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「さばきが神の家から始められる時がきた。」(ペテロの第一の手紙 4:17)
「ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう。」(マタイによる福音書 24:27 )
「なお、わたしが見ていると、見よ、小羊がシオンの山に立っていた。また、十四万四千の人々が小羊と共におり、その額に小羊の名とその父の名とが書かれていた。……彼らは、女にふれたことのない者である。彼らは、純潔な者である。そして、小羊の行く所へは、どこへでもついて行く。彼らは、神と小羊とにささげられる初穂として、人間の中からあがなわれた者である。彼らの口には偽りがなく、彼らは傷のない者であった。」 (ヨハネの黙示録 14:1、4-5 )
「わたしは、あなたのわざを知っている。見よ、わたしは、あなたの前に、だれも閉じることのできない門を開いておいた。なぜなら、あなたには少ししか力がなかったにもかかわらず、わたしの言葉を守り、わたしの名を否まなかったからである。」(ヨハネの黙示録 3:8)
「兄弟たちは、小羊の血と彼らのあかしの言葉とによって、彼にうち勝ち、死に至るまでもそのいのちを惜しまなかった。」(ヨハネの黙示録 12:11 )
「彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである。」(ヨハネの黙示録 7:14)
「宇宙の隅々までわたしはわたしの働きを行っている。東方では、雷のような轟音が終わることなく発生し、すべての国々と教派を震わせている。すべての人々を現在に連れて来たのはわたしの声である。わたしはすべての人々がわたしの声により征服され、みなこの流れに落ち、わたしの前に帰服するようにする。わたしはずっと前に全地からわたしの栄光を取り戻し、東方で新たにそれを発したからである。わたしの栄光を見ることを願わない者がいるだろうか。わたしの再臨を心待ちにしない者がいるだろうか。わたしが再び現れることを渇望しない者がいるだろうか。わたしの愛らしさを思慕しない者がいるだろうか。光の元へ来ようとしない者がいるだろうか。カナンの地の豊かさを見上げようとしない者がいるだろうか。『贖い主』が再び来るのを待ち望まない者がいるだろうか。偉大なる全能者を敬慕しない者がいるだろうか。わたしの声は全地の隅々まで広められるであろう。わたしはわたしに選ばれた者に向かって、彼らにもっと話しかけたいと願う。山々や川を震わせる強大な雷のように、わたしは全宇宙と人類にむかってわたしの言葉を話しかける。そしてわたしの口にある言葉は人の宝になり、すべての人々はわたしの言葉を大切にする。稲妻が東から西へひらめき渡る。わたしの言葉は、人が決して手放したくないもの、そして測り難いものであるが、それ以上に彼らにさらなる喜びをもたらすものである。生まれたての赤児のように、すべての人々は喜びに満ち、わたしの到来を祝う。わたしはすべての人々を、わたしの声によってわたしの前へ連れて来る。その時から、わたしは正式に人類へ入る、人々がわたしを礼拝するために。わたしから放たれる栄光とわたしの口にある言葉によって、人々はみなわたしの前へ来るようになり、稲妻が東方から閃くこと、またわたしが東方の『オリーブ山』に降ったことも知るようになる。彼らはわたしがずっと前からすでに地上にいたことを知り、『ユダヤ人の息子』ではなく、東方の稲妻だと知るだろう。なぜならわたしはずっと前に復活し、人々の中から去って、その後栄光と共に再び人々の中に現れたからである。わたしは幾時代も前に崇拝された神であり、幾時代も前にイスラエル人によって見捨てられた『赤児』である。それだけでなく、わたしは今の時代の栄光に満ちた全能神である。すべての者をわたしの玉座の前に来させ、わたしの栄光に満ちた顔を見させ、わたしの声を聞かせ、わたしの業を見上げさせなさい。これがわたしの心の全てである。これがわたしの計画の結末であり、クライマックスであると同時に、わたしの経営の目的でもある。すべての国々にわたしにひれ伏させ、すべての人にその言葉でわたしを認めさせ、すべての人にわたしを信頼させ、またすべての人がわたしに服従するようにしなさい。」
「七つの雷が轟く──神の国の福音が宇宙の隅々まで広まることを預言」より「神の国の時代において、人間は完全に全き者とされる。征服の働きの後、人間は精錬と患難を受ける。この患難の期間に勝利し、証に立つことができる者たちは、最終的に完全にされる者である。彼らは勝利者である。この患難の間、人間はこの精錬を受け入れる必要があり、その精錬は神の働きの最後の実例である。それは、神の経営の働きが全て完結する前に人間が精錬される最後の時である。そして神に従う者は皆、この最後の試練を受け入れなければならず、この最後の精錬を受け入れなければならない。患難に煩わされる者には、聖霊の働きと神の導きがないが、真に征服され、神を真に追い求める者たちは、最終的に揺るぎなく立つであろう。彼らは、人間性を備え、神を真に愛する者たちである。神がどのように働こうが、これらの勝利者はビジョンを失うことがなく、証しを怠ることなく、なおも真理を実践するであろう。彼らは大いなる患難から最終的に脱け出す者たちである。」
