日々の神の御言葉: 神の出現と働き | 抜粋 52
全能神よ!栄光ある体が公に出現し、聖なる霊体が現れ出る。彼こそが完全なる神自身なのだ。この世も肉も変えられる。山上における彼の変容は神の本体である。彼は頭に金の冠を戴き、その衣は真っ白で、胸に金の帯を締めている。世界のすべては彼の足台である。目は燃える炎のようで、口からは鋭い諸刃…
神の出現を待ち望むすべての人を歓迎します!
サタンによる破壊を経験したヨブは、それでもヤーウェ神の名を捨てなかった。サタンの代わりにヨブを最初に攻撃したのは彼の妻であった。聖句には次のようにある。「時にその妻は彼に言った、『あなたはなおも堅く保って、自分を全うするのですか。神をのろって死になさい』。」(ヨブ記 2:9)これは人間の形を取ったサタンによる言葉である。そのような言葉はサタンの攻撃であり、非難であり、誘惑であり、中傷である。ヨブの肉への攻撃に失敗したサタンは、ヨブの神に対する忠誠心を直接攻撃し、神への忠誠心を手放し、神を捨て、生きることをやめるように仕向けたかった。それゆえサタンはそのような言葉を用いようとした。ヨブがヤーウェの名を捨てるならば、苦しみに耐える必要はなく、肉体の苦しみから解放される。妻からの忠告を聞いて、ヨブは妻を叱責して言った。「あなたの語ることは愚かな女の語るのと同じだ。われわれは神から幸をうけるのだから、災をも、うけるべきではないか」(ヨブ記 2:10)これらの言葉をヨブは以前からずっと知っていたが、この時、これらの言葉に対するヨブの認識が証明された。
ヨブの妻はヨブに対して、神を呪って死ぬようにと言ったが、その意味はこうである。「あなたの神はあなたに対してそんな扱い方をしたのです。それならなぜ神を呪わないのです。それでもなお生きて何をしているのです。あなたの神はあなたに対してそれほどにも不公平な扱いをしたのです。それでもなお、ヤーウェの御名は褒めたたえるべきだと言うのですか。あなたがヤーウェを讃えているというのに、災難をもたらすというのはどういうことです。さっさと神の名を捨て、従うのをやめなさい。そうすれば災難は終わるのです。」この時、神の望んでいた証しがヨブの中に生まれた。そのような証しができる者は他に誰もいなかった。聖書の中にそのような証しができる人物の記録もない。だがヨブがこのような言葉を発するずっと前に、神はそれを知っていた。神はこの機会を用いてヨブが全ての人間に、神が正しいことを証明させただけのことである。妻の忠告を聞いたヨブは、神に対する忠誠心を失わず、神を捨てなかっただけでなく、妻にこう言った。「われわれは神から幸をうけるのだから、災をも、うけるべきではないか」。これらの言葉には重大な意味があるだろうか。これらの言葉の重大さを証明できる事実はひとつだけここに含まれる。これらの言葉が重要なのは、神がそれらの言葉を認めており、神が望んでおり、神が聞きたい言葉であり、神が求めた結果であるということである。これらの言葉はヨブの証しの真髄でもある。これにより、ヨブの完全さ、正しさ、神を畏れ悪を避けることが証明された。ヨブが尊いのは、彼が誘惑に遭い、皮膚が腫物に覆われ、極度の苦しみの下で、妻や身内に叱責されても、ヨブがこのような言葉を発することができたところだ。言い換えれば、ヨブは自身に降りかかる誘惑がどれほど大きくても、どれほどの苦痛や困難の中にあっても、たとえ死に直面しても、神への信仰を捨てることはなく、神を畏れ悪を避ける生き方をやめることはないのである。そうであるならば、ヨブの心の中の最も大切な位置を占めていたのは神であり、ヨブの心の中にあったのは神のみであったということである。そのような理由で、聖句には次のようなヨブに関する言葉が書かれている。「すべてこの事においてヨブはそのくちびるをもって罪を犯さなかった」。ヨブはその唇で罪を犯すことはなかっただけでなく、神に対して心の中で不平を言うこともなかった。ヨブは神に対して酷い言葉を発することもなく、神に対して罪を犯すこともなかった。ヨブはその唇によって神の名前を褒めたたえただけでなく、その心の中でも神を褒めたたえた。ヨブの言葉と心の中は一致していた。これが神の見た真のヨブであり、神がヨブを大切に思ったのはこのためである。
『神を知ることについて』「神の働き、神の性質、そして神自身 2」(『言葉』第2巻)より
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全能神よ!栄光ある体が公に出現し、聖なる霊体が現れ出る。彼こそが完全なる神自身なのだ。この世も肉も変えられる。山上における彼の変容は神の本体である。彼は頭に金の冠を戴き、その衣は真っ白で、胸に金の帯を締めている。世界のすべては彼の足台である。目は燃える炎のようで、口からは鋭い諸刃…
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