点、哲学を自らの生活の基盤としています。ここがサタンによる人間の堕落の核心が起こるところであり、これがサタンの目的で、人間を堕落させる方法なのです。

初めに、この題目の最も表面的な部分について話し合います。語学の授業の文法や単語は人を堕落させることができますか。単語が人を堕落させられますか。(できません。)単語は人を堕落させません。単語は人が話せるようにする道具であり、人が神と意思疎通するのに用いる道具です。さらに、言語と言葉は、現在神が人と意思疎通する方法であり、それらは道具であり、必要なものです。1+1=2、これは知識ですね。2x2=4、これも知識ですね。でも、これが人を堕落させることができますか。これは常識であり規則ですから、人を堕落させることはできません。では、どのような知識が人を堕落させるのでしょうか。それは、サタンの視点と思想が混ざり込んだ知識です。サタンはこれらの視点や思想を、知識を通して人類に浸み込ませようとします。例えば、随筆において、そこに書かれた語句に何か問題がありますか。(ありません。)問題はどこにあるのでしょうか。著者が随筆を書いたときの視点と意図、そして著者の思想の内容、これらは霊的な物事ですが、これらは人を堕落させることができます。例えば、もしテレビ番組を観ていたとして、その中のどのようなことが人の意見を変えることができますか。出演者が言ったこと、その台詞そのものが人を堕落させることができますか。(できません。)どのようなことが人を堕落させられますか。番組の核心的な思想と内容で、製作責任者の意見を反映しているであろうもの、そしてそれらの意見に込められた情報が人々の心と頭脳を揺さぶることができるでしょう。そうですね。(はい。)サタンが知識を用いて人を堕落させる話において、皆さんはわたしが何を指しているか知っていますか。(はい、知っています。)皆さんは誤解しないでしょう。そうですね。ではまた小説か随筆を読むとき、そこに表現されている思想が人類を堕落させるか否か、人類に貢献するか否かを判断することができますか。(少しできます。)これはゆっくり学習し経験しなければならないことで、ただちに容易に理解するものではありません。例えば、ある知識の分野の研究や学習をするとき、その知識の肯定的な側面が、その分野についての常識と人が避けるべきことについて理解する助けになることがあります。例えば、「電気」を取り上げましょう。これは知識の一分野ですね。もし電気は人を感電させることがあることを知らなかったなら、あなたは無知ということになります。そうですね。けれど、一旦この部分の知識を理解すれば、不注意に電気に触れなくなり、電気の使い方を覚えます。これらはどちらも肯定的なことです。知識が人を堕落させることについて、わたしたちが何を話し合っているかはっきりしていますか。この世において学習される知識には多くの種類があり、それらを皆さんが自分で区別するには時間をかけなければならないからです。

