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全能神、終わりの日のキリストの代表的な言葉

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XI 神の求め、奨励、警告、慰めについての代表的な言葉

(Ⅲ)人への神の警告についての代表的な言葉

肉となった神を否定する人々は、霊、あるいは神が働きを行なう原則を知らない人である。今は聖霊の時代だと信じているのに、聖霊の新しい働きを受け入れない人々は、曖昧な信仰の中に生きている人である。こうした人々は聖霊の働きを決して受けとらない。聖霊が直接語りかけ、働きを実行することだけを望み、肉となった神の言葉や働きを受け入れない人々は、新しい時代に足を踏み入れることも、神からの全き救いを受けることも決してできない。

『言葉は肉において現れる』の「自己の観念で神を定義する人がどうして神の啓示を受けることができるのか」より

 メシアを理解しなかった人々は皆、イエスに逆らい、イエスを拒絶し、イエスを中傷することができた。イエスを理解しない人々は皆、イエスを否定し、イエスをののしることができる。そればかりか、彼らはイエスの再臨をサタンの惑わしとして見ることができ、さらに多くの人が受肉し再来したイエスを非難するであろう。これらのことのせいで、あなたがたは恐ろしくならないのか。あなたがたが直面することは聖霊に対する冒涜であり、諸教会に向けた聖霊の言葉を台無しにし、イエスが表した全てをはねつけることとなる。それほど混乱しているのなら、イエスから何を得られるというのか。あなたがたが頑なに自分の間違いに気づくのを拒絶しているのならば、イエスが白い雲に乗って肉に戻ってくる時にイエスの働きをどのようにしてあなたがたが理解できるというのか。わたしは言う。真理を受け入れず白い雲に乗ったイエスの再臨を盲目的に待つ人々は、確実に聖霊を冒涜することになり、彼らは滅ぼされる種類である。

『言葉は肉において現れる』の「あなたがイエスの霊のからだを見る時は、神が天と地を新しくした時である」より

 多くの者はわたしの言うことに耳を傾けないかもしれない。だがそれでも、天からイエスが白い雲に乗って降臨するのをあなたがたが自分の目で見る時、これは義の太陽が公に現れることであると、わたしはイエスに付き従ういわゆる聖徒全員に伝えたい。おそらく、その時あなたにとって大いなる興奮の時となるであろう。だが、あなたがイエスが天から降臨するのを見る時は、あなたが地獄へ落ち、懲罰を受ける時でもあることをあなたは知るべきである。それは神の経営(救いの)計画の終わりを告げるものであり、神が善良な人々を報い、邪悪な者たちを罰する時である。神の裁きは人間がしるしを見る前に、真理の現れだけがある時には終わっている。

『言葉は肉において現れる』の「あなたがイエスの霊のからだを見る時は、神が天と地を新しくした時である」より

 キリストが語る真理に依り頼むことなくいのちを得ることを望む者は、地上で最も愚か者であり、キリストがもたらすいのちの道を受け入れない者は幻想の世界で迷子になった者だ。だから、終わりの日のキリストを受け入れない者は神から永遠に嫌われるとわたしは言う。キリストは、終わりの日に神の国への門となる存在であり、誰も迂回することはできない。キリストを通してでなければ、誰も神に完全にしてもらうことはできない。

『言葉は肉において現れる』の「終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる」より

 このキリストこそ、聖霊の現れであり、神の顕現であり、神が地上での業を託した者だからだ。だから、あなたが終わりの日のキリストがする全てのことを受け入れられないなら、あなたは聖霊を冒涜しているとわたしは言うのだ。聖霊を冒涜する者が受けなければならない報いは、誰の目にも明らかだ。そして、あなたが終わりの日のキリストに敵対し、拒むなら、誰もその結末をあなたに代わって引き受けることはできないともわたしは言おう。さらに、これから先、あなたが神に認めてもらう機会はない。たとえあなたが自らの罪を償おうとしても、あなたが神の顔を拝することは二度とない。なぜなら、あなたが敵対したのは人ではなく、あなたが拒んだのは卑小な存在ではなく、他でもないキリストだからだ。あなたはこの結末に気づいているのか。あなたが犯したのは小さな過ちではなく、重罪だ。だから、全ての人に忠告する。真理の前に牙をむき出したり、軽率に批判したりすることのないように。あなたにいのちを与えるのは真理以外にはなく、あなたを生まれ変わらせ、神の顔を仰ぐことができるようにしてくれるものは、真理以外にはないからだ。

『言葉は肉において現れる』の「終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる」より

 わたしはすべての人にわたしが行ってきたことは正しく、わたしの行ったことは全てわたしの性質の表現であることを知って欲しいと思っている。人類を生み出したのは人の行いではなく、とりわけ大自然の行いではない。それどころか、創造されたすべてのものの中で、あらゆる生けるものを育むのはわたしである。わたしの存在なしには、人類は滅びる他なく、酷い災難を経験するだけであろう。だれも麗しい太陽や月、緑にあふれる世界を再び見ることはできないだろう。人類は極寒の夜や、避けられない死の影の谷に遭遇するだけだろう。わたしは人類の唯一の救いである。わたしは人類の唯一の望みであり、さらに、わたしは全人類がその存在を託すその者である。わたしがいなくては、人類はすぐに停滞してしまう。わたしがいなくては、たとえだれもわたしに注意していなくても、人類は壊滅的被害を受け、あらゆる種類の霊に踏みつけられるだろう。

