終わりの日における神の裁きの働きは、聖書の預言を実現し成就します。

2019年7月20日

聖書において最も頻繁に預言されていることは、終わりの日における神の裁きと刑罰の働きです。神が裁きを執行されることについては、少なくとも聖書の200箇所で言及されています。それらは全て、神が終わりの日に裁きと刑罰の働きを行われることを預言したものだと言えます。神による裁きと刑罰の働きの執行が神の終わりの日の働きにおける避けられない段階あることを証明するには、ここでは聖書のほんの一部分を引用するだけで十分です。神の終わりの日の働きとは、裁きと刑罰という手段を用いることによって人類を清め、救い、完全にすることです。それは、この時代を終らせ、最終的にキリストの御国、神が愛する御国を建て上げるために、裁きと刑罰を通して一人ひとりの人間を種類に従って分類する働きです。これは神による人類救いの三段階の働きの結晶であり、神のサタンに対する勝利の栄光の象徴です。従って、終わりの日における神の裁きの働きを預言した記述は聖書の至る所に見られます。誰かが聖書を長年かけて初めから終わりまで読んでも、神の終わりの日の働きにおいて必要である神の裁きと刑罰の働きのことを見落とすなら、その人は聖書を少しも理解していない者であり、決して神の働きを知る者ではありません。下記は、神の終わりの日の働きが裁きと刑罰の働きであることを証明する、聖書の明らかな記述のごく一部です。

1.「『そしてわたしはあなたがたに近づいて、さばきをなし…』、万軍のヤーウェは言われる。」(マラキ書 3:5)

2.「神は義なるさばきびと、日ごとに憤りを起される神である。」(詩篇 7:11)

3.「主は正義をもって世界をさばき、公平をもってもろもろの民をさばかれます。」(詩篇 9:8)

4.「定まった時が来れば、わたしは公平をもってさばく。」(詩篇 75:2)

5.「彼はもろもろの国のあいだにさばきを行い、多くの民のために仲裁に立たれる。」(イザヤ書 2:4)

6.「わたしが怒りと、憤りと、重い懲罰とをもって、あなたに対してさばきを行う」(エゼキエル書 5:15)

7.「それがきたら、罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう。」(ヨハネによる福音書 16:8)

8.「主は地をさばくために来られるからである。主は義をもって世界をさばき、公平をもってもろもろの民をさばかれる。」(詩篇 98:9)

9.「それゆえ、悪しき者はさばきに耐えない。罪びとは正しい者のつどいに立つことができない。」(詩篇 1:5)

10.「兄弟たちよ。互に不平を言い合ってはならない。さばきを受けるかも知れないから。見よ、さばき主が、すでに戸口に立っておられる。」(ヤコブの手紙 5:9)

11.「大声で言った、『神をおそれ、神に栄光を帰せよ。神のさばきの時がきたからである。』」(ヨハネの黙示録 14:7)

12.「わたしを捨てて、わたしの言葉を受けいれない人には、その人をさばくものがある。わたしの語ったその言葉が、終りの日にその人をさばくであろう。」(ヨハネによる福音書 12:48)

13.「主は来られる、地をさばくために来られる。主は義をもって世界をさばき、まことをもってもろもろの民をさばかれる。」(詩篇 96:13)

14.「ヤーウェと争うものは粉々に砕かれるであろう、ヤーウェは彼らにむかって天から雷をとどろかし、地のはてまでもさばき、王に力を与え、油そそがれた者の力を強くされるであろう」。(サムエル記上 2:10)

15.「さばきが神の家から始められる時がきた。」(ペテロの第一の手紙 4:17)

