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全能神、終わりの日のキリストの代表的な言葉

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Ⅵ 神の性質、および神が所有するものと神そのものについての代表的な言葉

1.神の喜びとは、正義と光の存在と現れによるものであり、暗闇と邪悪の消滅の故である。彼は、人類に光と良い生活をもたらしたことを喜ぶ。彼の喜びは正義の喜びであり、あらゆる肯定的なものの存在の象徴、そして何よりも吉兆の象徴である。神の怒りは不義の存在と、それが引き起こす混乱が神のものである人類を害していることによるものである。それは邪悪と暗闇の存在、また、真理を駆逐するものの存在の故であり、そしてそれ以上に、良いものと美しいものに反する物の存在の故である。彼の怒りは、全ての否定的な物事がもはや存在しないことの象徴であり、さらには、彼の聖さの象徴である。彼の悲しみは、彼が望みを持っているにも関わらず暗闇に落ちた人類によるもので、彼が人のためにする働きは彼の期待にかなわず、彼が愛する人類がみな光りの中で生活できるようになっていないからである。彼は罪のない人類、正直だが無知な人、そして善良だが自分の見解を持っていない人に対して悲しみを感じている。彼の悲しみは彼の善良さと憐みの象徴であり、美しさと慈愛の象徴である。彼の幸せは、もちろん彼の敵を打ち負かすこと、そして人の真心を得ることからもたらされる。さらに、それは全ての敵の勢力の駆逐と消滅、そして人類が良き平和な生活を得ることから生じる。彼の幸せは人の喜びとは異なり、良い実を集めるときの気持ちであり、それは喜びにまさる気持ちである。彼の幸せとは、人類が今後苦しみから解き放たれ、光の世界に入ることの象徴である。その一方で、人類の感情は全て己の利益の目的のために存在し、義、光、または美しいもののために存在するのではなく、ましてや天の恵みのために存在するものではない。人類の感情は利己的で暗闇の世界に属している。これらは神の心のためのものではなく、ましてや神の計画のためのものではないため、人と神が同等に語ることは決してできない。神は永遠に至高かつ高潔な方であり、人は永遠に下劣で、価値もない。これは、神が永遠に犠牲を払い、人類のために自身を捧げているからである。しかし人は、自分の為にしか求めたり働いたりしない。神は人類の存在のために永遠に働いているが、人が光や義に寄与することは全くない。人が一時期働いたとしても、それは弱く、ささいな不幸にも耐えることができない。人の働きは常に自分のためであって他の人のためではないからである。人は常に利己的であるが、神は永遠に無私無欲である。神は公正なもの、良いもの、そして美しいもの全ての源であるが、人は醜いものと邪悪なもの全ての継承者であり、表現者である。神が自身の義と美しさの本質を変えることは決してないが、人はいつでも義を裏切り、神から遠く離れてしまうことができる。

『言葉は肉において現れる』の「神の性質を理解することは極めて重要である」より

2.全能なる神は、頭から足の先まで繋がる肉や血は少しもない霊の体に現れる。神は宇宙と世界を超越し、第三の天にある栄光の玉座に座り、万物を治めている。宇宙のすべてのものはわたしの手の中にある。わたしが語ると、そのようになり、わたしが定めると、それは成る。サタンはわたしの足の下にあり、それは底なしの穴にいる。わたしの声が発されると、天と地は滅び、無に帰す。すべてのものは新たにされ、これは真実以外の何ものでもない不変の真理である。わたしは世に打ち勝ち、すべての悪い者たちに打ち勝った。わたしはここに座り、あなたがたに語っている。耳のある者はみな聞くべきである。生ける者はみな受け入れるべきである。

『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第十五章」より

3.全能神は全ての権力を握る方、全てを成し遂げる方であり、完全なる真の神である。この神は七つの星を携えているだけでなく、七つの霊と七つの目を持ち、七つの封印を解いて巻物を広げるが、それだけではなく、七つの疫病と七つの鉢を管理し、七つの雷鳴を開く。ずっと前に神は七つのラッパを鳴らした。彼によって造られた全てのものと完全にされた全てのものは彼を讃美し、彼に栄光を帰し、彼の御座を高くかかげるべきである。ああ、全能神よ!あなたは全てであり、あなたは全てを達成し、あなたにあっては、全ては完全であり、全ては明るく、全ては解放されており、全ては自由であり、全ては強く、力に満ちている。隠されたものや覆われたものはなく、あなたにあっては、全ての奥義が現わされている。さらに、あなたは大勢の敵を裁き、あなたの威厳を示し、燃え盛る炎を示し、あなたの怒りを示す。そしてさらに、前例のない、永遠で、全く無限の栄光を示す。

『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第三十四章」より

4.シオンよ!歓呼せよ!シオンよ!大声で歌え!わたしは勝ち誇って戻ってきた。わたしは勝利して帰って来た。すべての民よ。急いで整列せよ!万物よ。おまえたちは完全に停止しなければならない。わたしの本体は全宇宙に向けられており、わたしの本体は世界の東に現れるからだ。礼拝してひざまずこうとしない者などあろうか。真の神と呼ばない者などあろうか。畏敬の念を持って見上げないのは誰か。讃美しないのは誰か。歓呼しないのは誰か。わたしの民はわたしの声を聞き、わたしの子らはわたしの国で生き残るだろう。山々と川とすべてのものが止むことなく歓呼し、絶えることなく跳び回る。このとき、誰一人退こうとする者はなく、抵抗して立ち上がろうとする者はいない。これはわたしの素晴らしい業であり、それはさらに、わたしの偉大な力である。わたしはすべてのものが心の中でわたしを尊うようにする。そしてさらに、すべてのものがわたしを賛美するようにする。これは、六千年のわたしの経営(救いの)計画の究極の目的であり、わたしがそれを定めたのである。一人の人間も、一つの物体も、一つの事でさえも、あえてわたしに抵抗して立ち上がることも、わたしに逆らって立ち上がることもない。わたしの民は皆わたしの山に流れて来て(これは後にわたしが創造する世界を意味している)、わたしの前で服従する。それは、わたしには威厳と裁きがあり、わたしが権威を持っているからである。(これはわたしが体に宿っているときを指している。わたしは肉においても権威を持っているが、肉の中では時間と空間による制限を超越することができないので、わたしが完全な栄光を得たとは言えない。わたしは長子たちを肉において獲得するが、それでもなお、わたしが栄光を得たとは言えないのだ。わたしがシオンに戻り、わたしの外観を変えるとき初めて、わたしは権威を持ち、すなわち、栄光を得ると言ってよいのだ。)わたしにとっては難しいことは何もない。あらゆるものは、わたしの口から出る言葉によって破壊される。そして、それらが存在するようになり完全にされるのは、わたしの口の言葉によってだからである。わたしの偉大な力と権威はこのようである。わたしは力と権威に満ち溢れているので、わたしを妨げられる者は一人もいない。わたしはすでにすべてのものに勝利し、すべての反逆の子らに打ち勝ったのだ。

『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第百二十章」より

5.わたしはわたしの栄光をイスラエルに与え、その後その栄光を移す、そしてイスラエルの人々を東方へ連れて行き、すべての人々を東方へ連れて行った。わたしは彼らをみな「光」へと導いた、彼らが光と再会し、光と交わり、それ以上探す必要がないように。わたしは探し求めているすべての者が再び光を見て、わたしがイスラエルで持っていた栄光を見られるようにする。わたしはずっと前に白雲に乗って人々の間に降ったことを彼らが理解するようにし、無数の白い雲と豊かな果実、さらにはイスラエルの神ヤーウェを見るようにしよう。わたしは、彼らがユダヤ人の「先生」、待望のメシア、そして歴代の王たちによって迫害されてきたわたしの完全な姿を見上げるようにする。わたしは、全宇宙の働きを行い、偉大な働きをし、わたしの栄光のすべてとわたしの業すべてを、終わりの日に人々に表す。わたしは、わたしの栄光に満ちた全容を、長年わたしを待った人々、わたしが白雲に乗って下るのを熱望してきた人々、わたしが再び現れるのを熱望してきたイスラエル、そしてわたしを迫害するすべての人類に見せる。それによって、すべての者はわたしがずっと前にわたしの栄光を取り去ってそれを東方へもたらしていたことを知るだろう。それはもはやユダヤにはない、なぜなら終わりの日はすでに来ているからである。

