日々の神の御言葉: 神の働きを認識する | 抜粋 196

人間の働きのために神は多くの眠れぬ夜を過ごした。神は、遥かな高みから深淵へ、人間が生活する生き地獄まで降りて、人間と共に過ごし、決して人間の卑しさに不平を漏らしたり、人間の不従順を咎めたりせず、自ら働きを行いながら最大の屈辱に耐えている。どうして神が地獄に居られたのだろうか。どうして神は地獄で生活できたのであろうか。しかし、全人類のため、全人類が早く安らぎを得られるように、地上に来るために神は屈辱を受け、不義を受け、人間を救うために自らが「地獄」と「陰府」、すなわち虎穴に入った。どうして神に反抗する資格が人間にあろうか。どうして神について再度不平を述べる理由が人間にあろうか。どうして人間は厚かましくも神を再び見上げられるであろうか。天の神は、最も不浄な悪徳の地に来て、決して不満を漏らさず、人間について不平を言わず、人間の略奪や抑圧を黙って受けた。神は、人間の不合理な要求に報復することも、人間に対して過度の要求や不合理な要求をすることも無かった。神は単に、教えること、啓くこと、咎めること、言葉の精錬、注意を喚起すること、勧告すること、慰めること、裁くこと、現すことなど、人間により要求される働きを不平を言わずに行う。神の段階のうち、どれが人間のいのちのためでは無かったであろうか。神は人間の見通しや運命を取り去ったが、神が行った段階のうち、どれが人間の運命のためでは無かったであろうか。その段階のうち、どれが人間の生存のためでは無かったであろうか。どれが夜のように黒い闇の勢力がもたらす苦難や抑圧から人間を解放するためでは無かったであろうか。どれが人間のためでは無かったであろうか。愛情溢れる母のような神の心を、誰が理解できるというのか。神の真剣な心を、誰が理解できるというのか。神の情熱的な心と熱心な期待は、冷酷な心と冷淡かつ無関心な眼差し、人間による非難と侮辱の繰り返し、辛辣な言葉と皮肉、蔑みの報いを受け、嘲笑、横暴と拒否、誤解と愚痴、拒絶と拒否、裏切りと攻撃、そして憤慨で応じられている。温かい言葉には、敵意の表情と冷淡な不満の意味をこめて振られる千本の人差し指が向けられた。神は、それを忍んで頭を下げ、命令されるままの牛のように人々に仕えるしか無い。神はいくつの陽と月、いくつの星を見上げたことであろうか。神は何度日の出と共に去り、父の元を去った時の苦しみの千倍におよぶ苦難と、人間の攻撃と破壊、取り扱いと刈り込みに堪え忍び、日の入りと共に戻って眠れぬ夜を過ごしたことであろうか。神の謙遜と慎ましさは、人間の偏見、不当な意見や処遇で応じられ、また神の匿名性と忍耐強さ、寛容さは、人間の強欲な眼差しで報いられ、人間は遺恨無く神を踏みにじり、殺そうとする。神を扱う人間の姿勢は、「希な聡明さ」の類いのものであり、人間に虐待され侮蔑された神は、無数の人間の足で踏みつぶされ、その下で平らになっている一方で、人間は意気揚々として立ち、それはあたかも城に住む王のようであり、そして絶対的な権力の掌握を望むかのようであり、陰で宮廷を設け、神を誠実で規則に従い、逆らったり問題を起こすことを許されない裏方の主事にしようとしているようである。神は『末代皇帝』の役を演じ、何の自由も無い操り人形にならなければならない。人間の所行は筆舌に尽くしがたい。それならば、どうして神に対してあれこれと要求する資格が人間にあろうか。どうして神に対して提案する資格が人間にあろうか。どうして人間の弱点に同情することを神に対して要求する資格が人間にあろうか。どうして人間が神の憐れみを授かるのにふさわしいであろうか。どうして人間が神の寛大さを何度も得るのにふさわしいであろうか。どうして人間が神の赦しを何度も得るのにふさわしいであろうか。人間の良心はどこにあるのか。人間は遥か昔に神の心を傷つけ、それを砕け散ったままにして久しい。神は、それが少しの温厚さしか伴わなくても、人間が神に優しく接することを期待して、生き生きと眼を輝かせ、溌剌として人間の中に来た。しかし、神の心が人間により安らげられるのに手間取っており、神が受けてきたのは、激化を続ける攻撃と苦悩のみである。人間の心は過度に貪欲であり、人間の欲望は大きすぎ、人間は決して飽き足りることが無く、常に悪意を抱き、無鉄砲であり、神に対して言論の自由や権利を決して与えず、神に対して恥辱に屈服し、人間が神を好きなように操らせることを余儀無くしている。

『神の出現と働き』「働きと入ること(9)」(『言葉』第1巻)より

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