裁きに関する上記15の聖句の主旨は、神は義に従って世界を裁かねばならないこと、そして神は様々な国で裁きを行わねばならない、ということです。またここには、「神は義なるさばきびと」「わたしはあなたがたに近づいて、さばきをなし」「さばき主が、すでに戸口に立っておられる」「神のさばきの時がきたからである」「主は地をさばくために来られるからである」「地をさばくために来られる」「さばきが神の家から始められる」という核心的な要点が挙げられています。このような輝かしい言葉から、私たちは皆、神が終わりの日に地上に来臨しなければならないことは避けようがなく、神は裁きと刑罰の働きをなさねばならないということをはっきりと理解できます。神の終わりの日の働きは、裁きと刑罰の働きでもなければなりません。聖書において、神ご自身が人間の世界に来臨し、裁きと刑罰の働きを行われることが預言され、証しされているということは、神は来臨される時、正確にはどのような形で裁きを執行し、人の前に姿を現さられるのでしょうか? これは人類にとって最も重大な問いになっています。神の二段階の働きに関する聖書の中の実際の記録から、私たちは次ような事実を知ることができます。「神の霊から直接発される声は別として、受肉した主イエスが地上に来られた時のみ、神は神ご自身として語り、働くことができた」という言葉は、神が堕落した人類に仰せられることであり、霊の世界に向けて語られることではありません。これは間違いなく、受肉された神が人々の目に見えるように地上に来られることに言及しているのであり、人々が全然見ることができない神の霊のことを言っているのでは決してありません。このことから分かりますのは、もし神ご自身が裁きの働きを行うために地上に来られるのであれば、神は人の子、キリストとして受肉せねばならないということです。神はその時初めて、神としてのアイデンティティを持って語り、働くことができるのです。これに疑いの余地はありません。「もし受肉によらないなら、この働きは少しも成果を得られず、完全に罪人たちを救うことはできないであろう。もし神が肉とならないなら、神は人の目に見えず、触れることの出来ない霊のままである。人は肉の被造物で、人と神は二つの違った世界に属し、性質も異なっている。神の霊は肉からなる人とは相いれず、それらの間には何の関係も作ることはできない。さらに、人は霊になることはできない。それだから、神の霊は被造物の一つになって、神の本来の働きをしなければならない。神は最高の場所に昇ることもできれば、へりくだって、被造物である人になって人々のもとで働き、生きることもできる。しかし人は高みに昇り、霊になることもできなければ、ましてや最も低い場所に降りることなどできない。よって、神はその働きを実行するために人とならなければならない。最初の受肉のときのように、受肉した神の肉体のみが十字架にかけられることによって人を贖うことができたが、神の霊が人のために罪のためのいけにえとして十字架にかけられることはできなかったであろう。神は人のための罪のためのいけにえとして直接人となることができたが、人は神が人のために用意した罪のためのいけにえを受け取るために直接天に昇ることはできなかった。そういうわけで、この救いを受け取るために人を天に昇らせるのではなく、神に天と地のあいだを数回行ったり来たりすることをたのむことだけが可能なことなのである。というのは、人は堕落したので天に上ることはできず、ましてや罪のためのいけにえを手にすることはできないからである。よって、イエスは人のもとに来て、人がどうしても達成することができない働きを自ら行なう必要があった。神が肉となるときは必ず、どうしてもそうする必要があるからである。もしいずれかの段階が神の霊が直接行なうことができたなら、神は受肉という屈辱に耐えることはなかったであろう。」(「言葉は肉において現れる・受肉の奥義(4)」より)聖書と神の御言葉から、神がご自身が地上に来臨し裁きの働きを行うには、受肉という手段を用いねばならないということが分かります。それは次の三箇所の節の中ではっきりと確証されています。「 神は、義をもってこの世界をさばくためその日を定め、お選びになったかたによってそれをなし遂げようとされている。」(使徒行伝17:31)「そして子は人の子であるから、子にさばきを行う権威をお与えになった。」(ヨハネによる福音書5:27)「父はだれをもさばかない。さばきのことはすべて、子にゆだねられたからである。」((ヨハネによる福音書5:22)これらの三節は全て、キリストご自身が肉として地上に来臨し、裁きを行われることを直接予言しました。特に「子」または「人の子」について語る節は全て、間違いなくキリストのことを受肉した方として言及しています。人の子として受肉された神がキリストです。このことに疑いの余地はありません。このことから、終わりの日に神が肉となって裁きと刑罰の働きを行うという聖書の預言の数は決して少なくないことが分かります。それらは探しさえすれば見つけることができます。更に、聖句には、神がいかに裁きの働きを行い、それがどのような成果に至るかを端的に預言したものもいくつかあります。このことからも、終わりの日における神の裁きと刑罰の働きが神の経営計画を完結させる最後の働きであることが確証されています。それは暗闇と悪の時代を終わらせ、キリストの御国の時代を開始する働きです。例えば、"