『言葉は肉において現れる』の「七つの雷が轟く──神の国の福音が宇宙の隅々まで広まることを預言」より

6.宇宙の隅々までわたしはわたしの働きを行っている。東方では、雷のような轟音が終わることなく発生し、すべての国々と教派を震わせている。すべての人々を現在に連れて来たのはわたしの声である。わたしはすべての人々がわたしの声により征服され、みなこの流れに落ち、わたしの前に帰服するようにする。わたしはずっと前に全地からわたしの栄光を取り戻し、東方で新たにそれを発したからである。わたしの栄光を見ることを願わない者がいるだろうか。わたしの再臨を心待ちにしない者がいるだろうか。わたしが再び現れることを渇望しない者がいるだろうか。わたしの愛らしさを思慕しない者がいるだろうか。光の元へ来ようとしない者がいるだろうか。カナンの地の豊かさを見上げようとしない者がいるだろうか。「贖い主」が再び来るのを待ち望まない者がいるだろうか。偉大なる全能者を敬慕しない者がいるだろうか。わたしの声は全地の隅々まで広められるであろう。わたしはわたしに選ばれた者に向かって、彼らにもっと話しかけたいと願う。山々や川を震わせる強大な雷のように、わたしは全宇宙と人類にむかってわたしの言葉を話しかける。そしてわたしの口にある言葉は人の宝になり、すべての人々はわたしの言葉を大切にする。稲妻が東から西へひらめき渡る。わたしの言葉は、人が決して手放したくないもの、そして測り難いものであるが、それ以上に彼らにさらなる喜びをもたらすものである。生まれたての赤児のように、すべての人々は喜びに満ち、わたしの到来を祝う。わたしはすべての人々を、わたしの声によってわたしの前へ連れて来る。その時から、わたしは正式に人類へ入る、人々がわたしを礼拝するために。わたしから放たれる栄光とわたしの口にある言葉によって、人々はみなわたしの前へ来るようになり、稲妻が東方から閃くこと、またわたしが東方の「オリーブ山」に降ったことも知るようになる。彼らはわたしがずっと前からすでに地上にいたことを知り、「ユダヤ人の息子」ではなく、東方の稲妻だと知るだろう。なぜならわたしはずっと前に復活し、人々の中から去って、その後栄光と共に再び人々の中に現れたからである。わたしは幾時代も前に崇拝された神であり、幾時代も前にイスラエル人によって見捨てられた「赤児」である。それだけでなく、わたしは今の時代の栄光に満ちた全能神である。すべての者をわたしの玉座の前に来させ、わたしの栄光に満ちた顔を見させ、わたしの声を聞かせ、わたしの業を見上げさせなさい。これがわたしの心の全てである。これがわたしの計画の結末であり、クライマックスであると同時に、わたしの経営の目的でもある。すべての国々にわたしにひれ伏させ、すべての人にその言葉でわたしを認めさせ、すべての人にわたしを信頼させ、またすべての人がわたしに服従するようにしなさい。

『言葉は肉において現れる』の「七つの雷が轟く──神の国の福音が宇宙の隅々まで広まることを預言」より

7.わたしの話が深くなる中で、わたしはまた宇宙のありさまも見ている。わたしの言葉によって、無数の被造物がみな新たになる。天は変わり、地も変わる。人間は本来の形を現し、ゆっくりと、それぞれ同じ種類のものたちと共に、それと知らぬ間に家族のもとに戻っていく。そこで、わたしは大いに喜ぶだろう。わたしは妨げられることなく、だれもそれと知らないうちに、わたしの大いなる働きは完了し、だれもそれと知らないうちに、無数の被造物は変化する。わたしが世界を創ったとき、わたしはすべてのものをそれぞれに創った。すべての形あるものをそれぞれの種類に集まるようにした。わたしの経営(救いの)計画が終わりに近づくと、天地創造当初の状態を回復させ、すべてを本来の姿に戻す。すべては大きく変わり、すべてはわたしの計画の内に戻る。時は来た。わたしの計画の最後の段階が終わろうとしている。ああ、不浄な古き世界。必ずや、わたしの言葉に倒れる。必ずや、わたしの計画で無になる。ああ、無数の被造物たち。あなたがたは、みな、わたしの言葉の内で新たないのちを得る。今、あなたがたには主がいるのだ。ああ、純粋でしみ一つない新たな世界。必ずやわたしの栄光の中でよみがえる。ああ、シオンの山よ。もはや沈黙するな。わたしは勝利の内に帰ってきた。創造の中から、わたしは全地を調べる。地上で、人間たちは新たな生活を始め、新たな希望を得た。ああ、わが民よ。どうして、あなたがたがわたしの光の中で復活しないでいられようか。どうして、あなたがたがわたしの導きの下、喜びに跳ね上がらないことがあろうか。地は歓喜の声を上げ、水は楽しい笑い声を響かせる。ああ、よみがえったイスラエルよ。わたしの定めをどうして誇りに感じないことがあろう。誰が泣いたのか。誰がうめき声を上げたのか。かつてのイスラエルは、もうない。そして、今日のイスラエルは立ち上がった、塔のようにまっすぐに、この世に、すべての人間の心の中に立ち上がった。今日のイスラエルは必ずや、わが民を通じて存在の源を得る。ああ、忌まわしいエジプトよ。まことに、もうわたしに敵対はしないだろう。どうしてわたしの憐れみを利用してわたしの刑罰を免れようとするのか。どうしてわたしの刑罰の内に存在できないのか。わたしの愛する者はみな、必ず永遠に生き、わたしに敵対する者はみな、必ず永遠に刑罰を受ける。わたしはねたみ深い神だから、わたしは人間の行いを軽々しく赦さない。わたしは地上すべてを観察し、世界の東に義と威厳、怒り、刑罰をもって現れ、すべての人間たちにわたしを現す。

『言葉は肉において現れる』第二部「全宇宙への神の言葉」の「第二十六章」より

8.わたしは唯一無二の神自身であり、さらに唯一の神の本体であり、またわたしという肉全体は、何よりも神の完全なる表象である。わたしを畏れない者、反抗的な目をする者、わたしに反抗的な言葉を話す者は誰でも、必ずわたしの呪いと怒りによって死ぬだろう(わたしの怒りの故に呪いがあるであろう)。また誰でもわたしに忠誠と子としての愛を示さず、わたしを騙そうとする者は、わたしの憎しみの中で必ず死ぬだろう。わたしの義と威厳と裁きは永遠に続くであろう。最初、わたしは愛と憐みに満ちていたが、これはわたしの完全な神性の性質ではない。義、威厳と裁きこそが、わたし──完全な神自身──の性質である。恵みの時代の間は、わたしは愛と憐みに満ちていた。わたしが完了しなければならなかった働きのために、わたしは慈愛と憐みを持っていたが、その後では慈愛と憐みは必要なかったのだ(それ以来一切ない)。それはすべて義と威厳と裁きであり、これは、わたしの完全な神性と結びついたわたしの普通の人性の完全な性質である。

