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全能神、終わりの日のキリストの代表的な言葉

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XI 神の求め、奨励、警告、慰めについての代表的な言葉

(Ⅰ)人への神の要求についての代表的な言葉

 わたしには多くの望みがある。わたしの願いは、あなたがたが適切かつ行儀良く振る舞い、忠実に自分の本分を尽くし、真理と人間性を備え、神のために全てを、そして人生を投げ打つことが出来ること、などがある。こうした望みは、全てあなたがたに欠如している物事と腐敗、反抗から生まれたものである。

『言葉は肉において現れる』の「過ちは人間を地獄へ送る」より

 神に付き従う者に対し、神は真の信仰、忠実な追随、完全な服従、真の認識、そして心からの崇敬という5つの事柄を要求する。

『言葉は肉において現れる』の「唯一の神自身 10」より

 真の被造物は、創造主が誰であるのか、人間はなぜ創造されたのか、被造物としてどう責任を果たすのか、全ての創造物の主をどう礼拝するかを知り、創造主の意図、願い、要求を理解し、把握し、知り、思いやらなければならない。そして創造主の道──神を畏れ、悪を避ける道に沿って行動しなければならない。

『言葉は肉において現れる』の「神を知ることこそ神を畏れ悪を避ける道」より

 人間は、被造物として、自身の立場を維持して誠実に行動し、創造主から託されたものを忠実に守る必要がある。そして人間はその道を外れた行動を行ったり、人間の能力を超えることや、神が不快と感じることを行ったりしてはならない。人間は、偉大になろうとしたり、特別になろうとしたり、他の者を超えようとしたり、神になろうとしたりしてはならない。人間はこうした存在になることを望んではならない。偉大になろうとしたり、特別になろうとしたりするのは、愚かである。ましてや神になろうとするのは、恥辱的であり、不快で卑劣である。称賛に値し、被造物が何よりも固守すべき事は、真の被造物となることである。それが全ての人々が追求すべき唯一の目標である。

『言葉は肉において現れる』の「唯一の神自身1」より

 神の国の民に対する神の要求は次のとおりである。

1.神の委託を受け入れなければならない。つまり、終わりの日の神の働きで語られたすべての言葉を受け入れなければならない。

2.神の国の訓練に入らなければならない。

3.神に触れられる心を持つよう求めなければならない。あなたの心が完全に神に向いて、正常な霊的生活があれば、自由の領域に住む。つまり、神の労りと保護のもとで生きる。神の労りと保護のもとに生きるときにのみ、あなたは神に属する。

4.神によって得られなければならない。

5.地上での神の栄光のしるしとなければならない。

『言葉は肉において現れる』の「神の最新の働きを知り、神の歩みに従う」より

 わたしの語る言葉は、特定の人や特定の種類の人に対するものではなく、すべての人に向かって示す真理である。だから、真理という観点からわたしの言葉を受け取ることにただ集中しなさい、そして集中心と誠意を常に持ち続けなさい。わたしの語る言葉、また語る真理のひとつでも無視したり、軽蔑したりしてはいけない。

『言葉は肉において現れる』の「三つの忠告」より

 あなたがた全員が、わたしの言葉を何度も何度も繰り返して読み──何千回でも──心に刻み込むことさえ出来るようにとわたしは切に願う。あなたがたに対するわたしの期待を裏切ることがないためには、そうすることによるほか無い。しかしながら、現在そのように生きている者は皆無である。それとは反対に、あなたがたは欲しいだけ飲み食いする放縦な生活に浸り、わたしの言葉で心とたましいを豊かにする者は一人もいない。そのことが、人間のほんとうの顔というのは常にわたしを裏切るものであり、わたしの言葉に完全に忠実となれる者は居ない、という結論をわたしがくだした理由である。