1.「天は神の義をあらわす、神はみずから、さばきぬしだからである。」(詩篇 50:6)

2.「ヤーウェはみずからを知らせ、さばきを行われた。悪しき者は自分の手で作ったわなに捕えられる。」(詩篇 9:16)

3.「ヤーウェは言い争うために立ちあがり、その民をさばくために立たれる。」(イザヤ書 3:13)

4.「神はその民をさばくために、上なる天および地に呼ばわれる」(詩篇 50:4)

5.「彼は議士たちを裸にして連れ行き、さばきびとらを愚かにし、」(ヨブ記 12:17)

6.「神は天にある者たちをさえ、さばかれるのに、だれが神に知識を教えることができようか。」(ヨブ記 21:22)

7.「今はこの世がさばかれる時である。今こそこの世の君は追い出されるであろう。」(ヨハネによる福音書 12:31)

8.「また、もろもろの君を無きものとせられ、地のつかさたちを、むなしくされる。」(イザヤ書 40:23)

9.「わたしはモアブの上にさばきを行う。そのとき、彼らはわたしがヤーウェであることを知る。」(エゼキエル書 25:11)

10.「神よ、起きて、地をさばいてください。すべての国民はあなたのものだからです。」(詩篇 82:8)

11.「それゆえ、もろもろの王よ、賢くあれ、地のつかさらよ、戒めをうけよ。」(詩篇 2:10)

12.「神が地のしえたげられた者を救うために、さばきに立たれたとき、地は恐れて、沈黙した。」(詩篇 76:8-9)

13.「わたしがきらめくつるぎをとぎ、手にさばきを握るとき、わたしは敵にあだを返し、わたしを憎む者に報復するであろう。」(申命記 32:41)

14.「もろもろの国民の中に言え、『ヤーウェは王となられた。世界は堅く立って、動かされることはない。ヤーウェは公平をもってもろもろの民をさばかれる』と。」(詩篇 96:10)

15.「こういうわけで、主は、信心深い者を試錬の中から救い出し、また、不義な者ども …を罰して、さばきの日まで閉じ込めておくべきことを、よくご存じなのである。」(ペテロの第二の手紙 2:9)

16.「神は、罪を犯した御使たちを許しておかないで、彼らを下界におとしいれ、さばきの時まで暗やみの穴に閉じ込めておかれた。」(ペテロの第二の手紙 2:4)

17.「わたしは心に言った、『神は正しい者と悪い者とをさばかれる。神はすべての事と、すべてのわざに、時を定められたからである』と。」(伝道の書 3:17)

18.「もし人がほしいままにふるまい、あなたの神、ヤーウェ前に立って仕える祭司または裁判人に聞き従わないならば、その人を殺して…」(申命記 17:12)

19.「ヤーウェよ、怒りをもって立ち、わたしの敵の憤りにむかって立ちあがり、わたしのために目をさましてください。あなたはさばきを命じられました。」(詩篇 7:6)

20.「わが魂は夜あなたを慕い、わがうちなる霊は、せつにあなたを求める。あなたのさばきが地に行われるとき、世に住む者は正義を学ぶからである。」(イザヤ書 26:9)

21.「いま、あなたの終りが来た。わたしはわが怒りをあなたに漏らし、あなたの行いに従って、あなたをさばき、あなたのもろもろの憎むべき物のためにあなたを罰する。」(エゼキエル書 7:3)

22.「今わたしは、すみやかにわたしの憤りをあなたの上に注ぎ、わたしの怒りをあなたに漏らし尽し、あなたの行いに従ってあなたをさばき、あなたのもろもろの憎むべき事のためにあなたを罰する。」(エゼキエル書 7:8)

23.「彼の前から、ひと筋の火の流れが出てきた。彼に仕える者は千々、彼の前にはべる者は万々、審判を行う者はその席に着き、かずかずの書き物が開かれた。」(ダニエル書 7:10)

24.「もろもろの国民を楽しませ、また喜び歌わせてください。あなたは公平をもってもろもろの民をさばき、地の上なるもろもろの国民を導かれるからです。」(詩篇 67:4)

