全能神教会 アプリ

神の声を聞き主イエスの再臨を喜んで迎えなさい!

真理を探求されている方々からのご連絡をお待ちしています

終わりの日のキリストへの証し

ソリッドカラー

テーマ

字体设置

字体调整

ラインスペース

ページ幅

0 件見つかりました

一致する内容が見つかりませんでした!

16. 反キリストとは何か。反キリストはいかに識別できるか。

関連する神の言葉

神がまだ肉とならなかった時代では、人が神に反抗しているかどうかの基準は、人が、目で見ることのできない天の神を礼拝し、崇敬するかどうかに基づいていた。その頃、神への反抗の定義はあまり現実的ではなかった。当時、人は神を見ることができなかったし、神の姿も、神がどのように働き、話すかも知らなかったからである。人には神の観念はまったくなく、神は人の前に現れたことがなかったので、ぼんやりと神の存在を信じるだけであった。したがって、人が想像の中でどのように神の存在を信じようとも、神は人を罪に定めたり、人から多くを求めたりはしなかった。人は神を見ることがまったくできなかったからである。神が肉となり、人々の間で働くようになると、すべての人がその目で神を見、神の言葉を聞き、すべての人が肉にある神の業を見るのだ。その時、人のすべての観念は溶けて泡となる。神が肉として現れるのを見る人々についていえば、従順さを心に持つ者は皆罪に定められることがないが、意図的に神に敵対する者たちは神の敵とみなされる。このような人間は反キリストで、故意に神に対立する敵である。

『言葉は肉において現れる』の「神を知らない人はすべて神に反対する」より

もしあなたが長年神を信じており、それでも神に従ったことがないか、神の言葉を全て受け入れたことはないばかりか、神が自分に従うよう求めたり、自分の観念に沿って行動するように求めたりするようであれば、あなたは最も反抗的な人間であり、神を信じない者である。そのような人間が、人の観念とは一致しない神の言葉や働きに従うことなど出来るだろうか。最も反抗的な者とは、意図的に神に逆らい拒絶する者である。そのような者は神の敵であり、反キリストである。そのような者は常に神の新しい働きに対して敵対する態度をとり、従う意志など微塵も示さず、喜んで服従を示すことや謙虚になることなど一度たりともないのである。他の人たちの前で得意になり、誰に対しても従うことをしない。神の前では、自分が説教者として最も長けており、他の人に働きかけることに自分が一番熟練していると考える。自分が獲得した宝を決して手放そうとせず、家宝として拝み、説教の題材にし、自分を崇拝するような愚か者への訓戒に用いる。このような人が、教会内に確かに数名存在する。このような人々は、「不屈の英雄」と呼ぶことができ、世代を超えて神の家に留まるのである。彼らは神の言葉(教義)を語ることを自分の最高位の本分と解釈する。何年も、何世代も、彼らは精力的に自らの「神聖で犯すべからざる」本分を続ける。彼らに触れる者は誰ひとりおらず、公然と非難する者もひとりもいない。神の家で「王」となり、何代にも亘ってはびこり、他の者を圧制する。このような悪魔の一団は、互いに手を組んでわたしの働きを潰そうとする。このような生きた悪魔をわたしの目の前に生かしておけるだろうか。

『言葉は肉において現れる』の「真心で神に従う者は確かに神のものとされる」より

あなた方が神の働きに逆らう、あるいは自分の観念により今日の働きを判断するのは、あなた方が神の働く原則を知らないからであり、またあなた方が聖霊の働きを真剣に受け止めないからだということを認識しなさい。あなた方が神に反抗し、聖霊の働きを邪魔するのは、あなた方自身の観念と生まれつきの尊大さのせいである。それは神の働きが間違っているからではなく、あなた方が元々あまりにも反抗的だからである。人によっては、神への信仰を持った後に、人がどこから来たのかということさえ確信をもって言えないのに、あえて聖霊の働きが正しいかそうでないかについて演説を行ったりする。彼らは、聖霊の新しい働きを持つ使徒たちに説教したり、意見したり、立場をわきまえないで余計な口を挟んだりさえする。彼らは人間性が非常に低俗で、思慮分別のかけらも持っていないのである。このような人が聖霊の働きによって拒絶され、地獄の火に焼かれる日が来るのではないか。彼らは、神の働きを認識しない代わりに、神の働きを批判し、しかも神に対して働き方の指図までする。このように理不尽な人たちがどうして神を知ることができるだろう。人は、神を求め、経験する過程で、神に対する認識を得るようになる。つまり、気まぐれに神を批判する中で聖霊の啓発を受けて神を認識するのではない。神に対する認識が正しいほど、人は神に反発しなくなる。逆に、神への認識が少ないほど、人は神に逆らう。あなたの観念、古くからの本性、人間性、性格や道徳観は、あなたが神に逆らう「資本」であり、あなたが堕落して下劣で低俗であるほど、あなたはますます神の敵対者になる。欲深い観念の持ち主や独りよがりな性質の者は、さらに受肉した神の憎しみを買い、そのような人たちは反キリストである。

