日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 498
これらの試練は、人々の心の中のどのような状態に狙いを定めているのだろう。それらは、神に満足してもらうことのできない人間の反抗的性質を対象としている。人々の心の中には汚れたものや偽善的なものがたくさんある。だから神はそれらを清めるために試みに遭わせるのである。だがもし今日、あな…
神の出現を待ち望むすべての人を歓迎します!
「神はまた言われた、『水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ』。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。そのようになった。」(創世記1:6-7)神が「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」と述べた後、どのような変化が起きたであろうか。聖句には、「神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。」とある。神が言葉を述べてこの業を行なった結果は、どのようなものであっただろうか。その答えとして、この聖句の最後の部分に「そのようになった。」とある。
これら2つの短い文では、壮大な出来事が記録され、素晴らしい場面が描写されている。その場面とは、神が水を支配し、人間が存在することのできる空間を創造するという、途方も無く大規模な業の様子である。
この場面では、水と天が一瞬にして神の前に出現し、それが神の言葉の権威により分けられ、神が述べた通りに上下に分けられた。つまり、神が創造した天が水の上一面を覆っていたのみならず、その上にある水を支えていた。ここで人間は、創造主が水を移動させ、水に命令し、天を造る壮麗な光景と神の権威の力を、息を呑み、茫然と見ていることしかできなかったであろう。神は、自身の言葉と力、そして権威により、驚異的な業を、再度成し遂げたのである。これは創造主の権威の力ではなかろうか。ここでは、聖句により神が行なった業を説明する。神は言葉を述べ、その言葉により、水の中に天が創造された。同時に、この空間において壮大な変化が発生したが、それは普通の感覚での変化ではなく、何ものでも無い物が何かしらの物に変化するという、ある種の代替のようなものであった。それは創造主の考えから起こり、創造主の言葉により何ものでも無い物が何かしらの物へと変化した。さらに、その後は創造主の心により創造物が存在し続け、創造主の心に従って移動し、変化し、更新された。この聖句では、創造主による創造の2番目の業について説明されている。この聖句は、創造主の権威と力を表現するものであり、また創造主による誰も実行したことのない業を説明したものである。この日は、創造主が世界を創造してから2日目であり、この日も神にとって素晴らしい日となった。神は光の中を歩み、天を創造し、水を造って支配した。この日もまた、神の業、権威、そして力が駆使された。
神が言葉を述べる以前に、水の間に空は存在したか、というと、無論そのようなことは無い。それでは、神が「水の間におおぞらがあって」と述べた後は、どうであろうか。神が意図した物が現れた。つまり、神が「水と水を分けよ」と述べると、水の中に大空が出現し、水が二つに分かれた。こうして、神の権威と力により、神の言葉に従って新たに創造された2つの物が出現した。これらの新たな2つの物の出現について、どう感じるであろうか。創造主の力の偉大さを感じるであろうか。創造主が持つ独自の尋常ではない力を感じるであろうか。こうした力の強さは、神の権威に起因し、神の権威は神自身の表出であり、また神自身独自の特徴でもある。
この聖句から、神の独自性に関する深遠な感覚があなた方に与えられたであろうか。しかし、これだけでは甚だ不十分である。創造主の権威と力は、この説明を遙かに超えるものである。神の独自性は、単に被造物には無い本質が神にあることのみではなく、神の権威と力は尋常ではなく、無限であり、全てのものに優り、越えるものであることにも由来し、そして何よりも、神の権威と、神の中にある物事や神の存在は、命を造り、奇跡を起こし、壮大かつ並外れた瞬間を引き起こし、それとともに神が創造した命を支配し、神が起こした奇跡や造った一分一秒のすべてを支配することが可能であることに由来するものである。
『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 1」(『言葉』第2巻)より
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