25.「ただ、さばきと、逆らう者たちを焼きつくす激しい火とを、恐れつつ待つことだけがある。」(ヘブル人への手紙 10:27)

26.「わたしたちは、神のさばきが、このような事を行う者どもの上に正しく下ることを、知っている。」(ローマ人への手紙 2:2)

27.「あなたがたに言うが、審判の日には、人はその語る無益な言葉に対して、言い開きをしなければならないであろう。」(マタイによる福音書 12:36)

28.「『復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する』と言われ、また『主はその民をさばかれる』と言われたかたを、わたしたちは知っている。 」(ヘブル人への手紙 10:30)

29.「そこでイエスは言われた、『わたしがこの世にきたのは、さばくためである。すなわち、見えない人たちが見えるようになり、見える人たちが見えないようになるためである』。」(ヨハネによる福音書 9:39)

聖書の上記29の聖句においては、人類に対して執行される神の裁きと刑罰をとおして得られるあらゆる側面での成果が、誰の目にもはっきりと見えます。更に、終わりの日における神の裁きは、一つの民族や一つの国だけに向けられるものではなく、必ず全ての国民、全ての国家、そして全人類にまで及びます。従って、終わりの日における神の裁きとは、古い時代を終わらせ、新たな時代を開始する働きです。同時に人々は、神がその裁きにおいて、謙遜で敬虔な者たちを誘惑から救い、不義なる者たちを刑罰の下に置かれることを見ることもできます。神の裁きのおかげで、地上の人々は義を学び、真理を追求し、神の義なる性質を知るようになります。また彼らは皆、神の裁きによって神の御前に行き、神を崇め、讃美するようになります。全ての国民が歓声をあげて跳び上がり、神にひれ伏して礼拝します。これが、神がその義なる性質を表すことで達成される成果を完全に確証しています。このことからも、神は慈悲深い愛の神であるだけでなく、もっと重要なことは、怒りと威厳、そして裁きと刑罰を持っておられることが明らかです。神は何よりも義なる神です。実のところ、神の本来の性質とは義なる性質なのです。従って、神が裁きの働きを行うために地上に来臨するのは、神の義なる性質が完全に明らかになる時である。神の義なる性質の啓示によって、堕落した人類は種類ごとに分類される。終わりの日の神の裁きと刑罰を受け入れ従うことができる者は皆救われ、完全にされます。そして神の裁きと刑罰を拒む者は皆、神に抵抗しために滅ぼされます。これが終わりの日における神の裁きと刑罰をとおして直接達成される成果です。神の義なる裁きと刑罰こそが、人類を清め、人類を救い、そして何よりも、人類を完全にするのです。神の御座はこのようにして地上にしっかりと確立されるのです。神の裁きと刑罰の故に、神の御心が実行さることも可能になります。神が地上に来臨し裁きを行われることによって、黙示録の中の人の子の姿が裁きの主の姿であることが完全に確証されました。また同時に、それは「神の幕屋が人と共にあり」という預言も確証しています。神が地上に来臨することによってのみ、堕落した人類を救うことができ、神の裁きと刑罰によってのみ、この悪の時代は終わりを迎えるのです。神の御国の到来の基礎を築き、キリストの御国を地上に実現させたのは、神の裁きと刑罰です。これは、人類を救うための神の経営計画を完結することの必然的成果、そして結晶です。最終的にキリストの御国は、救われた全ての人々の集まりによって成立します。これは、「神が神の御国に到来する」また「新しいエルサレムが、……天から下って来るのを見た。」という預言を完全に成就します。明らかに、21世紀は神が神の御国に来臨される世紀であり、キリストの御国が地上に実現される世紀です。更に言えば、それは神がサタンの運命を終わらせ、神ご自身が地上に来臨し、君臨される世紀なのです。神の千年神の国が21世紀に実現されるでしょう。

聖書における多くの預言から、私たちは、終わりの日における神の裁きの働きが広大で、力強く、何人にも止められないことをまさしく見ることができます。 このことによって人々は、人類救いのための神の三段階の働きが、神の経営計画の全貌であることを一層よく理解することができます。聖書の大部分は、律法の時代と恵みの時代における神の働きの記録に過ぎませんが、預言者と主イエスの預言も、黙示録の預言も終わりの日における神の働き、すなわち神の国の時代における裁きと刑罰の全体像を昔から完全に現しており、これは、聖書から人々に神の経営計画の三段階の働きをはっきりと見せます。