『言葉は肉において現れる』の「終着点のために、善行を十分積まなければならない」より

 わたしの言葉は永遠に変わらない真理である。わたしは人間にとっては、いのちを与える者であり、人類の唯一の案内人である。わたしの言葉の価値と意味は、人間に認められているかどうか、受け入れられているかどうかではなく、言葉自体の本質によって決定される。たとえこの地上でだれひとりわたしの言葉を受け入れることができないとしても、わたしの言葉の価値と、どれだけそれが人類の助けになるかは、人には計り知れない。だから、わたしの言葉に逆らい、反論し、あるいはわたしの言葉を全く軽蔑している人たちに直面するとき、わたしの変わらない姿勢はこうである。時と事実をわたしの証人とし、わたしの言葉が確かに真理であり、道であり、いのちであることを示させよう。そして、わたしが言ったことはすべて正しく、人はそれを備えるべきであり、さらに人はそれを受け入れるべきであることを、時と事実に実証させよう。わたしはわたしに従うすべての者たちに次の事実を知らせる。わたしの言葉を完全に受け入れることができない人たち、わたしの言葉を実践できない人たち、わたしの言葉に目的を見いだせない人たち、そしてわたしの言葉によって救いを受け入れることができない人たちは、わたしの言葉によって罪に定められた人たちであり、さらには、わたしの救いを失った人たちである。そして、わたしのむちは決して彼らから離れることはない。

『言葉は肉において現れる』の「あなたがたは自分の行いを考慮すべきである」より

 もしあなたがこうした真理を重視せず、避けたり、別の道を考え出そうと常に考えたりしているなら、あなたはひどい罪人だとわたしは言おう。もしあなたが神を信じていても、神の真理やその心を追求せず、あなたを神に近づける道を愛さないなら、あなたは裁きを逃れようとしている者だとわたしは言おう。あなたは、偉大な白い玉座から逃れる操り人形であり裏切り者で、神は自分の目から逃れようとする反抗者を誰ひとり容赦しない。そうした人は、更に重い懲罰を受ける。

『言葉は肉において現れる』の「キリストは真理をもって裁きの働きを行う」より

世俗の世界と富への愛を捨てよ。夫や息子、娘達への愛情から自分を解放せよ。独自の見解や偏見を捨てよ。目覚めよ。時間がないのだから。霊を天に向け、神を見上げて神に支配をゆだねよ。ロトの妻のようになってはいけない。見捨てられることは哀れなこと、それは余りに哀れだ!目覚めよ!

『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第三章」より

 わたしが言うすべての文は、権威と裁きを持っており、誰もそれを変えることはできない。一旦わたしの言葉が発せられたら、物事はわたしの言葉に従って成し遂げられるだろう。そして、これはわたしの性質である。わたしの言葉は権威であり、誰であれそれを改定する者はわたしの刑罰に反するので、わたしは彼らを打ち倒さなければならない。深刻な場合は、彼らは自分のいのちに滅びを招き、ハデスか、底なしの穴に落ちる。これが、わたしが人類を扱う唯一の方法であり、人間にそれを変えるすべはない──これがわたしの行政命令である。これを憶えておきなさい。誰もわたしの行政命令に違反してはならない。これはわたしの旨に従って行われなければならない。

『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第百章」より

 わたしはわたしがすべきことをし、すべきでないことはしないが、あなたがたがもっと反省することに時間を費やすことを、わたしはいまだに願っている。神についてのあなたの認識はいったいどれほど正しいのだろうか。あなたはもう一度神を十字架に付けた者たちの一人だろうか。わたしは最後に言う。「神を十字架につける者たちに災いあれ。」

『言葉は肉において現れる』の「悪人は罰せられなければならない」より

 人間は、自分の中に神を崇める心、そして神に対して従順な心を持っていなかった場合、神のために働くことが出来ないだけでなく、その反対に神の業を阻害し、神に反抗する者となるであろう。神を信じる者が神に従う事も、神を崇めることも無く、神に反抗した場合、それは信者にとって最大の恥辱である。

『言葉は肉において現れる』の「真理を実践しない者に対する警告」より

 今後あなたの前途において、策略をめぐらせたり、偽りや曲がったことに加わったりしてはならない。さもなければ、その結果は想像を絶するものになるであろう。偽りと曲がったことが何であるか、あなた方はまだ理解していない。あなたがわたしに見せられず、明るみに出すこともできない行動やふるまいは、どれも偽りと曲がったことである。今あなたはこれを理解すべきである。今後、偽りや曲がったことに加わるなら、分からない振りをしてはならない。それは、知っていながら過ちを犯すことであり、さらに罪深いことである。このようなことをすれば、あなたは火で焼かれるか、さらにひどい場合は、自分を滅ぼすことになるだろう。

『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第四十五章」より

 わたしの働きはあなたがたにとって極めて有益である。わたしがあなたがたから得ることを望むのは、正直で肯定的な心であるが、現在に至るまでわたしの手には何も無い。考えて欲しいのだが、将来、わたしが依然としてこのような言いようの無い苦い思いをしているとしたら、あなたがたに対するわたしの態度はどのようなものとなるであろうか。わたしは現在と同様に親しくするであろうか。わたしの心は現在と同様に安らかであろうか。あなたがたは骨折って畑仕事をしたが一粒も収穫を得なかった者の気持ちが分かるだろうか。強く打たれた者の傷がどれほど大きいか分かるだろうか。希望に満ちていたのに誰かと仲たがいして訣別せねばならない者の苦渋を感じることができるだろうか。挑発された者の怒りを目にしたことがあるだろうか。敵意を向けられ欺かれた者の復讐に満ちた衝動を理解することが出来るだろうか。そうした者たちの精神を理解するならば、神の報復の時の態度を想像するのは困難ではないであろう。

