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終わりの日のキリストへの証し

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X. どのように神を知るかに関する真理

3. 神の全能性と知恵がおもに明らかにされるのはどの側面においてか

関連する神の言葉

創造主の権威と力は、創造主が造った新しい物それぞれにおいて現れており、神の言葉とその実現は、寸分違わず、また少しも時間がずれることなく、完全に同期して発生した。こうした新たな物の出現と誕生は、創造主の権威と力を証明するものであった。神は、神の言葉通りを実行し、神の言葉は実現され、実現された物事は永遠に継続する。この事実は、過去にも現在も全く変わることが無く、また今後も永遠に変わることは無い。

『言葉は肉において現れる』の「唯一の神自身 1」より

創造主は、言葉により神が求めていることの全てを得て、実現しようとしていることの全てを実現することができるだけでなく、神が創造した全ての物をその手中に収め、神の権威により造った全ての物を支配することも可能である。さらに、すべてが系統的かつ規則正しいものである。また、神の言葉により全ての物が生き、死に、さらに、神の権威により神が定めた法則の中に存在した。これについては例外は無かったのである。

『言葉は肉において現れる』の「唯一の神自身 1」より

主イエスがラザロを死から復活させる時、主が使った言葉は「ラザロよ、出てきなさい」というひと言だけである。主はそれ以上の言葉を用いなかったが、そのことは何を意味するであろうか。こうした事柄は、死者を復活させることを含めて、神があらゆる事を言葉により実現可能であることを示している。神が万物と世界を創造した時、神は言葉でそれを行なった。神は言葉で命じ、すなわち権威ある言葉を用い、その言葉通りに万物が創造された。創造は、このようにして行われたのである。主イエスが述べたこのひと言は、天地と万物を創造した時に神が述べた言葉と同じであり、主イエスの言葉には神と同じ権威、創造主と同じ力があった。万物が神の言葉により形成され、存在したのと全く同じようにして、主イエスの言葉によりラザロが墓から出たのである。ラザロの復活は、受肉した身体により証明され、実現された神の権威であった。この種の権威や能力は、創造主と、創造主が形あるものとなった人の子のものである。神がラザロを死から復活させることにより、人間に啓示された知識は、その事実である。

『言葉は肉において現れる』の「神の働き、神の性質、そして神自身 3」より

「わたしが語ったことは考慮されなければならないし、考慮されたことは完成されなければならない。そしてこのことは誰も変えることはできない。これは絶対的なことである。」わたしが過去に言ったことであろうと、将来言うことであろうと、すべては実現し、人類すべてがそれを目にするだろう。これはわたしの言葉の働きの背後にある原理である。…宇宙で起こるすべてのことの中で、わたしが最終的な決定権を持たないものはない。わたしの手の中にない存在などあるだろうか。わたしの言うことはすべてその通りに進み、人々の中にはわたしの心を変えられる者はない。それが、わたしが地上で行った契約なのか。何事もわたしの計画を妨げることはできない。わたしの経営の計画と同様に、わたしの働きの中にも、絶えずわたしは存在している。いったい誰が妨害できようか。これらを直接準備したのはわたしではないか。今日のような状況になっても、わたしの計画や予測から外れることは決してない。すべてわたしがずっと以前に決めていたのだ。あなた方の中の誰がこの段階のためのわたしの計画を推測できるだろう。わたしの民はわたしの声に耳を傾け、わたしを本当に愛する一人一人がわたしの玉座の前に戻るだろう。

『言葉は肉において現れる』第二部「全宇宙への神の言葉」の「第一章」より

「言葉」という語句は単純でごく普通であるが、受肉した神の口から出る言葉は宇宙全体を揺るがせる。それは人間の心、観念、古い性質、世界全体が以前にはどのように表れていたかを変革する。時代をとおして、今日の神だけがこのような働き方をし、今日の神だけがそのように語り、そのように人間を救いに来る。それ以降は、人間は言葉の導きの下に生き、言葉により牧され、施しを受ける。全人類は言葉の世界に、神の言葉の呪いと祝福の内に生きるようになった。そして言葉の裁きと刑罰との下に生きるようになったさらに多くの人間がいる。これらの言葉とこの働きはすべて人間の救いのため、神の旨を成就するため、過去の創造における世界の元来の状況を変えるためである。神は言葉をもって世界を創造し、宇宙の人間を言葉をもって導き、言葉をもって征服し救う。ついに、神は言葉を使って古い世界全体を終わらせる。そのときはじめて、経営(救いの)計画がくまなく完了する。

