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神の国の時代における神の働きについての必要な認識

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終わりの日における全能神の働きの意義についての言葉を読んだ後、それについて熱心に考えることができれば、終わりの日における全能神の働きについての認識と理解を必ず得ることができます。終わりの日における神の働きのあいだに全能神が著した『言葉は肉において現れる』という本を読み、終わりの日の神の働きを数年間経験することができれば、神の国の時代においての神の働きは人類を完全に救済するための裁きと刑罰であることが確実に理解できるはずです。これによってあなたは救いを得て、完全にされることができます。

神の働き

終わりの日における神の働きを理解するには、まず初めに、神がなぜ終わりの日に裁きと刑罰の働きをされているのかを明確に知っていなければなりません。恵みの時代において主イエスが贖いの働きを完了した後、神に選ばれた人々は皆、主イエスの御前に来て、各々の罪を認め、悔い改め、赦されることができました。彼らはまた、神から与えられた多くの恵みを楽しむことができましたが、サタンによる人類の堕落の後は、その罪深い本性の束縛と枷を取り除くことができた人はひとりもいません。主イエスを救い主として受け入れ、罪を赦された後も、誰もが罪を犯し続けましたのです。彼らは、罪を犯せば認め、認めればまた犯す、というサイクルに生きました。そのため主イエスによって贖われた人はすべて罪を赦され、神によって与えられた恵みすべてを楽しんだにも拘らず、人類を罪深さに導くサタンのような本性の束縛と枷を取り除くことが全くできないのです。そのため人々は「私は本当にみじめだ。一体何をしたらサタンのような本性の束縛を取り除き、真の救いを得ることができるのだろうか」と苦痛の悲鳴をあげるのです。堕落した人類が自分の罪深い本性を解決することができないのは明らかで、誰も自分のサタンのような罪深い本性の支配から自身を解放することはできません。彼らは皆、頻繁に罪を犯して罪の中で生きるほかどうしようもなく、それが理由で堕落した人類の罪は赦されているにも拘わらず、普通の人間性を生き抜くことができません。ではどうすれば真の人生を生き抜くことができるのでしょうか。これは、恵みの時代において神の贖いの働きを受け入れた、神に選ばれたすべての人々の実体験です。終わりの日において受肉された神が自ら行なう裁きと刑罰の働きは、堕落した人類をそのサタンのような罪深い本性から完全に救い、そのいのちの性質を変える働きです。全能神は、完全なる人類救済のための裁きと刑罰についての真理をすべて表してくださっています。堕落した人類のサタンのような本性の実質とその堕落についての真相を明らかして裁くためにその御言葉にある真理を用いられるだけでなく、人々のサタンの性質を解決し、変革するために刈り込みと取り扱い、試練と精錬という方法を活用されます。これは、堕落した人類にそのサタンのような本性とその堕落についての真相を本当に認めさせ、堕落した人類は本当に自分本位と卑劣さ、欺瞞と腹黒さ、貪欲と悪、真理に対する倦怠のようなサタンの本質でいっぱいであるということをありのままに見せてくれます。刈り込まれ、取り扱われることで、試練と精錬によって、人々は真理を理解し、諸問題、人生観、価値観に対する見解を根本的に変革する神の働きを知ることができ、それは彼らのいのちの性質の変化を伴うでしょう。これはすべて終わりの日における神の裁きの働きによってもたらされる果実であり、これによってもたらされる変化は、恵みの時代において主イエスを信じた後の罪の赦しによってもたらされたものよりもはるかに大きいものです。これで、終わりの日における神の裁きと刑罰こそが完全なる人類救済のための働きであることを証明するのに十分です。これ以外に、堕落した人類がサタンの悪しき影響から完全に解放され、真に神に立ち返り、神に服従し、完全なる救いを得るために神に得られるよりほかに道はありません。

