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人間の言葉を神の言葉と見なすのは冒瀆である

彼の身分は単に活動中の使徒であって、単に神に遣わされた使徒だった。彼は預言する者でも、予知する者でもなかった。だから、彼にとって自分の働きと兄弟姉妹の生活が最も重要なものであった。それで、彼は聖霊を代弁することはできなかったのだ。彼の言葉は聖霊の言葉ではなかったし、まして、神の言葉であったとは到底言えない。パウロは神の被造物でしかなく、受肉した神では絶対になかったのだから。彼の身分はイエスの身分とは違っていた。イエスの言葉は聖霊の言葉で、神の言葉であった。イエスの身分はキリスト、神の子であったのだから。どうしてパウロがイエスと対等になれるのか。

もし人々がパウロの書いたような手紙や言葉を見て、聖霊の言葉として神のように崇めるなら、それはあまりにも分別がないと言うことになるだろう。神の言葉は人間が何気なく口にできるものなのか。どうして人間が神に代わって話せるのか。それで、どう思うのか──パウロが諸教会に宛てて書いた手紙には、彼自身の考えが混じっているのではないか。もしもパウロの手紙は聖霊の言葉だというのなら、その人は愚かで、冒瀆を犯している。パウロ書簡と新約のその他の書簡は、もっと最近の宗教活動家の回顧録のようなものだ。そうした人物の本質は同じである。彼らは一定の期間、聖霊に用いられた人々であったが、直接神を代表することはできなかったのである。

『言葉は肉において現れる』の「聖書について(3)」より編集

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