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質問:終わりの日に全能神は、どのようにしてご自身の裁きの働きを行われますか。 神はどのようにして人を裁き、清め、完全にするために言葉を表現されますか。 これは私たちが今どうしても知らなければならない真理です。 全能神の働きを認識すれば、私たちは本当に神の声を聞くことができ、神の御座の前に引き上げられることができます。 もっと詳しく教えてください。

全能神の終わりの日の裁きの働きを学ぶことは、真理を求めて救われる上でとても重要です。終わりの日に全能神は真理を示し、人を裁いて清めます。聖徒を天国に引き上げるため働きをされます。宗教界には、神様の御心が理解できない信者が多く、主が戻られてそのまま聖徒を天国に引き上げると思い、裁いたり刑罰の働きをするなど考えてはいません。もし主が人を裁いて罰するなら、信者も罰せられるでしょう?だから終わりの日の神様の裁きの働きを拒み、主が雲に乗ってお見えになり、天国に招いてくださるのを待つのです。これは神様の御心を全く誤解しており。主イエスは終わりの日の裁きの働きへ道を開くため、贖いの働きをされました。神様の最終目標は人を清めて救い、天国で休ませるためで、神様の贖いと救いの働きは計画され、段階を踏んで実行され、一度に起きるのではありません。主イエスは贖いの働きを完了し、戻って来られ聖徒を迎えると約束しましたが、終わりの日に神様がどのように聖徒を迎えるのかは誰も知りません。神様が終わりの日に聖徒を迎えに来る時は、まず王座の前に呼び、裁き、清め、完全にして勝利者にします。これこそ聖徒が天国に入るということではないですか?それでも容易には理解できる事できませんね。神様の王座に来る前に、裁かれ罰せられ清められる必要があるので、終わりの日の神様の裁きの働きを勝手に想像してしまいました。神様の刑罰と裁きは祝福ですか?それとも非難され懲罰を受ける事ですか?多くの人がそれを理解できないのです、全能神が何とおっしゃっているか見てみましょう。

全能神は言われます。「神が呪うのは人間の不従順であり、神が裁くのは人間の罪である。神の言葉は厳しく、少しの気遣いもなく、人の内にあるあらゆるものを明らかにし、そうした厳しい言葉を通じて人の内にある本質を顕わにするが、神はその裁きを通じて人に肉体の本質についての深遠な認識を授け、それにより人は神の前に従順を示すのである。人の肉は罪から成り、サタンによるものであり、不従順であり、神の刑罰の対象である──であるから、人に自分を理解させるためには、神の裁きの言葉が人にもたらされねばならず、あらゆる精錬が行われねばならない。それにより初めて神の働きは成果を生むのである。」(『言葉は肉において現れる』の「辛い試練を経験して初めて、神の素晴らしさを知ることができる」より

「今日、神はあなたたちを裁き、あなたたちを罰し、あなたたちを罪に定めるが、あなたを罪に定めるのはあなたが自分を知るためであることを知りなさい。罪に定めること、のろい、裁き、刑罰──これらはみなあなたが自分を知るため、あなたの性質が変わるためである。そしてさらに、あなたが自分の価値を知り、神の行動はすべて義であり、それは神の性質と神の働きの必要性に適っていること、神は人を救うための計画に従って働くこと、神は人を愛し、人を救い、人を裁き、罰する義なる神であることを理解するためである。…神は人を殺したり、滅ぼしたりするためにではなく、裁き、のろい、罰し、そして救うために来たのだ。」

『言葉は肉において現れる』の「あなたたちは地位の恩恵は脇に置き、人の救いに関する神の心を理解するべきである」より

「あなたたちはみな、罪と放蕩の場所で生活している。あなたたちは皆みだらで罪深い人々だ。今日、あなたたちは神を見ることができるだけではなく、もっと重要なことは、刑罰と裁きとを受け、こんなにも深い救い、つまり、神の最大の愛を受けているのだ。神のすることはすべて、あなたたちへの真の愛である。神に悪意はまったくない。神があなたたちを裁くのは、あなたたちの罪の故である。それは、あなたたちが自分自身をよく吟味し、このすばらしい救いを受けられるようにするためである。これはみな、人間を形成するために行われる。始めから終わりまで、神は人間を救うために全力を尽くしている。そして、確かなことは、神には、自らの手で創造した人間を完全に破壊するつもりはない。今、神は働くためにあなたたちの間に来た。これは、より以上の救いではないか。もし神があなたたちを憎んでいるのなら、あなたたちを直接導くためにそれ程大きな働きをするだろうか。なぜ神がそのように苦しむ必要があるのか。神はあなたたちを憎まないし、あなたたちに何の悪意ももたない。あなたたちは、神の愛が最も真実な愛であることを知らなければいけない。神が裁きを通して人々を救わなければならないのは、唯一、彼らの不服従の故である。そうでなければ、彼らは救われないだろう。あなたたちは、どうやって生活し、どのように生きていくのかを知らず、また、あなたたちは、このみだらで罪深い場所に住み、みだらで汚れた悪魔であるが、神は、あなたたちがいっそう堕落してゆくのを望まない。また神は、あなたたちがこのような汚れた場所で生活し、サタンの思うままに踏みつけられるのは見るにしのびない。あるいは、あなたたちがハデスに落ちてゆくままにすることなど望まない。神はただあなたたちの群れを獲得し、完全に救いたいと願っている。これが、あなたたちに征服の働きを行う主要目的である──これは正に救いのためなのだ。」

