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説教と交わり:愚かなおとめたちはなぜ露わにされ、取り除かれるのでしょうか

「いわゆる『賢いおとめ』とは、神の声を聞き分けることができ、『花婿』の声を聞き分けることができ、それ故キリストを受け入れて従うことができ、そうして実際の神を家に連れて行くことができる者たちのことを表しています。『愚かなおとめ』は『花婿」の声を知らず、神の声を聞き分けられないので、キリストを拒絶します。彼らは漠然とした神にまだ希望を置いているので、見捨てられ、排除されます。したがって、神への真の信仰なしにキリストを受け入れることは非常に難しいことが分かります。キリストを受け入れることを拒む者は『愛されている者の婚礼の祝宴』を逃し、主によって天の御国にある家に連れて行かれることはなく、神が人類のために用意された場所に入ることができません。だから、終わりの日のキリストを受け入れ、キリストの働きに従うことができるかどうかは、神への信仰において人々が成功するか失敗するかを決定する上で非常に重要な要素なのです。」

『兄弟の交わりと説教』の「宗教界は何故神に仕えながらも常に神に反抗してきたのか」より

「賢明なおとめたちが主の御声を識別することができるのは、もっぱら彼女たちが真理を愛し、真理を追求する人々だからです。彼女たちは神の出現を渇望しています。それ故に、彼女たちは主の到来を求めることができ、それを検証することができるのです。彼女たちは主の御声を聞き分けることができます。愚かなおとめたちは真理を愛さないので、主の到来を求めたり、検証したりはせず、ただ頑なに規則に執着するだけです。彼らの中には、雲に乗って到来する主でなければ、受け入れも調べもしない人たちもいます。その他の人たちは、完全に宗教界の牧師や長老たちの言いなりになっています。彼らは、牧師や長老たちが言うことなら何でも聞き従います。彼らは名目上は主を信じていますが、実際は牧師や長老たちにつき従っています。彼らは、自ら真理の道を検証しようとせず、主の御声を聞き分けることもできません。また、もっと愚かな人たちもいます。終わりの日に現れる偽キリストたちがいるので、その人たちは、真のキリストを求めないばかりか、キリストを否定し、罪に定めます。これは自分で自分の首を絞めるようなものではないでしょうか?これは、食事をして喉を詰まらせたのに懲りて食事をしないのと同じではないでしょうか?また、これこそが愚かなおとめの兆候『しるし』なのです。」

脚本の質問への回答より 

「主イエスは、主が再臨される時、2種類の人間が存在すると預言され、恵みの時代の信者全体について、賢いおとめたちと、愚かなおとめたちのたとえを用いられました。神の声を聞く事ができる者は、すべて賢いおとめたちであり、声を聞きつつそれを拒み、信じない者は、すべて愚かなおとめたちです。あなたがたは、愚かなおとめたちも、皆携挙されると考えているでしょうか。無論、そう考えてはいないでしょう。それでは、こうした愚かなおとめたちと賢いおとめたちは、どのようにして明らかにされるか、というと、神の御言葉を用いて明らかにされます。「『言葉は肉において現れる』という本があるので、これらの言葉を読んで、どう思うか検討し、確かめるとよいだろう。』幾人かの平凡な信者たちはそれを読んだ後にこう言います。『なんと深い御言葉だろうか。この御言葉には真理がある。』『もう一度慎重に読んでください。』『これは普通の人間に語れることではなく、神から出ていることのように思われます。』『もう一度慎重に読んでください。』『これは神の声だ。これらの言葉が人間に由来するはずがない。』分かりますか。こういう人は祝福されています。彼らは賢いおとめなのです。愚かなおとめとは、牧者であったり、長老であったり、宣教者であったり、空腹を満たすことだけを望む、当惑した信者であったりします。彼らは神の御言葉を読み終えて、どう感じるでしょうか。『なるほど。これらの言葉は私の観念や想像に則していないから、私は受け入れない。」そして、再度精読した後言います。『なるほど。真理であるかのように思われる部分もあるが、それはあり得ない。これは神の言葉であるはずがない。』このように、神の御言葉は、またもや彼らの観念や想像には則しません。何度か「なるほど』と言った後、彼らはこう言います。『これは神の言葉ではないから受け入れられない。これは偽物だ。偽キリストが人々を惑わそうとしている。それを信じてはならない!』これはどのような種類の人間でしょうか?これはパリサイ人、すなわち愚かなおとめではないでしょうか。賢いおとめたちと愚かなおとめたちは、どのようにして明るみに出されるのでしょうか?彼女たちを明るみに出すのは神の御言葉です。人間を分類し、それぞれの範疇に分けるのは、終わりの日の神の御言葉であり、その後、神は善人に報い、悪人を罰し始められます。

