日々の神の御言葉: 神の性質、および神が所有するものと神そのもの | 抜粋 261
この世界にあるすべてが、全能者の思いによって、全能者の目の下で、急激に変化している。人類が一度も聞いたことのない事が、突然到来する一方、人類が常に所有してきたものが、知らないうちに消え去ってしまう。誰も全能者の所在を推し量ることはできないし、まして全能者の生命力の超越性や偉大さを…
神の出現を待ち望むすべての人を歓迎します!
聖書を理解して解釈できることは、真の道を見つけるのと同じことだと多くの人が信じている。しかし、物事は本当にそれほど単純だろうか。聖書の実情を知る人はいない。つまり、聖書は神の働きに関する歴史的記録に過ぎず、神による以前の二段階の働きについての証しであること、また聖書は神の働きの目的について何も教えていないことを、誰も知らないのである。聖書を読んだことがある人はみな、そこには律法の時代と恵みの時代における二段階の神の働きが記録されていることを知っている。旧約はイスラエルの歴史と、創造から律法の時代の終わりに至るヤーウェの働きを記録している。また新約では、地上におけるイエスの働きが四福音書に記されており、それとともにパウロの働きも記録されている。これらは歴史的記録ではないのか。過去の物事を今日に持ち込めば、それは歴史となり、いかに真実かつ現実であろうとも、やはり歴史である。そして、歴史は現在を記述することができない。神は歴史を振り返らないからである。ゆえに、聖書を理解するだけで、神が今日行なおうとしている働きについて何も理解しないのなら、また、神を信じていながら聖霊の働きを求めないのなら、あなたは神を求めることが何を意味しているのかわかっていない。イスラエルの歴史を学ぶために、神の天地創造の歴史を研究するために聖書を読むのなら、あなたは神を信じていない。しかし今日、あなたは神を信じていのちを追い求めているのだから、また神の認識を追い求め、死んだ文字や教義、あるいは歴史の理解を追い求めているのではないのだから、今日の神の旨を求め、聖霊の働きの方向を探さなければならない。もしもあなたが考古学者なら、聖書を読んでもよいだろう。しかし、あなたは考古学者ではなく、神を信じる者の一人なのだから、今日の神の旨を探し求めるのが最善である。聖書を読んでも、せいぜいイスラエルの歴史がわずかにわかるだけであり、アブラハム、ダビデ、モーセの生涯を学び、彼らがどのようにヤーウェを崇めたか、ヤーウェが自分に敵対する人々をどのように火で罰したか、その時代の人々にどう語ったかが見出せるだけである。過去における神の働きについてしか見出せないのである。聖書の記録は、初期のイスラエルの人々がいかに神を崇め、ヤーウェの導きのもとで生きたかということに関連している。イスラエル人は神の選民だったので、イスラエルのすべての人々のヤーウェに対する忠誠や、ヤーウェに従う人々がヤーウェからどのように慈しまれ、祝福を受けたかが旧約の中でわかる。また、イスラエルで働きを行なっていたとき、神は慈悲と愛に満ちていたが、同時に激しい炎ももっていたこと、そしてイスラエル人は卑しい者から強い者まで誰もがヤーウェを崇め、そのためイスラエルの全土が神に祝福されたことを知ることができる。これが旧約に記録されているイスラエルの歴史である。
『神の出現と働き』「聖書について(4)」(『言葉』第1巻)より
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わたしは実に多くの言葉を発した。また、わたしの心と性質を明らかにしてきた。それなのに、人々はまだわたしを知り、わたしを信じることができずにいる。あるいは、人々はまだわたしに従えずにいると言える。聖書の中に生きる人々、律法に囲まれて生きる人々、十字架上で生きる人々、教義に従って生き…
事実、神の性質というのは隠されたものではなく、いつでもわたしたちに開かれているものだ。というのは、神は決して意識的に何人を避けるのではなく、自分が人に知られないように、あるいは理解されないように敢えて自分を隠すようなことはしないからである。神の性質はいつでも開かれており、いつでも…