『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第七十九章」より

9.七つの雷鳴が玉座から発せられ、宇宙を揺るがし、天と地をくつがえし、その響きは空を貫く。その貫くような音はすさまじいので、人々は逃げることも隠れることもできない。稲妻と雷鳴が発せられると、たちまち天地は変化し、人々は瀕死の状態になる。すると、空から激しい暴風雨がやって来て、電光石火の速さで宇宙全体を一掃する。地球の隅々では、それは降り注ぐ豪雨となって全ての片隅や割れ目に流れ込み、染みひとつ残さない。頭の先からつま先まで洗い流し、隠れられるものなどひとつもなく、流されずに逃れられるものは何もない。雷鳴の轟きは、輝く稲妻の不気味な閃光と同様、人々を恐怖に震えさせる。鋭い諸刃の剣は反逆の子らを打ち倒し、まったく逃れる場所がない敵は大災害に直面し、激しい嵐の中で彼らの頭は混乱し、意識を失ってばったり倒れると、彼らは息絶えて、瞬く間に水の流れに流される。彼らは自分の命を守る術もなく、ただ死んでいく。わたしから七つの雷鳴が発せられ、それらはわたしの意図を伝える。その意図とは、エジプトの長子を打つこと、邪悪な者を罰し、わたしの教会を清め、その結果、人々が互いに寄り添い合い、みなが同じように考えて行動し、わたしとひとつの心になり、そして宇宙のすべての教会がひとつの教会として建て上げられることである。これがわたしの目的である。

雷鳴が轟くとき、泣き叫ぶ声が波のように起こる。一部の者たちは眠りから覚め、酷く驚いて、自分達の心の奥深くを探り、玉座の前に急いで戻る。彼らはごまかしたり、騙したり、犯罪を犯したりすることを止める。そのような者たちが目覚めるのに、まだ遅くはない。わたしは玉座から見る。人々の心の奥深くを見る。わたしは、心から、熱心にわたしを求めるものを救い、そのような者たちに憐れみをかける。他の何にも増してわたしを心から愛する者たち、わたしの旨を理解する者たち、そして道の終わりまでわたしに従う者たちを、わたしは救って永遠へと招き入れる。わたしはこの手で彼らをしっかりと掴んでいるので、彼らがこの光景に直面することはなく、彼らが傷つくことはない。ある者たちは、稲妻が走るこの光景を見て、悲惨な気持ちになり、声を上げることができなくなり、悔やむがもう遅過ぎる。このようなふるまいに執着するのであれば、彼らはもう手遅れである。ああ、全てが、全てが……全てが完了するのだ。これはわたしによる救いの手段のひとつである。わたしは、わたしを愛するものを救い、邪悪な者を打ち倒す。そうすれば、地上でわたしの国は安定して揺るぐことはなく、すべての国々と人々、そして宇宙の果ての人々は、わたしは威厳であり、わたしは燃え盛る炎であり、全ての人の心の奥深くを探る神であることを知るであろう。これからは、偉大な白い玉座の裁きが大衆に公に現され、裁きが始まったことが全ての人に告げられる。

『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第三十五章」より

10.雷鳴のような声が発せられ、宇宙全体を揺るがし、人々の耳をつんざき、彼らが逃れるにはもう遅すぎる。そして、ある者は殺され、ある者は滅ぼされ、また、ある者は裁かれる。それは本当に誰も見たことのないような光景である。耳を澄ましてみなさい。雷鳴の轟きといっしょに泣き叫ぶ声が聞こえてくる。その声はハデスから聞こえ、地獄から聞こえてくる。それは、わたしによって裁かれた反逆の子らの苦々しい声である。わたしの言うことを聞かず、わたしの言葉を実践しない者は厳しく裁かれ、わたしの怒りの呪いを受ける。わたしの声は裁きと怒りであり、わたしは誰も容赦しないし、誰にも憐みを示さない。わたしは義なる神であり、わたしは憤っており、燃えており、清めており、滅ぼしているからである。わたしの中では何も隠されておらず、感情的なものは何もなく、むしろすべてが開かれており、すべてが義であり、公平である。わたしの長子たちは既にわたしと共に玉座に就いて、すべての国々とすべての民族を支配しているので、それらの正しくない不義のものや人々は、今裁かれつつある。わたしは、何一つ見逃すことなく、完全に暴露して、彼らを一人ずつ探るであろう。何故なら、わたしの裁きは完全に明らかにされ、完全に公開されており、留められるものは何ひとつないからである。わたしは、わたしの旨に適わないものは何であれ投げ棄て、底なしの穴で永遠に滅びるようにする。わたしはそれが底なしの穴で永遠に燃えるようにする。これがわたしの義であり、わたしの公正さである。誰もこれを変えることはできず、それはわたしの命令に従わなければならない。

『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第百三章」より

11.わたしは義であり、わたしは信実であり、わたしは人の心の奥底を探る神である。わたしはすぐに正しい者と不正な者を明らかにするが、あなたがたが警戒する必要はない。すべてはわたしの時に従って行われる。わたしを心から求めているのは誰か、わたしを心から求めていないのは誰かを、あなたがたに教えよう。ただあなたがたはわたしの言葉を、よく食べ、よく飲み、わたしの前に出てわたしに近づくだけで、わたしが自らわたしの働きをする。あなたがたはすぐに成果を見ようと焦ってはいけない。わたしの働きは一度に全て完成するものではない。その中にはわたしの段階と知恵があり、故にわたしの知恵が明らかになる。わたしの手によって行われることが何であるかを、あなたがたに見せよう。それは悪を罰し、善に報いることである。わたしは誰もひいきすることはない。わたしは、わたしを心から愛する者を愛し、私を愛さない者には常にわたしの怒りが臨む。そうして、わたしが真の神であり、人間の心の奥底を探る神であることを彼が永遠に忘れないようにする。

『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第四十四章」より

12.わたしは心からわたしのために尽くし、わたしに身を捧げる者のすべてを愛する。わたしは、わたしから生まれていながら、わたしを知らず、わたしに抵抗さえする者のすべてを嫌う。わたしは心からわたしに味方する者は誰でも見捨てず、彼らの祝福を倍にする。わたしは恩知らずの者には二倍の罰を与え、簡単には容赦しない。わたしの国では曲がったことや偽り事、この世のものは一切ない。つまり、全く死者の臭いがなく、すべてが公正であり、義であり、すべては純粋であり、開かれており、何も隠れておらず、何の秘密もない。すべてが新鮮で、すべてが喜びであり、すべが啓発的である。誰かが死者の匂いをまだ持っているなら、その者は決してわたしの国に留まることができず、わたしの鉄の杖によって支配される。

『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第七十章」より

13.ほんとうに王として統治する者たちは、わたしの予定と選択に依るのであり、そこにはどんな人間の意志もあってはならない。もし誰かがこれに介入しようとするなら、その者はわたしの手によって打たれなければならず、彼はわたしの焼き尽くす火の対象である。これはわたしの義と威厳のもう一つの側面である。わたしは言った。わたしは万物を支配し、完全に権威を振るう知恵ある神であり、わたしは誰にも寛容でなく、情け容赦なく、個人的感情を持っていないと。わたしは誰であれ(その人がどれだけ上手に話そうが、わたしは彼を放免しない)わたしの義と公正と威厳によって取り扱う。そしてその一方、わたしの行いの奇跡を誰もがもっと見られるようにし、わたしの行いの意味を彼らが悟れるようにする。わたしは悪霊たちのあらゆる種類の行いを一つずつ罰し、それらを一つずつ底なしの穴に投げ込む。時が始まる以前にわたしはこれらの働きを完了し、悪霊たちにどんな地位も、彼らが働らけるどんな場所も残さなかった。わたしが予め定め、選んだ人々はすべて、どんなときにも悪霊たちによってとり憑かれることはなく、いつも聖なるものである。わたしが予め定めも選びもしなかった者は、サタンに引き渡し、わたしのもとには留まらせない。