2.サタンはいかに科学を用いて人間を堕落させるか

科学とは何ですか。ほぼすべての人の考えにおいて、科学は威信のあるもので、深いものとみなされていませんか。(はい、そうです。)科学と言うと、「それは一般人には把握できなくて、科学研究者か専門家だけが触れることのできる話題だ。我々のような一般人とは何の関係もない」と人は感じませんか。しかし、関係はありますか。(あります。)サタンはいかに科学を用いて人間を堕落させますか。わたしたちは、人々が生活においてしょっちゅう遭遇すること以外の物事については話しません。遺伝子について聞いたことがありますか。この用語は皆さん、よく知っていますね。遺伝子は科学を通して発見されましたか。(はい。)人にとって遺伝子とは正確に何を意味しますか。遺伝子は、人体とは神秘的なものだと人に感じさせませんか。この題目に導き入れられると、もっと知りたい、あるいはもっと詳細が欲しいと思う、特に好奇心の強い人がいないでしょうか。好奇心の強い人たちは、この主題に全力を注ぎ、忙しくないときに書籍やインターネットで情報を調べ、さらに詳しく学ぼうとします。科学とは何ですか。はっきりと言うと、科学とは人間が好奇心をもっている物事、未知で神から人間に向けて語られていない物事に関する思想と理論です。科学とは、人間が探索したいと思う奥義の思想と理論です。科学の範囲とは何ですか。それはすべての物事を含むと言えますが、人間はどのように科学の仕事を行ないますか。研究を通してですか。それには、物事の細目や法則を研究し、疑わしい理論を発表することが含まれます。その結果、「この科学者たちは本当にすばらしい!よく知っていて、これらの事柄を理解するだけ十分な知識をもっている!」と誰もが思うのです。人々は科学者に大いに感服します。そうですね。科学の研究を行なう人々は、どのような意見をもっていますか。彼らは宇宙を研究し、自分の関心のある分野における神秘的な物事を研究したいのではありませんか。(そうです。)その最終的な成果は何ですか。科学には人が推測により結論を導き出す分野や、人の経験に依存して結論を出す分野があります。さらに、人の経験あるいは歴史的観察や背景の考察により結論を導き出す分野もあります。そうですね。(はい。)それでは、科学は人のために何をしますか。科学が人にするのは、対象物を物理的世界において見ることができるようにすることだけで、単に人間の好奇心を満たすに過ぎません。それは人間に神が万物を支配している法則を見せてはくれません。人間は科学に解答を見出しているようですが、その解答は不可解で、一時的な満足感、人間の心を物理的世界に閉じ込めることだけに役立つ満足感をもたらすだけです。人間は既に科学に解答を見出したと感じているので、どのような問題が起きようとも、科学的意見に基づいてそれを証明したり受け入れようとします。人間の心は科学に取りつかれたようになり、科学に魅惑されるあまり、もはや神を知り、神を拝み、万物は神から来て、解答を得るには人は神に向かうべきであると信じる心をもたなくなります。そうではありませんか。人が科学を信じれば信じるほど、人は愚かになり、全てに科学的な解決策があり、研究によって何もかも解決できると信じるのです。人は神を求めず、神の存在を信じません。長年神に従って来た人でさえ、気まぐれに細菌の研究を始めたり、問題の答えを求めて情報を調べたりします。このような人は、問題を真理の視点から検討せず、ほとんどの場合、科学的な見解と知識か問題解決のための科学的解答に頼りますが、神に頼らず、神を求めません。このような人の心に神はいますか。(いません。)科学と同じ方法で神について研究したい人さえいます。例えば、大洪水の後に箱舟がたどり着いた場所に行った宗教専門家が多くいます。彼らは箱舟を見ましたが、箱舟の外観に神の存在を見ないのです。彼らはただ物語と歴史を信じ、それが彼らの物理的世界に関する科学的研究の結果です。物理的なものを研究すれば、それが微生物学であれ、天文学であれ、地理学であれ、神が存在する、あるいは神は万物を支配するということを示す結果を見つけることは決してありません。では、科学は人に何をするのですか。それは人間を神から遠ざけるのではありませんか。科学は人が神について研究するようにしていませんか。科学は神の存在について人をますます疑い深くしているのではないのですか。(そうです。)では、サタンは人間を堕落させるためにどのように科学を用いたいのですか。サタンは科学的結論を用いて人を騙し麻痺させ、曖昧な解答を用いて人の心にしがみつき、人が神の存在を追及したり信じたりしないようにしたいのではありませんか。(その通りです。)ですから、これがサタンが人を堕落させる方法の一つであるとわたしたちは言うのです。