『言葉は肉において現れる』の「極めて深刻な問題──裏切り(1)」より

 神の言葉を等閑にしたり、聞く耳を持たなかったりすることは許されない。慎重にそれらを解き明かし、デボ-ションを繰り返し、言葉の中にある命を把握しなければならない。それらを消化する時間を持たず、それらをただ丸呑みするというような無益なことはしてはならない。あなたが行うあらゆることにおいて、あなたは神の言葉に拠り頼んでいるだろうか。子供のように得意そうに話して、それから何か問題が生じる度、全くの混乱に陥るというようなことはあってはならない。あなたの霊を毎日毎時間、鍛錬しなければならない。一瞬たりとも気を緩めてはならない。鋭い霊を持たなければならない。誰に遭遇しようと、何があなたに降りかかろうと、神の前に来さえすれば、辿るべき道が見つかるだろう。あなたは神の言葉を日々飲食し、怠ることなく神の言葉を解き明かし、さらに努力し、細部に至るまで理解し、神の旨を誤解しないように、完全なる真理を身に着けなければならない。

『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第七章」より

 わたしの民は常にサタンの狡猾な企みを警戒し、わたしの家の門をわたしのために守り、互いに支え合い、施し合わなくてはならない。そうすることで、あなた方はサタンの罠に陥ることがなくなるだろう。その時は、もう後悔しても手遅れなのだから。なぜわたしはこれほど早急にあなた方を訓練しているのか。なぜ霊の世界に関してあれこれ語るのか。なぜあなた方に何度も思い出させ、熱心に忠告するのか。あなた方はかつてこのことについて考えたことがあるだろうか。あなた方は理解したことがあるだろうか。このように、あなた方は過去の基盤に基づく熟練が必要なだけでなく、さらには今日のわたしの言葉に従って自分自身の中の不純物を追い出し、わたしの言葉の一語一語を根付かせ、あなた方の霊において花咲かせ、さらに重要なことには、もっと多くの実を結ばせなくてはならない。わたしが求めるものは明るく、繁茂した花ではなく、豊富な果実──さらには、悪くならない果実だからである。

『言葉は肉において現れる』第二部「全宇宙への神の言葉」の「第三章」より

 あなたがたの目的の核心は、神の業があなたがたの中で効果を発揮するようにすることである。言い換えれば、それは、あなたがたが神の言葉を実践する中で、その言葉を真に理解することである。おそらく、あなたがたが神の言葉を受ける能力は乏しいであろうが、あなたがたが神の言葉を実践する時、神はあなたがたの受ける能力の乏しさという欠点を補うことができる。だからあなたがたは数多くの真理を知るだけでなく、それらの真理を実践しなければならないのだ。これが無視することのできない最大の重点である。

『言葉は肉において現れる』の「真理を理解したらそれを実行せよ」より

 わたしはあなたがたが日々の生活の中で、真理と無関係なことを数多く行っていることを分かっている。だから、わたしはあなたがたにはっきりとお願いしておきたい。真理のしもべとなり、邪悪さや醜さの奴隷となることがないように。真理を踏みにじって、神の家の片隅でも汚すことのないようにしなさい。これが、あなたがたへの忠告である。

『言葉は肉において現れる』の「三つの忠告」より

 神の国のよき兵士たちを訓練することは、現実性について語ることができるだけの者や自慢するだけの者を訓練することとは違い、いかなる時も神の言葉を実際に生き抜き、挫折に直面しても屈せず、あらゆる時にも神の言葉に従って生活し、この世に後戻りするようなことのない者たちを訓練することである。これが神が言う現実性であり、神が人間に要求するものである。

『言葉は肉において現れる』の「真理を実行に移すことだけが現実性を得ることである」より

 祝福を一日や二日で受けることはできない。それは多くの犠牲を通して獲得されねばならない。つまり、精錬された愛や、大きな信仰、そして神があなたがたに到達することを求める多くの真理を持たなくてはならない。それに加えて、義に面と向かい、おびえたり屈服したりすることなく、神に対して変わることなく尽きない愛を抱いていなくてはならない。あなたがたの決意が求められ、あなたがたのいのちの性質を変えることが求められる。あなたがたの堕落を改め、神の采配を不平不満なくすべて受け入れ、死にいたるまで従順でなければならない。これが、あなたがたが達成しなければならない事である。これが神の働きの最終目的であり、この一群の人々に神が求めることである。神はあなたがたに施すと同時に、あなたがたが神に報いてその要求を満たすことを求める。つまり、神のすべての働きには理由があり、このことから、なぜ神が何度も高い基準の働きを為し、厳しい要求をするのかが分かるだろう。このような訳で、あなたがたは神への信仰で満たされていなくてはならないのである。要するに、あなたがたが神の嗣業を受け継ぐに相応しい者となるため、神はすべての働きをあなたがたのために行ったのだ。これは神自身の栄光のためというより、あなたがたの救いのため、そしてけがれた地でひどく苦しめられているこの一群の人々を完全にするためである。あなたがたは神の旨を理解しなければならない。