「神の働きと人間の実践」より勝利者とは何か。勝利者とは真理のどのような現実を持つべきなのでしょうか。これをはっきり理解している者はいません。私たちの人間的な観念から見れば、私たちが主に一生懸命尽くし、主の御名ををしっかり守っていれば、最後には勝利者になるでしょう。しかし、これは全くの誤りです。勝利者であることについて神が仰せられていることを見てみましょう。黙示録14章4-5節にある通りです。「彼らは、女にふれたことのない者である。彼らは、純潔な者である。そして、小羊の行く所へは、どこへでもついて行く。彼らは、神と小羊とにささげられる初穂として、人間の中からあがなわれた者である。彼らの口には偽りがなく、彼らは傷のない者であった。」全能神が仰せられたことを見てみましょう。「神が勝者と呼ぶ者は、サタンの影響下に置かれ、サタンに包囲された時、つまり闇の軍勢の中にいる時でも、神の証しに立ち、神への確信と献身を維持できる者である。何があっても、あなたが依然として純真な心と神に対する真実の愛を維持できるのであれば、それは、あなたが神の前で証しに立っているということであり、それは神が言うところの勝者となることである。」(『言葉は肉において現れる』の「あなたは自らを神に捧げ続けなければならない」より)「災害の前に完全にされる者たちは神に従順である。彼らはキリストに拠り頼んで生活し、キリストを証しし、キリストを崇める。彼らは勝利した男児たちであり、キリストの良き兵士たちである。」(「キリストの初めの言葉──諸教会への聖霊の言葉」より)神の言葉から、勝利者とは子羊の足跡をしっかりたどる者、終わりの日の神の裁き、刑罰、試練、精錬を受けることによって真理を理解して神を知り、神を恐れ、悪を避けるようになる者たちであることがわかります。彼らはキリストが何を語られても、どのように働かれても完全に従い、彼らの神に対する忠誠は絶対的で比類のないものとなるでしょう。中共政府の残酷な迫害という恐ろしい状況の下で、彼らは神の創造物としての本分を果たしながら、神の御言葉を飲み食いし続けています。自らの試練や患難を通して、彼らは不満を言うことなく死に至るまで神に従い、神のために美しく力強い証しをするでしょう。この人々だけが、終わりの日の神の働きによって作られた勝利者なのです。黙示録で預言されたわずか144,000人の勝利した男子たちです。あなたたちは神の働きと神の性質について認識がありますか。サタンが人類をどのように堕落させているのか理解していますか。サタンの邪悪な本性と本質を見抜いていますか。サタンを本当に嫌っていますか。サタンの神に対する過激な反抗と非難を理解していますか。自分のサタン的な本性と本質について本当に自覚していますか。肉とサタンの権勢を克服しましたか。本当に神に従い、神を恐れ、悪を避けますか。神の本来の性質についてどれほど理解していますか。もし受肉された神が真理を表されたら、あなたたちは神の声を聞き、それゆえに神の働きに従うことができるでしょうか。もしこれらの真理の現実をどれも持っていなければ、あなたたちはどうして勝利者と呼ばれるでしょうか。神を知らない者たちは皆、神の受肉によって暴露されています。神が語られた真理は、真理を愛さない者たちをすべて明らかにしました。終わりの日の神の働きを受け入れない者たちは、神を知りません。彼らは傲慢で独善的で、サタンと同類です。どうして勝利者と呼ばれるでしょうか。勝利者になれるはずがありません。
中国における終わりの日の神の働きでは、赤い大きな竜の効力を用いて、勝利者たちを造ります。赤い大きな竜による迫害と劣悪な環境によってしか真の勝利者を造り出すことができないのは何故でしょうか。
終わりの日の神の裁きの働きは、最終的に勝利者たちの一群を造り、そうして聖書の黙示録の預言を完全に成就します。それでは、終わりの日の神の裁きの働きによってしか真の勝利者たちを造ることができないのは何故でしょうか。
「義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。」 (マタイによる福音書 5:10-11)
「また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。」(マタイによる福音書 10:28)
「自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう。」(マタイによる福音書 16:25)
「彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである。」(ヨハネの黙示録 7:14)
「ユダヤにおけるイエスの働きが完了した後、神は働きを中国本土に移し、もう一つ別の計画を創り出した。神はあなたがたにおいてその働きの別の部分を行う。つまり、神は言葉で人々を完全にする働きを行い、言葉を使って人々に多くの苦痛を体験させ、また多くの恵みを得させる。この働きの過程は、勝利者の集団を生み出し、神がその勝利者たちを創った後、彼らは神の業を証しできるようになり、現実そのものを生きることができるようになり、実際に神を満足させ、死に至るまで神に忠実でいることができ、このようにして神は栄光を受ける。」