3.サタンはいかに伝統文化を用いて人間を堕落させるか

伝統文化の一部とみなされるものは多くありますか。(はい。)この伝統文化とは何を意味しますか。(それは祖先から伝えられました。)祖先から伝えられたというのは一側面です。当初から、家族、民族集団、また人類さえも、生活様式や習慣、言い伝え、規則を伝え、それは人に教え込まれて思想となってゆきました。このことを人はどのようにとらえていますか。人はそれを自分の生活から切り離せないものとみなしています。守るべき規則であり生命であるとみなし、祖先から伝えられたので、これらを変えたり捨てたりしたくないとさえ思っています。伝統文化には他の側面もあり、例えば、孔子や孟子から伝えられたものや、中国道教や儒教から伝えられたもので人の骨の髄まで入り込んでその人の一部となった物事などがあります。そうではありませんか。(そうです。)伝統文化は何を含みますか。人々が祝う祭日を含んでいますか。例えば、春節や元宵節、清明節、端午節、それに中元節や中秋節。老人がある年齢に達するのを祝ったり、子供が生まれてから一ヶ月あるいは百日経つと祝う家庭さえあります。これらは皆、伝統的祭日です。これらの祭日の背景は伝統文化から成っていませんか。伝統文化の核心は何ですか。それは神を礼拝することと何か関係がありますか。人に真理を実践するように言うことと何か関係がありますか。(ありません。)人が神に犠牲を捧げ、神の祭壇へ行き神の教えを受けるための祭日はありますか。そのような祭日はありますか。(ありません。)祭日に人々は何をしますか。(サタンを拝みます。食べたり、飲んだり、娯楽活動をします。)現代では、祭日は食べたり、飲んだり、楽しむための機会とみなされています。伝統文化の背後にある源泉は何ですか。伝統文化は誰から来ますか。(サタンです。)サタンから来ます。これらの伝統文化の背景において、サタンは人間に物事を教え込みますが、それは何ですか。人々が自分たちの祖先を忘れないようにすること、これはその一つですか。例えば、清明節のあいだ、人々は墓を掃除して祖先に供え物を捧げますが、それで人々は自分たちの祖先を忘れません。また、サタンは例えば端午節を用いて、人々が愛国的であるようにしむけます。中秋節はどうですか。(家族の集まりです。)家族の集まりの背景は何ですか。その理由は何ですか。(情緒です。)情緒的に意思疎通してつながるためです。もちろん、旧正月を祝うのであれ元宵節を祝うのであれ、背景理由の説明には何通りもの方法があります。これらの背後にある理由をどのように説明するにしろ、一つひとつがサタンがその哲学と思想を人間に教え込む方法であり、その結果、人々は神から離れたままで、神がいることを知らず、祖先かサタンに捧げ物をするようになるか、ただ肉の欲望のために飲み食いし楽しむ言い訳でしかないのです。これらの祭日の一つひとつが祝われるにつれ、サタンの思想と意見が人々の頭脳の内部に深く植え付けられますが、人々はそのことさえ知りません。人が中年に達するかそれより高齢になるときには、サタンのこれらの思想や意見は既に心に深く根付いています。さらに、人はこれらの思想を、正しかろうが間違っていようが、次世代へ見境なく、控えめにすることもなく伝えようと懸命になります。そうですね。(はい。)伝統文化とこれらの祭日は人をどのように堕落させますか。知っていますか。(人はそれら伝統の決まりに制約され束縛されるようになり、そのため神様を求める時間もエネルギーもなくなります。)それは一つの側面です。例えば、誰もが旧正月を祝います。もし祝わなかったなら、悲しく感じるのではないですか。人が執着する何か禁忌がありますか。「あぁ、旧正月を祝わなかった。旧正月のこの日は酷かった。今年全体が悪くなるのだろうか」と感じないでしょうか。落ち着かなく、少し怖くなりませんか。何年ものあいだ祖先に供え物を捧げなかったのに、ある日突然故人が金銭を要求する夢を見る人々さえいます。彼らは内心、何を感じるのでしょうか。「この故人が使うお金が必要だとは、何て悲しいことだ。この人のために紙のお札を何枚か焼いてあげよう。そうしないのは良くない。お金を焼かなかったら、生きている我々が何かトラブルに遭遇するかもしれない。悲劇がいつ起こるか、誰にわかるというんだ」。人々は、心の中に心配と恐れの小さな雲を常に抱えているのです。この心配を人々にもたらすのは誰ですか。(サタンです。)サタンがもたらします。これはサタンが人間を堕落させる方法の一つではありませんか。サタンは様々な方法と言い訳を用いて、人間が当惑して、折れて、サタンに従うまで、人間を支配、脅迫、束縛します。これがサタンが人間を堕落させる方法です。人が弱っているときや状況に完全に気づいていないとき、うかつにも何かを間抜けなやり方でする、つまり、知らないうちにサタンの支配下に落ち、無意識に何かをしてしまいながらも、自分が何をしているのかがわかっていないということがよくあります。これはサタンが人間を堕落させる方法です。現在、深く根ざした文化的伝統から離れるのを躊躇する人が多くいますが、彼らはどうしても捨てられないのです。これは特に人が弱く、受け身的になっているときに、このような各種祭日を祝い、サタンに出会い、サタンを再び満足させたがります。それを通して人は自らの内面を慰めることができます。このような文化的伝統の背景は何ですか。サタンの黒い手が背後で糸を引いているのですか。サタンの邪悪な本性が物事を操り、支配しているのですか。サタンはこのようなことをすべて支配しているのですか。(はい。)人が伝統文化の中で生活し、このような伝統的な祝祭日を祝う時、それは人がサタンに騙され、腐敗させられる環境であり、さらに、このような人はサタンに堕落させられるのがうれしいのだと言うことができるでしょうか。(はい。)これは、皆さん全員が認識し、知っていることです。