『言葉は肉において現れる』の「神の働きは人間が想像するほど簡単か」より

 この段階の働きにおいては、大いなる信仰と愛が私達に求められている。私達は些細な不注意から躓くこともある。なぜならこの段階の働きはこれまでのいかなる働きとも異なるからである。神が完全にしているのは人類の信仰である。それは誰も見たり触れたり出来ない。神が行なっているのは、言葉を信仰や愛、いのちへ変換することである。人々は数百回の精錬に耐えてヨブの信仰よりも強い信仰を得る段階に達しなければならない。一瞬たりとも神から離れずに、信じ難い苦難とあらゆる拷問を受けなければならない。人々が死ぬまで従順で、神への強い信仰を持った時、この段階の神の働きは完了する。

『言葉は肉において現れる』の「道……(8)」より

 だから、わたしがあなたがたに要求することはやはり、自己の存在のすべてをわたしの働きのために捧げ、さらにわたしがあなたにおいて行なった働きのすべてを明確に認識、確信し、わたしの働きがさらに効果的になるように自己の力のすべてをそれに注ぎ込むことである。これが理解しなければならないことである。あなたがたのあいだで争ったり、後戻りする道を探したり、肉体の快適さを求めるのをやめなさい。これらはわたしの働きを停滞させ、各自のすばらしい将来を台無しにする。これらはあなたを守ることができるどころか、破壊をもたらす。それはあなたにとって愚かなことではないだろうか。今日あなたが貪欲に享受しているものが、まさにあなたの将来を台無しにするものであり、一方、今日あなたが苦しんでいる痛みが、まさにあなたを守っているのである。これらのことをはっきりと知り、抜け出すのに大変苦労することになる誘惑から逃れ、太陽をさえぎる濃霧にはまり込むのを避けるようにしなければならない。濃霧が消えると、あなたは大いなる日の裁きの只中にいる自分を見つける。

『言葉は肉において現れる』の「福音を広める働きはまた人間を救う働きでもある」より

 わたしは、誰もできない働きをしてきた。わたしの唯一の望みは、人が何らかの善行によりわたしに報いることだ。わたしに報いることができる人は僅かだが、それでもわたしはこの世での旅を終え、わたしの働きを現わす次の段階を始める。なぜなら、わたしが長年人々の間で行き来してきたことは実を結び、わたしはそれを非常に喜ばしく思っているからだ。わたしが気にするのは人の数ではなく、むしろ彼らの善行である。いずれにしても、わたしはあなたがたが自分たちの終着点に備えて、十分な善行を積むよう望んでいる。そうすれば、わたしは満足する。さもなければ、あなたがたの誰も自分に降りかかる災いを免れないだろう。災いはわたしによりもたらされ、もちろんわたしが采配を振るものである。もしあなたがたがわたしの目に良いと映らなければ、災いの苦しみから免れることはないだろう。

『言葉は肉において現れる』の「終着点のために、善行を十分積まなければならない」より

 ただ夢を叶えたいのであれば、決して夢見ず、永遠に真理と事実を直視しなさい。あなたを救う方法は、これしかない。この方法には、具体的にはどのような項目があるだろうか。

 最初の項目として、自分の過ちと、真理と一致しない行動、思想を全て検証する。

 ……わたしは、神に認められ、正直であり、律法の重大な違反を犯したことが無く、自分の過ちを容易に認識できる人々に対して話をしている。これはわたしがあなたがたに要求する項目のうち、あなたがたにとって容易なものであるが、わたしが要求する項目はこれだけではない。あなたがたがいかなる場合もこの必要条件を個人的に笑い飛ばすことが無いこと、またそれにも増してそれを見下したり軽視したりしないことを願う。この項目を真剣に扱い、また無視してはならない。

 2番目の項目として、自分の過ちと反抗の各事例について、それに相当する真理を探し、その真理でそれらの事例を解決させ、自らの過ちと反抗的な思想や行為を、真理の実践と置き換える。