『言葉は肉において現れる』の「征服の働きの内なる真実(4)」より

全能神の言葉から神様の終わりの日の裁きの働きは、人を非難するためのものではないことが明らかにされました。神様は人をこらしめたいのではなく、サタンに堕落させられていることを自覚して欲しいのです。神様に逆らい裏切るという自分の本性と実体を知り、神様の義なる、聖なる性質は犯されないことを知って欲しいのです。人間の心と魂を呼び覚まし、堕落から解放し、本当の人間として生きて欲しくて救いたいのです。神様の裁きと刑罰を体験しなければ悪魔の本性を自覚し、神様に逆らい罪を犯す根源を確認することもできません。裁きと刑罰を受けなければ神様の義なる性質が理解できず、堕落した性質は変りません。神様に真に従い、崇敬もしないので、神様の御国に入る権利などあるわけがないのです。神様は人を清め救いたいから裁くのであり、神様から裁かれて清められることは最高の祝福であり、堕落した人間に対する神様の偉大な愛と救いなのです。神様は裁きの働きをどのようにされるのでしょう?全能神はそれについて多くを語っていますので、御言葉を少し読んでみましょう。

「神の今回の受肉において、神の働きは主に刑罰と裁きを通して神の性質を表すことである。これを基礎として、神は人により多くの真理をもたらし、より多くの実践方法を示し、こうして人を征服し、堕落した性質から人を救うという神の目的を達成する。これが神の国の時代における神の働きの背後にあるものである。」

『言葉は肉において現れる』の「序言」より

「終わりの日には、キリストはさまざまな真理を用いて人を教え、人の本質を明示し、その言葉や行為を解剖する。こうした言葉には、人の本分、人はいかに神に従うべきか、人はいかに神に忠実であるべきか、いかに正常な人間性を生きるべきか、そして神の知恵と性質など、さまざまな真理が含まれる。これらの言葉は、みな人の本質とその堕落した性質に焦点を当てている。とりわけ、いかに人が神を拒絶するかを明らかにする言葉は、人がサタンの化身であり、神に敵対する力であることを語っている。神が裁きの働きを行う際、神はほんの数語で人の本性を明示するのではなく、長期にわたって暴き、取り扱い、刈り込みをする。そうした暴き、取り扱い、刈り込みは、通常の言葉に置きかえることはできず、人が持つことなどない真理でしか置きかえられない。そうした働きのしかたのみが裁きとみなされる。そうした裁きを通じてのみ、人は説得され、神への服従に完全に納得し、神の真の認識を得ることができる。裁きの働きがもたらすものは、人による神の真の顔の理解と、自らの背きに対する真の理解である。裁きの働きにより、人は神の心、神の働きの目的、それまで人には理解できなかった奥義について大いに理解できるようになる。また、人が自分の堕落した本質と堕落の根源を認識し理解し、人の醜さを発見するようになる。これらの効果は全て、裁きの働きによりもたらされる。というのも、裁きの働きの本質は、実際に神を信じる全ての者に、神の真理、道、いのちを開く働きだからだ。これが、神がなす裁きの働きである。」

『言葉は肉において現れる』の「キリストは、真理を以て裁きの働きを行う」より

「神には人間を完全にする手段が多数ある。神はありとあらゆる環境を用いて人間の堕落した性質を取り扱い、様々な物事を用いて人間を暴き出す。神は、ある点に関しては人間を取り扱い、別の点に関しては人間を暴き、また別の点に関しては人間を明らかにし、人間の心の奥にある『秘密』を掘り出して明示し、人間にその数々の状態を明らかにすることにより本性を示す。神が実践的であることを人間が知ることが出来るように、神は暴く、取り扱い、精錬、刑罰など、様々な手段で人間を完全にする。」

『言葉は肉において現れる』の「実践を重視する者だけが完全にされることができる」より

「神が裁きと刑罰の働きを行うのは、それによって人が神を知り、神を証しするためである。人の堕落した性質を神が裁くことがなければ、人が犯すことのできない神の義なる性質を、人が知ることはできず、神に関する古い知識を捨てて新しい知識を得ることもない。神が証すため、そして自身の経営(救い)のために、神はそのすべてを明らかにし、そうすることで人は、神が公に顕われることにより、神の知識に到達することができ、その性質においても変えられ、人が力強い証し人となれるようにした。神のさまざまな働きを通して、人の性質が変化する。そうした変化なしには、人は神への証人とはなれず、神の心にかなうこともできない。人の性質が変化するということは、人がサタンの束縛から自由になり、闇の影響を脱し、真に神の働きの雛形や見本となることを意味しており、真に神の証人となり、神の心に沿うものとなったことを意味する。」