『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第七十章」より

14.あなたはわたしがどのような人間を求めているかを知らなければならない。不純な人間は神の国に入ることを許されないし、また不純な人間が聖地を汚すことも許されない。あなたがたとえどれほど長くまたどれほど多くの働きを行ってきたとしても、最後のときになって未だ甚だしく汚れていれば、わたしの国に入ることは天の律法が許さないのである。世の初めから今日まで、人がいかに取り入ろうとも、人がわたしの国に入るのにわたしが便宜を図ったことはない。これは天の掟であり、誰にも破ることは許されない。

『言葉は肉において現れる』の「成功するかどうかはその人の歩む道にかかっている」より

15.すべてが秩序正しくなるとき、それはわたしがシオンに戻る日である。そして、その日はすべての人々によって記念されるだろう。わたしがシオンに戻るとき、地上のすべてのものは静まりかえり、安らぐ。わたしがシオンに戻って来ると、すべてのものは本来の外観を取り戻す。その時、わたしはシオンでわたしの働きを開始し、悪者を罰し、善人に報い、わたしの義を実施し、わたしの裁きを実行するだろう。わたしは、わたしの言葉を使って、すべてを成し遂げ、あらゆる人とあらゆる物にわたしの刑罰の手を体験させる。わたしは、すべての人々に、わたしの栄光のすべて、わたしの知恵のすべて、そしてわたしの豊かさのすべてを見せる。すべてがわたしによって完成するので、立ち上がって批判する者は一人もいない。この中に、誰もがわたしの名誉のすべてを見て、すべてのものがわたしの勝利のすべてを体験するだろう。あらゆるものがわたしと共に現れるからだ。このことから、人はわたしの偉大な力と権威を十分に見ることができる。誰もわたしを憤慨させることはなく、誰もわたしを妨げようとはしないだろう。すべてのことはわたしによって公けにされる。何かをひとつでも隠そうとする者は誰か。わたしはそのような者には絶対に憐みを示さない。このような惨めな者はわたしの厳しい罰を受け、このような屑はわたしの目の前から取り除かれなければならない。ほんの少しの容赦もなく、彼らの感情をまったく考慮せずに、わたしは鉄の杖で彼らを支配し、わたしの権威を用いて彼らを裁く。なぜなら、わたしは、感情を持たず、威厳があり、誰にも憤慨させられることのない神自身だからである。時が来て、「原因や理由もなく」わたしによって打たれ、滅ぼされることを避けるために、すべての者がこのことを理解し、見るべきである。なぜなら、わたしの杖はわたしを怒らせるすべての者を打つからである。彼らがわたしの行政命令を知っていようがいまいが、わたしにはまったく関係ない。わたしの本体は誰からの侵害も許さないので、それはわたしには全く重要でない。これが、わたしが獅子であると言われている理由だ。わたしが触れる者は誰でも、わたしによって打ちのめされるだろう。わたしが憐れみといつくしみの神だと今言うことは、わたしを冒涜することであると言われている理由はこれなのだ。わたしは、本質的には子羊ではなく、獅子である。誰もあえてわたしを怒らせることはない。また、わたしを怒らせる者は誰であれ、何の感情も示されず、わたしが直ちに死によって罰する。

『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第百二十章」より

16.わたしは燃えつくす火であり、侮辱に耐えることはしない。人間はすべてわたしから作られたのであるから、わたしのすべての言葉や行いに人々は従わなければならず、抵抗してはならない。人々はわたしの働きに干渉する権利はなく、特にわたしの働きや言葉の何が正しく何が間違っているかを分析する資格はない。わたしは創造の神であり、被造物はわたしに対し畏敬の念を持って、わたしが求めるすべての事を成し遂げるべきである。また、わたしに対し理を説くべきでもないし、抵抗はなおさらするべきではない。わたしは自らの権威をもって我が民を統べ、わたしの創造の一部を成す者はすべてわたしの権威に従うべきである。今日あなた方はわたしの前にあって大胆で厚かましく、わたしがあなた方を教えるのに用いる言葉に従わず、恐れを知らないが、わたしはただあなた方の反抗に耐えているだけである。取るに足らない蛆虫が糞の山で汚物を掘り返しているからといって、わたしは怒りを爆発させてわたしの働きに影響を及ぼすようなことはしない。わたしは父の旨のために、わたしが言葉を発し終えてわたしの最後が来るまで、忌み嫌うものすべてが存在し続けるのに耐える。

『言葉は肉において現れる』の「落ち葉が土に還る時、あなたは行ったあらゆる悪事を後悔するであろう」より

17.わたしの憐れみは、わたしを愛し、自分たちを否定する者たちに現わされている。そして、悪い者たちにもたらされる懲罰はわたしの義なる性質の証明そのものであり、それ以上にわたしの怒りの証である。災いがやって来ると、わたしに反抗する者たちすべてに飢饉や疫病が降りかかり、彼らは涙を流す。あらゆる種類の悪事を犯してきたが、長年わたしに従って来た者たちは罪を免れることはできない。彼らも時代を超えて、ほとんど目にしたことのない災いのただ中で、絶えず恐怖と不安を抱き生きるだろう。そして、わたしだけに忠誠を示して従って来た人たちは喜び、わたしの力に拍手喝采する。彼らは言葉に表せないほどの満足感を体験し、わたしが人類にいまだかつて与えたことのない喜びの中で生活する。わたしは人の善行を宝とし、悪行を忌み嫌うからだ。わたしが初めて人類を導き始めたときから、わたしと同じ心を持った人たちの集まりを獲得することを熱望してきた。そして、わたしはわたしと同じ心を持っていない人たちを決して忘れることはなく、彼らに相応しい報いを与えて楽しむ機会を待ち望みながら、彼らを憎しみと共に心の中に持ち続けてきた。今日、遂にその日を迎え、もはや待つ必要はなくなった。

『言葉は肉において現れる』の「終着点のために、善行を十分積まなければならない」より

18.あなたは既に祭壇で誓っているのだから、わたしの目の前であなたが逃げ出すのを許さず、二人の主人に仕えることを許しはしない。わたしの祭壇で、わたしの目の前で誓った後に、別の者を愛せると思ったのか。そんな風にわたしを笑いものにするのを許すことなどあろうか。あなたは自分の舌で気軽にわたしへの誓いを立てられるとでも思ったのか。いと高き者であるわたしの玉座に誓いを立てることなどどうして出来たのか。自分の誓ったことなどどこかへ消えていってしまったと思ったのか。言っておくが、たとえあなた方の肉体が消えようとも、あなた方の誓いは消えはしない。最後には、あなたの誓いによってあなたを罪に定めよう。それでもあなたは自分の言葉でわたしに対応できると考え、その心で穢れた霊と邪悪な霊に仕えることができると考える。わたしをそそのかす犬や豚同然の人間に対して、怒らずにいられるとでも言うのか。わたしは自らの行政命令を執行し、穢れた霊どもの手から、わたしを信じる、堅苦しく「敬虔な」者たちを奪い返さなければならない。彼らはわたしの役牛となり、馬となり、食肉処理してもらえるのを、整然と「待って」いる。あなたに以前の決意を思い出させ、もう一度わたしに仕えさせる。わたしはどんな創造物に対してもわたしをごまかすことを許さない。あなたはわたしに対して気まぐれに要求し、偽ることが出来ると思ったのか。あなたの言動を見聞きしていないとでも思ったのか。あなたの言動がわたしの目に触れないままであるはずなどない。そのようにわたしをごまかすままにさせることなどできようか。

