日々の神の御言葉: いのちへの入り | 抜粋 511
あなたが神を信じているのであれば、神に従い、真理を実践し、自分の本分をすべて尽くさなければならない。それに加えて、自分が経験すべき物事を理解しなければならない。単に取り扱い、懲らしめ、そして裁きを経験するだけで、神を享受することはできても、神があなたを鍛えたり取り扱ったりしている…
神の出現を待ち望むすべての人を歓迎します!
あなたは、わたしの家の一員なのだから、また、あなたはわたしの国に誠実なのだから、あなたのすることはすべて、わたしの求める基準にかなうものでなければならない。わたしは、あなたが漂う雲以上のものであることは求めないが、あなたは輝く雪となり、その質とそれ以上の価値をもつものとなるように求める。わたしは聖い国から来たのであり、名前だけで実体のない蓮とは違うのだ。それは聖い国ではなく、沼地で生まれたのだから。新たな天が地上に降りて来て、新たな地が空に広がる時はまた、わたしが正式に人間たちの中で働く時なのだ。人間の中の誰が、わたしを知っているだろう。誰がわたしの到着の瞬間をその目で見ただろう。誰が、わたしには名があるだけでなく、そのうえ、実体を備えているということを知っているだろう。わたしは、手で白い雲を一掃し、空をじっくりと調べる。天空には、わたしの手で秩序立てられていないものはなく、また、天空の下では、わたしの大いなる事業にわずかでも貢献しない者は一人もいない。わたしは地上の人々に数多くの要求はしない。わたしこそは実践の神であり、わたしは人間を創り、人間についてよく知っている全能者なのだから。すべての人は全能者の目の前にいる。地の遠い果てにいる者でさえ、どうしてわたしの霊の目を逃れられよう。人間はわたしの霊を知っているが、人間はまた、わたしの霊に対して罪を犯す。わたしの言葉は、すべての人々の醜い顔をさらけ出し、すべての人々の内奥の考えをさらけ出し、地上のすべてはわたしの光で明らかになり、わたしに見つめられてひれ伏す。しかし、人間はひれ伏しても、その心はわたしから遠く離れようとしない。被造物の中で、わたしの行いのゆえにわたしを愛するようにならないものがあるだろうか。誰がわたしの言葉の結果、わたしを求めないだろう。誰の内に、わたしの愛のゆえに、仕えの思いを生じないだろう。ただサタンの堕落のために、人間はわたしの求める域に達することができないのだ。わたしの設ける最も低い基準にさえ、人間は不安をもつ。サタンが暴れ回り、凶暴な専制君主のようである今日のことは言うを俟たず、あるいは、人間がサタンによって踏みしだかれ、全身が汚物にまみれていたときでさえ、人間がその堕落のため、わたしの心を案じることができなかったとき、わたしが嘆かなかったことがあろうか。わたしがサタンを憐れんでいるということだろうか。わたしが愛において誤っているということだろうか。人間がわたしに不服従であるとき、わたしの心はひそかにすすり泣く。人間がわたしに敵対するとき、わたしは人間を罰する。人間がわたしに救われ、死からよみがえったとき、わたしは最高の注意をはらって養う。人間がわたしに従うとき、わたしの心は安らかで、ただちに、天と地のあらゆる物事に大きな変化を感じる。人間がわたしを賛美するとき、わたしはそれをよろこばずにはいられない。人間がわたしを証しし、わたしが得るとき、どうしてわたしが栄光を受けないことがあろう。それは、人間のすべての行為がわたしに支配され、また、与えられているのではないということだろうか。わたしが指示を与えないとき、人々は怠惰で無活動であり、わたしの後ろで「賞賛に値する」汚い取り引きをする。わたしが身にまとう肉は、あなたの行いや生活、言葉を何も知らないと思っているのだろうか。わたしは長年、雨風に耐えてきた。また、人間世界のつらさを経験した。しかし、よく考えてみると、どれほどの苦しみも、肉の体を持つ人間にわたしへの希望を失わせはしない。それどころか、どんな甘さも、肉の体を持つ人間に、わたしに対して冷たい態度を取らせ、落胆させ、わたしを軽んじさせることがなかった。人間のわたしへの愛は、苦痛や甘さのない間だけに制限されているのだろうか。
『神の出現と働き』「全宇宙への神の言葉、第九章」(『言葉』第1巻)より
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あなたが神を信じているのであれば、神に従い、真理を実践し、自分の本分をすべて尽くさなければならない。それに加えて、自分が経験すべき物事を理解しなければならない。単に取り扱い、懲らしめ、そして裁きを経験するだけで、神を享受することはできても、神があなたを鍛えたり取り扱ったりしている…
人は信仰という不確かな言葉だけは知っているが、人は何が信仰を構成しているかを知らないし、ましてやなぜ信仰を持っているのかも知らない。人はあまりにも少ししか理解していないし、あまりにも欠乏している。人はあまり考えず知識もないままわたしに信仰を持っている。人は信仰とは何かもなぜわ…
経営の働きは、ひとえに人類のゆえに生じたのであり、そのことは、ひとえに人間の存在のゆえに経営の働きが生じたことを意味している。人類が存在する以前、あるいは天地と万物が創られた始まりの時には、経営はなかった。仮に神の働きのすべてにおいて、人間にとって有益な実践がなかったならば、つま…
神は、この世に至る時、神性の働きのみを行う。それは、肉となった神への、天の霊の委託である。神がやって来る目的は、どこにでも行って語ることに尽き、さまざまな方法で、さまざまな視点から、自らの言葉を発することになる。神は、自らの目標と働きの原則として、主に人への施しと教えを続ける。神…