 3番目の項目として、常に賢く狡猾な者ではなく、正直者になるようにする。(この項目においても、わたしはあなたがたが正直者となることを求めている。)

 この3項目全てを達成出来た場合、あなたは幸運であり、夢が叶う者であり、幸運を手にする者である。あなたがたはこの魅力に乏しい3つの項目を真剣に捉えるかも知れないし、無責任に扱うかも知れない。いずれにせよ、わたしの目的は、あなたがたの夢を叶え、自分の理想を実践することであり、あなたがたをからかったりばかにしたりすることではない。

『言葉は肉において現れる』の「過ちは人間を地獄へ送る」より

 今日、わたしはあなたがたと共に生き、共に苦しんでいる。わたしは人間のわたしに対する態度を長い間理解して来た。これ以上明瞭にすることは望まず、ましてやあなたがたを辱しめるために、さらに事例を挙げてあえて痛みを感じるようなことはしたくない。わたしの唯一の願いは、あなたがたが行ったことすべてを心の内に留め、再会した日にはそのひとつひとつをわたしの前で数え上げることができるようにすることである。わたしはあなたがたの誰にも濡れ衣を着せたくない。わたしは常に正しく、公正に、また責められるところがなく行動して来たからである。勿論、わたしはあなたがたも心を開いた度量の大きい者であり、天と地、またあなたがたの良心に逆らうようなことを何一つしないようにと願っている。これが唯一、わたしがあなたがたに願うことである。

『言葉は肉において現れる』の「終着点のために、善行を十分積まなければならない」より

 わたしの働きの最終段階において、あなたがたが見事な成果を披露でき、完全に献身しており、もはや半信半疑ではないことを望むのみである。無論、あなたがた全員が好ましい終着点を得ることもわたしは望んでいる。それでもなお、あなたがたがわたしに対して排他的かつ最終的な信心を捧げる際に最善の決断を下すことというわたし自身の条件がある。

『言葉は肉において現れる』の「終着点について」より

 神があなたに何を求めようとも、あなたはそれにあなたのすべてを捧げさえすればよい。最終的に神の前にあなたの忠誠心を示し得ることが望ましい。玉座にいる神の満足そうな笑みを見ることができる限り、たとえ死に際しても、あなたは微笑みながら目を閉じられるはずである。あなたは地上にいる間に神のために最後の義務を果たさなければならない。昔、ペテロは神のために逆さ磔にされた。しかし、あなたは最後に神を満足させ、神のために持てるエネルギーのすべてを使い尽くすべきである。神に作られた者は神のために何ができるだろう。そこで、あなたはすぐにでも神の慈悲の前に身を委ねるべきである。神が喜び、満足している間に、神が望むことを何でもしてもらおうではないか。人間には不平を言う権利などないのだから。

『言葉は肉において現れる』第二部「全宇宙への神の言葉の解釈」の「第四十一章」より

被造物として、あなたはもちろん神を崇拝し、意味のある生活を追求するべきである。あなたが神を崇拝せず、汚れた肉体で暮らすならば、あなたは人間の衣装を身に着けたただの獣ではないだろうか。人間として、あなたは神のために費やし、すべての苦しみに耐えるべきである。あなたは喜んで、確実に、今日直面している小さな苦しみを受け入れ、ヨブのように、ペテロのように、意味のある生活を送るべきである。この世で、人は悪魔の服をまとい、悪魔に与えられる食べ物を食べ、悪魔の言いなりになって働き、仕え、汚れの中で踏みにじられる。あなたが人生の意味、または真の道を把握しないならば、あなたの生きる意味は何だろう。あなた方は正しい道を追求する人々、成長を求める人々である。あなた方は赤い大きな竜のいる国で立ち上がる人々、神が義人と呼ぶ人々である。それは最も意味のある人生ではないだろうか。

『言葉は肉において現れる』の「実践(2)」より

 これは今日、人に対する神の唯一の要求――神を愛する人の姿を生き抜くことであり、そうすれば神の英知の結晶体の光が闇の時代にあふれるようにきらめき、人の生き方は神の働きの中に光り輝くページを記し、東洋で永久に輝き、世界から注目を集め、すべての人の称賛を受けるであろう。さらに確かなことに、今日神を愛する人々にとって、さらによい真理に入ることなのである。