「『千年神の国は訪れた』についての短い話」より「多くの場所で神は、スエネの地の勝利者の一団を得ると予言した。勝利者が得られるのは世界の東方なので、神の二回目の受肉が見られる場所は間違いなくスエネの地で、まさに赤い大きな竜がとぐろを巻いているところである。その地で神は赤い大きな竜の子孫を自分のものにするので、竜は完全に敗れ、辱められる。神はこれらの深く苦しんでいる人々を目覚めさせたがっている。彼らを完全に目覚めさせ、霧から外へ歩き出させ、赤い大きな竜を退けさせたがっている。神は彼らを夢から目覚めさせ、赤い大きな竜の本質を知らしめ、神に完全に心を捧げ、闇の力の抑圧から立ち上がり、世界の東方で立ち上がり、神の勝利の証明になることを望んでいる。そうなってようやく神は栄光を得るだろう。」
「 働きと入ること(6)」より「しるしや不思議が公然と行われない理由は、隠すためである。だから、わたしの働きは不信者によって見られることも、知られることも、発見されることもない。もしこの段階の働きが恵みの時代のイエスの働きのように行なわれたなら、それは今のように安定したものではなかったであろう。だから、働きがこのように隠されているのは、あなたがたにとっても、働き全体にとっても有益である。地上での神の働きが終わると、すなわち、秘密にされているこの働きが終わると、この段階の働きは広く公にされる。すべての人たちは中国に勝利者のグループがいることを知るだろう。肉となった神が中国にいて、神の働きが終わったことを知るだろう。その時初めて、人は理解し始めるのである。なぜ中国はまだ衰退や崩壊を見せていないのか。神が中国でその働きを自ら実行し、あるグループの人々を完全にして勝利者としたということが分かるのである。」
「受肉の奥義(2)」より「あなたがたは皆このような言葉を覚えているだろう。『このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。』あなた方は皆過去にこの言葉を耳にしたことがあるが、その言葉の真意を理解した者はひとりもいない。今日あなたがたは、この言葉の持つ真の意義をよく理解している。これらの言葉は終わりの日に神が成就するものである。そしてそれは、赤い大きな竜の横たわる地で、竜にひどく苦しめられている人々の上に成就する。赤い大きな竜は神を迫害する神の敵であり、よってこの地において神を信じる者たちは屈辱や迫害に晒されている。それ故、これらの言葉はあなたがた一群の中で実現するのだ。神に逆らう地において働きが行われるため、神のすべての働きは過度の妨害を受け、神の言葉の多くはすぐには達成されない。したがって、人々は神の言葉によって精錬される。これもまた、苦しみの要素である。赤い大きな竜の地で働きを実行することは神にとって非常に困難だが、神はこのような困難を通して、自分の働きのひとつの段階を行い、自分の知恵と不思議な業を明らかにする。神はこの機会を通して、この一群の人々を完全にする。人々の苦しみ、彼らの素質、そしてこのけがれた地の人々のサタン的なすべての性質故に、神はその清めや征服の働きを行うことで栄光を手にし、神の業の証に立つ人々を得るのだ。これこそが、神がこの一群の人々のために行った全ての犠牲のすべての意義である。つまり、神は自身に逆らう者たちを通して征服の働きを行うのだ。そうすることによってのみ、神の大いなる力が現わされるのだ。言い換えれば、けがれた地にいる者たちのみが神の栄光を受け継ぐに相応しく、これが唯一、このことによってのみ神の大いなる力を際立たせることができる。」
「神の働きは人間が想像するほど簡単か」より神様を信じ真理を求め、正しい道を歩んでいるからこそ、中国共産党の迫害と弾圧を受けています。これは意義あることなのです。神様は中共の悪魔政権を用いて勝利者を完全にし、真理を愛さないにせ信者を曝露して取り除きます。真の勝利者は中共の独裁政権のもとで生きながら、神様の言葉を真の信仰を持って経験し、残酷な迫害と弾圧を受けることで、悪魔サタンの正体がはっきり見えるので、サタンを憎み見捨て、神様に目を向け、救われて完全にされるのです!勝利者は、神様に反抗し神様の選民を迫害する悪魔中共の政権下という、特別な環境で作られますが、それこそが真の勝利者になるのです。中共の迫害や厳しい環境の中でも、本当に神様を求める者は、神様に従い本分を尽くし、真理のためなら危険を冒し、信仰が更に深まります。彼らは中共が正義を襲い悪を支え、無法で外道で反抗的な存在であると知り、人類を堕落させ踏みにじりむさぼる悪魔であると悟り、中共をさらに拒絶し、真剣に神様に目を向ける。悪の中共政権との対照によって、神様の義と聖さ、美しさと善がわかります。神様は人類を愛し救ってくださるのです。信徒たちは、神様への信仰と愛が強まり、心も神様に近づく。この勝利者達は悪の中共の闇の支配を生き抜き、証しをしています。彼らは大患難の中で神様に造られ、キリストの「苦難と御国と忍耐」に属する者達で、キリストの真の証人であり。ヨハネの黙示録に記されている十四万四千の勝利者であり、神様の御国に招かれ、永遠の命を授かる者達なのです。だから、中共から迫害されることには大変な意味があるのです。主イエスも言われています。「義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。」(マタイによる福音書 5:10-11)全能神は言われます。「あなたがたは皆このような言葉を覚えているだろう。『このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。』あなた方は皆過去にこの言葉を耳にしたことがあるが、その言葉の真意を理解した者はひとりもいない。