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26.どのようにして人は聖霊の働きを得られるか。

関連する神の言葉

聖霊の働きは日毎に変化し、段階毎に高まっている。明日の啓示は今日よりも高く、段階が進むにつれてさらに高まる。これが神が人間を完全にする働きである。人がこれに付いて行けないのであれば、いつでも取り残されうる。人間が従順な心でいなければ、最後まで従うことはできない。これまでの時代は過ぎ去った。今は新しい時代である。新しい時代には新しい働きがされなければならない。とりわけ、人間が完全にされる最後の時代になると、神はそれまでになく素早く新しい働きをする。それゆえ、人が従順な心を持たないならば、神の足跡を辿ることを困難と感じる。神はいかなる規則に従うこともなく、自身のどの働きの段階をも不変のものとして扱うことはない。むしろ、神の為す働きは常に新しく、常に高みへと登り続ける。神の働きは段階を追うごとに益々実践的になり、益々人間の実際の必要に則したものとなる。人間はこのような働きを経験して初めて、最終的な性質の変化を遂げることができる。人のいのちに対する認識はますます高まり、同様に、神の働きも益々高みへと上る。このようにしてのみ、人は完全にされ、神に用いられるに相応しい者となることができる。神はこのように働いて人間の観念に反論し、覆す一方で、人を高みへ、そしてより現実的な状態、神への信仰の最高の領域へ導き、その結果、最終的に神の旨が成就するのである。故意に反抗する不従順な本質を持つ者は、神が即座に、すさまじい勢いを持って働くこの段階から置いて行かれる。進んで従い、喜んで身を低くする者だけが、道を最後まで進むことができる。このような働きにおいては、あなた方はみな、どのように従い、自分の観念をどのように脇に置くかを学ぶべきである。進む一歩一歩において注意深くあるべきである。不注意であるならば、間違いなく聖霊に拒絶されるような、神の働きを妨害する者となる。…神の働きは時代ごとに異なるのである。もしあなたが、ある局面では立派に従うが、次の局面になるとそれ程従わないか全く従わないというのであれば、神はあなたを見捨てるだろう。今の段階を神が上がっていくにつれ神に付いて行っているのであれば、次の段階でも神に付いて行かなければならない。そうして初めて、あなたは聖霊に従順な者となる。あなたは神を信じているのだから、絶えず従順でなければならない。従いたい時にだけ従い、従いたくない時は従わないということではいけない。そのような従い方は神に認められない。わたしが語る新しい働きに付いて来ることができず、昔聞いたことに固執するのであれば、どうしてあなたのいのちが進歩できるだろうか。神の働きというのは、神の言葉を通してあなたに施すことなのだ。あなたが神の言葉に従って受け入れるのであれば、聖霊があなたの中で間違いなく働くのである。聖霊はわたしが語る通りに働く。わたしの言う通りを行いなさい。そうすれば聖霊はすぐにあなたの中で働く。わたしはあなた方のために新たな光を放ち、あなた方がその光を見て現在の光へ来るようにする。あなたがこの光の中へ入っていく時、聖霊はあなたの中で直ちに働く。

『言葉は肉において現れる』の「真心で神に従う者は確かに神のものとされる」より

現時点では、聖霊が歩む道とは、神の現在の言葉である。したがって、その道を歩むには、人は受肉した神の現在の言葉に従い、それを食べて飲まなければならない。神は言葉の業を行っており、全てが神の言葉から語られ、あらゆることが神の言葉、すなわち神の現在の言葉により建て上げられている。それが、肉となった神について全く疑念がなくなることであれ、神を知ることであれ、人は神の言葉に多くの努力を注がなければならない。さもなければ、何一つ成し遂げることができず、その人には何も残らないだろう。神の言葉を食べ飲むことに基礎を置いて、神を知り、神を満足させることによってのみ、人は徐々に神との正しい関係を確立できる。神の言葉を食べて、飲み、実行に移すことは、神との最善の協力であり、神の選民のひとりとして証しするための最も優れた実践である。人が神の現在の言葉の本質を理解し、それに従うことができる時、その人は聖霊により導かれる道によって生活しており、神が人間を完全にする正しい道に入っているのだ。

『言葉は肉において現れる』の「性質が変化した者たちとは神の言葉の現実の中へ入った人々である」より

神が人々に要求する最低基準は、自分の心を神に開くことができることである。人が神に対して真心を捧げ、心の中にある本音を告げるならば、神はその人の内に働くことをよしとする。神は人の曲がった心ではなく、純粋で正直な心を求めている。人が神に自分の心の真実を話さないならば、神はその人の心を動かすことも、その人の中で働くことも無いであろう。