『言葉は肉において現れる』の「あなた方の性格は卑しすぎる」より

19.天使たちがわたしを褒めたたえて音楽を奏でる時、わたしは人に対する同情をかき立てられずにはいられない。直ちに、わたしの心は悲しみで満たされ、わたしからこのつらい感情を取り除くことはできない。人から引き離され、その後再び結び合わされる喜びと悲しみの中で、わたしたちは感情を交わすことができない。上にある天と、下にある地とに分けられ、人とわたしは定期的に会うことができない。誰が過去の感情への懐古の情から抜け出すことができるだろう。誰が過去の思い出にふけるのをやめることができるだろう。過去の感慨が続くことを望まない者などいないだろう。わたしが戻ってくることを切望しない者はないだろう。わたしと人の再会を待ち焦がれない者がいるだろうか。わたしの心は深く悩み、人のいのちには深い憂いがある。霊においては似ていても、わたしたちはあまり一緒にはいられない。わたしたちは頻繁には会えない。だから、全人類の人生は悲しみに満ち、活力に欠けている。人はいつもわたしを渇望しているからである。人間はあたかも天から叩き出された物体のようである。彼らは地上でわたしの名を呼び、地上からわたしを見上げる──しかしどうしたら彼らは飢えた狼の口から逃れることができるだろう。どうしたら人間は狼の脅しや誘惑から逃れることができるだろう。人間がわたしの計画の手筈に従って自分を犠牲にしないで済むことなど、できるだろうか。彼らが大声で懇願する時、わたしは彼らから顔をそむけ、もはや見つめることに耐えられない。しかし、どうして彼らの涙ながらの叫びを聞かずにいられようか。わたしは人間世界の不当な行為を正すだろう。わたしは世界中で自らの手で働きを行い、サタンが再びわたしの民に危害を与えるのを禁止し、敵が再び好き放題に行うのを禁止する。わたしは地上の王になり、玉座を地上に移し、わたしの敵をすべて地面に倒し、わたしの前でその罪を自白させるだろう。わたしの悲しみの中に怒りが混じり合い、わたしは全宇宙を踏みにじって平らにし、誰も見逃さず、わたしの敵に恐怖心を起こさせるだろう。わたしは全世界を廃墟とし、敵をその廃墟に落とし入れるので、これ以降敵が人類を堕落することはもうなくなるだろう。わたしの計画はすでに決定しており、誰も、何者であろうとも、それを変えることはできない。わたしが全宇宙の上方を堂々と荘厳に歩き回る時、全人類は新しくなり、すべては復活するだろう。人はもはや嘆くことはなく、わたしに助けを求めて叫ぶこともなくなる。そのようになった時、わたしの心は大いに喜び、人々はわたしを祝うために戻って来るだろう。全宇宙は上から下まで喜びに湧きかえるだろう。…

『言葉は肉において現れる』第二部「全宇宙への神の言葉」の「第二十七章」より

20.この広大な世界で、数え切れないほどの変化が起こっている。大海は変じて田園となり、田園は変じて大海となり、これが何度も繰り返されている。宇宙の万物を統治する方を除いては、この人類を導き案内できる者はいない。この人類のために労したり備えたりできる力ある者は存在せず、ましてや人類を光の終着点へと導き、この世の不正から解放できる者などいるはずもない。神は人類の未来を嘆き、人類の堕落を悲しみ、人類が一歩一歩、滅びと戻ることのできない道に向かって進んでいることに心を痛めている。神の心を引き裂き、神を棄てて邪悪な者を求めた人類、このような人類がどこに向かっているのかを考えたことのある者がいるだろうか。まさにこれこそが、誰も神の怒りを感知せず、誰も神を喜ばせる道を求めようともせず、神のもとへ近づこうとすることもなく、さらには、誰も神の悲しみと痛みを理解しようとしない理由である。神の声を聞いた後でさえ、人は自分の道を歩み続け、頑なに神のもとから離れ去り、神の恵みと配慮を避け、神の真理を避けて、神の敵であるサタンに自身を売ることの方を好む。そして、人がこのまま頑なであり続けるなら、後ろを振り向くこともなく神を見捨てたこの人間に対して神がどのようにふるまうかについて、誰が考えたことがあるのか。神が繰り返し人に思い起こさせ、勧告する理由は、人間の肉体と魂にはとうてい耐えられないような、未だかつてない災難を神はその手に準備しているからだということを知る者はいない。この災難は単に肉体の懲罰だけではなく、魂の懲罰でもある。あなたは知らなければならない。神の計画が無駄になり、神の喚起と勧告に反応が無いなら、神はどのような怒りを注ぐであろうか。それは今までどんな被造物も経験したことも聞いたこともないようなものである。だからわたしは、この災難は前例がなく、二度と繰り返されることはないと言う。なぜなら、神の計画とは今回一度だけ人類を創造し、一度だけ人類を救うことだからである。これが最初であり、また最後である。それゆえ、今回人類を救おうとする神の苦心や切なる期待を理解できる者は一人もいない。

『言葉は肉において現れる』の「神は人間のいのちの源である」より

21.わたしは以前言ったはずである。わたしは知恵ある神である。わたしはわたしの普通の人性を用いて、すべての人々とそのサタンのような振る舞いを露わにし、間違った意図を持つ者、他人の前では一様にふるまい、他人の背後では違うふるまいをする者、わたしに抵抗する者、わたしに不実である者、お金を渇望する者、わたしの重荷を考慮しない者、兄弟姉妹に対して欺瞞や不正を行う者、口達者で人々を喜ばせる者、そして兄弟姉妹たちと心と思いにおいて一致して協力することができない者たちを暴露する。わたしの普通の人性の故に、実に多くの人々が密かにわたしに抵抗し、欺瞞や不正を行い、わたしの普通の人性は知らないだろうと思い込んでいる。そして、実に多くの人々がわたしの普通の人性に特別注意を払い、わたしに良い食べものや飲みものを与え、召使のようにわたしに仕え、心の中にあることをわたしに話している一方、わたしの背後ではいつも全く違うふるまいをしている。盲目な人間たちよ。あなた方は全くわたしを分かっていない──人の心の奥底を見とおす神を。あなたは今なおわたしを知ってはいない。あなたが何をしているのかわたしは気づいていないと、あなたはまだ思っている。考えてみなさい。わたしの普通の人性故に、どれだけ多くの人々が自らを滅ぼしてきたことか。目を覚ましなさい。もうこれ以上わたしを欺いてはならない。あなたは、あなたのすべての行いとふるまい、一つひとつの言葉と行為をわたしの前に置いて、わたしの吟味を受け入れなければならない。

『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第七十六章」より

22.わたしの計画において、サタンは一歩ごとにかかとに噛み付いてきたのであり、わたしの知恵の引き立て役としてわたしの本来の計画を邪魔をする方法と手段をつねに探っている。しかし、わたしがサタンの欺きに満ちた策略に屈するものだろうか。天と地のすべてはわたしに仕えている。サタンの欺きに満ちた策略も同様ではないのか。これはまことにわたしの知恵の交わるところ、これはまことにわたしの業の驚くべきところであり、これはまことにわたしの全経営(救いの)計画が実行される原則である。神の国の建設の時代にも、わたしはサタンの欺きに満ちた策略を避けず、なすべき働きを続ける。宇宙のあらゆるものの中で、わたしはサタンの行いをわたしの引き立て役に選んだ。これはわたしの知恵ではないのか。これはまさに、わたしの働きの驚くべきところではないのか。

『言葉は肉において現れる』第二部「全宇宙への神の言葉」の「第八章」より

23.わたしが正式に働きを始めると、すべての人はわたしの動きにつれて動く。そのようにして、全宇宙の人々はわたしと共に働く。全宇宙に「歓呼の声」が響き、人間はわたしと共に勢いよく前進する。その結果、赤い大きな竜はうろたえ、狂乱し、わたしの働きに仕え、望まずとも、自分のしたいことができず、わたしの支配に従うしかなくなる。わたしの計画すべてにおいて、赤い大きな竜はわたしの引き立て役、わたしの敵、そしてまた、わたしのしもべである。したがって、わたしはけっして竜の「要求」を緩めたことがない。だから、受肉におけるわたしの働きの最終段階は、その家の中で完了するのである。このようにすれば、赤い大きな竜はよりよくわたしに仕えることができ、それによって、わたしはこれに打ち勝ち、計画を完了するのである。

