言葉が肉体で現れる(続編)――神を認識する道(上)

言葉が肉体で現れる(続編)――神を認識する道(上)

唯一の神自身 一
神の権威(一)

第二の日に、神の権威が水を支配し、大空を創造して、人類の最も基本的な生存空間が現れた

続いて、第二段落を見よう。(創1:6-7)「神は言われた。『水の中に大空あれ。水と水を分けよ。』神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。」神が「水の中に大空あれ。水と水を分けよ」と言った後、事はどんな変化が起ったのか。聖書にこう書いてある。「神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。」神が言い、そのことを行った後、結果はどうなったのか。この段落の聖句の最後に書いてあるように、「そのようになった」。

この簡単で短い二つの言葉には、勢いの凄まじい事件が記され、神が如何に水を管理し、如何に人類の生存空間を創造したのか、という天を驚かす偉業のすばらしい一こまが記されている……

この画面の中で、水と大空がまたたく間に神の目の前に現れた。それらは神の言葉の権威のゆえに分けられ、神の定めた方式によって上下に分けられた。つまり、神の造った大空は、下の水を覆っただけでなく、同時に上の水を支えていた……ここで、造物主が水を動かし、水を指揮し、大空を創造した場面の壮観さと、彼の権威の威力は、人を瞠目させ、感心させる!神の言葉、神の力、神の権威のゆえに、神はもう一度偉業を成就した。これは造物主の威力ではないか。私たちは聖書を通して神のわざを解読してみよう。神が一言語り出すと、水の中には神の言葉のゆえに大空ができた。それと同時に、この空間は神の一言のゆえに、天地を覆すような変化が起った。この変化は一般的な意義を持つ変化ではなく、無から有になる一種の交替であり、それは造物主の考えによって生じ、造物主の口の言葉によって無から有になり、しかもその時から、それは造物主のために存在し、成り立ち、造物主の思いにしがたって回転し、変化し、更新される。この箇所の言葉に記されているのは、造物主が全世界を造った時に行った二番目の事だ。それは造物主の権威と力のもう一回の発表であり、造物主のもう一回の壮挙でもあるのだ。その日は、造物主が世界を造った後過ごした第二の日であり、造物主が過ごしたもう一つのすばらしい日だった。彼は光の中を歩き、大空をもたらし、水を支配し、つかさどり、彼のわざ、彼の権威、彼の力は新しい日に動いていた……

神が言葉を言う前に水の中に大空があったのか。もちろんなかった!神が「水の中に大空あれ」と言った後はどうなったのか。神のほしいものが現れ、水の中に大空ができ、水も「水と水を分けよ」と言った神の言葉のゆえに、上下に分けられた。こうして、神が言葉を言った後、神の権威、神の力のゆえに、万物の中に二つの新しいもの、二つの新しい事物が現れた。この二つの新しいものの出現に対して、あなたたちはどんな感じがするのか。造物主の力の巨大さを感じたのか。造物主の唯一無二の、非凡な気勢を感じたのか。このような気勢、このような力の巨大さは神の権威によるものだ。この権威は神自身の代言であり、また神自身だけが持っている特徴だ。

この箇所の言葉の中から、あなたたちは神が唯一無二であることを、もう一度深く感じただろう。だが、これらはまだまだ足りない。造物主の権威と力はこれらだけに限られるのではない。彼が唯一無二であることは、ただ彼がいかなる被造物とも異なる性質を持っているからだけではなく、造物主の権威と力が非凡で、無限であり、すべてを超越し、すべてを圧倒するからでもあり、なおさら、彼の権威、彼の所有、所是が命を創造し、奇跡を創造し、すばらしくて非凡な毎分、毎秒を創造することができ、それと同時に、彼が彼の創造した命をつかさどり、彼の創造した奇跡と毎分、毎秒を支配することができるからだ!

