日々の神の御言葉: 神を知る | 抜粋 176

穀物や果物、野菜、様々な種類のナッツ類は、すべて植物性の食料です。それらは植物性の食料ですが、人体の必要性を十分に満たすだけの栄養素が含まれています。しかし、神は「これだけ人類に与えれば十分だ。人類はこれだけ食べていればよい」とは言いませんでした。神はそこで止めず、その代わり人類のために一層美味しい食料を用意しました。それは何ですか。それは、あなたがたのほとんどが見て食べることのできる様々な肉や魚です。神が人間のために用意したとても多くの種類の肉や魚があります。魚はすべて水中で生きています。魚肉は、食感が地上で育つ肉とは異なり、また人類に様々な栄養素を供給できます。魚の特性もまた人体の冷気と熱気を調整できるので、魚は人類にとって極めて有益です。しかし、美味しいものは、食べ過ぎてはなりません。それは次の言葉通りです。すなわち、神は人類に適切な時に適切な分量を与えるので、人間は季節と時期に従って正常かつ適切にそれらのものを享受することができます。家禽には何が含まれますか。ニワトリ、ウズラ、ハトなどです。アヒルやガチョウを食べる人々も多いです。神はこれらありとあらゆる肉を与えましたが、律法の時代、神は自身の選民に対してある種の要求を行ない、食事に関する特定の制限を課しました。現在、この制限は個人の好みと解釈にもとづいています。こうした様々な種類の肉により、人体に様々な栄養素が供給され、それはタンパク質や鉄を補給し、血液を豊かにし、筋肉や骨を強化し、エネルギーを増加します。要するに、人間が用いる肉の調理方法や食べ方を問わず、肉は一方で味覚と食欲を向上させ、他方で腹を満たすことができます。肉は人体に必要な日常的栄養素を供給できるということが最も重要な点です。それが、神が人類に食料を用意した時に神がもっていた気遣いです。植物性の食品と肉があります。これは豊富で潤沢なことではないでしょうか。しかし、人間は、神が人類のための食料を用意した時の神の本来の意図が何であったかを理解する必要があります。それは、こうした物質的食料を人間に貪欲に楽しませるためでしたか。人間が物質的満足に耽溺すると、どうなるでしょうか。栄養過剰になるのではありませんか。栄養過剰は、人体に様々な疾病を引き起こすのではありませんか。(はい。)これが、神が適切な時期に適切な分量を分割し、様々な時期と季節において、様々な食料を人間が享受できるようにした理由です。たとえば、酷暑の夏を過ごした後、人間の身体には、大量の熱気、病気の原因となる乾気や湿気が蓄積されます。秋が来ると、多くの種類の果実が熟れ、人間が果物を食べると、その湿気は解消されます。同時に、牛や羊は逞しく成長するので、人間はその肉を栄養補給として食べるべきなのです。様々な肉を食べた後、人体はエネルギーと熱気を得て、それが冬の寒さに耐えるのに役立つので、冬を無事に乗り越えることができます。人類のために、いつ何を用意するか、いつ何を生長させるか、結実させるか、熟れさせるか、これらのことは、すべて神によりとても慎重に管理され支配されています。これが「神はいかに人間の日常生活に必要な食料を用意するか」に関する題目です。あらゆる種類の食料のほか、神は人類に水源を与えています。人間は、食事の後に水を飲まなければなりません。果物を食べるだけで十分ですか。人間は果物を食べるだけでは耐えられず、なおまた、果物がない季節もあります。それでは、人間の水問題は、どうすれば解決できますか。湖沼、河川、泉など、地上や地中に多数の水源を用意した神によってです。これらの水源からは、汚染や人間による処理や損害がない場合、飲むことができます。つまり、人間の物理的身体の生活のための食料源に関しては、神は極めて正確で、精密で、適切な用意を行ったので、人間の生活は豊富で潤沢であり、何も不足していないのです。これは、人々が感じ見ることができることです。

 さらに神は、万物の中でも、人体の怪我や病気を癒やすことを目的とした植物や動物、そして様々な草を創りました。たとえば、火や熱湯でたまたま火傷したらどうすべきですか。水で洗い流すだけでいいですか。布切れで巻くだけでいいですか。そのようなことをすれば膿が溜まって化膿するかもしれません。たとえば、発熱したり、風邪をひいたり、肉体労働で負傷したり、悪いものを食べて胃の病気になったり、生活習慣や情緒的問題のせいで、脈管病や精神疾患、内臓疾患などの病気になった場合、これらすべてを癒すための植物があります。血行を促進して血行不良を改善する植物、痛みを緩和する植物、止血する植物、麻酔効果のある植物、正常な皮膚の回復を促進する植物、鬱血を解消する植物、解毒する植物などがあります。要するに、これらすべては日常生活で使用できるのです。これらは人間にとって役に立ち、必要な場合に備えて人体のために神が用意しました。人間が偶然発見できるようにされた植物もあれば、神がそうするよう選んだ人によって発見された植物もあり、神が指揮した特定の現象の結果として発見された植物もあります。発見の後、人類はそれらを伝えて多くの人々が知るようになるのです。このように、神によるこうした植物の創造には、価値と意味があります。すなわち、これらはすべて神に由来し、神が人類のための生活環境を創った時に用意し、植え付けられたものです。これらはすべて極めて必要性が高いです。神の配慮は人間の配慮よりもよく考えつくされていますか。神が行ったことのすべてを見る時、神の実際的な側面を感じることができますか。神は密かに働いたのです。この世界に人間がまだ現れていない時、神がこの人類と接する前に、神は既にこれらすべてを創っていました。神が行ったことは、すべて人類と、人類の生存のためであり、また人類の存在のために配慮されたものであるので、人類は、神が人類のために用意したこのような豊富で潤沢な物質世界で、食料や衣料について心配することなく、何かに不足することなく、幸せに生活することができるのです。人類はそうした環境の中で繁殖し、生存し続けています。

『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 8」(『言葉』第2巻)より

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