『言葉は肉において現れる』の「神の三つの段階の働きを認識することは神を認識する道である」より

神の働きの目的を理解しない者は誰でも神に敵対する人々であり、神の働きの目的が分かっているのに神を満足させようとしない人々はなおさら敵対する。荘厳な教会で聖書を読む者たちは毎日聖書を暗唱するが、一人として神の働きの目的を理解しない。一人として神を知ることができない。さらに、一人として神の心と一致していない。彼らは皆価値のない、卑劣な人々だが、それぞれ神を教えるために高い地位に就いている。彼らは神の名をこれ見よがしに振りかざすが、故意に神に反抗している。彼らは自分たちを神を信じる者と呼びはするが、人の肉を食し、その血を飲んでいる者たちである。そのような人々は皆人の魂を貪り食う悪魔、正しい道に一歩踏み出そうとする人々を故意に混乱させる悪霊のかしら、神を探し求める人々の道を妨げる躓きの石である。彼らは「健全な肉体」の者たちであるが、彼らの信者たちはどうしたら彼らが人を神に敵対する方向へ導く反キリストであると知ることができるだろうか。どうしたら彼らが魂を好んで求めては貪り食う悪魔の権化であることを知ることができるだろうか。

『言葉は肉において現れる』の「神を知らない人はすべて神に反対する」より

説教と交わりの参考箇所

反キリストの交わりは外見上は神様の御言葉のようかもしれず、確かに真理の認識と経験に関して語りますが、だからといって彼らに聖霊の啓きと照らしがあるということにはなりません。なぜなら聖霊は彼らの上には働かないからです。それでも彼らは他人の経験や理解の言葉を盗み、自分の姿を変えよく見せるために使うことができます。真理に比較的則している他人の理解を剽窃して人々を騙し、そのような言葉を聞いた人々は、「この人の言うことは正しいし善いことだ。この人は確かに聖霊の啓きと照らしを伴っている」と思います。こうして人々はその人を崇拝します。けれども真実はそれはみな他人から盗んだものなのです。どう思いますか。堕落した人類はこのような策略を使いますか。堕落した人類の全体がどのように盗むか、どのように偽るか、どのように変装するかを知っています。誰かの言葉を盗むなど簡単過ぎます。誰かの交わりを聞いて、最も説得力のある力強い言葉をこっそりと書き出し、何度か繰り返し読んで覚えてしまうと、今度はそれを他人に伝えるのです。ある場所で誰かの話を聞き、その後で他の場所へ行って今度は自分が同じことを語るということもします。彼らはそのようなことをあっという間に内容を自分のものにしてしまうのです。手に入れたとたんにそれを売り歩くのです。人にはそのようなことができてしまいます。これは周知の事実です。反キリストは誤った道にいるため、聖霊の働きを伴いません。彼らが神様の言葉と真理を本当に理解するのは不可能なのです。にもかかわらず、反キリストの言葉を聞いて素晴らしいと感じ、「彼には聖霊の働きが伴っているのではないだろうか。そうでなければどうしてこのように神様の言葉と真理が理解できるだろう」と考える人もいるのです。その言葉は実は盗まれたものなのですから、そのように考えることは間違えています。反キリストは他人の言葉を真似て語ることができるのです。近頃は、神様の御言葉や神の家での交わりの言葉を自分のものとしてしまう宗教界の牧師が何人もいます。それらの言葉を読んだ後、日曜日に自分の会衆に向けて同じことを語ります。それを聞くと会衆は、「ああ、素晴らしい説教だった。今日の内容には本当に真理があった」と考えます。そしてみな積極的に寄付します。こうして牧師の生活は保障されるのです。宗教界にはこのような牧師が多くいますか。あなたが彼らに真の道を示すならば、彼らは受け入れることは拒否しますが、神の家の書物を手を入れると、密かに自分の説教に利用するのです。彼らが神の家の書物を使うのは金もうけをし、人々を惑わして自分たちが称賛を得るためです。明らかに神様の御言葉であるものを取ってきて、自分の言葉、自分の経験、自分の認識であると主張するのです。これは反キリストが人を惑わす卑劣な策略です。