『言葉は肉において現れる』第二部「全宇宙への神の言葉」の「第二十九章」より

24.わたしは初めであり、終わりである。わたしは復活した完全なる唯一の真の神である。わたしはあなた方の前でわたしの言葉を語る。そしてあなた方はわたしが言うことを固く信じなければならない。天地は滅び行くが、わたしが言うことの一点、一画としてすたれることはない。これを憶えておきなさい!憶えておきなさい!いったんわたしが語れば、一言も取り消されることはなく、一つひとつの言葉が成就されるのだ。

『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第五十三章」より

25.「わたしが語ったことは考慮されなければならないし、考慮されたことは完成されなければならない。そしてこのことは誰も変えることはできない。これは絶対的なことである。」わたしが過去に言ったことであろうと、将来言うことであろうと、すべては実現し、人類すべてがそれを目にするだろう。これはわたしの言葉の働きの背後にある原理である。…宇宙で起こるすべてのことの中で、わたしが最終的な決定権を持たないものはない。わたしの手の中にない存在などあるだろうか。わたしの言うことはすべてその通りに進み、人々の中にはわたしの心を変えられる者はない。それが、わたしが地上で行った契約なのか。何事もわたしの計画を妨げることはできない。わたしの経営の計画と同様に、わたしの働きの中にも、絶えずわたしは存在している。いったい誰が妨害できようか。これらを直接準備したのはわたしではないか。今日のような状況になっても、わたしの計画や予測から外れることは決してない。すべてわたしがずっと以前に決めていたのだ。あなた方の中の誰がこの段階のためのわたしの計画を推測できるだろう。わたしの民はわたしの声に耳を傾け、わたしを本当に愛する一人一人がわたしの玉座の前に戻るだろう。

『言葉は肉において現れる』第二部「全宇宙への神の言葉」の「第一章」より

26.私たちは、いかなる国家も勢力も神が果たそうと願うものの前に立ちはだかることはできないと信じている。神の働きを妨害し、神の言葉に抵抗し、神の計画をかき乱し、阻害する者たちは最終的には神に罰せられる。神の働きに逆らう者は地獄に送られる。神の働きに反抗する国家は滅ぼされる。神の働きに反対するために立ち上がる民族は地上から一掃され、消滅する。

『言葉は肉において現れる』の「神は全人類の運命を支配する」より

27.すべてはわたしの言葉で成し遂げられる。誰一人手を出すことはできない。また、誰一人、わたしのしている働きをすることは、できない。わたしは全地の空気をきれいに拭い、地上にいる悪魔たちの痕跡を一掃しよう。わたしはすでに始めている。そして、わたしの刑罰の働きの第一段階を赤い大きな竜のすみかで始める。そうして、わたしの刑罰が全宇宙に及ぶと、赤い大きな竜とあらゆる不浄な霊が無力で、わたしの刑罰を免れないことがわかる。わたしは全地を調べるのだから。地上でのわたしの働きが完了すると、つまり、裁きの時代が終わると、わたしは正式に赤い大きな竜を刑罰する。わが民は、わたしが赤い大きな竜に与える義の刑罰を見る。人々は、わたしの義のゆえにたたえをささげ、わたしの義のゆえに、永遠にわたしの聖なる名を称える。そこで、あなたがたは、正式に本分を果たし、全地で正式にわたしをたたえる。永遠に絶えることなく。

『言葉は肉において現れる』第二部「全宇宙への神の言葉」の「第二十八章」より

28.神の国を迎える祝砲が鳴り響くとき──これはまた、七つの雷が轟くときでもある──この音が天と地とを激しく揺さぶり、天空を震わせ、すべての人間の心の糸を震わせる。神の国の讃歌が赤い大きな竜の国で厳かに響く。わたしが赤い大きな竜の国を破壊し、わたしの国を建てたことを証ししているのだ。さらに重要なことに、わたしの国は地上に建てられる。このとき、わたしは天使たちを世界のすべての国々に遣わし、わたしの子ら、わが民を牧養するようにする。これはまた、わたしの働きの次の段階のために必要なことなのである。しかし、わたしは、赤い大きな竜がとぐろを巻いて横たわる場所に、戦いに行く。すべての人間が肉の内においてわたしを知るようになり、わたしの行いを肉の内において見ることができるようになるとき、赤い大きな竜のねぐらが灰となり、跡形もなく消える。

『言葉は肉において現れる』第二部「全宇宙への神の言葉」の「第十章」より

29.民がみな完全にされ、地上の全ての国々がキリストの国となるとき、七つの雷鳴がとどろく。現在はその段階へ大きく前進する時であり、その時に向かって侵攻する。これが神の計画である──近い将来、それは実現する。しかし、神は自身が語ったこと全てを既に達成している。それ故、地上の国々は大波が押し寄せれば揺れてしまう、砂の上に建てられた城にすぎないことは明らかである。終わりの日は迫っている。赤い大きな竜は神の言葉の下に倒れる。神の計画が成功裏に実行されたことを確認するため、天使たちが地上に降りてきて、神を満足させるために最善を尽くす。肉となった神自身が出陣し、敵に戦いを挑む。受肉した神が現れる場所はどこであれ、敵は滅ぼされる。真っ先に滅ぼされるのは中国で、神の手によって破壊される。神は中国を一切容赦しない。

『言葉は肉において現れる』第二部「全宇宙への神の言葉の奥義の解釈」の「第十章」より

30.わたしは神の国を支配し、さらに、全宇宙を支配している。わたしは神の国の王であるとともに、全宇宙の主でもある。今から後、わたしは選民でない人々をすべて集め、異邦人の間で働きを始める。そして、わたしの行政を全宇宙に告げ、わたしの働きの次の段階を開始できるようにする。わたしは異邦人の間にわたしの働きを広めるために刑罰を与える。つまり、異邦人である者たちには力を用いるということだ。当然、この働きは、選民たちの間でのわたしの働きと同時に進められる。わたしの民が支配し、地上で力を振るう時はまた、地上のすべての人が征服される日であり、そして、さらに、わたしが憩うときでもある。そして、その時初めて、わたしは征服した人々みなの前に姿を現す。わたしは聖なる国では姿を現し、汚れの地では姿を隠す。征服されわたしに従順となった者はみな、その目でわたしを見ることができ、その耳でわたしの声を聞くことができる。これが終わりの日に生まれた者の恵み、これがわたしの定めた恵みであり、これはどの人間にも変えることができないのだ。

『言葉は肉において現れる』第二部「全宇宙への神の言葉」の「第二十九章」より

31.世界は崩壊しつつある。バビロンは麻痺している。宗教的世界──どうしてこれが、わたしの地上の権威により破壊されないことがあろう。誰がまだわたしに逆らい、敵対しようとするのか。律法学者たちか。すべての宗教関係者か。地上の支配者や権力者か。天使たちか。誰がわたしのからだの完全さと豊かさをたたえないだろう。すべての民の中で、誰がわたしの讃えをやむことなく歌わず、誰がいつでも幸福でないのか。わたしは赤い大きな竜のすみかのある国に住んでいる。しかし、わたしはそれで恐れに震えたり、逃げたりはしない。その民がみな、すでに赤い大きな竜を嫌い始めているからだ。竜の前で何か「本分」が尽くされたことはない。その代わり、みな自分がふさわしいと思う振る舞いをし、それぞれが最適と思う道を選んでいる。どうして地上の国々が滅びないことがあろう。どうして地上の国々が倒れないことがあろう。