深く堕落した人類は、救われる前に神の裁きと刑罰を受けなければなりません。これは人々が深く堕落し、サタンの知識と思想によって完全に支配され、サタンの性質に満ちているからです。裁きと刑罰の方法を通してのみ神は人類を清め救うことができ、このために終わりの日における裁きの働きを展開するなかで、神は最初に人類を征服する真理を示されました。堕落した人類を完全に征服するために神が真理を使われ、人々が真に確信した時にはじめて、人々は神の真の出現を見、その時にはじめて神の御前に伏して後悔するでしょう。その時になってようやく人々は自分たちが神を拒む者であることを知り、それ故に自分たちの傲慢さと自己欺瞞を知り、自分たちの心には神の入り込む余地がまったく無く、全く人間の姿を生き抜いてきておらず、サタンによって哀れなほど深く堕落させられたのだと気付くのです。人類が神の言葉によって征服されて初めて、人々はサタンによる堕落の事実と本質的な性質を正しく理解し、宗教の枠の中で神を信じて何年も経つにも拘わらず、聖書やいくつかの文字や教義の知識を幾分か理解するのみで、真理の現実を全く得ていなかったと、純粋に認めるのです。彼らは本当に可哀そうで、哀れで、無知で裸な人たちです。その時になって初めて人々は神の御前で静かになり、神の言葉による裁きと刑罰を正式に受け入れ従い、神を信じる正しい道に入り始めるのです。これが神の裁きと刑罰によって達成される征服の最初の結果です。まさに律法の時代にヨブが試練を通して神の言葉を聞いた後に完全に征服されたのと同じです。神の言葉で征服される人々のみが真理を認め、受け入れる人々であり、神を信じる正しい道に入り、救われることができる人々になることができるのです。神の言葉の多くを聞いた後でさえ真理を否定し、忌み嫌い、神の敵となる者は皆、反キリストの範疇に属します。彼らが救われる方法は全くなく、排除と処罰の対象になります。救いは、神の言葉によって征服されるという基礎の上に築き上げられなければなりません。それは、神が言われたように、「人類の邪悪であるものを完全に根絶させ、破滅に至らせ、そうすることによって、もはやわたしに反逆することはできなくなり、まして、わたしの働きを妨害したりかき乱したりするための命を持つことができないようになることがわたしの意図であることを、あなた方は知るべきである。したがって、人間に関する限り、征服とは、そのことを意味する。」(『言葉は肉において現れる』の「本物の人とは何を意味するか」より)「厳密に言って人間はどのように征服されるのだろうか。それは、この言葉の働きを用いて、人間を充分に確信させることによって行われる。それは暴露と、裁きと、刑罰と、情け容赦ない呪いを用いて人間を完全に服従させる。また、人間の反抗的性質を明らかにし、その反逆を裁くことによって人間は人類の不義と汚れを知るようになる。それによって神の義の性質がいっそう強調されるであろう。主に、こうした言葉を用いて人間を征服し、完全に確信させる。」(『言葉は肉において現れる』の「征服の働きの内なる真実(1)」より)

これらは神の裁きと刑罰の働きによって達成されるまず最初の成果、即ち、神の征服の働きの成果なのです。神が人々を完全にすることは、彼らを征服するという基礎の上に成り立っており、征服された者たちが真理を追い求め、神の全ての裁きと刑罰に従うことができるなら、それは彼らが救われ完全にされるための道を既に歩み始めたことになります。一人ひとりが明確に理解すべきことですが、堕落した人類がこれほど傲慢で、自惚れ、無法で、理性に欠けているのは、ひとえに彼らがまだ征服されていないからなのです。彼らには自己認識が全く欠けており、狂気の沙汰と言ってもいいほど神を否定し神に反抗してきました。それ故、堕落した人間は神の裁きと刑罰を受けることによってのみ、清めと救いを得ることができるのです。これはまた堕落した人類が救われ完全にされる唯一の道でもあります。

堕落した人間への神の裁きと刑罰は、神の義の性質を完全に現し、それは神を知るための素晴らしい機会をもたらします。神の裁きと刑罰を受けなければ、人々は決して神の義の性質を知ることはできないでしょう。神の義と威厳と御怒りによる裁きと刑罰を体験した時初めて、彼らは神の性質はいかなる咎も容赦しないという真理を感知することができ、神は本当に人間の最も深いところを探り、彼らの心の全てを見張ることができ、人間の堕落した本質とサタンのような本性を知り尽くしていることを自分自身で体験し、また、神の全能と知恵を理解するようになるのです。彼らは神の裁きと刑罰を受け入れることができるので、彼らは神の性質と本質に関する真の知識を獲得でき、その結果神の救いと完全性を得ることができます。明らかに、堕落した人類が救われる過程とは、神の現われを認識する過程であり、また神の義の性質を知る過程でもあります。