『言葉は肉において現れる』の「働きと入ること(4)」より

 あなたがたが受け取ったものはわたしの真理、道、いのちだけではなく、ヨハネのそれよりも大きいビジョンと啓示である。あなたがたはもっと多くの奥義を理解し、わたしの真の顔も拝した。あなたがたはわたしのさばきをもっと受け入れ、わたしの義なる性質ももっと知った。だから、あなたがたは終わりの日に生まれたけれども、あなたがたの理解は以前のものであり、過去のものである。また今日あることも体験したが、それはわたしの手で成し遂げられた。わたしがあなたがたに求めることは理不尽ではない。というのは、わたしはあなたがたにあまりにもたくさん与え、あなたがたはわたしから多くを見たからである。だから、わたしはあなたがたに昔の聖徒たちがしたように、わたしの証人となってくれるよう願う。そしてこれだけがわたしの心の願いである。

『言葉は肉において現れる』の「あなたは信仰について何を知っているか」より

 わたしが語った事柄の全てには神の性質が含まれる。わたしの言葉を注意深く考えるとよい。それらから間違いなく多くの利益を得るであろう。神の本質を理解することは非常に難しいが、わたしはあなたがた全員に神の性質について少なくともいくらかの認識があると信じている。ゆえに、わたしはあなたがたがそれをわたしに証明し、神の性質を犯さないより多くの事柄を行うことを望むのである。それがわたしを安心させてくれるだろう。例えば、常に心の中で神を思いなさい。何かを行う時は、神の言葉に従いなさい。全てにおいて神の心を探し求め、神を軽視したり神の栄誉を汚したりする事柄は行わないようにしなさい。さらに、神を心の奥に追いやって心の中の未来の隙間を埋めないようにしなさい。もしそのようなことをするならば、あなたは神の性質を犯すことになるのである。決して神を冒涜する事柄を口にしたり、神に対して不平を言ったりせず、神があなたの人生を通じてあなたに委ねた全ての事柄を正しく行うことができ、神の言葉の全てに従うならば、行政に触れることを首尾よく避けたことになる。

『言葉は肉において現れる』の「神の性質を理解することは極めて重要である」より

 神の本質をよく知ることは、ささいな事柄ではないのである。あなたは、神の性質を理解しなければならない。そうすることによって、神の本質を少しずつ知るようになることから、同時により素晴らしく、より美しい状態へと進歩するだろう。最後には、顔を見せることを恥じるほど、自分の醜悪な魂を恥だと感じるようになるであろう。その時、神の性質を犯すことがますます減り、あなたの心はますます神の心に近づき、徐々に神への愛が心の中に育つであろう。これは、人類が美しい状態になるしるしである。しかし、あなたがたはまだこの状態に達していない。自分の運命のためにそこかしこへ渡り歩くことで自分を疲れ果てさせているあなたがたの中に、努めて神の本質をよりよく知ろうと思う者がいるだろうか。この状態が続くならば、神の性質をほんのわずかしかわかっていないために、無意識のうちに行政に触れることになる。今あなたがたが行っていることは、神の性質を犯す行為の礎を築いていないだろうか。あなたがたに神の性質を理解するよう求めることは、わたしの働きに相反するものではない。度々行政に触れるならば、懲罰を逃れることができる人がいるであろうか。そうならば、わたしの働きの全てが無駄になるのではないか。このため、わたしは今もあなたがた自身の行いを入念に顧みることに加え、行う事柄に注意を払うようにあなたがたに求めるのである。これはあなたがたに対するより重大な要求であり、あなたがたがこれについてよく考え、大切な事柄として扱うことを願う。あなたがたの行いがわたしの激しい怒りを買う日が来るならば、その結果はあなたがただけが受け止めるものであり、あなたがたの代わりに罪を負う人は他にいないのである。