今日あなたがたは、この言葉の持つ真の意義をよく理解している。これらの言葉は終わりの日に神が成就するものである。そしてそれは、赤い大きな竜の横たわる地で、竜にひどく苦しめられている人々の上に成就する。赤い大きな竜は神を迫害する神の敵であり、よってこの地において神を信じる者たちは屈辱や迫害に晒されている。それ故、これらの言葉はあなたがた一群の中で実現するのだ。」(「神の働きは人間が想像するほど簡単か」より)今は神様が勝利者を完全にできる最高の時で、中共が崩壊した時、勝利者達は大衆の中から立ち上がり、神様の勝利を証しします。神様の証しが最高潮に達すると、神様の国は地上に実現します。その時には神様の人類の救いは完了し、救われ完全にされる者はもう決まっているのです。その時まで待っていたら、勝利者にされる機会を逃してしまい、証しをすることもなく、神の国にも入れません。生き残っても、単なる「効力者」とみなされ、天国には入れません。
「わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。」 (ヨハネによる福音書 16:12-13)
「たとい、わたしの言うことを聞いてそれを守らない人があっても、わたしはその人をさばかない。……わたしを捨てて、わたしの言葉を受けいれない人には、その人をさばくものがある。わたしの語ったその言葉が、終りの日にその人をさばくであろう。」(ヨハネによる福音書 12:47-48)
「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者には、神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べることをゆるそう。」(ヨハネの黙示録 2:7)
「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者は、第二の死によって滅ぼされることはない。」(ヨハネの黙示録 2:11)
「終わりの日の働きとは、時が近づき神の日が来たので、神の経営(救いの)計画を完成させるべく、その者の性質に応じて全ての人を分けることである。神はその国に入った者、すなわち神に最後まで忠実であった全ての者たちを神自身の時代に連れて来る。しかし、神自身の時代が来る前に、神がしたい働きとは、人の行為を観察したり、人の生活について尋ねたりすることではなく、人の神に対する背きを裁くことである。なぜなら、神は自分の玉座の前に来る者全てを清めるからである。今日まで神に付き従ってきた全ての者は、神の玉座の前に来た者であるから、神の最後の働きを受け入れる全ての者が、神によって清められる者である。すなわち、神の最後の働きを受け入れる全ての者が、神の裁きを受けることになる者である。」
「キリストは、真理を以て裁きの働きを行う」より「終わりの日には、キリストはさまざまな真理を用いて人を教え、人の本質を明示し、その言葉や行為を解剖する。こうした言葉には、人の本分、人はいかに神に従うべきか、人はいかに神に忠実であるべきか、いかに正常な人間性を生きるべきか、そして神の知恵と性質など、さまざまな真理が含まれる。これらの言葉は、みな人の本質とその堕落した性質に焦点を当てている。とりわけ、いかに人が神を拒絶するかを明らかにする言葉は、人がサタンの化身であり、神に敵対する力であることを語っている。神が裁きの働きを行う際、神はほんの数語で人の本性を明示するのではなく、長期にわたって暴き、取り扱い、刈り込みをする。そうした暴き、取り扱い、刈り込みは、通常の言葉に置きかえることはできず、人が持つことなどない真理でしか置きかえられない。そうした働きのしかたのみが裁きとみなされる。そうした裁きを通じてのみ、人は説得され、神への服従に完全に納得し、神の真の認識を得ることができる。裁きの働きがもたらすものは、人による神の真の顔の理解と、自らの背きに対する真の理解である。裁きの働きにより、人は神の心、神の働きの目的、それまで人には理解できなかった奥義について大いに理解できるようになる。また、人が自分の堕落した本質と堕落の根源を認識し理解し、人の醜さを発見するようになる。これらの効果は全て、裁きの働きによりもたらされる。というのも、裁きの働きの本質は、実際に神を信じる全ての者に、神の真理、道、いのちを開く働きだからだ。」
「キリストは、真理を以て裁きの働きを行う」より人は終わりの日に神の裁きの働きを受けることによってのみ、真の勝利者となれます。全能神は終わりの日に人の姿になられ、中国にひそかに到来し、神の家から始まる裁きの働きをなさります。人類を清めて救う真理をすべて表されています。人類の堕落の実相、神に反抗するサタン的な本性を裁いて明らかにし、神の不可侵の義なる性質、神の全能性と知恵を人類に明らかにされます。裁きと刑罰、刈り込みと取り扱い、神の言葉の試練と精錬を経験した後、私たちは、サタンに深く堕落させられていることの醜さ、本質、実相を自覚します。私たちは傲慢で独善的、野心的で、物事を盲目的に判断します。利己的で卑劣で、よこしまで不実です。真理を嫌います。神についての観念や想像に満ちており、いつでも神に反抗し裏切りかねません。サタンの後裔で神に逆らう種類です。神の救いを得て神の御前に生きる資格などまったくありません。それでも皆、神の言葉が真理であると実感し、それを心から信じており、跪かされます。私たちは、神の聖さが汚れを許さず、神の性質が不可侵であることがもっと理解できています。こうして私たちは神に真の崇敬の念を抱き、神に従って御言葉によって生きることができるようになります。神の裁きと刑罰の過程において、私たちはサタンの暗黒の権勢を克服したことの様々な力強い証しをします。特に、中共政府による残酷な迫害の中で証しをした者たちがいます。勝利者たちのこのような証しは、終わりの日の全能神の裁きの結晶です。神は中国本土で勝利者の一団を作りました。これは事実であり、その証拠は疑いの余地がありません。
