日々の神の御言葉: 神の出現と働き | 抜粋 61
東から稲妻が走るとき──これはまた、わたしが話し始める、まさにその瞬間である──稲妻が光るその瞬間、天空全体が照らされ、すべての星々が変化し始める。全人類に正しい清めと分類が行われているかのようだ。東からの光芒の下、人間はみな本来の形を現し、目がくらみ、混乱し、動きがとれずにいる…
神の出現を待ち望むすべての人を歓迎します!
聖霊に用いられた人の言葉は全て聖霊から出た言葉であるとあえて言う者が今日いるだろうか。そんなことをあえて言う人はいるだろうか。もしあなたがそのように言うのであれば聞きたい。「なぜエズラの預言書が排除され、昔の聖人や予言者たちが書いた書物も同じようにされたのか」と。それらの全てが聖霊から出たものであるなら、どうしてそのような気まぐれなことをするのか。あなたに聖霊の働きを選ぶ資格があるのか。イスラエルから出た他の書も多く排除された。このような過去の書が全て聖霊から出たものであると信じるなら、そのような書が一部排除されたのはなぜか。聖霊から出たものであれば全て保管されて、諸教会の兄弟姉妹が読めるよう送られるべきである。それを人間の意思によって選抜したり処分したりしてはならない。そのようなことは間違っている。パウロとヨハネの経験には個人的に見たことが含まれると言われるのは、彼らの経験と認識がサタンから出たものということではなく、彼らが直接経験したり見たりしたものから得たものがあったということである。彼らの認識は当時の経験から生まれたものであり、それが全て聖霊から出ていると誰が言えるだろうか。仮に四つの福音書が全て聖霊から出たものとするなら、マタイ、マルコ、ルカ、そしてヨハネがそれぞれイエスの働きに関して異なる記述をしているのはなぜか。異なる記述があることを信じないというのなら、聖書の中の、ペテロがイエスを三度否定する箇所を読んでみなさい。四つの書すべてが違うと同時に、それぞれ特徴を持っている。無知な人の多くは言う。「受肉した神もまた人だったのなら、そのお方の語った言葉は全て聖霊から出たものだったのか。もしパウロとヨハネの言葉が人の意思と混じっていたのなら、受肉した神の言葉は本当に人の意思が混ざっていないのだろうか」と。そんなことを言う人は盲目であり無知なのだ。四つの福音書をよく読んでほしい。イエスがした事、そしてイエスが語った事に関して何が書かれているのかを読んで欲しい。それぞれの記録が単純に違っていて、異なる視点が含まれている。これらの福音書の作者が書いたものが全て聖霊から出た言葉ならば、全て同じ内容で一致するはずだ。どうして矛盾があるのか。
『神の出現と働き』「呼び名と身分について」(『言葉』第1巻)より
信仰上の悩みや疑問がありましたら、いつでもご連絡ください。
東から稲妻が走るとき──これはまた、わたしが話し始める、まさにその瞬間である──稲妻が光るその瞬間、天空全体が照らされ、すべての星々が変化し始める。全人類に正しい清めと分類が行われているかのようだ。東からの光芒の下、人間はみな本来の形を現し、目がくらみ、混乱し、動きがとれずにいる…
実際性に関する認識と神の働きに関する明確な理解を得ることは、いずれも神の言葉に見られるものである。そして神が発する言葉を通じてでなければ、あなたは啓きを得られない。それゆえ、あなたは神の言葉をより多く備えるべきである。神の言葉に関する自分の認識を交わりの中で伝えなさい。そうすれば…
万物の長である全能神は、玉座から王としての権力を振るう。神は宇宙と万物を支配し、全地でまさに私たちを導いている。私たちはどの瞬間にも神に近づき、静かに神の前に出て、一瞬の時も逃すことなく、いつでも教訓を学ばねばならない。私たちの周りの環境から、人々、出来事、事物までを含むすべての…
万物に対する創造主の支配と統治は、創造主の権威が真に存在することを物語る ヨブ記には、ヤーウェのヨブに対する祝福が記録されている。神は、ヨブに何を授けたであろうか。「ヤーウェはヨブの終りを初めよりも多く恵まれた。彼は羊一万四千頭、らくだ六千頭、牛一千くびき、雌ろば一千頭をもっ…