堕落した人類が救いを得て完全にされることと、神が終わりの日の働きの中に現す神の義の性質の間には直接的な関係があります。神に選ばれた人々が神を畏れて悪を避けるようになったのは、専ら、神の義の性質を知り、神の全能と知恵を認識したからです。また、彼らが神の表した真理の全てを理解したのは、とりわけ、神の性質、神が何を備え持ち、神とは何であるかを知ることによってです。人々の物の見方、人生観、また価値観が根本的な変化を経て、彼らのいのちの性質が徐々に変化を遂げたのはこのためです。これは誰にも否定できない事実であり、神が言われたとおりです。

「人々は神の刑罰と裁きの働きによって神の性質を見た。したがって心の中で神を畏れる。神があがめられ、従われるのは、神の存在と性質が被造物のものとは同じでなく、上回っているからである。神は創造された存在ではなく、神のみが畏敬の念と服従を受けるに値する。人にはその資格がない。」(『言葉は肉において現れる』の「神の働きと人の働き」より)

「わたしの義、威厳、そして裁きは永遠に尽きることがない。初めわたしは愛と憐れみに満ちていたが、それはわたしの完全な神性の性質ではない。義、威厳、そして裁きが、完全なる神自身としてのわたしの性質である。」(『言葉は肉において現れる』の「キリストが最初に発した言葉と証し」より)

「義は聖さであり、人間の侵害を容赦しない性質であり、したがって不浄な物事や変化していない物事の全てが、神の嫌悪の対象となる。神の義なる性質は、法ではなく、行政命令である。それは神の国の中の行政命令であり、その行政命令は、真理を備えて居らず、変化していない者全ての義なる罰であり、救いの余地は無い。」 (『言葉は肉において現れる』の「ペテロの経験:刑罰と裁きに関するペテロの認識」より)

「神は何を通じて人を完全にするのであろうか。それは、義という神の性質によるのである。神の性質は主として義、怒り、威厳、裁き、呪いであり、神は主に裁きを通じて人を完全にする。」(『言葉は肉において現れる』の「辛い試練を経験して初めて、神の素晴らしさを知ることができる」より)

「今日、義の裁きであろうと、無情な鍛錬や刑罰であろうと、すべては救いのためであることを知りなさい。今日種類に応じた各人の分類があろうと、人を分類する範疇が露わにされようと、神の発する言葉と業のすべては本当に神を愛する者たちを救うためである。義の裁きは人を清めるためであり、無情な鍛錬は人を清めるため、厳しい言葉、あるいは懲らしめはすべて人を純化するため、救うためである。」(『言葉は肉において現れる』の「あなたたちは地位の恩恵は脇に置き、人の救いに関する神の心を理解するべきである」より)

「神は人間を完全にする業を今公けに開始した。人間は、完全にされるために、神の言葉による啓示、裁き、刑罰を受け、神の言葉による試練と精錬(奉仕者の試練など)を受けなければならない。それに加えて、人間は死の試練に耐えることが出来なければならない。つまり、神の意志を本当に実行する者は、神の裁き、刑罰、試練のただ中でも心の奥深くから讃美に溢れ、完全に神に従い、自我を捨て去り、こうして誠実で純粋な心を一つにして神を愛することが出来る。こういう人こそが完全にされた者である。またそれは、神が行いたいと願い、達成することを望んでいる業でもある。」(『言葉は肉において現れる』の「神の業の段階について」より)

「天の神は、最も不浄な悪徳の地に来て、決して不満を漏らさず、人間について不平を言わず、人間の略奪[1]や抑圧を黙って受けた。神は、人間の不合理な要求に報復することも、人間に対して過度の要求や不合理な要求をすることも無かった。神は単に、教えること、啓くこと、咎めること、言葉の精錬、注意を喚起すること、勧告すること、慰めること、裁くこと、現すことなど、人間により要求される働きを不平を言わずに行う。神の段階のうち、どれが人間のいのちのためでは無かったであろうか。神は人間の見通しや運命を取り去ったが、神が行った段階のうち、どれが人間の運命のためでは無かったであろうか。その段階のうち、どれが人間の生存のためでは無かったであろうか。どれが夜のように黒い闇の勢力がもたらす苦難や抑圧から人間を解放するためでは無かったであろうか。どれが人間のためでは無かったであろうか。愛情溢れる母のような神の心を、誰が理解できるというのか。神の真剣な心を、誰が理解できるというのか。」(『言葉は肉において現れる』の「働きと入ること(9)」より)