「神は裁きと刑罰の働きを行うが、それは人が神についての認識を得られるようにであり、また神の証しのためである。人の堕落した性質を神が裁くことなしには、犯すことを許さない神の義なる性質を人は知ることはできず、神についての古い認識を新しいものに変えることもできない。神の証しのため、そして神の経営(救い)のため、神はそのすべてを公けにし、そうすることで、神の公的な出現を通して、人は神についての認識に到達することができ、その性質において変えられ、神のはっきりとした証しを立てられるようになる。人の性質の変化は、さまざまな種類の神の働きを通して成し遂げられる。このような性質の変化なしには、人は神の証しを立てることはできず、神の心にかなうこともできない。人の性質の変化とは、人がサタンの束縛と闇の影響から解放され、真に神の働きの見本であり標本、神の証人、神の心にかなう者になったことを意味する。」
「神を知る者だけが神に証しを立てることができる 」より「三つの段階の働きが終わるとき、神を証しする者たちの一集団、つまり神を知る者たちの一団が作られる。この人たちはみな神に対する認識があり、真理を実行することができる人たちである。彼らには人間性と理知があり、皆三つの段階の救いの仕事を認識している。これが最後になし遂げられる働きであり、この人たちは6000年にわたる経営(救い)の働きの結晶であり、最終的にサタンを打ち負かした最も有力な証しである。神を証しすることができる者は、神の約束と祝福を受けることができる上に、最後の時に残り、神の権威を持ち、神を証しする一団になるだろう。」
「その時わたしは、大きな声が天でこう言うのを聞いた、『今や、われらの神の救と力と国と、神のキリストの権威とは、現れた。われらの兄弟らを訴える者、夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者は、投げ落された。兄弟たちは、小羊の血と彼らのあかしの言葉とによって、彼にうち勝ち、死に至るまでもそのいのちを惜しまなかった。』」 (ヨハネの黙示録 12:10-11)
では、最後の日に、神様によって完全にされたそれらの勝利を得る者は、何に基づいて勝利を得る者と定義されるのでしょうか。それらの人たちは栄光ある目覚しい証を立てたからです。これらの栄光ある目覚しい証とは何でしょうか。この厳しい状況下で、サタンが熱狂的に神様の選民を迫害している厳しい環境の中で、証に堅く立ち、神様に従い続け、自らの本分をいつもどおり尽くし、本分を尽くしながら真理を追求し、最終的に自分の働きを実行している時に原理を守り、多くの試練に直面しながらも神様の側に立ち、躓かず、サタンに囚われず、最後まで忍耐を持って尽くす、そのような人たちが勝利を得る者、そのような証が勝利を得る者の証なのです。例をあげましょう。例えば戦いがあって、丘の上に連隊が詰めているとします。敵は十数回ほど攻撃を仕掛けましたが、彼らは全て追い返され、連隊は最終的に勝利を得ます。しかし、その一部隊しか生き残らず、他は全員戦死してしまいました。答えてください。この部隊は最終的な勝利者ではありませんか。ですから、最後の最後まで彼らの神様への信仰と神様の御働きの体験にしたがい、忍耐を持って尽くす人たち、大患難が着くまで忍耐を持って尽くす人たち、これらの人たちは勝利を得る者となるのです。この期間中、彼らは数々のサタンからの誘惑や攻撃や迫害に耐えながらも、彼らは躓かず、彼らはまだ立っているのす。これらが勝利を得る者なのです。これらの人たちは最後まで戦い、彼らはまだその守備を維持し、神様に御満足いただけるよう自分の本分を尽くしました。これらが勝利を得る者なのです。貴方は理解できますか。ある人はこう言うかも知れません。『では、忍耐を持って最後まで尽くす者が勝利を得る者になるのですね。』それでもこれは正しい解釈ではありません。このような人たちは多くの試練を体験しなければならず、これらの試練に耐え抜いたから勝利を得る者となるのです。……ある者はサタンによって逮捕され、告発され、刑にかせられました。これらの人たちは何の悔い改めの手紙にサインせず、妥協せず、数年間刑務所に入れられてから釈放され、彼らは堅く立って証を立てました。ある者はその夫に放棄され、子供たちに立ち去られましたが、それでも彼らは堅く立ち、倒れず、最後まで神様に従いました。これらの者が勝利を得る者となるのです。彼らの人たちはあらゆる職業や立場から来て、彼らはあらゆる状態に直面し、それでも幾つ試練に直面しても、彼らは張り倒されず、彼らは堅く立ちました。これらの人たちは忍耐を持って最後まで自分の本分を尽くしました。彼らは自分の本分を尽くしている間にも真理を追求し、真理を受け入れました。彼らの観念は消え続け、彼らの抵抗は衰え続け、彼らの葛藤は縮み続け、最終的には、彼らは葛藤の欠片も無く、観念の欠片も無く、キリストと適合できたことを感じます。彼らは勝利を得る者となるのです。