『言葉は肉において現れる』第二部「全宇宙への神の言葉」の「第二十二章」より

32.わたしの最後の仕事は人を懲罰するためだけのものではなく、人の終着点を決めるためのものでもある。さらに、わたしが行ってきたすべてのことに対して、あらゆる人たちから承認を受けるためである。わたしはすべての人にわたしが行ってきたことは正しく、わたしの行ったことは全てわたしの性質の表現であることを知って欲しいと思っている。人類を生み出したのは人の行いではなく、とりわけ大自然の行いではない。それどころか、創造されたすべてのものの中で、あらゆる生けるものを育むのはわたしである。わたしの存在なしには、人類は滅びる他なく、酷い災難を経験するだけであろう。だれも麗しい太陽や月、緑にあふれる世界を再び見ることはできないだろう。人類は極寒の夜や、避けられない死の影の谷に遭遇するだけだろう。わたしは人類の唯一の救いである。わたしは人類の唯一の望みであり、さらに、わたしは全人類がその存在を託すその者である。わたしがいなくては、人類はすぐに停滞してしまう。わたしがいなくては、たとえだれもわたしに注意していなくても、人類は壊滅的被害を受け、あらゆる種類の霊に踏みつけられるだろう。

『言葉は肉において現れる』の「終着点のために、善行を十分積まなければならない」より

33.わたしが再来するとき、国々はわたしの燃える炎がつくった境界線に沿ってすでに分断されているであろう。そのときわたしは自らを焼け付く太陽として人類に新たに顕し、人間がかつて見たことのない聖なるものの姿にて自らを公けに人間に示し、ちょうどわたし、ヤーウェがかつてユダヤの諸部族のあいだを歩いたように無数の諸民族のあいだを歩く。そこから、わたしは人類をその地上での生活において導く。そこで人々は必ずやわたしの栄光を見、また空中に雲の柱が一本、彼らを生活において導くためにあるのを見る。わたしは聖なる場所に出現するからである。人間はわたしの義なる日を、またわたしの栄えある出現を見る。それはわたしが全地球を統治し、わたしの多くの息子たちを栄光に至らせるときに起こる。地上のいたるところで人々はひれ伏し、わたしの幕屋は人類の真中に、わたしが今日行なっている働きの岩の上に堅固に打ち立てられる。人間はまた神殿でわたしに仕える。祭壇は汚らしくおぞましいもので覆われており、わたしはそれを粉々に打ち砕き、新たに建てる。生まれたばかりの子羊と子牛が聖なる祭壇の上に積み上げられる。わたしは今日の神殿を打ち倒し、新しい神殿を建てる。今日ある神殿は、嫌悪すべき人々で溢れており、それは倒壊する。わたしが建てる新しい神殿は、わたしに忠実なしもべで溢れる。彼らはわたしの神殿の栄光のために、再び立ち上がり、わたしに仕える。あなたがたはわたしが大いなる栄光を受ける日を、またわたしが神殿を倒し新しい神殿を建てる日を確かに見るであろう。また、あなたがたはわたしの幕屋が人間の世界に到来する日を確かに見るであろう。わたしは神殿を壊し、同じくわたしの幕屋を人間の世界にもたらす。それは、わたしの降臨を見るかのようなものである。あらゆる国々を打ち砕いた後、わたしは国々を新たに招集し、それよりわたしの神殿を建て、わたしの祭壇を据え付け、あらゆる者がわたしに犠牲を捧げ、神殿でわたしに仕え、異邦人の諸国におけるわたしの働きに忠実に自らを捧げることができるようにする。彼らは現代におけるイスラエルの民のようになり、祭司の式服と王冠で着飾り、わたし、ヤーウェの栄光が彼らの真中にあり、わたしの威厳が彼らの頭上において彼らとともに留まっている。異邦人の諸国におけるわたしの働きもまた同じ方法で実行される。イスラエルにおけるわたしの働きと同じように、異邦人の諸国におけるわたしの働きは行なわれる。なぜなら、わたしはイスラエルでの働きを発展させ、それを異邦人の諸国に広めるからである。

『言葉は肉において現れる』の「福音を広める働きはまた人間を救う働きでもある」より

34.人々はわたしに歓声を送り、わたしを讃える。全ての人は唯一の真の神の名を唱え、わたしの業を見ようと目を上げる。わたしの国はこの世界に降臨し、わたしの本質は富み、豊かである。これを祝福しない人などいようか。これに喜び踊らない人などあろうか。シオンよ。勝利の旗を掲げてわたしを祝福せよ。汝の意気揚々とした勝利の歌を歌い、わたしの聖なる名を広めよ。地の万物よ。今、わたしへのいけにえとして自らを清めよ。空の星よ。今汝らの場所に戻り、大空にわたしの偉大さを示せ。わたしは、わたしへの無限の愛と敬意を歌にて注ぐ、地の人々の声に耳を傾ける。この日、万物が活気を取り戻すと、わたしは地を歩きだす。この瞬間、花々は咲き、鳥たちは歌い、万物は歓喜に満ちる。神の国の礼砲の音にサタンの国は崩れ、神の国の讃歌のこだまする合唱にサタンの国は破壊される。そして、もはや蘇ることはないだろう。

敢えて立ち上がり抵抗しようとするものなどいるだろうか。地に降りると、わたしは灼熱を、怒りを、あらゆる災いをもたらす。地上の諸国は今やわたしの国である。空高く雲は崩れ、渦巻く。空の下、湖と川は波立ち、心を打つメロディーを紡ぐ。憩う生き物は巣から現れ、眠る人々はみなわたしにより目覚める。すべての人々が待っていた日がついに来た。人々は最も美しい歌をわたしに捧げる。

『言葉は肉において現れる』第二部「全宇宙への神の言葉」の「神の国の讃歌」より

35.いのちの道は、誰でも持てるものではなく、誰にでも簡単に得られるものでもない。なぜなら、いのちは神のみに由来しているからだ。それはすなわち、神自身のみがいのちの本質を持っており、神自身なくしていのちの道は存在せず、神のみが、いのちと永遠に流れつづけるいのちの生ける泉の源であることを意味する。神が世界を創造したとき以来、神はいのちの活力に関わる多くの働きをし、人にいのちを与える多くの働きをし、人がいのちを得られるよう多大な代償を払ってきた。神自身が永遠のいのちで、神自身が、人が復活できる道だからである。神が人の心に不在であることはなく、常に人の中に生きている。神は人の生活の原動力であり、人の存在の基盤であり、誕生後の人の存在にとっての豊かな鉱物である。神は人を生まれ変わらせ、人が自分の持つあらゆる役割においてしっかりと生きられるようにする。神の力と、神の消えることのないいのちの力のおかげで、人は何世代も生きてきた。その間ずっと、神のいのちの力は人の存在の支えであり、神は普通の人間が誰も払ったことのないような代償を払ってきた。神のいのちの力は、いかなる力にも勝る。そしていかなる力をも超越する。神のいのちは永遠であり、神の力は非凡であり、神のいのちの力はいかなる被造物や敵の力によっても簡単に圧倒されない。神のいのちの力は存在し、時と場所にかかわらず明るい輝きを放つ。神のいのちは、天や地が激変する間も永遠に不変である。万物は過ぎ去るが、神のいのちは依然としてそこにある。それは、神が万物の存在の源であり、それらの存在の根幹だからだ。人のいのちは神に由来し、天の存在は神に拠り、地の生存は神のいのちの力から生じる。活力を有するいかなる物体も神の主権を越えることはできず、いのちの力を有する何物も神の権威の及ぶ範囲から逃れ出ることはできない。このようにして、誰もが神の支配下に服従し、神の命令の下で生きねばならず、誰も神の支配から逃れられない。