『言葉は肉において現れる』の「終着点について」より

 わたしはあなたがたに警告する。わたしのもとにわたしが招く人々は、堕落させられたことがない人々ではない。それよりは、わたしが選ぶ人々は、わたしを真に愛する人々である。したがって、あなたがたは自分の言葉と行いに注意して、一線を超えないように自分の意図や考えを検討しなければならない。この終わりの日の時において、わたしの前にあなたがたの愛を捧げるべく出来る限りのことをし、わたしの怒りがあなたがたから決して離れることがないようにしなさい。

『言葉は肉において現れる』の「招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない」より

 もし、物事の現在の状態に不満であり、自分には何らかの特別な技能や能力があると考え、運が良ければ現状を変えたり現状から逃れられたりすると考えている者がいたり、人間の力で自分の運命を変えたい、他人よりも卓越し、名声と富を得ようとしている者がいたとすれば、その者に言っておくが、その者は自分で物事を困難にし、問題を買って出て、墓穴を掘っているのだ。遅かれ早かれ、その者は自分が選択を誤っていること、無駄な努力をしていることに気付くであろう。あなたの運命に立ち向かう志と願望、大それた行動は、あなたを取り返しのつかない状態へと続く道へと導き、そのために辛い代償を払うこととなるであろう。

『言葉は肉において現れる』の「唯一の神自身 3」より

 真理を実践する予定ではない者に対し、それ以上罪を重ねないよう、出来るだけ早く教会を去るよう勧告する。さもなければ、後悔するのも手遅れとなる時が来るであろう。また特に教会内の徒党を組む者や分裂を招く者、地域の下劣なへびは、なおさら直ちに教会を去る必要がある。こうした邪悪な狼のような本性の者は、変わることが出来ないので、兄弟姉妹の正しい生活を二度と阻害することのないよう、そして神の罰を避けるため、出来るだけ早く教会を去った方がよい。こうした者と親しくしている人々は、その機会を活用して反省するのがよい。あなたがたは、邪悪な者に付き従って教会から去るであろうか、それとも教会に残り、従順に従うであろうか。このことを十分検討する必要がある。

『言葉は肉において現れる』の「真理を実践しない者に対する警告」より

 わたしは、あなた方がわたしの言葉を食べたり、飲んだりするのを妨げる邪悪な人々のすべてを軽蔑する。何故かと言うと、心の底からわたしを望むことをしない人々がわずかだがいるからだ。これらの人々は欺瞞に満ちていて、真の心でわたしに近づこうとせず、邪悪で、わたしの意志の実行を妨害する。彼らは真実を実行する人々ではない。これらの人々は独善と傲慢に満ちていて、極めて野心的であり、好んで見下の者を見下さないような態度を取り、話す言葉は心地よく聞こえるが、内心では真実を実行していない。これらの邪悪な人々はみな追い出し、すっかり一掃しなければならない。彼らは完全に敗者となり衰えるだろう。

『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第二十四章」より

 わたしの目の前でどんなに哀れっぽく見せようとしても、わたしは人に対して決して寛大にはならない。人は白と黒の違い、真理と非真理の違いを把握していないからである。人の理知は大いに麻痺しているにもかかわらず、まだ祝福を得ようと願い、人間性はひどく下劣であるにもかかわらず、まだ王としての統治を保有することを願う。そのような理知の持ち主がいったい誰の王になれるというのか。そのような人間性の者がどうして玉座に着くことができようか。実に人は恥を知らない。身の程知らずな卑劣漢である。祝福を得たいと願うあなたがたに対し、わたしはまず鏡を見つけて、そこに映る自分自身の醜い姿を見ることを勧める。あなたは王になるために必要なものを持っているだろうか。あなたは祝福を得ることのできる者の顔をしているだろうか。性質にわずかな変化もなく、真理は何一つ実践していないにもかかわらず、あなたはまだ素晴らしい明日を願っている。あなたは自分自身を欺いている。

『言葉は肉において現れる』の「性質が変わらないままなのは、神に敵対していることである」より

 わたしはあなた方の生活を、穢れた霊の血を飲み肉を喰らうものと断定した。なぜなら、毎日あなた方はわたしの目の前で彼らの姿を呈しているからだ。わたしの前でのあなたの振る舞いはとりわけ酷い。それで嫌悪を感じずにいられようか。あなたの発言には、穢れた霊の不純さがある。まるで魔術師であるかのように、そして、欺き、よこしまな者の血を飲む人々のように、あなた方は欺き、隠し、お世辞を言う。人間の表わすものは全て極めてよこしまである。それならば、義なる人々のいる聖なる地にどうして全ての人が置かれることなどあるだろう。あなた方の卑劣な振る舞いが、不義なる人々と区別されると思うのか。あなたの蛇のような舌は、破滅と嫌悪すべきものを引き起こすその肉体を滅ぼすだろう。穢れた霊の血で覆われたあなた方の手もまた、あなた方の魂を地獄へと引きずり込む。それなのになぜ、真っ先にこの機会を利用して、その穢れに満ちた手を清めないのか。なぜ真っ先にこの機会を利用して、不義の言葉を語るその舌を切り取らないのか。自ら進んで自分の2本の手、舌と唇を地獄の炎で苦しませたいのか。わたしはこの目であらゆる人々の心を見守り続ける。わたしが人類を創造する遥か以前に、わたしは自らの手中に彼らの心を掴んだからだ。わたしは遥か昔、人間の心を見通していた。どうして人の心の思いがわたしの目を逃れることができようか。わたしの霊の炎から逃れるよう、どう間に合わせることができようか。