「神がこの会衆を選び獲得するであろうことは、以前に語られていた。神によってあなたがたの内に遂行される業が大きければ大きいほど、あなたがたの神に対する愛は一層深く純粋なものとなる。神の業が大きければ大きいほど、人は神の知恵を一層味わうことが出来るようになり、神に関する認識もより深くなる。終わりの日には、六千年におよぶ神による経営(救いの)計画が終焉を迎える。それがそんなふうに、そうもたやすく終わってしまうなどということがあろうか。神が一たび人類を征服すれば、神の業は終わるのであろうか。それはこれほど単純なものであろうか。人々は、それを単純なものであると想像しているが、神が為すことは、それほど単純なものでは無い。神の業のどの部分であるかに関わらず、いずれも人間にとっては測り知れないものである。仮にあなたが神の業を推し量ることが出来るとしたら、神の業の意義、あるいは価値は失われてしまうであろう。神によって為される業は測り知れないものであり、あなたの見解とは余りにも相容れないものである。そして、それがあなたの観念と一致しなければしないほど、神の業は有意義であることが一層示されるのである。それがあなたの観念と一致するならば、それは無意味なものとなるであろう。現在、あなたは神の業が驚異的でありすぎると感じ、驚異的であればあるほど、あなたは神が測り知れないものであると一層強く感じ、神の業がどれほど遠大であるかを理解するのである。仮に、神が人間を征服するために、何か表面的で、いい加減なことだけを為して、それで終わりだとしたら、人間は神の業の意義をその目で見ることが出来ないであろう。あなたは今少しばかりの精錬を受けているが、それは、あなたのいのちの成長のために極めて有益なものである── それ故そうした困難はあなたがたにとって最も必要とされるものである。今日、あなたは少しばかりの精錬を受けているが、後になればほんとうに神の業をその目で見ることができ、最終的に『神の業は実に驚くべきものだ』と言うであろう。あなたは、心の中でそう呟くであろう。しばらくの間神の精錬(効力者の試練と刑罰の時代)を体験して、ある人々は最終的に『神を信じることは、実に難しい』と言った。この『難しい』という言葉は、神の業が測り知れないものであることを示している。また、神の業には大きな意義と価値があり、人間により宝として大切にされるに相応しい高い価値があることを示している。もし、わたしが多くの業を行った後で、あなたに少しも認識が無かったとしたら、それでもわたしの業には価値があるであろうか。それはあなたにこう言わせるだろう。『神への奉仕は実に困難だ、神の業はほんとうに驚くべきものであり、神には真に知恵がある。神は実に麗しい。』もしある期間の体験を経た後に、あなたがこのような言葉を言うことが出来るのであれば、それは、あなたが、自分の内なる神の業を得た証拠である。いつの日か、あなたが海外で福音を広めている時に、誰かが『あなたの神への信仰はどのようなものか。』と尋ねたら、あなたは『神の行うことは実に素晴らしい。』と言えるようになるであろう。あなたがそう言うのを聞いた途端、その者は、あなたの内には何かがあり、神の行うことはほんとうに測り知れないものであることを感じとるであろう。これこそが、ほんとうに証しするということである。あなたは、神の業は知恵に満ち、あなたの内なる神の業は、真にあなたを確信させ、あなたの心を征服した、と言うであろう。あなたは常に神を愛するであろう。なぜなら神は、全てにまさって、人類の愛を受けるに相応しい方であるからだ。もしあなたが、こうしたことを証しすることが出来れば、あなたは人々の心を動かすことができる。こうしたことは、全て証しを立てるということである。もしあなたが確固とした証し人となり、涙を流すほど人々を感動させることが出来るならば、それは、あなたが真に神を愛する者であることを示している。それは、あなたが神への愛の証し人として行動でき、あなたを通して神の働きを表現することが出来るからである。そして、あなたの表現を通して、他の人々は神の業を探し出し、神を経験し、また、彼らの置かれたあらゆる環境において揺るぎなく立つことが出来る。このように証しをすることのみが、真に証しすることであり、まさにこれこそが現在のあなたに必要とされるものである。あなたは、神の働きは極めて貴重であり、人々によって宝として大切にされる価値があると言うべきである。また、神はそれほど貴重な方であり、全てに満ちみちた方であり、神は語ることが出来るだけでなく、更に、人々の心を精錬し、彼らに喜びをもたらし、彼らを自分のものとし、征服し、完全にすることができると言うべきである。あなたは、自らの経験から、神がとても愛すべき存在であることを知るであろう。それでは、あなたは今、どのぐらい神を愛しているだろうか。あなたは、心からこれらの事を言えるであろうか。これらの言葉を心の底から表現できる時、あなたは証しすることが出来るようになるであろう。一たびあなたの経験がこの段階に達すれば、あなたは神の証し人になることができ、その資格を得るであろう。自分の経験においてこの段階に達していないなら、あなたはまだ、そこから遠く離れているであろう。精錬される中で人々に弱点があるのは普通のことであるが、精錬された後には、『神はその業においてほんとうに知恵を持っておられる。』と言うことが出来るであろう。あなたが、ほんとうにこのことを実際に認識することができれば、それは貴重なことであり、あなたにとって、価値ある体験である。」