『言葉は肉において現れる』の「神を知る者だけが、神の証人となることができる」より

全能神の言葉はとても実際的です。人間を救い完全にするために神様は言葉を発し、終わりの日の裁きの働きをされるのです!全能神の裁きの言葉を読むと、この暗い悪質な世の中で、全人類はサタンに支配されている事が理解できます。サタンに堕落させられ、人間性のかけらも無く、傲慢で悪どく、ずる賢くて自己中心的で放蕩を楽しみます。真理に飽き飽きして、悪を崇拝し自分の地位と名声のためには何でもし、同族で殺しあう獣と同じで、人間性も道理のかけらもありません。神様を信じると言いながら金銭や名声や地位が全てで、悪質な流行に流され、罪を犯し、神様に反抗して逆らいます。全てを犠牲にして、辛酸をなめたとしてもそれは祝福を得たいという欲望があるからで、報われて天国に入るためにするのです。真理を求めて、神様を知り従うからではなく、思い込みや想像上の神様を信仰し、神様の性質や神であることやその所有物が何であるか。神様がどのような者を好み、逆に憎み、どのような者が神様に逆らい傷つけようとして神様に呪われるのか。人の考えや思い込みがいかに真理からほど遠く、神様にどう向かい合い、真理の現実を理解しているかなど神様を知り、従い、崇敬すべきであるという重大な真理を堕落した人間は知りません。このような人間は心底堕落しており、神様の裁きと清めを受けなければ、神様に逆らい裏切るのは当然でしょう?終わりの日に神様は受肉され、堕落した人間に必要な救済の真理を示されました。神様の義であり威厳ある犯されない性質が、人間に示され反論のできない人の本性と堕落も明らかにされ、神様の御言葉による裁きと刑罰を受けました。私達は傲慢でわがままで、悪の理論と規則に従って生き、自分の名声と利益のために行動してきました。働いて説教をするのも、自分の評判と地位のためで、自己を高め、名誉や人の注目を欲し、神様を高めたり、証しをする気は全くありません。神様の働きが自分の思い通りでないと、神様を限定して断罪し神様に対して頑なになり、従いません。自らの本分を尽くしながらも肉体の喜びを楽しみ神様をだまし、ごまかそうとして、忠実さなどどこ吹く風です。裁きと啓示の御言葉に、私達はサタンに心底堕落させられたとあり、良心も道理も、自尊心もなく、人と呼ばれるにはふさわしくありません。私達は神様の敵であり、サタン族であり、神様にお目見えするなど、おこがましい恥知らずでしょう。神様の前にひざまずき、自分を呪い、後悔と自己嫌悪に悩まされ、神様の犯されない義なる性質を思い知った時、神様を畏れ、人類を救うというご意向が理解できます。神様は罪と反抗を憎まれるので、私達を裁いて罰し悪魔の性質を消し去って、神様の物にしたいからです。神様に頑なに反抗し逆らうと刑罰を下し戒めます。神様に心を捧げるとお慈悲をお見せになり、それまでの事をお赦しになります。神様の御心が理解できるように、私達を啓いて導きます、神様の刑罰と裁きの働きを通して、神様の性質に関する真理と知識をいつの間にか得て、神様はお慈悲と愛のお方です。我々は神様の神聖さと偉大さを知り、神様を崇敬し愛する心が芽生え、自分の悪の本性が見えてきて、徐々に真理を知るようになり、よい事と悪い事の区別がつくようになります。物の見方が変り、真理が知りたくなり、サタンの理論と律法に従う気は失せ、神様に理不尽な要求もしなくなります。良心と道理を取り戻し、何事にも真理を求め、実行しようとします。造られた物として本分を尽くし、神様の主権と取り計らいに、現実的に従い、いのちもより人間らしいものに変ってきます。全能神に感謝します!神様の裁きの働きのおかげで、変ることができるのです。今日、終わりの日の全能神の働きを受け入れる兄弟姉妹は、終わりの日の神様の裁きを受け、裁きに従うことだけで、救われて完全にされるのを知っています。

映画脚本「夢からの目覚め」より

前へ:質問:あなた方との交わりを通して、主の再臨と携挙に関する私たちの考えが、本当は私たち自身の観念から生まれて来たということが分かります。 深刻なことに、私たちはすでに主の言葉に敵対してしまいました。 そうは言うものの、私たちは今、主の再臨と携挙をどのように待ち望むべきでしょうか。 これについてもう少し詳しく話してくれませんか。

次へ:説教と交わり: 終わりの日の神の働きを受け入れることが、災害の前に軽挙され、主と共に祝宴の席につくことです。

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