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終わりの日のキリストの証人

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10.本分を尽くすとは何か。

神の言葉

人間が本分を尽くすということは、実際のところ、人間に本来備わっているもの、即ち、人間に可能なことをすべて成し遂げることである。すると、人間は自分の本分を尽くしたことになる。奉仕する最中の人間の欠点は、徐々に経験を積むことと裁きを体験する過程を通して少しずつ減少する。それらは人間の本分を妨げることも影響することもない。奉仕の最中に露わになるであろう欠点を恐れて、奉仕をやめたり妥協したり退いたりする者たちは、すべての人々の中で最も臆病な者たちだ。もし人間が奉仕する中で表明すべきことを表明できず、人間として本来可能なことを成し遂げず、のらくらし、形だけ奉仕しているふりをするならば、その人は被造物が本来備えているはずの役割を失ったのだ。こうした人間は凡庸なくだらない者で、無用の長物であるとみなされる。どうしてこんな者が被造物としての尊厳に値するのか。彼らは、外見は立派でも中身は腐った、堕落した存在ではないのか。…人の本分とその人が祝福を受けるか呪われるかの間には、何の関係もない。本分は人間が全うすべきことだ。それは人間が果たすべき必須の使命であって、報酬や条件、理由に左右されるべきではない。そうしてはじめて、本分を尽くしているといえるのだ。祝福された人は裁きの後で完全にされた時に、幸いを享受する。呪われた者は、懲らしめと裁きの後もその性質が変わらないのなら、即ち完全にされていないなら、罰を受ける。被造物として、祝福されるか呪われるかに関わらず、人間はその本分を果たし、自分のするべきことをし、できることをしなければいけない。これが神を求める者として、人間の最も基本的な条件である。あなたは幸いを受けるためだけに使命を果たそうとしてはいけない。また、呪われることへの恐れから、行動することを拒んではいけない。一つだけ言っておこう。人間が自分の本分を尽くすことができるということは、その人がしなければいけないことを遂行するということだ。もし人間が本分を尽くせないのなら、それはその人の反抗心の現れである。

『言葉は肉において現れる』の「受肉した神の職分と人間の本分の違い」より

6. あなたは、人が行うべきことを行い、自分の責務を実行し、責任を果たし、本分を守るべきである。あなたは神を信じているので、神の働きに貢献するべきである。そうしなければ、あなたは神の言葉を飲食する資格がなく、神の家で暮らす資格もない。

『言葉は肉において現れる』の「神の国の時代に神に選ばれし人々が従わなければならない行政命令10項目」より

もしあなた方が、神の被造物の一人として被造物の本分を尽くし、神の心を理解したいのであれば、神の働きを理解し、神の被造物に対する心を理解しなければならず、また神の経営(救いの)計画、そして神の為す仕事の意義の全てを理解しなければならない。これらの事が理解できない者は、神の被造物としての資格がない。もしあなた方が、神の被造物として、自分がどこから来たのかが分かっておらず、人類の歴史や神が行った働きの全てを知らず、さらには人類がいかにしてここまで発展してきたか、また全人類を支配するのは誰なのかを理解していないのであれば、あなた方には、その本分を尽くすことはできない。

『言葉は肉において現れる』の「神の三つの段階の働きを認識することは神を認識する道である」より

働きと言うと、それは神のために奔走し、随所で説教を行い、神のために心血を注ぐことだと人間は考える。その考えは正しいものの、偏りすぎている。神が人間に求めているのは、神のために奔走することだけではない。むしろ霊の中において務め、与えることである。. … 働きとは、神のために奔走することを指すものではなく、人間のいのちと人間が生きながら示すことが神を楽しませることであるかどうかを指す。働きとは、人間がもつ神への信心、人間がもつ神に関する認識を用いて神の証しに立ち、人間を牧することを指す。これが人間の責任であり、全ての人間が気付くべきことである。換言すると、あなたがたがいのちに入ることが、あなたがたの働きである。あなたがたは神のための働きの過程においていのちに入ることを求めているのである。神を経験することとは、神の言葉を食べ飲み出来ることだけでなく、それよりも重要なこととして、神の証しに立ち、神に仕え、人間を牧し、人間に供給することが出来なければならない。これが働きであり、いのちに入ることでもある。これは、あらゆる者が実現すべきことである。神のために奔走して回り、方々で説教をすることだけに重点を置く一方で、自分の経験を軽視し、自分の霊的生活に入ることを無視する者が多数いる。神に仕える者が神に反抗するようになるのは、これが原因である。

『言葉は肉において現れる』の「働きと入ること(2)」より

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