第三の日に、地と海は神の言葉によって生じ、神の権威はこの世界が生気に満ちあふれるようにした

続いて、「創世記」第1章9-11節の最初の節を見よう。「神は言われた。『天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。』」神がただ「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ」という言葉を言ったが、事はどんな変化が起こったのか。光と大空のほかに、この空間にまた何ができたのか。次の節にはこう書いてある。「神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。」つまり、この空間にはまた陸地、海ができ、すなわち、水と陸地が分けられた。これらの新生物が現れたのは、いずれも神の口から一つの命令が発せられた後、「そのようになった」のだ。聖書の中に、神がこれらのことを成就する間に、せわしく働いたと記されているのか、神が手を動かしたと記されているのか。では、神はどのようにしたのか。神はどのようにしてこれらの新生物を生み出したのか。言うまでもなく、神は言葉によってこのすべてを成就し、このすべてを創造したのだ。

以上の三箇所の言葉の中から、私たちは三つの大きな事が起こったことを知った。この三つの大きな事はみな、神の言葉によって現れ、生じたのだ。それらは神の言葉のゆえに、順次に神の目の前に現れた。これで分かるが、「神が言われると、そのように成り、神が命じられると、そのように立つ」という言葉は決して空論ではない。神のこの本質は、神が考えを持ったその瞬間実証され、神が口を開いて言葉を言った時、彼のこの本質は十分に体現された。

続けてこの箇所の最後の一言を読もう。「神は言われた。『地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。』そのようになった。」神が言葉を言うと同時に、すべてが神の考えに従って生じた。瞬く間に、それぞれ異なる姿をしている、みずみずしく愛らしい、一つ一つの小さな命は体を揺らしながら土から小さな頭を出した。まだ体についている泥をはたいていないのに、待ち切れずに互いに手を振って挨拶し、待ち切れずにこの世界に向かって微笑みながら会釈をしていた。それらは造物主が命を与えてくださったことに感謝しており、この世界に向かって、自分たちがみな万物の一員であり、自分たちが造物主の権威を表現するために各々の命をささげる、と告げていた。神の言葉が発せられるにつれて、陸地には草が青々とし、人が享受できるいろいろな野菜が勢いよく生え、土から出てきた。山川、平原には樹木が密生しており、森が一面に広がっていた……少しの生気も見せなかった、からっぽの世界はすぐに青草、野菜と木などの植物に覆われて、緑にあふれた……大空には青草の香りが漂っており、泥のいい匂いが発散されていた。各種類の植物は空気の流れにつれて、呼吸をし始め、成長の過程も始めた。それと同時に、このすべての植物は、神の言葉のゆえに、神の考えにしたがって、生え、開花し、実を結び、繁殖し、生息するという命の歴程を繰り返し始め、各自の命の運行の軌跡をしっかり守り始め、各自の万物の中での役割を果たし始めた……それらは造物主の言葉のゆえに生じ、造物主の言葉のゆえに生きる。それらはみな、造物主の絶え間ない供給、滋養を得、また永遠に造物主の権威と力を表現するために、この土地の至る所で粘り強く生き、 造物主から与えられた生命力を永遠に表すであろう……

造物主の命は非凡であり、彼の考えは非凡であり、彼の権威は非凡なのだ。だから、彼の言葉が発せられる時、最終的な結果としてみな「そのようになった」のだ。明らかに、神が事を行うのには手を動かす必要がなく、彼はただ自分の考えによって指揮し、言葉によって定めただけで、事はそのように成就されたのだ。その日、神は水を一つのところに集め、乾いた所を現させ、そして乾いた地から草を芽生えさせ、種を持つ野菜と、実をつける果樹を芽生えさせた。神はそれらを、各々その種類に従わせ、すべての実がぞれぞれの種を持つようにした。このすべては神の意志、神の言葉の中の言いつけによって実現し、続々とこの新しい世界の中に現れた。