『言葉は肉において現れる』の「祈りの実践について」より

人間は、自らの心で神の霊に触れることにより、神を信じ、愛し、神を満足させ、それによって神の満足を獲得する。また、自らの心で神の言葉に接する時、彼らは神の霊によって動かされる。正常な霊的生活を実現し、神との正常な関係を確立することを望むのであれば、あなたはまず自らの心を神に捧げ、神の前で自分の心を静めなければならない。自らの心を全て神に注いだ後、初めて、人間は徐々に正常な霊的生活を得ることが出来る。人間が神への信仰の中で自らの心を神に捧げず、心が神の中にあらず、神の負担を自分自身のものとして扱わなかった場合、彼らが何をしても、それは神を欺くことである。そして、まさしくそれが宗教に熱心な人々の行動のすべてである。これでは神から称賛を受けることは出来ない。神はこのような人からは何も得る事が出来ない。こういう人は、神の家の装飾品のように場所を取るだけで何の役にも立たず、神の業の脇役以外に使い道がない。神はこのような者を用いない。このような人間の内では、聖霊の働く機会はない。しかしそれ以上に、このような人には完全にする価値が無い。こういう部類の人間はまさしく「生ける屍」であり、彼らには聖霊により用いられることの出来る要素が全く無い。彼らは、すべてサタンによって占有され、サタンにより極端に腐敗させられ、また、神によって排除される対象である。現在、聖霊は、人間の長所を活用することのみならず、人間の欠点を完全なものとし、変化させることによっても、人々を用いている。あなたの心を神に注ぎ、神の前に静めることが可能であれば、あなたには、聖霊により用いられ、聖霊の啓示と光を受ける可能性と資格があり、またそれ以上に、聖霊によって自分の欠点を補ってもらう機会があるであろう。自分の心を神に捧げる時、あなたは更に深く肯定的な側面に入ることができ、より高いレベルの洞察に達することができる。否定的な側面においては、自らの過ちや欠点が一層分かるようになり、神の意志を満足させることをもっと熱心に求めるようになり、受動的にではなく、活発に真理の道に入るであろう。それは、あなたが正しい人間であることを意味するであろう。

『言葉は肉において現れる』の「神との正常な関係を確立することは極めて重要である」より

聖霊はこの原則によって働く。人々の協調を通して、人々が積極的に祈り、探求して神に近づくことで成果が達成し、聖霊による啓発を受け、光に照らされる。聖霊が一方的に行動する、あるいは人が一方的に行動するということはない。両者の行動が必要不可欠である。人々が聖霊と協力すればするほど、そして、神の要求する基準に達することを求めれば求めるほど、聖霊の働きは大きくなる。聖霊の働きに人々の真の協力が伴ってのみ、神の言葉の本当の経験と実質的な認識が生まれる。このような経験を通して徐々に、完全にされた人が最終的に生み出される。神は超自然的なことは行わない。人は、神が全能で、全てのことが神によってなされるという観念を持っている。その結果、人々は消極的に待ち、神の言葉を読んだり、祈ったりせず、聖霊に触れられることを待っているだけである。しかし正しい理解を持っている人々は次のように信じている。「神の行いは私が協力する範囲にのみに及び、私の中における神の働きの効果は、私がどう神と協力するかにかかっている。神が語られるときには、私は神の言葉を求め、神の言葉に向かって突き進むために、あらゆる努力をすべきだ。これが私の達成すべきことだ。」