『言葉は肉において現れる』の「神の性質を理解することは極めて重要である」より

 あなたがたは皆、自分自身のことを出来る限り迅速に検証し、自分の性格のうち、どの程度が依然としてわたしを裏切っているかを確認する必要がある。わたしは性急にあなたがたの答えを待っている。わたしを無視してはならない。わたしは決して人間に対していい加減な態度は取らない。わたしは言った事を必ず実行する。あなたがた全員が、わたしの言葉を真剣に捉え、それをSF小説のようなものであると考えない者となれることを願っている。わたしが望むのは、あなたがたの具体的な行為であり、想像ではない。次に、あなたがたは、わたしの次の質問に答える必要がある。1.あなたは、自分が真に奉仕者であるならば、おざなりな要素や否定的要素無しで、わたしに忠誠に仕えられるであろうか。2.あなたは、わたしがあなたに感謝した事が無いと知った場合、依然として生涯を通してわたしのところに留まり、仕えることが出来るであろうか。3.あなたが大いに努力しているにもかかわらず、わたしがあなたに対して冷淡であったとしたら、曖昧さの中でわたしのために業を行い続けることが出来るであろうか。4.あなたは、何かをわたしのために費やした後に、わたしがあなたの些細な要求を満たさなかったとしたら、わたしに失望し、落胆したり、さらには激怒したり罵声を浴びせたりするであろうか。5.あなたは、自分がわたしに対して常に忠実であり、わたしを愛しているにもかかわらず、病の苦痛や生活上の束縛、友人や親戚に見捨てられること等の人生における不幸を受けたとしたら、わたしに対するあなたの忠誠や愛は依然として継続するであろうか。6.あなたが心に描いている物事のひとつとしてわたしの業と一致しなかったならば、あなたはどのようにして自分の将来の道を歩むであろうか。7.あなたは、自分が望む物事を一切授からなかった場合、引き続きわたしに付き従う者であり続けられるだろうか。8.あなたは、わたしの業の目的や意味を全く理解できなかった場合、勝手に判断したり結論を出したりしない、従順な者となることが出来るであろうか。9.わたしが人間と共にある時に述べた言葉とわたしが行った業のすべてを大切にすることが出来るだろうか。10.あなたはわたしに忠実に付き従う者となり、何も授からないにもかかわらず、生涯を通してわたしのために苦難を受けることが出来るだろうか。11.わたしのために、自分が将来生きる道を検討したり、計画したり、用意せずに居ることが出来るだろうか。これらの質問は、あなたがたに対するわたしの最終的な要求であり、あなたがた全員がわたしに対して返答できることを期待している。

『言葉は肉において現れる』の「極めて深刻な問題──裏切り(2)」より

1.実際の神の働きを裁いてはならない。

2.神によって証しされている者に反抗してはならない。

3.神の前では、自分の立場をわきまえ、放蕩であってはならない。

4.あなたは口を慎み、自分の言葉と行動が神によって証しされている者の采配に従うものでなければならない。

5.あなたは神の証しを敬い畏れなければならない。神の働きと神の口から出る言葉を無視してはならない。

6.神の言葉の口調と目的を真似てはならない。

7.外から見て、神が証しする者に明らかに逆らうことは一切してはならない。

8.あなたの目の前にいる神を欺いたり、神から何か隠したりしてはならない。

9.あなたの前にいる神の前で、みだらなことや傲慢なことを言ってはならない。

10.神の信頼を得ようとして、あなたの目の前の神を上手い言葉やたくみな話で欺いてはならない。

11.神の前で不遜なふるまいをしてはならない。あなたは神の口から出る全ての言葉に従うべきであり、それに対し抵抗したり、逆らったり、反論してはならない。

12.神の口から出る言葉を自分勝手に解釈してはならない。あなたの舌を戒めなければならない。悪い者の偽りの計略に陥らないよう、あなたは口を慎むべきである。

13.神があなたのために定めた境界線を超えないよう、あなたの歩みに注意しなければならない。そんなことをすればあなたは、神の観点から、自惚れた大げさな言葉を話すことになり、その結果神に忌み嫌われる。

14.神の口から出た言葉をむやみに繰り返してはならない。でなければ他人があなたをあざけり悪魔が嘲笑するだろう。

15.今日の神の働きの全てに従わなければならない。たとえそれが理解できなくても、それを裁いてはならない。あなたにできることは、ひたすら探求し、交わりを持つことだけである。

16.誰も神の本来の地位を超えてはならない。あなたにできるのは、人間としての立場から、今日の神に奉仕することだけである。人間としての立場から今日の神を教えてはならない──そうすることは道に外れたことである。

