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終わりの日のキリストの証人

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45.救われ、完成された人々に対する神の約束は何か。

神の言葉

わたしは今、わが民の間を歩き回り、わが民の中で生きている。今日、わたしに本物の愛情をもっている人々は幸いである。わたしに服従する者は幸いである。その人たちは必ずや、わたしの国にとどまる。わたしを知る者は幸いである。その人たちは、必ずや、わたしの国で権力を持つであろう。わたしを追い求める者は幸いである。その人たちは必ずやサタンの縛めを逃れ、わたしの内に祝福を楽しむだろう。自らに背くことのできる者は幸いである。その人たちは、必ずやわたしのものとなり、わたしの国の富を相続するであろう。わたしのために走り回る者を、わたしは覚え、わたしのために自ら持つものを費やす人を、わたしは喜んで抱こう。わたしに捧げ物をする人に、わたしは喜びとなるものを与えよう。わたしの言葉に喜びを見出す者を、わたしは祝福する。その人たちは必ずや、わたしの国の棟木を支える柱となる。その人たちは、必ずやわたしの家で何物も及ばない富を得、並びなき者となる。あなたがたは、与えられた祝福を受け入れたことがあるか。あなたがたは、自分に対して結ばれた約束を探したことがあるか。あなたがたは、必ずや、わたしの光の導きの下、闇の力の拘束を打ち破るだろう。あなたがたは、絶対に、闇のただ中にあって、あなたがたを導く光を失いはしないだろう。あなたがたは、必ずや、すべての被造物の主人となる。あなたがたは、必ずや、サタンの前で勝利する。あなたがたは、必ずや、赤い大きな竜の国が滅びるとき、無数の者たちの中で立ち上がり、わたしの勝利を証しする。あなたがたは、必ずや、秦の国にあって、堅固で揺るぎないだろう。あなたがたの耐え忍んだ苦しみによって、あなたがたはわたしからの祝福を相続する。そして、必ずや、全宇宙においてわたしの栄光に輝くだろう。

『言葉は肉において現れる』の「十九番目の言葉」より

神を証しできるので、すべての努力を神の働きに捧げられるので、真に神を愛する者は天下のどこを歩いてもあえて敵対しようとする者がいない。また、地において力を振るい、神の民みなを支配できる。こうした人々は世界中からやって来る。話す言葉は違い、肌の色も異なっているが、その存在は同じ意味を持っている。彼らには神を愛する心があり、みな同じ証しをし、同じ決意を持ち、同じことを願っている。神を愛する者は世界中を自由に歩くことができ、神を証しする者は、全宇宙を旅できる。こうした人々が、神の愛する者であり、その人たちは神の祝福を受けており、神の光の中で永遠に生きる。

『言葉は肉において現れる』の「神を愛する者たちは永遠に神の光の中に生きる」より

神の国の中の克服者は、様々な役割と証に基づいて祭司として、あるいは信者として仕えるであろう。また苦難を克服した者は、全て神の国で祭司となるであろう。祭司の集団は、宇宙全体における福音の業が終わった時に結成されるであろう。その時が到来すると、人間がなすべき物事は、神の国において自分の本分を尽くし、神と共に神の国で生活することとなるであろう。祭司の集団には、長たる祭司と、祭司が居て、それ以外の者は神の子、神の人々となるであろう。こうしたことは、苦難の時における神に対する証により判断される。そうした地位は、気まぐれで与えられたものでは無い。人間の地位が確立した後、神の業は停止する。なぜなら、各人が分類され、元来の地位に戻されるが、それが神の業の成果のしるしであり、神の業と人間の実践の最終結果であり、神の業のビジョンと人間の協力の結晶だからである。結局、人間は神の国で平穏を得て、神もまた自らの生活場所に戻って休息を取るであろう。これが、神と人間の6000年におよぶ協力の最終結果である。

『言葉は肉において現れる』の「神の業と人間の実践」より

神に完全にしてもらうことができる人たちは、神から祝福や受け継いだものを受け取ることのできる人たちである。すなわち、そのような人たちは、神が所有するものそして神という存在を取り入れる。そうすることによって取り入れたものが彼らが内部に持つものとなる。すなわち、彼らは、神の言葉が彼らの中に組み入れたものすべてを、所有している。神という存在が何であれ、あなたがたは、その存在のすべてをまさにそれがあるがままに受け入れることができる。そうすることによって、真理を実現することができる。これが、神によって完全にされ、神のものとされた人の姿である。そのような人だけが、神が授ける祝福を受け継ぐ資格がある。すなわち、以下に示されるようなものである。

