日々の神の御言葉: 神の働きを認識する | 抜粋 212
神は行うべき働きを行い、言葉による職分を果たすために終わりの日に受肉した。神の心に適う人を完全にすることを目的として、人間のもとで働くために神は自らやって来た。創造の時から現在まで、神がこのような働きを行うのは終わりの日のみである。そのような大規模な働きを行うために神が受肉したの…
神の出現を待ち望むすべての人を歓迎します!
新約のマタイの福音書にはイエスの系図が記載されている。冒頭で、イエスはアブラハムおよびダビデの子孫、ヨセフの子だったと述べられている。次に、イエスは聖霊によって受胎され、処女から生まれたとある。すると、イエスはヨセフの子でもなければ、アブラハムおよびダビデの子孫でもないことになる。しかし、系図はイエスとヨセフのつながりを主張している。次に、系図はイエスが誕生した過程を記し始める。それによると、イエスは聖霊に受胎され、処女から生まれたのであり、ヨセフの子ではない。しかし系図には、イエスはヨセフの子であるとはっきり書かれており、また系図はイエスのために書かれているため、その記録は四十二世代に及ぶ。ヨセフの代になると、ヨセフはマリヤの夫であると手短に述べている。これらの記述は、イエスがアブラハムの子孫であることを証明するためになされたものである。これは矛盾ではないか。系図はヨセフの祖先を明確に列挙しており、それは確かにヨセフの系図なのだが、マタイは、それがイエスの系図だと主張している。そのことは、イエスが聖霊によって受胎された事実を否定するものではないのか。ゆえに、マタイによる系図は人間の考えではないのか。それは馬鹿げている。このようにして、この書がすべて聖霊に由来するわけではないことがわかる。おそらく、神には地上での系図が必要だと考えた人々がいて、その結果、イエスをアブラハムの四十二代目の子孫としたのではないか。これはまことに愚かなことだ。地上に到着した後、どうして神に系図があり得るのか。神に系図があると言うのなら、それは神を被造物と同列に置いているのではないか。神は地上の存在ではなく、創造の主であり、肉の体をもってはいても、本質において人間とは違うのだ。どうして神を被造物の同類として位置づけられるのか。アブラハムに神を表わすことはできない。彼はヤーウェによる当時の働きの対象であり、単にヤーウェの認める忠実なしもべでしかなく、イスラエルの民の一人だった。どうして彼がイエスの祖先であり得ようか。
誰がイエスの系図を書いたのか。イエス自身が書いたのか。イエスが自ら「わたしの系図を書きなさい」と言ったのか。これはイエスが十字架にかけられた後、マタイが記録したものである。当時、イエスは弟子たちには理解できない働きを数多く行なったが、何も説明していなかった。イエスが去った後、弟子たちは至るところで説教と働きを始め、その段階の働きのために、手紙と福音書を記し始めた。新約の福音書は、イエスが十字架にかけられてから二十年ないし三十年後に書かれたものである。それ以前、イスラエルの人々は旧約だけを読んでいた。つまり、恵みの時代の当初、人々は旧約を読んでいたのである。新約は恵みの時代にようやく現われる。イエスが働きを行なっていたとき、新約は存在しなかった。イエスが復活し、昇天した後になって、人々はイエスの働きを記録したのである。そこで初めて四福音書が生まれ、それに加えてパウロとペテロの手紙、そして黙示録が生まれた。イエスの昇天から三百年以上が過ぎたころ、後の世代がそれらの文書を選んで編纂し、そのとき初めて新約聖書が生まれた。この働きが完了してようやく新約が生まれたのであり、それ以前には存在しなかったのである。神がすべての働きを行ない、パウロとその他の使徒たちは各地の教会に宛てて数多くの手紙を記した。その後の人々が彼らの手紙を集め、神による終わりの日の働きを預言する、ヨハネがパトモス島で記録した最大の幻をそこに加えた。人々はこの順番にしたのだが、それは今日発せられる言葉と異なっている。今日記録されていることは、神の働きの諸段階に沿ったものである。人々が今日関わっているのは、神が自ら行なう働きであり、神が自ら発する言葉である。あなたがた人間が干渉する必要はない。霊から直接出るそれらの言葉は順を追って並べられており、人間の記録の配列とは異なっている。彼らが記録したものは、彼らの教養と人間としての素質の程度にしたがっていたと言えよう。彼らが記録したのは人間の経験だった。記録し、また認識するにあたって、人には自分なりの手段があり、一つひとつの記録は異なっていた。だから、聖書を神と崇めるなら、あなたは極めて無知で愚かだということになる。なぜ今日の神の働きを求めないのか。神の働きだけが人間を救える。聖書は人間を救えず、人々は数千年にわたって聖書を読んだかもしれないが、それでもなお彼らの中には少しの変化も見られない。そして聖書を崇めるなら、聖霊の働きを得ることは決してないだろう。
『神の出現と働き』「聖書について(3)」(『言葉』第1巻)より
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