『言葉は肉において現れる』の「あなた方の性格は卑しすぎる」より

 多くの人たちは自分たちが犯した甚だしい過ち故に、心が落ち着くことはなく、穏やかでない。また多くの人たちはたった一つの良い行いすらしてこなかったことを恥じている。しかし、自分たちの罪を恥ずかしいとは全く思わず、ますます悪くなる者たちも多く、まだ完全に暴露されていない自分たちの醜い顔の覆いを完全に引き剥がし、わたしの性質を試そうとする。わたしは、誰かの行動を気にすることも注意深く見ることもない。むしろ、情報収集であれ、地上を歩き回ることであれ、興味のあることであれ、わたしはわたしがしなければならないことをする。大切な時には、一秒も遅れることも、早まることもなく、計画通りに人々の中でわたしの働きを進め、それは楽々とまた素早く行われる。

『言葉は肉において現れる』の「終着点のために、善行を十分積まなければならない」より

 しかし、わたしの働きの各段階で、捨て去られる人たちもいる。わたしは彼らが見かけばかりであることや、彼らの見せかけのへつらいを軽蔑するからである。わたしが忌み嫌う者たちは意図的であろうがなかろうが確実に捨てられる。つまり、わたしはわたしが軽蔑する全ての者が離れていくことを望んでいる。言うまでもなく、わたしの家に留まっている悪い者たちを見逃すことはしない。人を懲罰する日が近づいているため、あのような卑劣な魂を全て急いで投げ捨てようとは思わない。なぜなら、わたし自身の計画があるからだ。

『言葉は肉において現れる』の「終着点のために、善行を十分積まなければならない」より

 わたしが受肉しているとき、誰でも肉の体のわたしと、わたしの働きについて議論する者を、わたしは憎む。わたしには地上に身内がないのであり、誰であっても、わたしを同等の存在と見て、わたしを引き寄せて昔のことを語ろうとする者は滅ぼされるのだということを、すべての人間に、わたしは何度も思い起こさせた。これがわたしの権限である。そうしたことについて、わたしは人間に対して、まったく許容しない。わたしの働きを妨げてわたしに意見しようとする者は、刑罰を受ける。けっして赦されることがない。

『言葉は肉において現れる』第二部「全宇宙への神の言葉」の「第二十章」より

 多くの人たちが神の言葉を読みながらも、心の中では神に逆らっている。そのように神に逆らった後、あなたはナイフで胸がえぐられるように感じないだろうか。それが家庭での不和でないとしても、それは身体の不調、または息子や娘たちに関する悩みではないだろうか。たとえあなたの肉体が死を免れたとしても、神の手から逃がれることはできない。あなたはそれをそれほど単純なことだと思っているのか。特にこれは、神に近い多くの者たちが注意すべきことである。あなたは、時が経つにつれてこのことを忘れ、気付かないうちに誘惑に陥り、全てのことに無頓着になり、そしてそれは、あなたが罪を犯すきっかけになるだろう。これは些細なことだと、あなたには思えるだろうか。もしこのことをうまくできれば、あなたは完全にされる機会を得る──神の前で、神の口から助言を受けるために。もしあなたが不注意なら、あなたは問題にぶつかるだろう──あなたは神に対し不遜になり、あなたの言葉と行動がはだらしなくなり、遅かれ早かれ強風と巨大な波にさらわれるであろう。あなたがたは一人ひとり、これらの戒めを心に留めるべきである。もしそれらに違反するならば、神によって証しされている者は、あなたを罪に定めないかもしれないが、神の霊はあなたへの取り扱いを終えていないし、神の霊はあなたを容赦しない。それでもあなたは、神に対して罪を犯す勇気があるのか。そういうわけで、神が何を言おうが、あなたは神の言葉を実践し、あらゆる手段を尽くして忠実にそれらを守らなければならない。これは決して容易なことではない。

『言葉は肉において現れる』の「新時代の戒め」より

 多神主義的に考えている場合、わたしはあなたに人間くずである、サタンの化身である、邪悪の権化であると言わざるを得ない。……時間、場所、あなた方の経歴を問わず、あなたは神と、人間、物事を混同してはならない。神の権威を知ることや、神の権威や神自身の本質に近づくことが、どれほど困難であると感じているか、またあなたの考え方や想像がどの程度サタンの行動や言葉と一致するか、そうした行動や言葉にあなたがどの程度満足しているかを問わず、あなたは愚かであってはならず、それらの概念に惑わされてはならず、神の地位と存在を否定してはならず、心の中の神を排除して、神の代わりにサタンを受け容れて、サタンを崇拝してはならない。そのようなことをした場合、どのような結末が待っているかは、あなた方に想像できることであると、わたしは確信している。