1. 神の愛のすべてを受け取ること

2. あらゆる事柄において神の意志に違わず行動すること

3. 神の導きを受け取り、神の光の下で生き、神の啓示を受けること

4.地上で神によって愛された象徴のように生き抜くこと、すなわち、ペテロが行ったと同じように真に神を愛すること、神の為に十字架にかけられ、死が神の愛に対する報いとなるほどに神を愛すること、そしてペテロと同じ栄誉を受けること

5.地上のすべての人によって愛され、敬われ、称賛されること

6. 死や死者の国の束縛のすべてを克服すること、サタンに機会を与えず、神のものとされていること、新鮮でいきいきとした霊的状態であること、いささかの疲れもないこと

7. 人生のあらゆるときに、あたかも神の栄光の日の到来を見てきた人のように、言語を絶するほどの高揚感や気持ちの高まりをもてること

8. 神とともに栄光を受け取ること、神の最愛の聖人たちに似た表情をもてること

9.神が地上で愛するもの、すなわち神の最愛の子になること

10. 姿を変えて、神と共に、肉を超越して第三の天まで引き上げられること

『言葉は肉において現れる』の「完全にされた人々への約束」より

地上で普通の人間の生活をする人は、天使のようになる。依然として肉体を持っているけれども、人は天使のようになる。これは最後の約束で、人に与えられる最後の約束である。

『言葉は肉において現れる』の「人の普通の生活を回復し、素晴らしい終着点に連れて行く」より

わたしがあなたがたのために用意した物、すなわち世界各地から集めた稀有の貴重な宝は、全てあなたがたに与えられるであろう。現在、あなたがたはそれら全てを心に描くことも想像することも出来ない。また、以前これを享受した者はいない。これらの祝福があなたがたの上に臨む時、あなたがたは我を忘れていつまでも歓喜するであろうが、それらは、すべてわたしの力、わたしの業、わたしの義であり、何にもましてわたしの威厳であることを忘れてはならない。(わたしは、わたしが恵み深くするために選んだ者に恵み深く、わたしが憐れむために選んだ者を憐れむ。)その時あなたがたには両親も血縁関係も無いであろう。あなたがたは皆、わたしが愛する者であり、わたしの愛しい子たちである。それから後、敢えてあなたがたを迫害する者は一人もいないであろう。それは、あなたがたが大人になる時であり、鉄の笏で国々を統べ治める時となるであろう。誰がわたしの愛しい子を敢えて邪魔するであろうか。誰がわたしの愛しい子を敢えて攻撃するであろうか。彼らは皆、わたしの愛しい子を畏れる。なぜなら、父が栄光を受けたからである。嘗て誰も得ることを夢見たことさえ無いあらゆる物が、あなたがたの目の前に現れるであろう。それらは限りなく、無尽蔵であり、終わることがない。

「キリストが最初に発した言葉と証し」より

一旦、征服の働きが完成すると、人は美しい世界に連れて行かれる。もちろん、この生活はまだ地上にあるが、今日の人の生活とは全く似ていない。それは全人類が征服された後の生活で、地上の人間にとって新しい始まりであり、人類にとってそのような生活を送ることは、彼らが新しく美しい領域に入ったという証拠である。それは地上における人と神の生活の始まりである。そのような美しい生活の前提として、人は清められ征服され、造り主の前に服従しなければならない。そして、征服の働きは人が素晴らしい終着点に入る前の、神の働きの最終段階である。そのような生活は地上における人の未来の生活であり、地上で最も美しい生活で、人が待ち焦がれている生活で、世界史上人が決して達成したことのない生活である。それは六千年の経営の働きの最終的結果で、人類が最もあこがれる、神が人に約束したものでもある。