『言葉は肉において現れる』の「現実をどのように知るか」より

経験から分かることだが、最も重要な課題の一つは神の前で心を静めることである。それは、人々の霊的生活といのちの成長に関する課題である。唯一あなたの心が神の前に静まっている場合のみ、あなたの真理の追求とあなたの内の性質の変化が実を結ぶであろう。なぜなら、あなたは重荷を荷って神の前に来るからである。また、あなたは、絶えず自分に至らないことが多過ぎると感じ、知るべき真理があまりにもたくさんあり、経験すべき現実があまりにも多くあり、神の意志に全ての注意を集中させる必要があると感じているからである。また、これらのことが常にあなたの心を占めており、あたかもそれらがあなたを強く圧迫し、息ができなくなるかのようである。こうして、あなたは心に重荷を感じる(しかし、これは否定的な状態ではない)。神の言葉による啓示を受け、神の霊に動かされる資格があるのは、こうした人々のみである。彼らが神の啓示と光を受けられるのは、彼らの重荷の故である。また、彼らの心は重いからである。またそれは、彼らが払った代償と、神の前で受けた苦しみのためであると言える。というのは、神は誰も特別扱いしないからである。神は人々を常に公平に扱うが、人々に供給する際は無造作ではなく、人々に無条件で与えることはない。これは、神の義なる性質の一面である。実生活においては、まだ殆どの人々がこの領域に達していない。少なくとも、人々の心はまだ完全には神の方を向いていない。それゆえに、人々のいのちの性質には、まだそれほど大きな変化がない。それは、人々がまだ神の恵みの中だけに生きており、聖霊の働きを得ていないからである。神が人々を用いる際の条件は次のようである。人々の心が神に向いており、神の言葉の重荷を負い、神の言葉を慕う心を持ち、真理を求める決意を持っていることである。このような人々だけが、聖霊の働きを得て、頻繁に啓示と光を得ることが出来る。

『言葉は肉において現れる』の「神との正常な関係を確立することは極めて重要である」より

人間に対する聖霊の業には、ひとつだけ条件がある。人間が渇望して求め、神の行いに気持ち半分でもなく疑念を抱いても居らず、自分の本分を常に守ることが出来るのであれば、人間は聖霊の業を得ることが出来る。神の業の各段階において、人間に要求されているのは、途方も無く大きい確信と、神の前において求めることであり、神がいかに愛すべき存在であるか、聖霊が人間に対してどのように業を行うかを人間が理解できるのは、経験によるほか無い。あなたが経験せず、経験により手探りで進まず、求めなかったとしたら、あなたが得るものは無いであろう。あなたは、自分の経験により模索する必要があり、神の業を理解し、神の奇しさ、計り知れなさを知ることが出来るようになるには、経験によるほか無い。

『言葉は肉において現れる』の「あなたは神への忠誠を保たなければならない」より

神による人間の完全化には法則があり、それは、あなたの霊が解放され、あなたが神をさらに愛すことが出来るように、あなたが実践の道を得てあらゆる否定的な状態と訣別できるように、あなたの望ましい部分を用いてあなたを啓くことである。こうすることにより、あなたはサタンの堕落した性質を払拭出来る。あなたは純朴で素直であり、自分を知ることを望み、真理を実践することを望んでいる。神はあなたが自分を知ること、真理を実践することを望んでいるのを知っているので、あなたが弱く否定的な時はあなたを二倍啓き、あなたがさらに自分を知り、自らを悔い、自分が実践すべき物事を実践出来るようになろうとするのを助ける。あなたの心を落ち着かせて安心させるには、この方法によるほかない。神を知ること、自らを知る事、自らの実践に注意する者は、神の働きや神による導きや啓きを頻繁に授かることが出来るであろう。消極的な状態にあったとしても、良心の働きか、あるいは神の言葉による啓きにより、すぐに立ち直ることが出来る。

『言葉は肉において現れる』の「実践を重視する者だけが完全にされることができる」より

神は、神の言葉を求め貴ぶ者たちの中で業を行う。あなたが神の言葉を貴べば貴ぶほど、神の霊はもっとあなたの中で働くだろう。人が神の言葉を貴べば貴ぶほど、その人が神により完全にされる確率も高くなる。神は神を真に愛する者たちを完全にする。神は、自らの心が神の前に安らいでいる者たちを完全にする。あなたが神の全ての言葉を大切にし、神の啓示を貴び、神の臨在を貴び、神の心配と守りを大切にし、神の言葉がいかにしてあなたの現実といのちの糧となるかを貴ぶならば、あなたは神の心に最も適っている。あなたが神の業を貴び、神があなたのために為した全ての業を貴ぶならば、神はあなたを祝福し、あなたが所有する全てのものを倍増させるであろう。