『言葉は肉において現れる』の「終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる」より

36.広大な宇宙に、どれほどの生ける物が、一つの不変の規則にしたがって生き、いのちの法則に何度も何度もしたがって、生き、再生しているのか。死ぬ者は生きる者の物語を抱えて行き、生きている者は死んだ者と同じ悲劇的な歴史を繰り返す。そこで、人類は自問せずにはいられない。なぜわたしたちは生きるのか。そして、なぜわたしたちは死ななければいけないのか。誰がこの世界を支配しているのか。そして、誰がこの人類を創ったのか。人類はほんとうに大自然の生み出したものなのか。人類はほんとうに自分の運命を支配しているのだろうか。…数千年にわたり、人類はこうした問を何度も何度も発している。残念ながら、人類がこうした問に頭を悩ませれば悩ませるほど、ますます科学への渇望が強くなった。科学は、ささやかな肉の欲求の充足と、つかの間の肉の楽しみを与えるが、人類を魂の奥底にある孤独や寂しさ、かろうじて隠している恐怖と無力感から解放することなど到底できない。人類は単に肉眼で見、脳で理解できる科学的知識を用いて心を麻痺させているが、これは 人類が奥義を探ることを止めることはできない。人類は、宇宙万物の支配者が誰であるかを知らないし、まして、人類の始まりも未来も知らない。人間はこの法則の中で、ただ生きている、否応なしに。誰一人、逃れることができないし、誰もこれを変えることはできない。あらゆる物事の間と天において、永遠から永遠にすべてを支配しているのは、ただお一方だけだからである。それは、かつて人間が見たことがないお方、人類が知ることもないお方、その存在を人類は信じたこともない。しかし、それは人類の祖先に息を吹き込み、人類にいのちを与えたお方である。人間の生存のために施し、養い、今日まで導いて来たお方である。さらに、人類が生き残るために依存する唯一のお方なのである。彼は万物を支配し、天の下のすべての生ける物を支配している。彼は四季を支配し、風と霜、雪、雨を呼ぶ。彼は人類に陽光を与え、夜の訪れをもたらす。天と地とを整え、人間に山々と湖、川、すべての生き物を与えたのは彼である。彼の業はあらゆるところにある。その力はいたるところにある。その知恵はいたるところにある。その権威はいたるところにある。その法則や規則の一つひとつは彼の業の具現であり、その一つひとつが彼の知恵と権威とを明らかにしている。誰が彼の支配を免れることができようか。また、誰が彼の采配から逃れることができようか。万物は彼の眼差しの下にあり、さらに、彼の支配の下で生きている。彼の業と力の前に人類は、彼が実際に存在し、万物を支配していると認めざるを得ない。神を除いては、他の何も宇宙を支配できず、まして、やむことなく人類に施すこともできない。神の業を認識できるかどうか、神の存在を信じているかどうかにかかわらず、あなたの運命は神の定めるところであって、神が永遠にあらゆるものの支配権を持ち続けることに疑いはない。神の存在と権威とは、人間に認められ理解され得るかどうかによって左右されるものではない。神だけが人間の過去・現在・未来を知り、神だけが人類の運命を定めることができる。この事実を受け入れられるかどうかに関りなく、人類は近い将来、これらのことすべてをその目で見ることになる。そして、これは神が間もなく実現する事実である。人類は神の目の下で生き、死ぬ。人類は神の経営のために生きているのであり、その目が最期に閉じる時もまた、神の経営のためなのである。人間は何度も何度も来ては去り、行き来を繰り返す。例外なく、これはすべて神の支配し、定めていることである。神の経営は常に前進しており、やむことがない。神は人類に自身の存在を知らせ、神の支配を信じさせ、神の業を見させ、神の国に戻らせる。これが神の計画であり、何千年にもわたって神が行なってきた働きなのである。

『言葉は肉において現れる』の「神の経営の中でのみ人は救われる」より

37.神の性質というのは、人間の性格とは異なるため、誰にも極めて抽象的な問題に思われ、しかも、簡単には受け入れられないテーマである。神にもまた喜怒哀楽があるが、これら感情は人のものとは異なる。神には神そのものと神が持っているものがある。神が表し、明らかにするものは、全て神の本質と神の身分の表れである。神そのものと神が持っているもの、および神の本質と身分は、人が取って代わることができるものではない。神の性質には、人類への神の愛、人類への慰め、人類への憎しみが包含されており、しかも人類に対する完全な理解が包含されている。しかし、人の性格は楽観的、活気的、または無感覚である。神の性質とは、万物と全ての生けるものの支配者、全ての創造物の主に属するものである。彼の性質は尊厳、権勢、崇高さ、偉大さ、そして何よりも至高性を表す。彼の性質は権威の象徴であり、あらゆる正義の象徴であり、また、あらゆる美と善の象徴である。しかもそれは、暗闇やいかなる敵の勢力にも圧倒されず、侵害されることのない者の象徴[a]であり、同時に、いかなる被造物も背くことができない(そして背くことが許されない)者の象徴[b]である。彼の性質は最高権力の象徴なのである。一個人であれ複数であれ、いかなる人間も神の働きや性質を阻害できないし、阻害してはならない。しかし人間の性格は、動物よりもわずかに優位であることの象徴に過ぎない。人間は、自身の中にも自身においても、何の権威も自主性も、自分自身を超越する能力もないが、本質的に、様々な人々、出来事、または物に振り回されて怖じ気づく者である。

『言葉は肉において現れる』の「神の性質を理解することは極めて重要である」より

38.わたしが語った事柄の全てには神の性質が含まれる。わたしの言葉を注意深く考えるとよい。それらから間違いなく多くの利益を得るであろう。神の本質を理解することは非常に難しいが、わたしはあなたがた全員に神の性質について少なくともいくらかの認識があると信じている。ゆえに、わたしはあなたがたがそれをわたしに証明し、神の性質を犯さないより多くの事柄を行うことを望むのである。それがわたしを安心させてくれるだろう。例えば、常に心の中で神を思いなさい。何かを行う時は、神の言葉に従いなさい。全てにおいて神の心を探し求め、神を軽視したり神の栄誉を汚したりする事柄は行わないようにしなさい。さらに、神を心の奥に追いやって心の中の未来の隙間を埋めないようにしなさい。もしそのようなことをするならば、あなたは神の性質を犯すことになるのである。決して神を冒涜する事柄を口にしたり、神に対して不平を言ったりせず、神があなたの人生を通じてあなたに委ねた全ての事柄を正しく行うことができ、神の言葉の全てに従うならば、行政に触れることを首尾よく避けたことになる。例えば、「なぜわたしは彼が神であると思わないのか」、「これらの言葉は聖霊の導きと示しでしかないと思う」、「神がなす全ての事柄が正しいとは思わない」、「神の人間性が自分の人間性より優れているとは思わない」、「神の言葉はどうしても信憑性に欠ける」、または同様の批判的な事柄を言ったことがあるならば、罪を告白し、悔い改めることを勧める。人ではなく、神自身を犯すため、そうしなければ赦しの機会を得ることが決してないからである。人を批判しているだけだと思っているかもしれないが、神の霊はそのようには考えない。神の肉体を軽視することは、神を軽視することと同じである。もしそうであるならば、あなたは神の性質を犯したことはないだろうか。神の霊によってなされる事柄の全てが神の肉体における働きを支え、その働きを十分に行うためのものであることを覚えておかなければならない。これを無視するならば、あなたは神を信じることにおいて決して成功を収めることができない者であると言おう。あなたは神の怒りを買ったため、神はそれに見合う懲罰を使ってあなたに教訓を与える必要がある。

『言葉は肉において現れる』の「神の性質を理解することは極めて重要である」より

脚注

a. 原文では「されることがないことの象徴」となっている。

b. 原文では「背くことができない(そして背くことが許されない)ことの象徴」となっている。

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