「完全にされる者は精錬されることを体験しなければならない」より「あなたは、最終的にどんな証しをすることを求められるのだろう。あなたは汚れの地に住んでいるが、聖くなることができ、もはや汚れておらず、不純なものもなくなる。あなたはサタンの支配下に住んでいるが、サタンの影響から脱け出すのだ。もはやサタンに所有され、悩まされることもなく、全能者の手の中で生きる。これがその証しであり、サタンとの戦いに勝利した証拠である。あなたはサタンを捨てることができる。あなたが生きて実現したことは、サタンを明らかにするのではなく、神が人間を創造したとき、人間が達成するよう求めたものを明らかにする。すなわち、普通の人間性、普通の理知、普通の見識、神を愛そうという普通の意思、そして神への忠誠だ。これこそが神の創造物が為す証しである。あなたは言う。『私たちは汚れの地に住んでいるが、神の守りの故に、神の導きの故に、また、神が私たちを征服した故に、サタンの影響を振り払った。私たちが今日従えるのもまた、神に征服されたことの効果であり、これは私たちが良いからではなく、また、私たちが自然に神を愛したからでもない。私たちが今日征服されており、神について証しでき、神に仕えられるのは、神が私たちを選び、私たちを予め定めたからである。また、神が私たちを選び、私たちを守ったから、私たちは救われ、サタンの支配から助け出され、赤い大きな竜の国にあって、汚れを捨てて清められることができるのだ。』」
「征服の働きの内なる真実(2)」より「神が人々に対して行う働きのあらゆる段階で、物事があたかも人の手配で生まれたかのようであり、あるいは人の干渉から生まれたかのようであり、外面的には人々の間の相互作用のように見えるかもしれないが、舞台裏では、働きのあらゆる段階、起こるすべてのことは、神の面前でサタンが作った賭けの対象であり、人々は、神に対する証しにしっかりと立つことが要求される。ヨブが試練に会った時のことを例にとってみよう。秘かにサタンは神と賭けをしており、ヨブに起こったことは人間の行為であり、人間による干渉であった。神があなた方に対して行うすべての段階の背後にはサタンと神との賭けがある── その背後にはすべて戦いがある。例えば、あなたが兄弟姉妹に対して偏見を持っているなら、あなたには言いたい言葉── 神にとって不愉快かもしれないとあなたが感じる言葉── があるだろうが、心の中ではあなたにとって言わずにいるのは難しいことである。そしてこの時、あなたの心の中には戦いが始まる。私は話すべきか否か。これは戦いである。従って、すべての中に戦いがあり、あなたの心の中に戦いがある時、あなたの実際の協力と実際の苦しみのおかげで、神はあなたの中で働く。結局、心の中であなたは問題を脇にどけておくことができ、怒りは当然消滅する。それが、あなたが神に協力した結果である。あなたが行うすべてはあなたが一定の代償を努力で支払うことを要求する。実際の困難がなければ、あなたは神も満足してもらうことはできないし、神に満足してもらうことに近づくことさえなく、それらは空虚なスローガンに過ぎなくなる。これらの空虚なスローガンは神に満足してもらうことができるだろうか。神とサタンが霊的領域で戦う時、あなたは神に満足してもらうためにどうすべきか、どのように固く証しに立つべきだろうか。あなたは自分に起こることのすべては大いなる試練であり、その試練の時に神があなたの証しを必要とすることを知るべきである。外面的には大したことではないように見えるかもしれないが、これらのことが起こると、あなたが神を愛しているかどうかが示される。愛していれば、あなたは神への証しに固く立つことができるが、神への愛を実践に移さなければ、これはあなたが真理を実践しない人であること、あなたには真理もなくいのちもないこと、あなたは無用の物であることが示される。人々にすべてが起こるのは、彼らが神に対する証しに固く立つことを神が必要とする時である。当面、あなたには重要なことは何も起こっていないし、あなたは重大な証しはしていないが、あなたの毎日の生活の詳細はすべて神への証しに関連している。あなたが兄弟姉妹、あなたの家族、あなたの周囲のすべての人から称賛を得られたら、また、いつか不信心者が来て、あなたの行うことのすべてを称賛し、神の行うすべては素晴らしいことがわかったら、その時、あなたは証しをしたことになるのである。あなたには洞察力がないし、能力は乏しいが、神があなたを全き者とすることによって、あなたは神に満足してもらうことができ、神の心に留意することができる。他の人々は、最も能力の乏しい人々に神がとても偉大な働きを行ったことがわかるだろう。人々は神を知るようになり、サタンの前で克服者になり、ある程度神に忠実になる。この一群の人々ほど気骨を持っている人はいないだろう。これが最大の証しである。」
「神を愛することだけが本当に神を信じることである」より「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。勝利を得る者には、神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べることをゆるそう。」(ヨハネの黙示録 2:7)