『言葉は肉において現れる』の「神は神の心に適う者を完全にする」より

説教と交わりの参考箇所

聖霊はキリストの御言葉にしたがって、また人によるキリストの受容とキリストへの服従にしたがって働きをなさいます。人はキリストを受け入れてキリストに服従することでのみ、聖霊の働きを受けることができます。キリストに抵抗したり反抗したりするなら、聖霊の働きを有することはありません。神様への信仰が救いをもたらせるかどうかは、人が真にキリストを受け入れ服従できるかどうかによって決まります。聖霊の働きはひとえに人によるキリストの受容とキリストへの服従にもとづいています。恵みの時代において、聖霊の働きは人々による主イエスの受容、主イエスへの服従、主イエスへの崇拝にしたがって実行されました。神の国の時代において、聖霊の働きは人々による全能神の受容、全能神への服従、全能神への崇拝にしたがって実行されます。終わりの日において、聖霊は神様の御言葉の現実に信者を導き入れ、救いと完全に到達させるべく、全能神の御言葉にしたがって働きをなさいます。これが聖霊の働きの基礎にして原則です。多くの宗教指導者がキリストに抵抗したこと、またはキリストを断罪したことへの懲罰として命を落としてきました。多くの宗教的な人が終わりの日のキリストを受け入れるのを拒んだために、聖霊の働きを失って闇に転落してきました。神様の家では、キリストに関する自分の観念にこだわったせいで、多くの人のいのちがしおれ、去って行きました。そしてさらに多くの人が、キリストを信じず神様の霊しか信じなかったせいで、聖霊の働きによってふるいにかけられてきました。これらはすべてキリストを受け入れず、キリストに服従しない人々によって引き起こされます。信者に聖霊の働きがあるかどうかは、ひとえにその人のキリストへの態度によって決まります。天にいます神様しか信じず、キリストに服従しないなら、その人は決して聖霊の働きを受け取りません。現在、各地の教会には、神様の霊だけを信じてキリストを信じず、ゆえに聖霊の働きを失っている人がまだ数多くいます。キリストの御言葉を信じるだけでキリストに服従せず、ゆえに神様に嫌悪されている人も数多くいます。したがって、キリストを受け入れてキリストに服従することは、聖霊の働きを受け取る上で極めて重要なことなのです。キリストを受け入れてキリストに服従することでのみ、人は救いを得て完全にされます。ゆえに、各時代における聖霊の働きにはその基礎と原則があることがわかります。数多くの人がいまだにキリストに服従することの重要性を認識していません。聖霊はひとえにキリストの御言葉にしたがって働きをなさいます。キリストの御言葉を受け入れられず、神様の御言葉に関する観念を抱き抵抗し続けるなら、絶対に聖霊の働きを受け取ることはできません。多くの人は全能神の御名において祈るだけで、キリストの働きに服従せず、キリストの御言葉を完全には受け入れていません。このような人は反キリストであり、絶対に聖霊の働きを受けることはできません。

兄弟の交わりより

聖霊の働きとはおもに、人が神の御言葉に入り、真理を理解するように導くことです。神の御言葉に入ることにはどのような側面があるでしょうか。神の御言葉に入るとは、神の仰せられたある特定の文章を読んで、それについて少し考え、わずかに理解することではありません。それは神の御言葉に入ることと同等ではありません。そうではないのです。最も重要なことは、経験を通して神の御言葉に入ることです。この「経験」には、多岐にわたる経験が含まれます。人の経験は単なる一側面の経験ではなく、多面的なものです。本分を尽くすことは神の御言葉を経験することです。真理を実践することも、神の御言葉を経験することになります。特に、さまざまな試練と精錬を経験することは、さらに神の御言葉を経験することです。神の御言葉を経験する限り、その背景や状況に関係なく、聖霊の働きを得ることができます。たとえば、試練に遭遇したとき、私たちは神に祈り、神の御心を把握しようとします。その結果、聖霊に啓かれることで、神の御心を理解することができます。それが神の御言葉へ入ることに関わるためです……また、本分を尽くす過程で、そして日常生活の経験の中で、どのような状況であっても、神に祈り、真理を求め、神の御心を把握しようとする限り、私たちは聖霊の働きを得ることができます。なぜなら、私たちは聖霊の導きによって神の御言葉と真理に入るからです。この側面に関して経験が豊富な人もいます。その人たちはどのような状況に遭遇し、どんな種類の人と出会っても神に祈り、神が自分を啓いて導き、知恵と知性を与えてくださるように願います。神の働きを絶えずこのように経験するとき、人は神​​の御言葉の多くを理解します。自分がどのように行動するべきかを知り、それを具体的な実践に生かします。これが神の御言葉に入る道です。

『いのちに入ることに関する交わりと説教(2)』の「聖霊の働きを知ることは、人間の救いにとって最も重要である」より

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