『言葉は肉において現れる』の「神の国の時代は言葉の時代である」より

終わりの日の働きにおいては、言葉はしるしや不思議の顕示よりも力強く、言葉の権威はしるしや不思議の権威を超越する。言葉は人の心のすべての堕落した性質を現す。あなたは自分でそれらを認識することはできない。それらが言葉を通して明らかにされるとき、あなたは当然それを認識し、否定することはできず、完全に確信するであろう。これは言葉の権威ではないであろうか。これは言葉の現在の働きによって得られる成果である。だから、病気を癒したり悪霊を追い出したりすることで、人が罪から完全に救われることはなく、またしるしや不思議を顕すことによっても、すっかり完全にされることはないのである。癒したり悪霊を追い出したりするための権威は人に恵みを与えるだけで、人の肉は依然としてサタンに属し、堕落したサタン的な性質は依然として人の中に残っている。すなわち、まだ清められていないものは依然として罪と汚れに属しているということである。人は言葉によって清められて初めて、神のものとされ、清められる。人から悪霊を追い出したり、人を贖ったときは、それはただサタンの手から人を捕まえ、神のもとに戻したことでしかなかった。神によって清められていないし、変えられてもいないなら、人は堕落したままである。人の中には、依然として汚れ、敵対心、そして不従順が存在する。人は贖いを通して神のもとに帰っただけで、人は神について何の認識もなく、依然として神に抵抗し、神を裏切っている。人が贖われる前、サタンの毒の多くがすでに人の中に植え付けられていた。サタンによる堕落を何千年も経た人間には、神に抵抗する性質が既に定着して存在していた。だから、人が贖われたとき、それは人が高い代価で買い取られた贖い以上のものではなく、人の中の毒を持った性質は取り除かれてはいなかった。ここまで汚れた人は、神に仕えるにふさわしくなる前に変えられなければならない。裁きと刑罰の働きを通して、人は自分の中の汚れて堕落した本質を完全に知るようになる。そして、人は完全に変わり、清くなることができる。この方法でのみ、人は神の玉座の前に戻るのにふさわしくなることができる。この日なされるすべての働きは人が清められ変えられるためである。言葉による裁きと刑罰、また精錬を通して、人は堕落を捨て、清くされることができる。…あなたに見える神自身の栄光と権威は、十字架上の死や病の癒し、悪霊を追い払うことだけをとおして見えるのではなく、言葉による神の裁きをとおしてさらにはっきりと見えるのである。これはつまり、しるしや病の癒しや悪霊を追い払う業だけが神の権威と力なのではなく、言葉による裁きが神の権威をよりよく象徴的に表し、神の全能を明らかにできることを示している。

『言葉は肉において現れる』の「受肉の奥義(4)」より

あなたがたは神の旨を理解し、神の働きは、天地万物の創造のように簡単なものでないことを理解すべきである。なぜなら、今日の働きとは、堕落した者たちや極度に麻痺してしまった人たちを変え、創造されながらもサタンに働きかけられてしまった人たちを清めることであり、アダムとエバを創造することではなく、ましてや光を創ったり、あらゆる種類の植物や動物を創造したりすることでもない。神の働きは、今やサタンによって堕落させられたものを清めて取り戻し、神のものとし、神の栄光とするためのものである。そのような働きは、人間が想像する天地万物の創造のように簡単なものではなく、人間が想像するような、サタンを呪って底なしの穴へ送るようなものでもない。むしろそれは人間を変えるためのものであり、否定的なものを肯定的なものに変え、神に属さないものを神の所有物にすることである。これがこの段階の神の働きの秘められた意味である。あなたがたはそれに気づかなくてはならないし、物事を安易に考え過ぎてはならない。神の働きは、どんな通常の働きとも異なっている。そのすばらしさは人間の頭では測り知ることができず、その知恵は人間が獲得できるものではない。この段階の働きの最中、神は万物を創造しているのでも、それらを破壊しているのでもない。むしろ、神はすべての創造物を変え、サタンによってけがされたすべてのものを清めているのだ。それゆえ神は大規模な働きを始めるであろう。そして、これこそが神による働きの意義の全てである。