「勝利を得る者には、隠されているマナを与えよう。また、白い石を与えよう。この石の上には、これを受ける者のほかだれも知らない新しい名が書いてある。」(ヨハネの黙示録 2:17)
「勝利を得る者は、このように白い衣を着せられるのである。わたしは、その名をいのちの書から消すようなことを、決してしない。また、わたしの父と御使たちの前で、その名を言いあらわそう。」(ヨハネの黙示録 3:5)
「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいます。」(ヨハネの黙示録 21:3)
「わたしは今、わが民の間を歩き回り、わが民の中で生きている。今日、わたしに本物の愛を抱いている者たちは幸いである。わたしに服従する者は幸いである。その人たちは必ずや、わたしの国にとどまるであろう。わたしを知る者は幸いである。その人たちは、必ずや、わたしの国で権力を振るうであろう。わたしを追い求める者は幸いである。その人たちは必ずやサタンの束縛から逃れ、わたしの中にある祝福を享受するであだろう。自らを捨てることのできる者は幸いである。その人たちは、必ずやわたしのものとなり、わたしの国の富を相続するであろう。わたしのために走り回る者を、わたしは記念し、わたしのために尽くす人を、わたしは喜んで抱こう。わたしに捧げ物をする人に、わたしは喜びとなるものを与えよう。わたしの言葉に喜びを見出す者を、わたしは祝福する。その人たちは必ずや、わたしの国の棟木を支える柱となるであろう。その人たちは、必ずやわたしの家で何ものにも及ばない豊かさを得、彼らに並ぶものは一人もいない。あなたがたは、自分に与えられた祝福を受け入れたことがあるか。あなたがたは、あなたがたのために結ばれた約束を求めたことがあるか。あなたがたは、必ずや、わたしの光の導きの下、闇の力の要塞を打ち破るだろう。あなたがたは、闇のただ中にあっても、あなたがたを導く光を絶対に見失いはしないだろう。あなたがたは、必ずや、すべての被造物の主人となる。あなたがたは、必ずや、サタンの前で勝利する。あなたがたは、必ずや、赤い大きな竜の国が滅びるとき、無数の大衆の中で立ち上がり、わたしの勝利を証しするであろう。あなたがたは、必ずや、秦の国にあって、決意を固くし、揺るぐことがないだろう。あなたがたの耐え忍ぶ苦しみによって、あなたがたはわたしからの祝福を相続する。そして、必ずや、全宇宙にわたしの栄光を輝かせるだろう。」
「全宇宙への神の言葉」の「第十九章」より「神を証しできるので、すべての努力を神の働きに捧げられるので、真に神を愛する者は天下のどこを歩いてもあえて敵対しようとする者がいない。また、地において力を振るい、神の民みなを支配できる。こうした人々は世界中からやって来る。話す言葉は違い、肌の色も異なっているが、その存在は同じ意味を持っている。彼らには神を愛する心があり、みな同じ証しをし、同じ決意を持ち、同じことを願っている。神を愛する者は世界中を自由に歩くことができ、神を証しする者は、全宇宙を旅できる。こうした人々が、神の愛する者であり、その人たちは神の祝福を受けており、神の光の中で永遠に生きる。」
「神を愛する者たちは永遠に神の光の中に生きる」より「神の国の中の勝利者たちは、彼らの様々な役割と証しに基づいて祭司として、あるいは信者として仕えるであろう。また患難のただ中で勝利した者たちは、みな神の国で祭司の集団となるであろう。祭司の集団は全宇宙における福音の働きが終わった時に形成されるであろう。その時が到来すると、人間がなすべき事は、神の国において自分の本分を尽くし、神と共に神の国で生活することとなるであろう。祭司の集団の中には、祭司長と、祭司がいて、それ以外の者は神の子、神の民となるであろう。これは全て患難の間の神への証しにより決定される。それらは気まぐれで与えられた称号ではない。一旦人間の地位が確立すれば、神の働きは停止する。なぜなら、各人が種類に従って分類され、彼らの本来の地位に戻され、それは神の働きの成果のしるしであり、神の働きと人間の実践の最終結果であり、また神の働きのビジョンと人間の協力との結晶だからである。最後に人間は神の国で安息を得て、神もまた自らの住まいに戻って休息を得るであろう。これが神と人間の六千年におよぶ協力の最終結果である。」
「神の働きと人間の実践」より「一旦、征服の働きが完了すると、人類は美しい世界に連れて行かれる。もちろん、この生活はまだ地上にあるが、現在の人間の生活とは全く違う。それは全人類が征服された後の生活であり、それは地上の人間にとって新しい始まりとなり、人類がそのような生活を送ることは、彼らが新しく美しい領域に入ったという証拠となるであろう。それは地上における人と神の生活の始まりとなる。そのような美しい生活の前提として、人は清められ征服されたあと、造り主の前に服従する。それゆえ、征服の働きとは、人類が素晴らしい終着点に入る前の、神の働きの最終段階である。そのような生活は地上における人類の未来の生活であり、それは地上で最も美しい生活、つまり人が待ち焦がれていたような生活であり、世界史上、人が決して達成したことのないような生活である。それは六千年の経営(救い)の働きの最終的結果であり、人類が最も待ち望んでいたものであり、それはまた、神が人間に約束していたものでもある。」
「人間の正常な生活を回復し、素晴らしい終着点に連れて行くこと」より