終わりの日のキリストから発せられる言葉(選集)

目次
  • 第一部 全宇宙に向かって語った神の言葉 (キリストが初めに語った言葉) (抜粋)
    • 第二部 キリストが諸教会の間を歩いた時の言葉 (抜粋)
      • 第三部 キリストが自分の業の後期に語った言葉 (抜粋)

        七番目の言葉

        西面の枝はみな、わたしの声を聞きなさい。

        これまで、あなたがたはわたしに忠実だっただろうか。あなたがたはわたしの優れた導きの言葉に従ってきただろうか。あなたがたは、曖昧で不確かなものではない、現実的な希望をもっているだろうか。人間の忠実さ、愛、信心は、すべてわたしから生じているものであり、わたしが与えたものでないものはない。わが民よ、あなたがたは、わたしの言葉を聴くとき、わたしの意図を理解しているだろうか。わたしの心がわかっているだろうか。かつて、あなたがたは奉仕の道をたどっていて、浮き沈みもあり、前進したときや後退したときもあった。また、倒れそうになったことも、わたしを裏切りそうになったこともある。しかし、そんな時にも常に、わたしがあなたがたを救っていたことが、わかっていただろうか。いつ、どのようなときにも、わたしが言葉を発し、助けてきたことがわかっているだろうか。何度、あなたがたはサタンの網に陥っただろう。何度、あなたがたは人間の罠に捕らわれただろう。また、何度、自我を捨て去ることができず、果てしない争いに身を投じてきただろうか。いったい何度、体はわたしの家にありながら、心はどこかよそをさまよっていただろうか。それでも、わたしはどれほど、あなたがたに救いの手を差し伸べてきたことか。何度、あなたがたの間に憐れみの粒を蒔いてきただろう。何度、あなたがたの哀れな苦しみを見て耐え難い思いをしてきたことか。いったい何度……わからないのだろうか。

        しかし今日、あなたがたはわたしの守りの下、ついにあらゆる困難を乗り越え、わたしとともに幸福の中に入った。これはわたしの知恵の結晶だ。それでも、このことをよく覚えておきなさい。他の人たちは倒れたけれども、あなたがたは強くあっただろうか。誰が、一瞬も弱ることなく、ずっと強くあっただろう。人々の中で、誰がわたしからではない恵みを受けただろう。誰がわたしからではない不運を経験しただろう。わたしを愛する者はみな、祝福だけを受けているのだろうか。ヨブに不運が訪れたのは、彼がわたしを愛さず、逆らったためなのだろうか。パウロがわたしに対して忠実に仕えることができたのは、真にわたしを愛することができたからだろうか。あなたがたはわたしの証を堅持するだろうが、あなたがたの中に、純金のようで、不純物を混ぜられていない証をする人が、誰かいるだろうか。人間に真の忠誠は可能なのだろうか。あなたがたの「証」がわたしを喜ばせることは、あなたがたの「忠誠」と矛盾しない。なぜなら、わたしは誰からも多くを求めていないからだ。わたしの本来の計画から考えれば、あなたがたはみな「二級の不良品」なのだ。これは、わたしの「憐れみの粒を蒔く」と言ったことのしるしではないのか。これは、あなたがたの目には、わたしによる救いではないのか。

        あなたがたはみな、思い返してみるべきだ。わたしの家に戻って以来、自分の損得を考えず、ペトロのように、わたしを知るようになった者は、いるだろうか。あなたがたは聖書の表面的なことは完璧に理解しているが、その本質を受け入れただろうか。たとえそうであっても、あなたがたは、まだ自分の「元手」にしがみつき、自己を捨て去ることを拒んでいる。わたしが言葉を発したとき、面と向かって話したとき、あなたがたの誰が閉じた「巻物」を置いて、わたしの明かした、いのちの言葉を受けようとしただろう。あなたがたはわたしの言葉を重んじず、また、それを大切に思いもしなかった。それどころか、わたしの言葉を敵に向かって機銃のように使って、自分の地位を維持しようとした。わたしの裁きをほんの少しも、わたしを知るために受け入れようとしなかった。あなたがたは誰もみな、他の誰かに武器を向けている。あなたがたはみな「無私」で、みな、どんな時でも「他人を思いやっている」。あなたがたは昨日まで、このとおりのことをしていたのではないか。そして、今日はどうか。あなたがたの「忠誠」は、ごくわずか増した。みな、少しだけ経験を得て、少しだけ成長した。そして、そのために、わたしを「恐れる」気持ちが少し増した。そして誰一人、軽々しく行動しようとしない。なぜあなたがたは、いつでも受身でいるのだろうか。なぜ、あなたがたの内には積極的な要素がまったく見られないのか。ああ、わが民よ。過去はとうに過ぎた──あなたがたは、もはや過去にしがみついていてはいけない。昨日はしっかりと立っていて、今日は心からの忠誠をわたしにささげるべきだ。そのうえで、明日はわたしについてよい証をすべきだ。また、将来わたしの祝福を相続すべきだ。これこそは、あなたがたが理解するべきことだ。

        わたしはあなたがたの前にいないが、わたしの霊は必ずやあなたがたに恵みを与える。あなたがたが、わたしの祝福を大切にし、それを頼みとして、自身を知ることができることを願っている。これを自分の資本とせず、あなたがたの内に欠けているものをわたしの言葉の内で満たしなさい。そして、あなたがたの必要とする積極的な要素を得るのだ。これが、あなたがたに伝える教えである。

        1992年2月28日