4.サタンはいかに迷信を用いて人間を堕落させるか

皆さんは「迷信」という言葉をよく知っていますね。迷信と伝統文化には重複する類似点が幾つかありますが、きょうはそれらについては話し合わずに、最も一般的に遭遇することについて話します。つまり、易断、運勢占い、焼香、仏陀の崇拝です。易断をする人や、仏陀を崇拝して焼香する人もいれば、易断してもらったり顔の作りにもとづいて自分の運勢を占ってもらったりする人がいます。皆さんの中に易断や人相占いを受けたことのある人は何人いますか。これはほとんどの人が関心のあることですね。(はい。)それはなぜですか。運勢占いや易断から人はどのような恩恵を受けますか。そこから人はどのような満足を得ますか。(好奇心です。)それは好奇心だけですか。それはありえません。易断の目的は何ですか。易断はなぜ行われてきたのですか。それは将来を知るためではないのですか。人相を読んでもらって将来を予見する人がいれば、幸運に恵まれるか否かを占う人もおり、自分の結婚がどのようなものになるかを見るためにする人もいますし、次の年がどのような運勢をもたらすかを知るために占いをする人もいます。人相を読んでもらって、自分や自分の息子や娘の展望がどうなるかや、そのような事柄のあらゆる側面を見るために行なう人もいます。どれくらい金銭を儲けるかを予見してもらい、何をすべきかの指導を受けるために占いをする実業家もいます。これはただ好奇心を満たすためですか。(いいえ。)人が人相を読んでもらったり、そのようなことをするとき、それは自分の将来の個人的恩恵のためで、人はこのようなことがすべて自分自身の運命と密接に関係していると信じています。このことのいずれかは有用ですか。(いいえ。)なぜ有用でないのですか。そのようなことについて少し知るのは良いことではありませんか。それでいつ災いが起きるのかを知ることができ、事前にわかっていれば、災いを避けられますね。運勢を占ってもらえば、それに合わせて導かれることができ、その結果、次の年は良い年となり、事業により裕福になれるかもしれません。これは有用ではないのですか。(有用ではありません。)それが有用であるかは、わたしたちとは無関係ですから、きょうはそれについては話し合いません。わたしたちの話し合いには、その内容や話題を含みません。サタンはいかに迷信を用いて人間を堕落させますか。易断や人相占い、運勢占いについて人が知っていることは、将来における自分の運勢がどうなるのか、この先の道がどうなるのかを知ることができるということですが、最終的には誰の手がこれらのことを既に支配しているのですか。(神様の手です。)これらのことは神の掌中にあります。これらの方法を用いて、サタンは人に何を知らせたいのですか。サタンは人相占いや運勢占いを用いて、サタンが人のこの先の運勢を知っているということ、サタンがそれを知っていて支配しているということを人に言いたいのです。サタンはこの機会をとらえ、それらの方法を用いて人を支配し、人がサタンを盲信し、サタンのすべての言葉に従うようにしたいのです。例えば、もしあなたが人相占いをしてもらい、占い師が目を閉じて過去数十年間にあなたに起きたことをすべて明確に述べたら、内心どのように思いますか。「この占い師には本当に感心する。とても正確だ。わたしの過去についてこれまで誰にも話したことがないのに、どうして知っていたのだろう」と突然感じるでしょう。サタンにとって、あなたの過去を知るのは、それほど困難なことではありません。そうですね。神はきょうまであなたを導いてきました。そしてサタンもまた常に人を堕落させ、あなたをつけ回してきました。あなたの数十年の流れはサタンにとって何でもなく、サタンがそれらの物事を知るのは困難ではありません。サタンが行ったことが正確だと知ると、サタンに心を明け渡すのではありませんか。将来や運勢について、サタンの支配に依存しているのではありませんか。一瞬のうちに、あなたの心はサタンへの尊敬や畏敬を覚え、人によっては、既に魂をサタンに奪われてしまったかもしれません。そしてあなたは直ちに占い師に、「次は何をすべきですか。来年は何を避けるべきですか。してはならないことは何ですか」と尋ねるのです。すると占い師は、そこへ行ってはならない、それをしてはならない、何色の服を着るな、どこそこへ行くな、これこれをもっとすべきだと言うのです。