『命に入ることに関する交わりと説教』の(第百三十三)より

「神が今日このように振る舞うことは現実的でないでしょうか?これはイエスが羊と山羊のたとえで述べられたことを裏付けており、現実的です。羊は山羊とどのように区別されるのでしょうか。それは、誰が神の声を聞き分けられ、イエスの再臨を受け入れられるかに拠ります。主は言われました。『あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである』。これらの人々は最終的に救われ、一方、神を受け入れない者、神を信じていても神を認めない者たちは排除されます。このことは、今日、宗教界全体が神の再臨を受け入れていないという事実を指しているのではないでしょうか。受け入れた私たちは片方に立ち、彼らはもう片方に立っているのです。このようにして真の信者と偽の信者、主を受け入れた者たちと受け入れていない者たち、神の声を認める人々と認めない人々が区別されるのです。神の受肉という事実を通して神が人間を明らかにすることには、偉大な知恵が隠されており、これこそが神の全能、神の知恵と呼ばれるものです。ある日、これらの人々が守られ、神の国に入るとき、宗教界の有力者や牧師たちが非難したら、神はどのように応答されるでしょうか。主イエスの五人の賢いおとめと五人の愚かなおとめの預言的なたとえを用いて返答されるかもしれません。さて、彼女たちはどのように区別されたのでしょうか。夜中に花婿の声を聞いたのが賢いおとめであり、聞かなかったのが愚かなおとめです。したがって、受肉の神が終わりの日に神の言葉を表されるとき、賢いおとめとは、神の声を聞き、認める者のことです。そして愚かなおとめとは、排除される者であり、神の声を聞いてもそれを神の声、神の言葉として認めず、受け入れるのを拒否する者のことです。これは、イエスがこれらの預言的なたとえで語られた事を成就しているのではないでしょうか。神の働きは人を最大限に露わにし、神の働きの方法は何よりも賢明です。このような働きを通してのみ、神の義が明らかにされ、神の聖が明らかにされ、神の全能が明らかにされるのです。」

『全能神を信じることによってのみ人は救われる』の「福音を広めることに関する様々な場所からの質問への回答」より

「賢いおとめたちと愚かなおとめたちは、どのようにして明るみに出されるのでしょうか?神の御言葉により明るみに出されます。人間を分類し、それぞれの範疇に分けるのは、終わりの日の神の御言葉であり、その後神は善人に報い、悪人を罰し始められます。神はどのようにして善人に報いられるのでしょうか?賢いおとめたちは、神と対面し、神と共に食事をするでしょう。彼女たちは最終的に清められ、完全にされます。それが報いを受けるということであり、それは神からの報いであり恵みなのです。愚かなおとめたちが何年主を信じるか、どれほど神のために自らを費やすか、どれほどの苦難を受けるかは、関係ありません。彼女たちは、神の御言葉を否定し、拒み、終わりの日における神の御業を受け入れず、また花婿が到来する時、それに受け入れないので、排除され、暗闇に落ちて泣き叫び、歯ぎしりするでしょう。これは何と呼ばれているでしょうか?それは邪悪な者どもへの罰と呼ばれています。終わりの日における神の御業を拒絶し、否定し、逆らう者はみな、神によって暗闇の中に取り残されるでしょう。彼らは大いなる災いに陥るでしょう。それが彼らに対する罰ではないでしょうか。現在、私たちはみな全能神と顔を合わせ、毎日神の御言葉を飲食し、神の道に関する話を聞いて話し合い、真理について交わっています。これは神が私たちに授けられた報いであり、恵みではないでしょうか。これは神が賢いおとめたちに与えられた報いです。」

『命に入ることに関する交わりと説教』の(第百三十三)より

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