『言葉は肉において現れる』の「神の働きは人間が想像するほど簡単か」より

わたしの全経営(救いの)計画、六千年にわたる経営(救いの)計画は三段階、あるいは三時代から成る。それは始まりの律法の時代、次に恵みの時代(贖いの時代でもある)、そして終わりの日の神の国の時代である。これら三時代におけるわたしの働きは、各時代の性質によって異なるが、それぞれの段階においてこの働きは人間の必要性に対応している。正確には、わたしがサタンに対して行なう戦いでサタンが用いる策略に応じて働きは行われる。わたしの働きの目的は、サタンを打ち負かし、わたしの知恵と全能を明らかにし、サタンの策略をすべてあばくことであり、それによりサタンの支配下に生きる人類全体を救うことである。それはわたしの知恵と全能を示し、サタンの耐え難いおぞましさを明らかにするものである。それに加えて、被造物が善悪を区別し、わたしこそがすべてを治める者であることを認識し、サタンが人類の敵であり、下の下、悪い者であることをはっきりと見極められるようにし、善と悪、真理と偽り、聖さと汚れ、偉大さと卑劣の違いを絶対的な明白さをもって区別できるようにすることである。それにより無知な人類は、人類を堕落させるのはわたしではなく、創造主であるわたしだけが人類を救うことができ、人々が享受できるものを彼らに授けることができることをわたしに証しし、わたしこそがすべてを治める者であり、サタンは後にわたしに背いたわたしの被造物の一つにすぎないと人類は知ることができる。わたしの六千年の経営(救いの)計画は三段階に分けられており、わたしがそのように働くのは被造物がわたしの証人となり、わたしの心を知り、わたしこそが真理であることを知らしめるという成果を達成するためである。

『言葉は肉において現れる』の「贖いの時代における働きの内幕」より

人間における神の働きはひとつとして、世界の創造時には準備されてはいなかった。むしろ神は状況の進展を通して、人間に対してさらに現実的かつ実際的にその働きを徐々に実行した。ヤーウェ神が女を誘惑するために蛇を創造したわけではなかったのと同じである。それは神の特別な計画でも、神が予め決めたことでもなかった。それは予期せぬことだったと言える。ヤーウェがアダムとエバをエデンの園から追放し、人を再び創造しないと誓ったのは、まさにそのためである。ただ、この根拠においてこそ、神の英知が人々によって見出されるのだが、そのことはわたしが以前「わたしの英知はサタンの策略に基づいて行使される。」と言った通りだ。人間の堕落がどれだけ進んでも、蛇がいかに人間を誘惑しても、ヤーウェは依然として神の英知を備えていた。それゆえ、神は世界の創造以来これまで新しい働きに携わり、その働きの段階はこれまで一度も繰り返されたことはない。サタンはこれまで継続的に策略を実行し続けている。人間はサタンにより堕落させられ続けており、ヤーウェ神も自身の英知の働きを継続的に実行している。神は一度も失敗したことがなく、世界の創造からこれまでにおいて、自身の働きを一度もやめたことがない。人間がサタンによって堕落させられた後、神は人間を堕落させる敵を打ち負かすために、人々の間で継続的に働きを行った。その戦いは始まりから世界の終わりまで続くだろう。この働きを行うに際して、神は、サタンによって堕落させられた人間が自身の素晴らしい救いを受けられるようにしただけでなく、自身の英知、全能性、および権威を人々が知るようにもした。そして最後に神は、人が自身の義の性質を見るようにする。つまり、邪悪な者を罰し、正しい者を報いる。神は今日まで戦ってきて、一度も負かされたことはない。それは神が知恵に満ちており、神の英知はサタンの策略に基づいて行使されるからだ。そのため、神は天のあらゆるものを自身の権威に従わせるだけなく、地上のすべてのものを自身の足台の下に置き、更には人間を侵害し悩ませる、悪事を働く者が必ず神の刑罰の中に落ちるようにする。その働きの結果のすべては、神の英知によりもたらされる。神は人間の存在の前に自身の英知を一度も現わしたことはない。それは神には、天にも地にも、全宇宙にも敵がおらず、万物の何物をも妨害し得る闇の力は存在しなかったからである。大天使が神を裏切った後、神は地上に人間を創造したが、何千年も続く、サタンたる大天使との戦いを神が正式に始めたのは人間のためであり、その戦いは一連の段階を通して、さらに過熱している。神の全能性と英知は、そのそれぞれの段階で示される。このとき初めて、天と地のすべてのものは、神の英知、全能性、そして特に神の現実性を見ることができる。神は今日、依然として同じ現実的方法で自身の働きを実行している。さらに神は、自身の働きを実行するとき、自身の英知と全能性を示す。神はあなた方が、各段階の働きの背後にある真実を知るようにし、神の全能性をどう説明するかを明確に知るようにし、特に神の現実性をどう説明するかを知るようにする。