終わりの日において、神は裁きと刑罰を用いて人類を救い、種類に従って分類し、悪と堕落のはびこるこの暗闇の時代を終わらせます。これは明白で否定できない事実です。もし人が聖書から人類救いのための神の三段階の働きを見ることができないなら、その人は明らかに聖書を理解する者ではなく、決して神の働きを知る者ではありません。誰もが主イエスの来臨を待ちわびているが、神はすでに受肉して、秘密裏に中国本土来られ、このことは神の次の御言葉を完全に成就しています。「その日、その時は、だれも知らない。天にいる御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。」(まルカによる福音書13:32) 全能の神は数百万もの御言葉を次々に発されました。中国では、神は終わりの日の大いなる白い御座の前での裁きを正式に幕上げされ、裁きは既に神の家において始まっています。中国の神の選民はついに神の裁きと刑罰において神の姿を見ることができるのです。神の御言葉は神の受肉の証しであり、聖霊の声は、神ご自身が裁きと刑罰の働きを行うために地上に来られることの証しです。神の選民は神の御言葉の権威の下に服従し、神の裁きと刑罰、刈り込みと取り扱い、そしてあらゆる試練と精錬を受け入れます。また同時に、彼らは赤い大きな竜による逮捕と迫害、またありとあらゆる試練と患難を体験し、あらゆる種類の苦難と精錬に苦しみます。今神は、神と心と意志を一つにする一群の人々をついに征服し、救い、完全にされました。全能神が次のように仰せられているとおりです。「わたしは人間の行いを軽々しく赦さない。わたしは地上すべてを観察し、世界の東に義と威厳、怒り、刑罰をもって現れ、すべての人間たちにわたしを現す。」(「言葉は肉において現れる・全宇宙への神の言葉・第二十六章」より) 明らかに、終わりの日の神の大いなる白い御座の前での裁きは既に始まっており、聖書の預言を完全に成就し、達成しています。神がいかにして神の御国の時代において、裁きと刑罰の働きを行われるのか見てみましょう。ここで神の終わりの日の働きについて証しするには、全能の神の御言葉を引用する必要があります。"

『いのちの供給のための説教集』の「終わりの日における神の裁きと刑罰の働きを知る方法」より

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裁きが 神の家から始まる

参考聖書箇所: 「父はだれをもさばかない。さばきのことはすべて、子にゆだねられたからである。」(ヨハネによる福音書 5:22) 「そして子は人の子であるから、子にさばきを行う権威をお与えになった。」(ヨハネによる福音書 5:27) 「さばきが神の家から始められる時がきた。」(ペテ…

終わりの日における神の裁きの働きは、神への信仰による人間の救いと完全化にとって重要な意義を持つ

神の裁きと刑罰の働きを体験した人々は既にそれをはっきりと見ています。終わりの日の神の裁きと刑罰を幸いにも体験した人々は、ほんとうに最も祝福された人々です。神の裁きと刑罰を真に体験した人々は皆、次の10の成果を達成しています。 1. 神の裁きによって、人々は心から確信し、終わりの日…

終わりの日における神の裁きの働きは全ての者を種類ごとに分類し、全時代を終結させ、最終的にキリストの国を地上に実現するためです。

刑罰や裁きという神の働きの実質は、人類を清めることであり、それは、最終的な安息の日のためである。さもないと、全人類は、それぞれ自身と同類のものに属することができないか、あるいは安息の中に入ることができない。この働きは、人類が安息の中に入るための唯一の道なのである。

主は終わりの日に再来され、神の家から始まる裁きの働きを行われます。これは、黙示録に記されている「大いなる白い御座の裁き」とまったく同じものでしょうか。

聖書を本当に理解しているのであれば、ヨハネの黙示録の大きな白い玉座の裁きが終わりの日の裁きと同じであるのはお分かりでしょう。受肉した全能神が現れ真理を示して裁きを行い、堕落した人類を清め救っています。

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