『いのちに入ることに関する交わりと説教(2)』の「偽キリストと反キリストの惑わしをいかに見抜くか」より

反キリストの悪魔を見分けるには、彼らの本性の七つの特徴を見抜くことができなくてはなりません。これは反キリストの悪魔のサタン的な真実の顔をはっきりと見極める上で極めて重要です。反キリストの悪魔のような本性の七つの特徴を以下に説明します。

第一に、反キリストはみな傲慢で自惚れています。誰にも従おうとせず、自分だけを称え、自分のやり方に固執します。他人を見下し、心の中には神様の居場所は全くなく、神様へのいかなる畏れもありません。教会の中では誰も反キリストに納得させることができず、反キリストをコントロールできる人もいません。教会のあらゆる階層の指導者や働き人はみな、反キリストにとって敵のようなものなのです。例えば、反キリストの中には、「私は神様には従うけれど他の誰にも従わない」と言ったり、「私は○○さんには従うが、他の誰にも従わない」と言ったりする者がいます。このことから、そのような人がみな悪魔サタンの本性を持っていることが分かります。そのため反キリストは自分を過大評価することができ、自己満足して、前進する気などなく、自分が神の長子、神に愛されている子であると証ししたくて仕方ないのも全く驚くことではないのです。そのような邪悪な人間はみな、権力を握るやいなや、正真正銘の反キリストの悪魔になります。誰にも従おうとせず自分を過大評価するのが、反キリストの悪魔のような本性の第一の特徴です。

第二に、反キリストは悪魔の本性を持っています。つまり、真理を愛さないどころか、真理を憎み拒否すると同時に、神様に反抗します。反キリストは神様の言葉を飲み食いすることを決して真剣にとらえません。神様の言葉を本当に飲み食いしたことなど一度たりともなく、神様の言葉と真理を受け入れません。そのため、神様の言葉から聖霊による啓きや照らしを受けず、さらに自分の堕落の真相を神様の言葉を通して本当に知ることもないのです。ですから、反キリストの悪魔は自分自身を知ることについて決して語らず、あたかも自分には堕落とは無縁とでも言うように、自分を分析したり露わにしたりすることなど当然ありません。彼らは神様の言葉と真理を本当に認識することについて交わりを持ったことなどなく、ましてや、神様の働きや神様の持っておられるものと神様の存在そのものを証しすることなどできません。彼らは自分を持ち上げて自分自身を証しすることしか知らないのです。そして厚かましくも自分が神様の長子、神に愛される子であり、自分は完全にされたとさえ証しするのです。彼らはどこまでも卑劣で恥知らずなのです。これが反キリストの悪魔のような本性の第二の特徴です。

第三に、反キリストはその悪魔のような本性ゆえに、真理を愛さないどころか真理を憎み、真理を拒み、神様に逆らうので、反キリストが真理を実践するところを誰も見ることはありません。反キリストの悪魔は決して真理を実践せず、それはおもに次のように現われます。1)神様の裁き、刑罰、試練、精練に決して従わない。2)神様の言葉や真理に決して従わない。3)真理を決して受け入れない。4)刈り込まれ取り扱われることを決して受け入れない。5)真理について交わり真理を実践できる人に決して従わない。誰にも従わない。6)常に他人より上の立場、さらには神の位置から発言し、常に人々に説教する。反キリストは神様の言葉を曲解し、事実を曲げ、善悪を逆さにし、間違った反論をし、気まぐれに人を非難したり勝手に裁いたりすることに長けています。頻繁に人を惑わし、裁き、断罪し、陥れます。また、神様の選民に対する敵意で煮えたぎっています。このことは反キリストが真理を決して実践できない人間であることを証明しています。これが反キリストの悪魔のような本性の第三の特徴です。

第四に、反キリストの行動や振る舞いは全て、権力と利益を得るために戦うためであり、神様の選民を支配して自らの独立した王国を築くという目的を達成するためです。反キリストは地位と権力のみを追い求め、サタンの勢力をどこまでも崇拝します。地位、権力、金が反キリストの偶像であり、彼らが追い求める目標なのです。これが反キリストの本性の実質です。反キリストが努力し熱心に働くのは、地位と権力のためだけです。地位と権力のためにならないことはしません。地位と権力を手に入れるための自分の戦いに役立つことであれば、喜んでどんなことでもします。地位を求めるためなら、どのような方法であれ、ためらわずに人を罰し、陥れ、傷つけるのです。反キリストからすれば、地位と権力さえあれば何もかも手に入れることができ、地位と権力を失うことは一切を失うことです。これは赤い大きな竜の悪魔的本性の本質の現れそのものです。これが反キリストの悪魔のような本性の第四の特徴です。