『言葉は肉において現れる』の「あなたは人類全体が現在までどのように発展してきたかを知るべきである」より

わたしの計画において、サタンは一歩ごとにかかとに噛み付いてきたのであり、わたしの知恵の引き立て役としてわたしの本来の計画を邪魔をする方法と手段をつねに探っている。しかし、わたしがサタンの欺きに満ちた策略に屈するものだろうか。天と地のすべてはわたしに仕えている。サタンの欺きに満ちた策略も同様ではないのか。これはまことにわたしの知恵の交わるところ、これはまことにわたしの業の驚くべきところであり、これはまことにわたしの全経営(救いの)計画が実行される原則である。神の国の建設の時代にも、わたしはサタンの欺きに満ちた策略を避けず、なすべき働きを続ける。宇宙のあらゆるものの中で、わたしはサタンの行いをわたしの引き立て役に選んだ。これはわたしの知恵ではないのか。

『言葉は肉において現れる』第二部「全宇宙への神の言葉」の「第八章」より

わたしが正式に働きを始めると、すべての人はわたしの動きにつれて動く。そのようにして、全宇宙の人々はわたしと共に働く。全宇宙に「歓呼の声」が響き、人間はわたしと共に勢いよく前進する。その結果、赤い大きな竜はうろたえ、狂乱し、わたしの働きに仕え、望まずとも、自分のしたいことができず、わたしの支配に従うしかなくなる。わたしの計画すべてにおいて、赤い大きな竜はわたしの引き立て役、わたしの敵、そしてまた、わたしのしもべである。したがって、わたしはけっして竜の「要求」を緩めたことがない。だから、受肉におけるわたしの働きの最終段階は、その家の中で完了するのである。このようにすれば、赤い大きな竜はよりよくわたしに仕えることができ、それによって、わたしはこれに打ち勝ち、計画を完了するのである。

『言葉は肉において現れる』『言葉は肉において現れる』第二部「全宇宙への神の言葉」の「第二十九章」より

サタンに対する神の勝利は、避けられない流れなのである。サタンは実際に昔、敗北した。福音が大きな赤い竜の土地を通して広がり始めたとき、つまり、受肉した神が働きを始め、その働きが引き起こされたとき、サタンは完全に倒されることとなった。その受肉はサタンを倒すためのものだったからである。サタンは、神がもう一度肉となり、また神の働きを遂行し始めたのを見た。そして、どんな力もその働きを止められないことを理解した。そのため、その働きを見たときにサタンは愕然とし、サタンの働きをあえてそれ以上続けなかった。最初にサタンは、自らが多くの英知も持つものと思っていて、神の働きを中断させてその阻害を行った。けれどもサタンが予想していなかったのは、神がもう一度肉となり、神自らの働きにおいて、サタンの反抗性を用いて、人間のための暴露と裁きを行い、それにより人間を征服してサタンを打ち負かすということだった。神はサタンより賢明で、神の働きはサタンをはるかに凌ぐ。だから、わたしは以下を前に述べた。「わたしが行う働きはサタンの策略に対応して実行される。最後にわたしは、自らの全能性とサタンの無力さを示す。