『言葉は肉において現れる』の「唯一の神自身 1」より

 神とその性質、神の中にある物事や神の存在に関して理解したことにより、神に対し、どのように処遇すべきかに関して、あなたがたは何らかの結論を得たであろうか。この質問への回答として、締めくくりに3つの警告をあなたがたに伝える。第1に、神を試してはならない。神について、いかに多くの事柄を理解していたとしても、神の性質に関していかに多くの事柄を知っていたとしても、決して神を試してはならない。第2に、地位をめぐって神と対立してはならない。神から授かった地位がどのようなものであれ、神から授かった務めがどのようなものであれ、神があなたを育み、実行させる本分がどのようなものであれ、あなたが神のために費やしたものと払った犠牲がどれほどであれ、決して地位をめぐって神と対立してはならない。第3に、神と競合してはならない。あなたに対する神の業について理解しているか、それに従うことが出来るか、また神があなたに用意したものが何であるか、神があなたにもたらす物事が何であるかを問わず、決して神と競合してはならない。あなたがこれらの警告に従うことが出来るのであれば、あなたは総じて安全であり、容易に神の怒りを買うことはないであろう。

『言葉は肉において現れる』の「神の働き、神の性質、そして神自身 3」より

 愛は神の本質の一部であり、また神は全ての人間に憐れみを与えるが、神の本質が威厳でもあることを人間は軽視し、忘れてしまう。神に愛があることは、人間が自由に神に反することが可能であり、神には感情も反応も無い、ということではない。神に憐れみがあることは、神による人間の取り扱いに原則が無い、ということではない。神は生きており、現実に存在する。神は想像上の操り人形などでは無い。神は存在するので、人間は神の心の言葉を注意して聞き、神の姿勢に注意し、神の感情を理解する必要がある。人間は、人間自身の想像により神を定義したり、人間が神に関して思うことや望むことを神に強制したり、神に人間の流儀で人間の取り扱いかたを考えさせたりしてはならない。そのようなことをするというのは、あなた方は神の怒りを買い、神の怒りを試し、神の威厳を挑発しているに等しい。

『言葉は肉において現れる』の「神の性質と神の業の結果を知る方法」より

 わたしとの長年の関わり合いをもってしても人間性と真理を持つ人間とならず、代わりに邪悪な生き方が浸透しており、誇大妄想が倍増しているだけでなく、わたしに対する誤解が増加し、わたしを仲間としてしか見ないようであれば、あなたの苦しみは皮膚だけにとどまらず、骨にまで浸透してしまっている。その場合、為せるべきことは自らの葬儀の準備が整うのを待つことだけだ。その時になってあなたの神になってほしいとわたしに嘆願する必要はない。あなたは死に値する、赦されない罪を犯してしまったのであるから。例えわたしが慈悲を与えることができたとしても、天の神はあなたの命を取ることを主張するであろう。神の性質に対する罪は普通の問題ではなく、非常に深刻な性質のものだからだ。

『言葉は肉において現れる』の「どのように地上の神を知るか」より

 人々は、役人や主君に仕えるやり方を神の家に持ち込み、そういうやり方がここで通用すると、無益に思い込んでいる。彼らには、神は羊ではなく、獅子の性質を持っているとは、思いもつかない。そのため、初めて神と関わった者は、神と交わることができない。神の心は人間のそれとは異なっているのだから。多くの真理を理解して初めて、いつでも神を知っていられるようになる。この認識は文字や教義ではなく、神の心を知る宝、神があなたを喜んでいる証となるものである。真の認識を欠き、真理を自らのものとしていないのなら、あなたの感情に基づいた奉仕は神に嫌われ、憎まれるだけである。

『言葉は肉において現れる』の「三つの忠告」より

 第三の忠告だが、まず神を信じる者はみな、これまでたどってきた道のどこかで神に逆らい、神を欺いたことがある。過ちの中には、不正として記録する必要のないものもあるが、赦されないものもある。その多くは行政に背くものであり、神の性質に逆らうものだからである。自分の運命を心配する多くの人々は、それはどういう行いかと尋ねるだろう。あなたがたは、自分が本来、傲慢で尊大であり、事実を受け入れることを望んでいないということを知らなければならない。だから、まずあなたがたが自らを省みた後、少しずつ教えていこう。行政の内容をよく理解し、神の性質を知るようにしなさい。そうでなければ、唇を閉じていることができず、いつまでも偉そうなことをまくしたてるだろうから。無意識の中に神の性質に逆らい、闇に落ち、聖霊と光とを失うことになる。あなたがたは、行いにおいて無原則だからだ。してはいけないことをし、言ってはいけないことを言うなら、相応の罰を受けることになる。あなたは言葉と行いにおいて無原則であっても、神はそのいずれにおいても、まことに原則がある。あなたが罰を受けるのは、人にではなく、神に背いたからだ。もし、あなたの人生で神の性質に背くようなことを幾度もしたのであれば、あなたは地獄の子ということになる。人間の目には、真理に沿わないことを少ししただけのことと見えるだろう。しかしながら、神の目からすると、あなたのためには、もう罪を贖う捧げ物がないのだということは、わかっているだろうか。あなたは行政に何度も背いていながら、悔い改めようとしなかった。そのため、地獄に落とされ、神の懲罰を受けるしかないのだ。

『言葉は肉において現れる』の「三つの忠告」より

 今後の経験において、わたしが述べた事柄をあなた方が実行できることを願っている。神を無視したり、空気のようなものとみなしたりしてはならず、自分に都合の良い時だけ神が存在するような気がするが、それ以外の時は神が存在しないような気がするようであってはならない。あなたが、無意識のうちにそのように認識している場合、あなたは既に神を激怒させている。

