日々の神の御言葉: 神を知る | 抜粋 171

 2.気温

 二番目のものは、気温です。誰でも気温が何かは知っています。気温は、人間の生存に適した環境に備わっていることが必要とされるものです。たとえば摂氏40度を超えるなど、もし気温が高すぎるなら、それは人間を大いに消耗させるのではないでしょうか。人間がそのような状況で生きるのは極めて疲れることではないでしょうか。もし摂氏零下40度になるほど気温が低すぎる場合はどうですか。それもまた人間には耐え難いでしょう。したがって、神はこの気温の範囲設定において極めて几帳面でした。人体が適応可能な気温の範囲は、基本的に摂氏零下30度から摂氏40度までです。これは南から北までの基本的な気温の範囲です。寒冷地域では気温はおそらく摂氏零下50度から60度まで落ちることもあります。そうした地域は、神が人間の居住を許可する場所ではありません。なぜそのような寒冷地域が存在するのですか。そこに、神の知恵と意図があります。神は、人間がそのような地域付近に行くことを許しません。神は暑すぎる地域や寒すぎる地域を保護しているのです。すなわち神はそこに人間が居住する準備をしていないのです。それは人類のためではないのです。なぜ神は地上にそのような場所を存在させているのでしょうか。もし神がそこに人間が居住したり存在したりするのを許していないのであれば、なぜ神はそれを創るのでしょう。そこには、神の知恵があります。つまり、人間の生存のための環境の基本的な気温もまた、神により適宜調整されてきたのです。ここにもまた法則があります。神はこうした気温の維持に役立ち、気温を制御するものを創りました。この気温を維持するために何が用いられていますか。まず、太陽は人間に温もりをもたらしますが、暑すぎると人間は耐えることができますか。太陽にあえて近づこうとする人はいますか。地球上には太陽に近づけることのできる計器はありますか。(ありません。)なぜですか。熱すぎるからです。太陽に近づき過ぎるものはすべて溶けます。したがって、神は具体的な働きを行ない、入念な計算と基準に従って太陽の高度、および人類との距離を定めました。また、地球には南北二つの極があります。それらの地域は凍っており、一面の氷河です。人類は氷河地帯に住めますか。そのような場所は人間の生存に適していますか。(適していません。)それらは人間の生存に適していないので、人々はそれらの場所に行きません。人が南極や北極に行かないので、そこにある氷河は保たれ、気温を管理するという自身の目的を果たすことができます。わかりますね。南極も北極もなければ、太陽が絶えず発する熱のせいで地球の人間は消滅するでしょう。しかし、神はこれら二つの極だけを遣って、人間の生存に適した気温の範囲を保っているのでしょうか。違います。それ以外にも、野原の草、様々な種類の木々、そして森のあらゆる種類の植物など、太陽の熱を吸収するありとあらゆる生き物が存在します。これらは太陽の熱を吸収する中で、太陽の熱エネルギーを中和し、それによって人間が生活する環境の気温を調整します。また、河川や湖沼などの水源も存在します。河川や湖沼の表面積は、誰かが決めることのできるものではありません。誰も地球上の水の量や、水の流れる先、方向、水量、流れる速度を制御できません。それは神だけが知っています。地下水や、人間が見ることのできる地表の河川や湖沼などの様々な水源もまた、人間が生活する気温を調整することができます。それに加えて、山や平野、峡谷や湿地など、様々な地形が存在します。こうした様々な地形とそれぞれの表面積や規模はみな、気温制御の役割を果たしています。たとえば、ある山の円周が100キロメートルである場合、その100キロメートルには100キロメートル分の有用性があります。神が地上に創ったそれらの山地や峡谷の数についても、神は十分に考慮しました。つまり、神が創造したひとつひとつのものの背後には、それぞれに物語があり、それぞれに神の知恵と計画が含まれているのです。たとえば、森とあらゆる種類の植生について考えましょう。それらが生育する地域の範囲と規模はいかなる人間にも制御できず、それらについて最終的に決定できる人間はいません。森と植生がどの程度の水を、どの程度の太陽の熱エネルギーを吸収するかについても、人間には制御できません。これらの物事は、すべて神の万物創造時に、神により計画された物事の範囲にあるのです。

 また、そうした適切な気温の環境において人間が生活できるのは、そのすべての側面においての神の周到な計画、検討、采配のおかげです。したがって、太陽など人間が自らの目で見る個々のもの、南極や北極など人間が頻繁に話を聞くもの、地上や地中、水中の様々な生き物、森その他の植生の面積、水源、様々な形態の水域、淡水や海水の量、さらに様々な地理的環境など、神はこれらを用いて人間の生存のための常温を維持しているのです。これは絶対です。そうした適切な気温の環境において人間が生活できるのは、神のそのような考慮のおかげです。それは寒すぎることも暑すぎることもありません。人体が順応できる気温を超えるほど暑い場所は、神があなたのために用意した場所ではないことは間違いありません。気温が低すぎて寒すぎる場所、すなわち人間が到着するとただちに数分で凍えてしまい、話すことができず、脳が凍り、思考不可能となり、すぐに息が詰まるような場所も、神が人間のために用意した場所ではありません。人間がどのような研究を行うことを望み、革新したい、あるいはこうした制約を打破したいと考えたとしても、人間が何を考えるかに関わらず、人体が順応可能な限界を超えることは決してできません。人間は神が人間のために設けたこのような限界を解消することは決してできないのです。これは神は人間を創ったので、人体が順応可能な温度について一番良く理解しているのです。しかし、人間自身は知りません。なぜ人間は知らないと言うのですか。人間はどのような愚行を行ってきましたか。北極や南極に常に挑みたい人が多数いませんでしたか。彼らは北極や南極へ向かい、その地を占有して定住して開発することを常に望んでいます。これは自滅的行為ではないですか。あなたが南極と北極を完全に調査したと仮定します。しかし、あなたがそこの気温に順応して暮らすことができ、南極と北極の現在の生存環境を「改善」したとしても、それが何らかの形で人類に恩恵をもたらすでしょうか。人間には生存できる環境があっても、静かに、かつ従順にそこに留まることはなく、あくまで生存不可能な場所へと冒険しようとします。それはなぜですか。人間はこの適切な気温の中で生活することに飽きているのです。人間はあまりに多くの祝福を享受してきました。また、この通常の生活環境は、人類によってかなり破壊されて来たので、南極や北極へ行って更なる破壊を行ったり、ある種の「先駆者」となれるように、何らかの「活動」を行おうということのようです。これは愚かではありませんか。つまり、祖先であるサタンの指導の下に、この人類は次から次へと愚かなことをし続け、神が人類のために創った美しい住処を、見境なくみだりに破壊してゆくのです。これはサタンがしたことです。さらに、地球上における人類の生存が多少危うくなったのを見て、月へ行ってそこに住む方法を見つけたい、月に住めるか否かを見極めて出口を見つけたい人が大勢います。しかし結局、月には酸素がありません。酸素なしで人間は生存できますか。月には酸素がないので、人間が居留できる場所ではありませんが、人間は相変わらず月へ行きたがります。これは何ですか。これは自滅行為ですね。それは空気のない場所で、気温も人間の生存に不適ですから、神が人間のために用意した場所ではないのです。

『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 8」(『言葉』第2巻)より

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