神が働く前に、神が成し遂げようとする事は、神の心の中で、すでに一幅の絵になっていた。神がこの事を成就し始めた時、すなわち神が口を開いてこの絵の内容を語り出した時、すべては神の権威と力によって変化が起り始めた。神がどのようにしても、どのように彼の権威を行使しても、事はみな神の計画、神の言葉によって一歩一歩成就され、天地の間も神の言葉、神の権威によって一歩一歩変えられる。このすべての変化、発生は造物主の権威を表現しており、また造物主の命の力の非凡さ、偉大さを表現している。彼の考えは、一つの簡単な構想ではなく、一幅の中身のない絵ではなく、生命力を持ち、並外れて強いエネルギーを持つ権威であり、すべてを変化させ、よみがえらせ、新しくさせ、消滅させることのできる力だ。それゆえ、すべての事物は彼の考えによって運行し、それと同時に彼の口の言葉によって成就されている……

万物が現れる前、神の考えの中では、すでに一つの完全な計画を成就し、一つの全く新しい世界を成就した。第三の日に、陸地にはいろいろな植物が生えたが、神はこの世界を創造しようとする彼の歩みを止める理由はなかった。彼は続けて言葉を言い、続けて彼が創造しようとする一つ一つの新生物を成就し、彼は言葉を言い、命令し、彼の権威を行使し、彼の力を表そうとし、彼は彼の造ろうとする万物、人類のために、用意しようと計画したすべてのものを用意していた……

第四の日に、人類の季節、日、年は神がもう一度権威を行使することによって誕生した

造物主は彼の言葉によって彼の計画を成就していた。このように、彼は彼の計画の中の最初の三日を過ごした。この三日の間に、彼は慌ただしく立ち回ったことがなく、疲れ果てたこともなかった。逆に、彼は彼の計画の中のすばらしい最初の三日を過ごし、滄海変じて桑田となり、桑田変じて滄海となるという偉作を成就した。こうして、全く新しい世界が神の目の前に現れ、神の考えの中に封じられていた美しい画面がとうとう、神の言葉の中で少しずつ開かれた。一つ一つの新生物の出現は赤ちゃんが生まれるようだった。造物主は、以前は自分の考えの中にあったが、今はすでに現実となったこの画面を鑑賞していた。その時、彼の心は少し慰めを得た。だが、彼の計画は始まったばかりだった。またたく間に新しい日が来た。造物主の新しい一ページの計画はまた何だろうか。彼はまた何を言ったのか。彼の権威はまたどのように行使されたのか。それと同時にまた、どんな新生物がこの新しい世界の中に来たのか。造物主の導きの下で、私たちの視線は、神が万物を造った第四の日に留まった。この日はもう一つの全く新しい始まりだった。もちろん、それは造物主にとって、疑問の余地なくもう一つのすばらしい日であり、今の人類にとっても、もう一つの極めて重要な日だった。その日はもちろん、計り知れない価値のある日だ。それはどんなにすばらしいか、どれほど重要なのか、またどんなに計り知れないのか。先ず造物主の言葉を聞いてみよう……

(創1:14-15)「神は言われた。『天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。天の大空に光る物があって、地を照らせ。』」これは、神が乾いた地とその上の植物を造った後、もう一つの被造物が表した神の権威の行使だ。神にとって、このようなことをするのは、同じくとても容易なことだ。というのは、神にはこのような力があり、神は言ったからには必ず成し遂げ、成し遂げるからには必ず成就するからだ。神が天の大空に光る物が現れるよう命じると、その光る物は天の大空で光を放ち、地を照らしただけでなく、また昼と夜のしるし、季節のしるし、日や年のしるしとなった。このように、神が言葉を言うと同時に、神が成し遂げようとする事々は神の意志、神の定めた方式によって成就されている。