第五に、権力と地位の追求を愛することの他に、反キリストは悪人と共謀し、付き合いたがります。反キリストは自分と同じような腐敗した性癖を持ち、自分に仕えるような人間であれば誰にでも惹きつけられます。自分を崇拝してこびへつらう者と好んで付き合うのです。反キリストの罠に捕らえられた者はみな悪魔であり獣であり、魂のない動物です。反キリストの悪魔は、正しい道を歩み真理を追い求める誠実な人と決して付き合おうとしません。心の優しい善人を決して好まず、悪人を善人とし、善人を悪人とするために真理をねじ曲げて善悪を逆さにすることさえできます。反キリストは他人を都合よくあしらったり罰したり、悪意を持って中傷したり、意のままに断罪したり、他人を非難することで自分の罪を覆ったり、横暴にふるまったりするためには手段を選びません。このせいで各地の教会で混乱が起きています。これは反キリストの悪魔のような本性のさらなる証明です。全ての反キリストの悪魔が最も嫌うのは真理を追い求め、原則を固持し、正義感を持つ善い人々です。彼らが最も嫌うのは自分に対して識別力を持ち、悪を忌み嫌い真理と人間性を有する人々です。このために反キリストは善人を迫害したり、陥れたり、傷つけたりすることができ、あらゆる階層の指導者や働き人に敵対することができるのです。これが反キリストの悪魔のような本性の第五の特徴です。

第六に、反キリストはみな、聖霊に用いられている人に対する根深い憎しみが骨の髄まで浸み込んでおり、その人に取って代わろうと企てます。彼らは激怒し気も狂わんばかりです。教会が民主的な選挙を行い、神様の選民が信仰において正しい道に踏み出そうとするのを見ると、彼らは怒って激しい反撃を開始し、教会の選挙を何としても妨害しようとします。ありとあらゆる間違った教えや異説を広めて、神様の選民を惑わそうとし、神様の家の全階層の指導者や働き人を偽者として攻撃し、裁き、断罪するまでに及びます。これは神様の選民と全階層の指導者、働き人の間に不和の種を蒔くためです。反キリストは神様の選民を惑わし、支配しようと、真理を追い求め、心から神様の働きに従い、真理の現実に入っている人たちが投票でそれぞれの階層の指導者および働き人となるのではなく、臆面もなく他の人たちに自分に投票させ、自分に服従させようとまでします。このことから、教会に君臨し神様の選民を支配しようとする反キリストの野心は火を見るより明らかです。これから、全ての反キリストの悪魔は、聖霊に用いられている人、そして神の家のあらゆる階層の指導者や働き人を特に憎んでいると結論づけることができます。これは、真理が神の家を統治することを最も恐れ、またその真理を追求する人々を最も恐れる反キリストの悪魔の卑劣な意図を更に暴露します。なぜならば、真理と真理を追い求める人々が神の家を統治する日は、反キリストが最後を迎える日だからです。反キリストの悪魔が最も憎むのは、聖霊に用いられている人と真理を追い求める各階級の指導者と働き人であることは明らかです。これが反キリストの悪魔のような本性の第六の特徴です。

第七に、反キリストはどれほどの惨敗や拒絶に遭遇しても、心から悔い改めることがなく、自分を知るために本当に反省することもしません。涙を流す悪魔もいるかもしれませんが、それは悔い改めの涙ではなく、酷く扱われたことと不従順と憎しみの涙なのです。決して悔いや負い目に対する涙ではないのです。なぜなら、良心や理知のない者はみな悪魔であり、全ての悪魔には人間性の片鱗さえないからです。彼らはみなサタンの仲間であり、神様に救われることなど絶対ありません。反キリストの悪魔はみな悪魔であるサタンの本性を持っており、まったく救いようがなく、したがって、決して自分を知ることも、心から悔い改めることもありません。彼らは決して真理を受け入れず、心から神様に従うこともありません。これが反キリストの悪魔のような本性の第七の特徴です。

以上の七つの特徴は、反キリストのサタン的本質と本性を完全に映し出しています。反キリストのこれら七つの特徴を有する者はみな正真正銘のサタンであり、悪魔なのです。彼らは全員、悪魔の化身であるサタンの手下なのです。…

『全能神教会の仕事計画の記録・選集』の「真にサタンに反抗し勝利する為には、反キリストは完全に排除されなければならない」より

前へ:なぜ教会は宗教に退化し得るのか。

次へ:偽のキリストとは何か。偽のキリストはいかに識別できるか。

他のお気に入り