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神の声を聞き主イエスの再臨を喜んで迎えなさい!

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賢いおとめたちとは本当は何を意味するのでしょうか?

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参照聖書箇所

「そこで天国は、十人のおとめがそれぞれあかりを手にして、花婿を迎えに出て行くのに似ている。……しかし、思慮深い者たちは、自分たちのあかりと一緒に、入れものの中に油を用意していた。……夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。そのとき、おとめたちはみな起きて、それぞれあかりを整えた。……そこで、用意のできていた女たちは、花婿と一緒に婚宴のへやにはいり、そして戸がしめられた。」(マタイによる福音書 25:1、4、6-7、10)

「わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。」(ヨハネによる福音書 10:27)

「小羊の行く所へは、どこへでもついて行く。」(ヨハネの黙示録 14:4)

「御座の正面にいます小羊は彼らの牧者となって、いのちの水の泉に導いて下さるであろう。また神は、彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって下さるであろう」。(ヨハネの黙示録 7:17)

「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。」(マタイによる福音書 7:7)

神の代表的な言葉

「五人の賢い乙女は人々の数を言っており……乙女たちが終わりの日に、灯に油を用意するようにと言われたのはこのためである。(被造物はわたしの資質を持たない。賢い乙女になりたいならば、油を用意する必要がある。そのためには、わたしの言葉を携えていなければならない。)五人の賢い乙女は、わたしが造った人間の中のわたしの子らとわたしの民を表している。彼らを『乙女』と呼ぶのは、彼らが地球上で生まれてはいるがわたしによって獲得されているからである。彼らは聖なる者となったと言うこともでき、故に彼らは『乙女』と呼ばれる。」

『言葉は肉において現れる』の第一部 「キリストの初めの言葉と証し」より

「今日、神の現在の言葉に従う人々はみな聖霊の流れの中にある。……『聖霊の働きに従う』とは、今日の神の心を理解し、神の現在の要件に従って行動することができ、今日の神に従順で服従することができ、神の最新の言葉に従っていのちに入ることを意味する。このような人のみが聖霊の働きに従い、聖霊の流れの中にいる。そのような人々は神の賞賛を受け、神を見ることができるばかりでなく、神の最新の働きから神の性質を知ることができ、そして人の観念や不従順、人の本性と本質を神の最新の働きから知ることができる。さらに、奉仕の過程で自らの性質をだんだんと変えることができる。このような人々のみが神を得ることができ、真の道を純粋に見つけた人々である。…」

「聖霊の現在の言葉に従うことができる人々はみな祝福されている。そのような人々が過去どうであったか、聖霊が人々の中でどのように働いていたかは問題ではない。最新の働きを得た人々は最も祝福され、今日の最新の働きに従えない人々は排除される。神は新しい光を受け入れることができる人々を望んでおり、神の最新の働きを受け入れ、知っている人を求めている。なぜ貞節な乙女でなければならないと言われているのであろうか。貞節な乙女は聖霊の働きを求め、新しいことを理解することができる。さらに、古い観念を忘れ、今日の神の働きに従うことができる。今日の最新の働きを受け入れる人々のこの集りは、昔から神によって前もって決められており、人々のなかで最も祝福されている。あなたがたは神の声を直接聞き、神の出現を見て、そのため天と地を通じて、世代を通じて、あなたがた、つまりこの集りよりも祝福された人々はいない。」

『言葉は肉において現れる』の「神の最新の働きを知り、神の歩みに従う」より

「人間は、神を信じているのであれば、神の足取りに緊密かつ段階的に追随する必要がある。人間は『子羊が行く場所であれば、どこへでもついて行く』必要がある。そうした人々のみが真の道を求める者であり、聖霊の業を知る者である。奴隷のように文字や教義に従う人々は聖霊の業により既に排除された者である。各期間において、神は新たな業を開始し、人間には新たな始まりがあるであろう。人間が『ヤーウェは神である』ないし『イエスはキリストである』といった、ある1つの時代のみに該当する真理のみに従うのであれば、人間は聖霊の業と足並みを揃えることは決して出来ず、聖霊の業を得ることは永遠に出来ないであろう。神がどのように業を行うかを問わず、人間は全く疑うこと無く、緊密に付き従う。このような場合、どうして人間が聖霊により排除されることがあろうか。神がどのような業を行うかを問わず、それが聖霊の業であることを人間が確信し、人間が何も疑わずに聖霊の業に協力し、神の要求を満たそうとする限りにおいて、どうして人間に罰が与えられることがあろうか。神の業は嘗て一度も停止したことが無く、神の足取りは立ち止まったことが無い。また神の経営の業の完了前、神は常に多忙にしており、休んだことが無い。」

『言葉は肉において現れる』の「神の業と人間の実践」より

「神は神の現われを切望する人々を探し求める。神は神の言葉を聞くことができる人々、神の任務を忘れず、心と体を神に捧げる人々を探し求める。神は神の前で赤子のように従順で、神を拒否しない人々を探し求める。あなたが何ものにも妨げられずに神に献身するならば、神はあなたを好意の眼差しで見、祝福を授けるだろう。たとえあなたが高い身分で、名声があり、知識が豊富で、有り余るほどの資産の持ち主で、多くの人々の支持を得ていたとしても、それらのものが、神の要求することを行うために、神の前に出て神の召命と任務を受ける妨げにならないならば、あなたの為す全ては、地上で最も意義深く、人類の間で最も正しいことになる。」

『言葉は肉において現れる』の「神は全人類の運命を支配する」より