「神の本当の愛は神の全性質であり、神の全性質があなたに示される時、これはあなたの肉体に何をもたらすだろう。神の義である性質があなたに示される時、あなたの肉体は必然的に多くの痛みに苦しむだろう。あなたがこの痛みに苦しまなければ、あなたは神によって全き者とされないし、本当の愛を神に捧げることもできないだろう。神があなたを全き者とすれば、神は必ずその全性質をあなたに示すだろう。」(『言葉は肉において現れる』の「神を愛することだけが本当に神を信じることである」より)

「今、あなたは裁きのために苦痛と鍛錬を体験しているが、この苦痛は価値があり意味あることなのだ。人間にとって刑罰と裁きとは、罪を罰し、肉を罰するための鍛錬であり、容赦のない暴露であるけれども、この業のどれ一つとして、肉を罪に定めて滅ぼすことを目的としてはいない。言葉による厳しい暴露は、すべてあなたを正しい道に導くことを目的としているのだ。あなたたちは、この業の実に多くを個人的に体験した。そして、明らかに、それはあなたたちを悪の道へとは導かなかった。そのすべては、あなたたちが普通の人間性を実際に生きることができるようにするためだ。これはみな、あなたたちの普通の人間性が達成できるものだ。その業の一つひとつの段階は、あなたの必要、あなたの弱点、そして、あなたの実際の背丈に基づいて為され、あなたたちが荷えないような重荷は一つとしてあなたたちの肩に置かれていない。あなたは今、このことを明らかに見ることができず、わたしがあなたに厳し過ぎるように感じているかもしれない。わたしが毎日あなたを罰し、裁き、責めるのは、わたしがあなたを憎んでいるからだと思うかもしれない。また、あなたの受けているのは刑罰と裁きだが、実際は、すべてあなたへの愛であり、あなたを守るためのものなのだ。」(『言葉は肉において現れる』の「征服の働きの内なる真実(4)」より)

「わたしの義、威厳、そして裁きは、サタンを決して容赦しない。しかし、あなたがたにとって、それらはあなたがたを救うものである。しかし、あなたがたはわたしの性情を全く理解できず、わたしの行為の裏にある原則も知らない。」(『言葉は肉において現れる』の「キリストが最初に発した言葉と証し」より)

「最後には、神は全宇宙の人々の中の不潔なもの、不義なものをすべて焼き払い、彼らに神が慈愛、憐れみ、英知、不思議、高潔の神というだけでなく、さらには人を裁く神でもあることを示す。全人類の中にある悪い者に対して、神は激しい炎、裁き、懲罰そのものである。完全にされるべき人々に対して、神は試練、精錬、苦難であり、同時に慰め、滋養、言葉の供給、取り扱い、刈り込みである。取り除かれる人々にとって、神は懲罰であり、報いである。」(『言葉は肉において現れる』の「二度の受肉が受肉の意義を完成させる」より)

「神がその聖く義なる性質の全てを現すことができるのは、最も遅れていて、最も不浄な地において神が受肉することによるほかない。神の義なる性質は、何をとおして現されるであろうか。それは、人間の罪に対する裁きと、サタンに対する裁き、罪に対する憎しみ、神に反抗し反逆する神の敵に対する憎しみによってである。」(『言葉は肉において現れる』の「征服の働きの第二段階はどのように実を結ぶか」より)

「わたしは義であり、わたしは忠実であり、人の心の奥底を調べる神である。」(『言葉は肉において現れる』の「キリストが最初に発した言葉と証し」より)

「誰一人、何ものもこの刑罰と裁きの苦しみから逃れることはできない。また、誰も、何ものも、この種類による分類を避けることはできない。あらゆるものが種類ごとに分けられる。それは、万物の終わりが近く、天と地のすべてが終結に至るからだ。どうして人間が己の存在の終結を逃れられよう。」(『言葉は肉において現れる』の「征服の働きの内なる真実(1)」より)