『言葉は肉において現れる』の「神の性質と神の業の結果を知る方法」より

 主がトマスの前に現れた時に述べた、聖書に記されているこの言葉は、恵みの時代のあらゆる人々にとって大いに役立つ。主がトマスのところへ来て述べた言葉は、その後何世代にもわたる人々に極めて大きな影響を与え、その言葉には永遠の意味がある。トマスは、神を信じつつ、神に疑念を抱いている信者の代表的存在である。こうした人々は疑い深い性格であり、悪意があり、不忠であり、神が成し遂げることの出来る業を信じていない。こうした人々は神の全能性や支配を信じず、受肉した神を信じていない。しかし、主イエスの復活は、こうした人々に対する顔面の平手打ちのような衝撃であり、こうした人々が抱く疑念について気づき、認識し、自らの不忠を認め、よって主イエスの存在と復活を心から信じるようになる機会でもあった。トマスに起こった出来事は、その後の世代の人々がトマスのように疑念を抱いたならば、闇へと落ちるであろうから、疑念を抱くことを避けるように、という警告であった。あなたが神を信じていながら、トマスのように常に主のわき腹や釘あとに触れ、神が存在するかどうかを憶測し、確かめることを望むのであれば、神はあなたを見捨てるであろう。そうしたわけで、主イエスは人々に対し、自分の目で見ることのできる物だけを信じたトマスのようにならず、純粋で正直な人間となり、神に対して疑念を抱かず、神を信じて付き従うことを要求している。このような者は祝福されている。これは主イエスの人々に対する僅かな要求であり、また主に付き従う者に対する警告でもある。

『言葉は肉において現れる』の「神の働き、神の性質、そして神自身 3」より

 この神の性質は、神の言葉でしばしば述べられている。あなたが神のためにどれほど多くの道を歩み、どれほど働き、どれほど堪え忍んできたとしても、あなたが神の性質を害すると、神はあなたに対し、あなたがしたことに応じて報いを与える。これは、神が人間を神に親しい存在とみなしているかも知れないが、人間は神を友達や親戚のように扱ってはならないことを意味する。神を友達のように扱ってはならない。あなたが如何に多くの愛情を神から受けていたとしても、如何に多くの寛容さを与えられていたとしても、決して神を友達のように扱ってはならない。これが神の義なる性質である。……人間が神を害した場合、それは1回の行動あるいはひと言の発言が原因であるとは限らず、むしろその人間の態度や状態が原因である。これは極めて恐るべきことである。

『言葉は肉において現れる』の「唯一の神自身 7」より

 自分の過ちを、未熟で愚かな者のミスであるとは考えてはならず、また真理を実践しなかったのは、自分の器量が劣っているために真理を実践できなかったからであるという言い訳をしてもならない。またそれにもまして、自分が犯した過ちを、単に他になすすべを知らない者の行動であるように考えてはならない。あなたが自らを赦すのが得意であり、自らに寛大になるのが得意であれば、あなたは、決して真理を得る事の無い臆病者であり、あなたの過ちは決してあなたをつきまとうことをやめず、その過ちはあなたが真理の要求を満たすことを永遠に妨げ、あなたは永遠にサタンの忠実な仲間となるだろう、と言える。わたしの勧告は、依然として同じである。すなわち、自分の終着点のみに注意して隠された自分の過ちを見過ごしてはならない。自分の過ちを真剣に受け止め、終着点に関する懸念のために、自分の過ちを全て見過ごしてはならない。

『言葉は肉において現れる』の「過ちは人間を地獄へ送る」より

 あなたの過ちが多ければ多いほど、あなたが良い終着点を得る確率は低くなる。それと反対に、あなたの過ちが少なければ少ないほど、あなたが神に賞讃される確率は高くなる。あなたの過ちが増えすぎて、わたしがあなたを許せなくなったとしたら、あなたは自分が赦される機会を完全に台無しにしたことになるであろう。その場合、あなたの終着点は、天ではなく地の下となるであろう。あなたがわたしを信じないのであれば、大胆に間違ったことをして、その結果を知るがよいだろう。あなたが真理を実践する熱意ある者であるならば、あなたには、自らの過ちの赦しを得る機会が確実にあり、反抗する回数がますます減ってゆくであろう。あなたが真理を実践することを望まない者であるならば、神の前における過ちは確実に増えてゆき、反抗する回数もさらに増加を続けて、終局的には完全に滅ぼされる時が来るであろう。そしてそれこそがまさに、祝福を受けるあなたの美しい夢が無に帰する時である。

『言葉は肉において現れる』の「過ちは人間を地獄へ送る」より

 わたしの業は、人間の霊を救う業である。あなたの霊がサタンの掌中に陥ったならば、あなたの身体は平和な日々を送れないであろう。わたしがあなたの身体を護っているならば、あなたの霊は確実にわたしの庇護にあるであろう。わたしがあなたを本気で忌み嫌ったならば、あなたの身体と霊は、即座にサタンの掌中に陥るであろう。あなたは、そうなった場合の自分の状況を想像出来るだろうか。ある日わたしの言葉があなたがたに意味をなさなくなったならば、わたしはあなたがたを全てサタンに引き渡し、わたしの怒りが完全に無くなるまで2倍の苦悶を与えるか、あるいはわたし自らが、救いようのない人間であるあなたがたに懲罰を与える。なぜなら、あなたがたがわたしを裏切る心は変わらなかったからである。