17.誰も神によって証しされている者の地位に立ってはならない。あなたがたの言葉、行動、最奥の思いにおいて、人間としての立場に立ちなさい。これは守るべきことであり、人間の責任であり、変更することは誰にも許されず、そうすることは神の行政命令に背くことである。これは全ての人が覚えておくべきことである。

『言葉は肉において現れる』の「新時代の戒め」より

 

 神の国の時代に神に選ばれた人々が従わなければならない行政命令十項目

 1.人は自分を大きく見せてはならないし、崇めてもいけない。人は神を崇め、賛美するべきである。

 2.あなたは神の働きのためになることは何でもするべきであり、神の働きに有害なことは一切してはならない。神の名、神の証し、神の働きを守るべきである。

 3.金銭、物質、神の家のすべての財産は、人が提供すべき捧げものである。これらの捧げものを享受するのは祭司と神だけである。人からの捧げものは神が享受するためのものであり、神はこれらの捧げものを祭司とだけ分かち合い、ほかの誰も、捧げもののいかなる部分であれ、享受するに相応しくなく、またそうする資格はないからである。人からの捧げものはすべて(金銭や享受できる物質的なものを含め)神に捧げられ、人には与えられない。それゆえ、これらのものを人は享受すべきではない。捧げものを享受するなら、その人は捧げものを盗んでいるのである。誰でもこのようなことをする人はユダである。ユダは裏切り者であることに加えて、金袋に入っているものも勝手に使ったからである。

 4.人の性質は堕落している。その上、人はさまざまな感情を持っている。そこで神に仕える時、男女が二人一緒に働くことは絶対に禁止される。誰でもそうしていることが見つかった者は除名され、これに例外はなく、誰も免除されない。

 5.あなたは神を批判してはならず、不用意に神に関連する事柄について話してはならない。人が行動すべき仕方で行動し、話すべき仕方で話し、自分の限度を越えてはならず、自分の境界を逸脱してもならない。口を慎み、自分の歩みに気をつけなさい。これらはすべて、神の性質を犯すことを防ぐであろう。

 6.人が行うべきことを行い、自分の責務を実行し、責任を果たし、本分を忠実に守るべきである。あなたは神を信じているのだから、神の働きに貢献するべきである。そうしなければ、あなたは神の言葉を飲食する資格がなく、神の家で暮らす資格もない。

 7.教会の仕事や事柄に関し、神に従うことは別として、すべてのことについて聖霊に用いられている人の指示に従うべきである。ほんのわずかな違反も受け入れられない。絶対的に順守するべきであり、正誤を分析してはならない。何が正しいか、間違っているかはあなたには関係がない。あなたは全面的に服従することだけを気にかけなければならない。

 8.神を信じる人は神に従い、神を礼拝すべきである。どんな人物をも、崇めたり、仰ぎ見たりするべきではない。神を第一位とし、仰ぎ見る人々を第二位とし、自分自身を第三位とすべきではない。誰もあなたの心の中に場所を占めるべきではなく、あなたは人々を、とりわけあなたが崇拝する人々を、神と劣らず、神と同等なものと考えてはならない。これは神にとって耐えられないことである。

 9.あなたの思いは教会の仕事にあるべきで、自分の肉体の将来的展望は脇にやり、家庭問題については決然とし、心から神の働きに自己を捧げ、神の働きを第一にし、自分自身の生活は第二にするべきである。これが聖徒の礼儀正しさである。

 10.信仰のない家族(あなたの子供たち、夫または妻、姉妹、両親など)は強制的に教会に入会させられるべきではない。神の家はメンバーに不足しておらず、役に立たない人々で数を作り出す必要もない。喜んで信じない人は誰も、教会に導き入れてはならない。この命令はすべての人に向けられる。この件に関し、あなたたちはお互いに確認し、監視し、注意するべきである。だれでもこれを犯してはいけない。信仰のない家族が不本意に教会に入る時でさえ、彼らに書籍を与えたり、新しい名前を与えたりしてはならない。そのような人々は神の家には属しておらず、必要ないかなる手段を用いても彼らが教会に入ることは止めなければならない。もし悪魔が侵入したために教会に問題が持ち込まれたなら、あなた自身が除名されるか、またはいくつかの制約が課せられる。要するに、誰もがこの件に関して責任があり、無謀なことをしてはならず、個人的恨みを晴らすために使ってはならない。

『言葉は肉において現れる』より

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