「私たちは、いかなる国家も勢力も神が果たそうと願うものの前に立ちはだかることはできないと信じている。神の働きを妨害し、神の言葉に抵抗し、神の計画をかき乱し、阻害する者たちは最終的には神に罰される。神の働きに逆らう者は地獄に送られる。神の働きに反抗する国家は滅ぼされる。神の働きに反対するために立ち上がる民族は地上から一掃され、消滅する。」(『言葉は肉において現れる』の「神は全人類の運命を支配する」より)

「わたしはすべての人にわたしが行ってきたことは正しく、わたしの性質の表現であることを知って欲しいと思っている。人類を生み出したのは人ではなく、とりわけ大自然の行いではない。それどころか、すべてのものの中で、あらゆる生けるものを育むのはわたしである。わたしの存在なしには、人類は滅び、災害に苦しむだけであろう。だれも麗しい太陽や月、緑にあふれる世界を再び見ることはできないだろう。人類は極寒の夜や、避けられない死の影の谷に遭遇するだけだろう。」(『言葉は肉において現れる』の「終着点への準備をするために、十分な善行をしなければならない」より)

「神の姿は受肉の姿を通して知らされるのではなく、むしろ、姿や形をもつ肉となった神によって行なわれる働きを通して知られ、彼(彼女)の働きを通して、神の姿が示され、神の性質が知らされる。これこそ神が肉体で達成しようとする働きの意義である。」(『言葉は肉において現れる』の「受肉の奥義(2)」より)

「神が大勢の人たちに顕すのは、神の義なる性質と神のすべての業だけで、神が二度人となったときの肉体の姿ではない。というのは神の姿は神の性質を通してのみ示すことができ、神の肉となった姿に取り替えられることはできないからである。…大勢の人たちに見せられるのは、神が二度人となったときの姿というよりは、神の義と神の性質の全体である。人に見せられるのは唯一の姿でも、二つの姿を合わせたものでもない。」(『言葉は肉において現れる』の「受肉の奥義(2)」より)

終わりの日に人々を完全に救い完全にするための裁きと刑罰における神の働き方から一目瞭然なのは、神の救いと人々を完全にすることとは、おもに神の義なる性質を明らかに現すことによってのみ達成されるということです。一度神の義の性質、威厳、裁き、御怒りが完全に現されると、堕落した人類はそれぞれの種類に応じて自然に分類されるでしょう。真理を愛し真理を受け入れることができる者たちは皆、神の裁きと刑罰の働きを受け入れ従うことができるでしょう。そして、救いを得て完全にされるでしょう。真理を嫌悪し真理を憎む者たちは、当然キリストに逆らい、キリストを否定し非難するでしょう。また彼らは終わりの日における神の裁きと刑罰を拒むのです。特に宗教界の様々な宗派・教派の指導者たちの大半は、キリストに抵抗し逆らう反キリストの勢力となるでしょう。それ故彼らは暴露され取り除かれ、最終的には罰を受けることになります。彼らは神の御怒りが極まる時、神の裁きの対象となるでしょう。終わりの日における神の働きは、堕落の存在するところには裁きがあらねばならず、罪のあるところには刑罰が生じなければならないことを完全に反映します。これこそが神によって制定される天の原則であり、誰一人それを逃れることはできません。堕落した人類は神に抵抗し神を裏切ります。そして、彼らが神の裁きと刑罰を受けないのであれば、神はそれを容赦しないでしょう。これこそが、堕落した人類が終わりの日に神の裁きと刑罰を受けることが天の不変の原則であり侵害すべからざる神の御心である理由なのです。人類は奥底まで堕落させられています。彼らは皆神を裏切ったサタンの末裔なのです。もし神の威厳と御怒りによる裁きと刑罰が彼らの上に下されなければ、どうして彼らが完全に服従して神の前にひれ伏すことができるでしょうか?どうやって彼らは真の清めと救いを得ることができるのでしょうか?終わりの日に現される神の義の性質、裁き、刑罰、御怒りが、堕落した人類にとっての最大の救いとなったのはこのためであり、正しくそれは人類への神の祝福なのです。神が御自身の義なる性質を人類に明示することは、神の真の愛、そして人間への完全なる愛なのです。

『いのちの供給のための説教集』の「神の三段階の働きだけが神の完全なる人類救済の働きである」より