『言葉は肉において現れる』の「極めて深刻な問題──裏切り(2)」より

 わたしが挙げた要求は、すべてあなたがたが自分を検証するためのものである。あなたがた全員が、これらの問題を真剣に検討出来ること、そしてわたしをいい加減に取り扱わない事を期待している。わたしは近い将来、わたしの要求に対するあなたがたの回答を確認する。その時までは、あなたがたにそれ以上の物事を要求することは無く、またあなたがたに深刻な忠告をそれ以上述べることは無いであろう。そしてわたしは、自分の権威を行使する。残すべき者は残され、報いられるべき者は報いられ、サタンに引き渡されるべき者は、サタンに引き渡され、厳罰を受けるべき者は厳罰を受け、滅ぶべき者は滅ぼされるであろう。そのようにして、わたしの日にわたしを侵害する者は誰も居なくなるであろう。

『言葉は肉において現れる』の「極めて深刻な問題──裏切り(2)」より

 一度すべての救いの業が完了すれば、さらなる救いの業はない。次に来るのは、悪を罰する業の開始である。あなたは抵抗し、逆らい、自分で悪だと分かっていることをしている。あなたは、厳しい罰の対象ではないのか。わたしは、あなたのためにこのことを今日、一字一句説明しているのだ。あなたがわたしの言うことを聞かず、後に患難があなたの上に臨む時になって、やっと後悔し始め、信じ始めたところで、それはもう遅過ぎるであろう。わたしは今日、あなたに悔い改める機会を与えているが、あなたは悔い改めようとはしない。あなたは、あとどれほど長く待ちたいというのか。刑罰の日までか。わたしは今日、あなたの過去の背きの罪を憶えてはいない。わたしは、あなたを幾度も幾度も赦す。あなたの消極的な面から目をそらし、あなたの積極的な面だけに目を留めて。何故なら、わたしの現在の言葉と業のすべては、あなたを救うためであり、わたしはあなたに対して何の悪意も持っていないからだ。それでもあなたはいのちに入ることを拒む。あなたは善悪を区別することができず、親切の価値に感謝することも知らない。このような人には、ただあの懲罰と義なる報復を待つことしかないのではないか。

『言葉は肉において現れる』の「征服の働きの内なる真実(1)」より

 人々は、些かといえどもわたしの存在を信じず、わたしの到来を歓迎もしない。人類はただ渋々とわたしの要求に応え、一時的にそれらの要求に合意する。彼らは人生の喜びや悲しみを心からわたしと共有したりしない。人々はわたしを不可解な存在と見るので、渋々わたしに微笑むふりをし、権力に擦り寄る姿をうっかり見せてしまう。これは、人々がわたしの働きについて、ましてや今日のわたしの意図について何の知識も持ち合わせないからである。わたしはあなた方すべてに正直に言う。その日が来ると、わたしを崇めるすべての人の苦しみは、あなた方の苦しみほどではないだろう。あなた方の信仰は実際、ヨブのそれを超えていない──ユダヤのパリサイ人の信仰ですら、あなた方の信仰を上回る──したがって、差し迫る、火で焼かれる日にあなた方は、イエスに非難される時にはパリサイ人達よりも多くの苦しみを受け、モーセに抵抗した250人のリーダーよりも多くの苦しみを受け、滅びのときに焼けるような炎の下に置かれたソドムよりも重い苦しみを受けるだろう。

『言葉は肉において現れる』の「本物の人とは何を意味するか」より

 人々は、わたしの到来を喜ばず、わたしの栄光の日々を尊びもしない。彼らは、わたしの刑罰を喜んで受け入れることはなく、ましてやわたしの栄光をわたしに復させようなどとはせず、悪魔の毒を進んで投げ捨てようとすることもない。人々は常にわたしをだまし、いつでも明るい微笑と幸せそうな顔を装う。彼らはわたしの栄光が去った後に直面する暗闇の深さに気づかず、とりわけ、わたしの日が人類全体にやってくるとき、彼らの日々はノアの時代の人々のそれよりもなお一層厳しいことに気づいていない。なぜなら、彼らはわたしの栄光がイスラエルを去ったときの暗さがどれほどだったかを知らない。人は夜明けが訪れると、夜の真っ暗闇を通り抜けることがいかに厳しいかを忘れる。太陽が再び隠れ、夜の暗闇が人の上にのしかかるとき、彼は暗闇の中で再び、悲嘆にくれ歯ぎしりする。わたしの栄光がイスラエルから別れた時、イスラエルの人たちがその困難の中でどれほど苦しんだかを、あなた方は忘れたのか。

『言葉は肉において現れる』の「本物の人とは何を意味するか」より

 無数の理由から──おそらく、時間が足りず、多忙を極めた仕事のスケジュールなどの理由で──わたしの性質により人がわたしのことを少しでも知るようにさせるには至らなかった。ゆえに、わたしの新しい計画、わたしの最後の働きへと前進してわたしの働きの新しいページを開き、その結果、わたしを見る者たちはみな、わたしの存在ゆえに胸をたたいて、とめどなく泣くだろう。それは、わたしはこの世に人類の最後をもたらし、その後、わたしの性質をすべて人類の前に公布するからだ。そうして、わたしを知っている人たちもわたしを知らない人たちもすべて「喜んで見つめる」。そして、確かに、わたしが人間の世界に現れ、全てのものが増える地上に来たことを知るのである。これはわたしの計画であり、わたしの人類の創造以来、たったひとつの「告白」である。あなたがたにわたしの一挙一動だけを見つめて欲しいと願う。わたしの杖はもう一度、人類に、わたしに敵対する者たちすべての近くに押しつけられているからだ。