「天の大空の光る物」はすなわち空で光を放つことができる物であり、それは空を照らすことができ、陸地と海洋を照らすこともできる。それは、神の命じたリズムと頻度にしたがって回転し、異なる時間帯で陸地を照らす。こうして、地上のものの昼と夜は、この光る物の回転周期によって生じた。それは昼と夜のしるしとなっただけでなく、またその異なる回転周期によって、人類の季節といろいろな日々のためのしるしとなった。それは、神の発布した四季――春、夏、秋、冬と互いに補完し合い、互いに呼応し合い、四季と調和して人類の季節、日や年のために規則的で正確なしるしとなった。人類は耕作を始めた時になって、神の造った光る物によって分けられた季節、日や年を知り、或は接触し始めたが、実は、人類が今日知っている季節、日や年は、すでに神が万物を創造した第四の日から始まっていた。人類が経験する春、夏、秋、冬の交替周期も神が万物を創造した第四の日に始まった。神の造った光る物は、人に規則的に、正確に、はっきりと、昼と夜を識別させ、日を数えさせることができ、人にとても明確に、季節や年を把握させることができる(月が満ちる日、すなわち満月の日になると、人は光る物が照らす新しい周期が始まったことを知るようになる。月が欠ける日、すなわち半月の日になると、人は新しい節気が始まったことを知るようになる。これによって類推すると、いくつの昼夜が一つの節気になるか、いくつの節気が一つの季節になるか、いくつの季節が一年になるかは、規則的に示される。)それゆえ、人類は光る物の運行によって示される節気、日や年をたやすく掌握した。その時から、人類と万物は知らず知らずのうちに、光る物の運行によって生じた、昼夜が交替し、四季が移り変わるという法則の中に生きるようになった。これもまた、造物主が第四の日に光る物を造った意義だ。同様に、造物主がこの事をすることによって達成した目的と意義は依然として彼の権威と力を離れられない。だから、神の造った光る物と、光る物が間もなく人類にもたらす価値も、造物主の権威の行使によるもう一つの傑作だ。

人類がまだ「顔を出し」ていないこの新しい世界の中で、造物主はすでに、彼がもうすぐ造る新しい命のために「夕べと朝」、「空気」、「陸地と海」、「草、野菜といろいろな木」、および「光る物、節気、日、年」を用意しておいた。造物主の権威と力は、彼の創造した個々の新生物によって発表されるのであり、彼の言葉と事実は同時に行われ、いささかの誤差もなく、少しの間隔もない。このすべての新しい事物の出現と誕生は、造物主の権威と力を実証している。すなわち、言ったからには必ず成し遂げ、成し遂げるからには必ず成就し、成就するからには必ず永遠に成就するということだ。この事実は今まで変わったことがなく、昔もそうだったし、今もそうだし、以後も永遠にそうであろう。今再び、聖書の中のこれらの言葉を見たら、あなたたちはそれがとても新鮮だと感じないのか。あなたたちは新しい内容を見出し、新しい発見があるのではないか。それは、造物主の業があなたたちの心を打ち、あなたたちに彼の権威と力を認識する方向を指示してくれ、あなたたちに造物主を認識するための大門を開いてくれ、彼の業、彼の権威がこれらの言葉の命を与えてくれたからだ。それゆえ、これらの言葉の中で、人は造物主の権威が生き生きとしていることを見たのであり、造物主がいと高き方であり、造物主の権威と力が非凡であることを、本当に見たのだ。

造物主の権威と力は次々と奇跡を創造している。彼は人の目を引きつけていて、人は彼の権威の行使による一つ一つの驚くべき業に注目せずにはいられない。彼の非凡な力は一回また一回と人類に驚喜を与えた。それゆえ、人は見きれなくなり、大いに喜び、またそのために賛嘆し、その奇しさに感心し、喝采し、さらに、感動の色を浮かべ、敬慕ㆍ畏れㆍ懐かしみの情が生じた。造物主の権威と業は人の心を揺り動かし、また人の心を洗い清め、さらに人の心を飽き足らせる。彼の個々の考え、毎回発する声、彼の権威の毎回の流露はみな、万物の中での傑作であり、造られた人類が最も深く理解し、認識するに値する、天を驚かす偉作だ。造物主の言葉の中で誕生した一つ一つの被造物を数えながら、私たちの心は神の力の奇しさに引かれ、思わず造物主の足跡に従って次の日――神が万物を造った第五の日に来た。

次の聖句を少しずつ見ながら、造物主がまたどんなことをしたのかを見てみよう