『言葉は肉において現れる』の「人の普通の生活を回復し、素晴らしい終着点に連れて行く」より

安息の中の生活とは、戦いも道徳的堕落も、持続する不義もない生活である。そのような生活には、神に敵対するいかなる勢力の侵入もないだけでなく、サタン(サタンとは敵対する諸力を指す)による妨害もサタンの堕落も存在しない。万物がおのおのその同類のものに従い、造物主を礼拝する。天上も地上も平穏になる。これが人類が安息に入った生活である。. … 神と人が共に安息に入るということは、人類が救われたこと、サタンは滅ぼされてしまったこと、人類に関する神の仕事が全部終わってしまったことを意味する。神はもはや人類の間で働き続けず、人ももうサタンの支配下に生きることはなくなる。それゆえに、神はもう忙しく働かず、人はもう忙しく駆け回らない。神と人は同時に安息の中に入るようになる。神は彼のもとの位置に戻り、人も各人それぞれの場所に帰る。これは神の全計画が終わった後に、神と人それぞれが身を置く目的地である。神には神の目的地があり、人には人の目的地がある。神は安息の中にあっても続けて全人類が地上で生きるのを導く。神の光の中にあって、人は天の唯一の真の神を礼拝する。神はもはや人の間では住まず、人も神と一緒に神の目的地で住むことはできない。神と人は同じ領域の中で生活することができない。むしろ、それぞれ自分の生き方がある。神は全人類を導く者であり、全人類は神の全計画が結実した結果である。導かれるのは人類である。人間は、本質的には、神と異なる。安息することとは、神と人がそれぞれの本来の場所に帰ることを意味する。それゆえ神が安息に入るとき、それは神がもとの場所に復帰することを意味する。神はもう地上で生活しないか、あるいは人の間にあっても、人と苦楽を共にしない。人が安息に入るとは、それは、人が真の被造物になったことを意味する。人は地上から神を礼拝し、しかも正常な人間の生活を送る。人々はもう神に背かず、逆らわない。彼らは原初のアダム、エバの生活に復する。これが、神と人が安息の中に入った後の、それぞれの生活と目的地である。. … 人の安息の場所は地上にあり、神の安息の場所は天にある。人は安息の中で神を礼拝し、地上で生きる。神は安息の中で、残りの人類を導く。彼は地上から導くのではなくて、天から導くのである。神は依然として霊であり、一方、人は、依然として肉である。神と人にはおのおの異なる安息の仕方がある。神は安息するが、彼は人の間に来て人に現れる。人は安息するが、神に導かれて天を訪ね、天上で人生を楽しむこともある。神と人が安息の中に入った後、サタンはもはや存在せず、サタンと同様な不道徳者も、もはや存在しない。神と人が安息の中に入る前に、かつて地上で神を迫害したことのある不道徳者たち、地上で神に不従順だった敵たちはすでに滅ぼされている。彼らは終わりの日の大きな災難によって滅ぼされている。そのような不道徳者たちが徹底的に滅ぼされた後、地上でサタンの妨害を見ることはなくなる。人は完全な救いを与えられ、その後神の仕事が完全に終わる。これは神と人が安息の中に入る前提である。

『言葉は肉において現れる』の「神と人は共に安息に入る」より

神の国では、神と共にある神の人々の生活は比類なく幸せである。人々の祝福された生活に海は踊り、人々と共に山々はわたしの豊かさを楽しむ。人々は誰もが努力し、懸命に働き、わたしの国で忠誠を示す。神の国にもはや反乱はなく、抵抗もない。天と地はお互いをよりどころとし、人とわたしは生の至福を通して、お互いを頼りとしながら親しく深く感じる...。人々よ。今、わたしのために心で歌を歌い、踊れ。あなたがたの誠実な心を引き上げ、わたしに捧げよ。今、わたしのために太鼓を叩き、奏せよ。わたしは全宇宙に喜びを輝かせる。わたしは人々にわたしの栄光の顔を示す。わたしは轟く。わたしは宇宙を超越する。わたしはすでに人々を支配している。わたしは人々により褒めたたえられる。わたしは青い空を漂い、人々はわたしとともに動く。わたしは人々の中を歩き、わたしの人々はわたしを取り囲む。人々の心は喜び、人々の歌は世界を揺るがし、空を砕く。宇宙はもはや霧に閉じ込められず、泥はなく、汚水の集まりはない。宇宙の聖なる人々よ。わたしの監視の下であなたがたの真の顔が明らかにされる。あなたがたは汚れに包まれた人々ではなく、ヒスイのように純粋な聖者であり、すべてわたしの愛する人々であり、すべてわたしの喜びである。すべてのものが生き返る。すべての聖人が天に戻ってわたしに仕え、わたしの暖かい抱擁に入り、もはや涙することなく、もはや憂うことなく、自らをわたしに捧げ、わたしの家に帰り、故郷でわたしを無限に愛する。それは不変である。悲しみはどこか。涙はどこか。肉はどこか。地はもはやなく、天は永遠である。わたしはすべての人々に現れ、すべての人々はわたしを讃える。このいのち、この美しさは、はるか昔から、そして永遠に、変わらないであろう。これが神の国の生活である。

『言葉は肉において現れる』の「人々よ、歓喜せよ」より

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