『言葉は肉において現れる』の「終着点のために、善行を十分積まなければならない」より

 わたしが一言話すと、全宇宙が端から端まで震える──わたしの言葉を聞いて、恐れ慄かない者は誰か。わたしを敬う心を育むことができないのは誰か。わたしの業から、わたしの義と威厳を知ることができない者は誰か。また、わたしの業の中に、わたしの全能と知恵を見ることができない者は誰か。誰であれ気に留めない者は必ず死ぬであろう。これは、気に留めない者は、わたしに背く者、わたしを知らない者であり、また、彼らは大天使であり、最も野蛮な者だからである。自分自身を吟味しなさい──誰であれ野蛮な者、自分を義とする者、傲慢で自惚れの強い者は、確かにわたしの憎しみの対象であり、そのような者は滅びるだろう。

『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第七十九章」より

 神の働きは強く打ち寄せる大波のようなものである。誰も神を引き留めることはできないし、誰も神の歩みを停止させることはできない。神の言葉に注意深く耳を傾け、神を探し求め、渇望する人々だけ神の歩みをたどり、神の約束を受けることができる。そうしない者は圧倒的な災難を被り、当然の罰を受ける。

『言葉は肉において現れる』の「神は全人類の運命を支配する」より

 心配することはない。わたしは名もない蛆虫と同じ程度に成り下がることはできず、あなたと技を比べ合うこともない。わたしはあなたを心から嫌うが、耐えることができる。あなたはわたしに従わないが、父がわたしに約束したあなたへの刑罰の日を逃れることはできない。創造された蛆虫は、万物を創造した神と比べ得るであろうか。秋には、落ち葉は土に還り、あなたは父の家に帰り、わたしは父の傍らに戻る。わたしは父の優しい愛と共にあり、あなたは父に踏みにじられる。わたしは父の栄光を手にし、あなたは父の辱めを受ける。わたしはあなたに向けるのをずっと控えてきた刑罰を用い、あなたは既に何万年も腐敗し続けている悪臭を放つ肉体をもってわたしの刑罰を受け止める。わたしはあなたの内にあって忍耐を伴ったわたしの言葉の働きを終え、あなたはわたしの言葉により苦悩の災いを受ける役割を果たし始める。わたしはイスラエルにあって大いに喜び、働くが、あなたは悲嘆にくれて歯噛みをし、泥の中に生きて死ぬ。わたしは元の姿を取り始め、もはやあなたと共に汚れの中に留まることはないが、あなたは元の醜い姿のままであり、糞の山の中でうごめき続ける。わたしの働きと言葉が完了する時、わたしには喜びの日が訪れる。あなたの抵抗と反抗が終わる時、あなたには悲嘆の日が訪れる。わたしはあなたに同情することはなく、あなたがわたしを見ることは二度とないであろう。わたしはもはやあなたと言葉を交わすことはなく、あなたはもはやわたしに出会うことはないであろう。わたしはあなたの反抗を憎み、あなたはわたしの愛を懐かしむであろう。わたしはあなたを打ち、あなたはわたしを懐かしむであろう。わたしは喜んであなたから離れ、あなたはわたしに対する負い目に気付くであろう。わたしはあなたに二度と会うことはないが、あなたは常にわたしを待ち望むであろう。あなたが今わたしに抵抗するので、わたしはあなたを憎むであろうが、わたしが今あなたに刑罰を与えるので、あなたはわたしを懐かしむであろう。わたしはあなたと共に生きるのに気が進まないが、あなたはわたしにしたすべての事を悔やむので、わたしがあなたと共に生きるのを激しく切望し、永遠に悲嘆にくれるであろう。あなたは自分の抵抗と反抗を後悔し、後悔のあまりその顔を地に伏せ、わたしの前に身を投げ出して、これ以上わたしに逆らわないと誓うであろう。しかし、あなたは心の内でわたしを愛するだけで、わたしの声を二度と聞くことはできない。なぜなら、わたしはあなたを辱めるからである。

『言葉は肉において現れる』の「落ち葉が土に還る時、あなたは行ったあらゆる悪事を後悔するであろう」より

 わたしの日が来たら、わたしは燃える炎を、かつてわたしを強烈に激怒させた不従順な者たちの上に永遠に雨あられとふりかけ、かつてわたしに悪口雑言を投げつけ、わたしを見捨てたあの獣たちに永続的懲罰を課し、かつてわたしと共に食べ、暮らしたがわたしを信じず、わたしを侮辱し、裏切った不従順な息子たちを怒りの火でいつまでも焼く。わたしはわたしの怒りを引き起こしたすべての人々に懲罰を与え、わたしの怒りのすべてを、かつてわたしと対等につきあうことを望んだにもかかわらずわたしを礼拝せず、従わなかった獣どもに雨あられとふりかける。わたしが人を打つ鞭は、かつてわたしの顧みや、わたしが話した奥義を楽しみ、わたしから物質的楽しみを引き出そうとしたあの獣たちを攻撃する。わたしはわたしの地位を取ろうとする者は誰も許さない。わたしから食べものや衣服を奪おうとする者は誰も容赦しない。今のところ、あなたがたは損害を免れており、相変わらず背伸びしてわたしに無理な要求をしようとしている。怒りの日が来たら、あなたがたはわたしにこれ以上要求はしないだろう。その時、わたしはあなたがたを心ゆくまで「楽しませ」、あなたがたの顔を地中に押し込む。そうすれば二度と起き上がることができない。遅かれ早かれ、わたしはこの負債をあなたがたに「返す」──そしてあなたがたが辛抱強くこの日の来るのを待つことを望む。

『言葉は肉において現れる』の「性質が変わらないままなのは、神に敵対していることである」より

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