占い師の言うことをすべて即座に心に刻みつけないでしょうか。それを神の言葉よりも早く記憶するでしょう。なぜそれほど早く記憶するのでしょうか。サタンに依存して幸運を得たいからです。このときにサタンがあなたの心を掴むのではないでしょうか。サタンの言うとおりにあなたが行動し、サタンの言葉が予想通りに実現すると、あなたは来年の運勢はどうなるのかを知るためにサタンのところにすぐに戻っていくのではないでしょうか。(その通りです。)あなたはサタンがせよと言うことは何でも行い、サタンが避けよと言うものを避けます。あなたはサタンの言うことすべてに従っているのではないのですか。あなたはすぐにサタンに抱かれ、惑わされ、支配されます。これは、サタンの言うことを真実であると信じるから、サタンがあなたの過去の人生、現在の人生、将来がどうなるかを知っていると信じるから起こるのです。これは人を支配するためにサタンが用いる方法です。けれど現実には、誰が本当に支配していますか。それは神自身であり、サタンではありません。サタンはこの場合ただ策略を用いて無知な人、物質世界しか見ない人を欺き、サタンを信じ、サタンに依存させようとしているのです。このようにして、人はサタンの掌中に陥り、その言葉すべてに従います。しかし、人が神を信じ、神に従いたいとき、サタンは手を休めるでしょうか。サタンは手を休めません。この状況において、人は本当にサタンの掌中に陥っていますか。(はい。)これに関するサタンの振る舞いは本当に恥知らずだと言うことができますか。(はい。)なぜそう言うのですか。(サタンは策略を用いるからです。)サタンの策略は不正で騙します。サタンは恥知らずで、人を惑わせてサタンが何もかも支配していると考えさせ、人を騙してサタンが人の運命を支配していると考えさせます。このため、無知な人は完全にサタンに従うようになり、サタンは一つか二つの台詞だけで人を騙し、人は当惑してサタンにひれ伏すのです。では、サタンはどのような方法を用い、人にサタンを信じさせるためにどのような言葉を言うのですか。例えば、あなたはサタンに自分が何人家族か言っていないかもしれませんが、サタンはあなたは三人家族で、そこには七歳の娘がいると言い、さらにあなたの両親の年齢まで言うかも知れません。当初は疑い不信を抱いてたなら、それを聞くとサタンは少し信用できると感じるのではありませんか。するとサタンは、「きょうはあなたの仕事は大変だった。上司はあなたが受けるべき評価を与えず、いつもあなたに対抗している」と言うかも知れません。これを聞くと、あなたは「まさにその通り。職場での状況は芳しくなくて」と思います。それで、サタンをさらに信じるようになります。するとサタンは別の事を言ってあなたを騙し、さらにサタンを信じさせます。少しずつ、あなたは自分がサタンに抵抗したり、疑ったりすることができないことに気づきます。サタンは些細な策略や、つまらないごまかしを数回用いるだけで、あなたを惑わそうとします。惑わされるにつれて、あなたは態勢を保つことができず、何をするべきか途方に暮れて、サタンの言うことに従い始めます。これが人を堕落させるためにサタンが用いる「なんとも見事な」方法であり、それにより人は知らないうちにサタンの罠に陥り、誘惑されます。サタンは人が良いことと想像することをいくつか言い、次に何をすべきか、何を避けるべきかを人に言い、このようにして人は知らないうちにその道を辿り始めるのです。ひとたびこの道を辿りだすと、それは人にとっては問題ばかりです。サタンが言ったこと、サタンがせよと言ったことを常に考え、気付かないうちに、サタンに取りつかれます。これはなぜですか。それは人には真理が欠如しているためで、それゆえ人はサタンの誘惑に立ち向かうことができないからです。サタンの邪悪と狡猾さ、欺き、悪意に対して、人類はとても無知で、未熟で、弱いです。そうですね。これはサタンが人間を堕落させる方法の一つではありませんか。(そうです。)人間は知らないうちに、少しずつ、サタンの様々な方法により騙され、欺かれます。人間には肯定的なものと否定的なものを区別する能力が欠如しているからです。人間にはこの霊的背丈、サタンに打ち勝つ能力が欠如しているのです。

『言葉は肉において現れる』より引用

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