第三の日、神の言葉によって地と海が生まれ、神の権威によって世界がいのちで満たされた

2018年1月19日

次に、創世記1章9-11節の最初の文章を検討しましょう。「神はまた言われた、『天の下の水は一つ所に集まり、かわいた地が現れよ』」。神が「天の下の水は一つ所に集まり、かわいた地が現れよ」とひとこと述べた後、どのような変化が生じましたか。また光と大空以外に、その空間には何がありましたか。聖書には「神はそのかわいた地を陸と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神は見て、良しとされた」と記されています。つまり、その空間にはいまや地と海があり、その地と海が分けられたのです。神が命令するとこれらの新しいものが出現し、「そのようになった」のです。聖書では、神がそうする中で多忙だったと述べられていますか。肉体労働をしている神が描かれていますか。では、神はそれをどのように行ないましたか。神はどのようにして、これらの新しいものが生み出されるようにしたのですか。明らかに、神は言葉を用いてそのすべてを成し遂げ、それら一切のものを創ったのです。

上記の三つの聖句から、三つの大きな出来事が発生したことがわかりました。その三つの大きな出来事は神の言葉によって生じたものであり、またそれらの出来事が神の眼前で次々と実現されたのも、神の言葉によるものです。したがって、「神が言葉を述べると、その言葉は現実となる。神が命令すると、それは確かなものとなる」というのは、無意味な言葉ではないことがわかります。神のこの本質は、神の考えが生まれた瞬間に確認されるのであり、神が口をひらいて語ったとき、神の本質は完全に反映されるのです。

次に、この一節の最後の文章を検討しましょう。「神はまた言われた、『地は青草と、種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ果樹とを地の上にはえさせよ』。そのようになった」。神が語っている間に、それらすべてのものが神の考えに従って存在するようになりました。そして一瞬のうちに、様々な繊細な生物が土からよろよろと芽生え、土を払う間もなく互いに身体を振って挨拶を交わし合い、この世界にうなずき微笑み合ったのです。これらの生物は自分たちにいのちを授けた創造主に感謝し、自分たちが万物の一部であること、そして互いにいのちを捧げて創造主の権威を示すことを世界に告げました。神の言葉が発せられる中、地は青々と緑豊かになり、人に用いられる様々な植物が地表から芽吹くとともに、山々と平野には木や森が生い茂りました……。いのちの痕跡すらなかったこの不毛の地が、豊富な草木で急速に覆われ、緑で一杯になったのです……。草と土の香りが空中に広がり、様々な植物が回りゆく風を一緒になって呼吸し、成長の過程を始めました。同時に、神の言葉と神の考えに従い、すべての植物が永遠の生命周期を始め、成長し、花を咲かせ、実を結び、そして繁殖するようになりました。植物はそれぞれのいのちの過程に厳密に従い、万物の中でそれぞれの役割を果たし始めました……。すべての植物は創造主の言葉のために生まれ、生きていました。それらは創造主による施しと糧を絶え間なく受け取るとともに、創造主の権威と力を示すため、地のあらゆる場所で粘り強く生き延び、創造主から授けられたいのちの力をいつまでも伝えるのです……。

創造主のいのち、考え、権威は並外れたものであり、ゆえにその言葉が発せられると、最終的な結果は「そのようになった」となります。明らかに、神は自らの手で働きを行なう必要がないのです。神は自らの考えと言葉だけを用いて命じ、このようにして物事が成し遂げます。この日、神は水を一ヵ所に集め、乾いた地を出現させた後、地から草木を芽生えさせました。すると種をもつ草が育ち、実を結ぶ樹木が生えました。そして神は植物を一つひとつ種類ごとに分け、それぞれが独自の種をもつようにさせました。これらはすべて神の考えと命令に従って実現されたことであり、その一つひとつが次々とこの新しい世界に出現したのです。

神は働きを始める以前から、成し遂げようと意図しているもののイメージを心にもち、神がそうしたイメージを実現しようとした時は、その内容について神が口をひらいて語り、神の権威と力によって万物が変化し始める時でもありました。神がどのようにそれを行なったか、どのように権威を行使したかにかかわらず、すべては神の計画に従い、神の言葉によって一歩ずつ実現され、また神の言葉と権威のために、天地の間で変化が一つひとつ生じます。こうした変化はどれも創造主の権威と、創造主のいのちの力の非凡さと偉大さを示すものでした。神の考えは単純な発想でも、空虚なイメージでもなく、生命力と並外れた活力をもつ権威であり、万物の変化、復活、再生、滅びを引き起こす力です。このため、万物は神の考えによって機能すると同時に、神の発する言葉によって実現されるのです……。

万物が出現するのに先立ち、神の心の中では完全な計画がはるか昔に形を成しており、新たな世界が実現されていました。第三の日、地にはありとあらゆる植物が出現したものの、神にはこの世界の創造をここで止める理由がありませんでした。つまり、神は言葉を発し続け、引き続き新しいものの創造を成し遂げるつもりだったのです。神は言葉と命令を発し、権威を行使し、力を示すとともに、これから創る万物と人類のために用意しようと計画していたすべてのものを用意したのです……。

『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 I.」(『言葉』第2巻)

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