『言葉は肉において現れる』の「あなたは人類全体が現在までどのように発展してきたかを知るべきである」より

わたしは以前言ったはずである。わたしは知恵ある神である。わたしはわたしの普通の人性を用いて、すべての人々とそのサタンのような振る舞いを露わにし、間違った意図を持つ者、他人の前では一様にふるまい、他人の背後では違うふるまいをする者、わたしに抵抗する者、わたしに不実である者、お金を渇望する者、わたしの重荷を考慮しない者、兄弟姉妹に対して欺瞞や不正を行う者、口達者で人々を喜ばせる者、そして兄弟姉妹たちと心と思いにおいて一致して協力することができない者たちを暴露する。わたしの普通の人性の故に、実に多くの人々が密かにわたしに抵抗し、欺瞞や不正を行い、わたしの普通の人性は知らないだろうと思い込んでいる。そして、実に多くの人々がわたしの普通の人性に特別注意を払い、わたしに良い食べものや飲みものを与え、召使のようにわたしに仕え、心の中にあることをわたしに話している一方、わたしの背後ではいつも全く違うふるまいをしている。盲目な人間たちよ。あなた方は全くわたしを分かっていない──人の心の奥底を見とおす神を。あなたは今なおわたしを知ってはいない。あなたが何をしているのかわたしは気づいていないと、あなたはまだ思っている。考えてみなさい。わたしの普通の人性故に、どれだけ多くの人々が自らを滅ぼしてきたことか。目を覚ましなさい。もうこれ以上わたしを欺いてはならない。あなたは、あなたのすべての行いとふるまい、一つひとつの言葉と行為をわたしの前に置いて、わたしの吟味を受け入れなければならない。

『言葉は肉において現れる』『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第七十六章」より

わたしは知恵によって行動する。ナイフも、銃も使わず、指一本上げることもなく、わたしは、わたしを否定し、わたしの名に恥をもたらす者たちを完全に打ち負かす。わたしは寛容であり、たとえサタンがこのような騒動を引き起こす時でも、安定した歩調でわたしの働きを続ける。わたしはサタンをまったく気にせず、わたしの経営計画の完成によってサタンを敗北させる。これがわたしの力とわたしの知恵であり、さらにそれは、わたしの終わることのない栄光のほんの一部である。

『言葉は肉において現れる』『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第九十一章」より

今日、神は自身の働きを行うために世界に戻ってきた。神が最初に留まった所は、独裁的支配者たちの大いなる集り、すなわち無神論の頑強な砦、中国である。神はその知恵と力によって一群の人々を獲得したが、その間にも神は中国共産党によってあらゆる手段をもって追跡され、塗炭の苦しみにさらされ、枕する場所もなく、避難する場所を見つけることもできない。それにも関わらず、神は意図した働きを続行している。つまり神は声を発し、福音を広める。誰も神の全能性を推し量ることはできない。神を敵と見なす国、中国で、神は決してその働きをやめてはいない。それどころか、ますます多くの人々が神の働きと言葉を受け入れている。神は人類の一人一人を救うためにできる限りのことをしているからである。私たちは、いかなる国家も勢力も神が果たそうと願うものの前に立ちはだかることはできないと信じている。神の働きを妨害し、神の言葉に抵抗し、神の計画をかき乱し、阻害する者たちは最終的には神に罰せられる。神の働きに逆らう者は地獄に送られる。神の働きに反抗する国家は滅ぼされる。神の働きに反対するために立ち上がる民族は地上から一掃され、消滅する。…

神の働きは強く打ち寄せる大波のようなものである。誰も神を引き留めることはできないし、誰も神の歩みを停止させることはできない。神の言葉に注意深く耳を傾け、神を探し求め、渇望する人々だけ神の歩みをたどり、神の約束を受けることができる。そうしない者は圧倒的な災難を被り、当然の罰を受ける。

『言葉は肉において現れる』の「神は全人類の運命を支配する」より

神の国は人間たちの間で拡大している。神の国は人間たちのただ中で形作られている。神の国は人間たちのただ中で建て上げられている。わたしの国を滅ぼすことのできる勢力はない。…あなたがたは、自分に与えられた祝福を受け入れたことがあるか。あなたがたは、あなたがたのために結ばれた約束を求めたことがあるか。あなたがたは、必ずや、わたしの光の導きの下、闇の力の要塞を打ち破るだろう。あなたがたは、闇のただ中にあっても、あなたがたを導く光を絶対に見失いはしないだろう。あなたがたは、必ずや、すべての被造物の主人となる。あなたがたは、必ずや、サタンの前で勝利する。あなたがたは、必ずや、赤い大きな竜の国が滅びるとき、無数の大衆の中で立ち上がり、わたしの勝利を証しするであろう。あなたがたは、必ずや、秦の国にあって、決意を固くし、揺るぐことがないだろう。あなたがたの耐え忍ぶ苦しみによって、あなたがたはわたしからの祝福を相続する。そして、必ずや、全宇宙にわたしの栄光を輝かせるだろう。

『言葉は肉において現れる』『言葉は肉において現れる』第二部「全宇宙への神の言葉」の「第十九章」より

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