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終わりの日のキリストの代表的な言葉

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VII 唯一者である神自らを知ることについての代表的な言葉

広大な宇宙に、どれほどの生ける物が、一つの普遍的な規則にしたがって生き、いのちの法則にしたがって、何度も何度も再生しているのか。死ぬ者は生きる者の物語を抱えて行き、生きている者は死んだ者と同じ悲惨な歴史を繰り返す。そこで、人は自問せずにはいられない─なぜわたしたちは生きているのか。そして、なぜわたしたちは死ななければいけないのか。誰がこの世界を支配しているのか。そして、誰が人間を創ったのか。人間はほんとうに母なる自然の生み出したものなのか。人間はほんとうに自分の運命を支配しているのだろうか。…数千年にわたり、人間はこうした問を何度も何度も発している。残念ながら、人間がこうした問に頭を悩ませるようになると、ますます科学を探究したくなる。科学はささやかな欲求充足と一時的な肉の楽しみを与えはするが、人間をかろうじて隠している、魂の奥底にある孤独や寂しさ、恐怖と無力感から解放することなど到底できない。人間は単に肉眼で見、脳で理解できる科学知識を用いて心を麻痺させている。しかし、そうした科学的知識は人間が奥義を探ることを止めはしない。人間は、宇宙万物の支配者が誰であるかを知らないし、まして、人間の始まりも未来も知らない。人間はこの法の中で、ただ生きている、否応なしに。誰一人、逃れることができないし、誰もこれを変えることはできない。あらゆる物事の間と天において、永遠から永遠にすべてを支配しているのは、ただお一方だけなのだから。彼は、かつて人間が見たことがないお方、人間が一度知ることもなくお方、その存在を人間は信じたこともない。しかし、彼は人間の祖先に息を吹き込み、人間にいのちを与えたお方である。彼は人間が存在するよう施し、養い、今日まで導いて来たお方である。さらに、人間が生き残るために頼める唯一のお方なのである。神は万物を支配し、天の下のすべての生ける物を支配している。神は四季を支配し、風と霜、雪、雨を呼ぶ。神は人間に陽光を与え、夜の訪れをもたらす。天と地とを整え、人間に山々と湖、川、すべての生き物を与えたのは神である。神の業はあらゆるところにあり、その力はいたるところにあり、その知恵はすべてに満ち、その権威はすべてに及ぶ。その律法や法則は神の業を示すものであり、そのすべては神の知恵と権威とを現している。誰が神の支配を免れよう。また、誰が神の配剤から逃れることができようか。万物は神の眼差しの下にあり、さらに、神の支配の下で生きている。神の業と力の前には、神がほんとうに存在し、万物を支配していると認めざるを得ない。神を除いては、他の何も宇宙を支配できず、まして、やむことなく人間に施すこともできない。

 

『言葉は肉において現れる』の「神の経営の中でだけ人は救われる」より

神は、万物を支配する規則の主であり、神は万物の存続を律する規則を支配し、また神は宇宙や万物も、共生できるように支配する。神はそれらの物事が絶滅したり消滅したりしないよう、支配するので、人類は存続することが可能であり、そうした環境で神の主導のもとに生活できる。万物を支配するこれらの規則は神の支配権の下にあるものの、人類はその規則に干渉することも、その規則を変更することも出来ない。これらの規則を知り、管理するのは神自身のみである。木々はいつ芽吹くか、雨はいつ降るか、土がどの程度の水と栄養素を植物に与えるか、葉はどの季節に落ちるか、木々はどの季節に実を結ぶか、日光はどの程度のエネルギーを木々に与えるか、日光から得たエネルギーにより木々は何を排出するか、といった事柄は、全て神が宇宙を造った時に決められていることであり、人間が破ることの出来ない律法である。生物も、人間には生物であるとは見えない物も、神により造られたものは神の掌中にあり、神の支配の下にある。この規則を変えたり違反したり出来る人間は居ない。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身7」より

神は、万物が相互に関連し、依存して存在することが出来るように、万物を支配する規則を決めているということを、人間は明確に理解する必要がある。神が造った物には、その全てに価値と意味がある。神が意味の無いものを造ったとしたら、神はそれを消滅させるであろう。……

…生けるもの、存在するものは、全て神の支配権の下にある。万物は、神が造った後に命を与えられている。それは神から与えられた命であり、その命は、その命のために神が定めた律法と道に従う。この律法と道を人間が変える必要は無く、人間による支援も不要である。神は、このようにして万物に与える。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身7」より

神は宇宙を造り、その主である。神は宇宙を担い、宇宙に与えると同時に、あらゆる言動を見守っている。また神は人間生活のあらゆる部分を監督している。したがって、神は宇宙を造り、あらゆる物事の意味と価値、その働き、性質、あらゆる物事の存続に関する規則について、神は、それが神自身の手の甲であるかのように、明瞭に把握されている。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身7」より

神は人間の生活環境を維持し、人間が必要とする全てを与える。さらに、神は万物を管理し支配している。こうした全ての物事により、人間は普通に生活し、繁栄できるようになる。神は、このようにして万物や人間に与える。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身7」より

神が宇宙に必要なものを与える、というのは、極めて広義であり、様々な場合がある。そうではないか。神は、単に日常に必要とされる食料や飲料を人間に与えるのみならず、人間に見える物と見えない物を含め、神は人間に必要とされる全ての物事を与える。神は、人間に必要とされる生活環境を維持し、管理し、支配する。どの季節に人間がどのような環境を必要とするかを問わず、神はそれを用意している。人間の生活に適した大気や気温もまた神の支配下にあり、これらの規則が自然に発生したり、不規則に発生したりすることは一切無い。それらの大気や気温は神の法則と業の結果である。これら全ての規則の源は神自身であり、神は万物の命の源である。これは、あなたが信じることができるかどうか、知ることができるかどうか、理解できるかどうかを問わず、証明された、疑う余地の無い事実である。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身7」より

より大きな環境に関して言えば、神は万物が相互に関連し、依存するようにした。神はこうした方法と規則により、万物の生存と存続を維持し、よって人間はその環境のもとに、今日まで平穏な暮らしを続け、世代ごとに増加を続けてきた。神は自然環境を調和させて人間の生存を確実なものとする。そもそも環境が神により造られたものの、神の規則と支配が無かったとしたら、環境を維持して調和させることが出来る人間はおらず、それだけでは人間の生存を確保することは不可能であろう。したがって、神はこうした環境を完璧に取り扱われていることが分かる。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身7」より

今人間が真に知る必要のある事は、人類に必要とされる物事を神が継続的に与え、人間の生活環境を管理し、維持し、保護しているということである。神の選民がこのように普通に生活し、神の救いと刑罰、そして裁きを受けることが出来るのは、こうした環境があるからである。神の支配のおかげで万物は存続し、また神がこうして与えているおかげで全人類は進歩を続けている。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身8」より

神が万物の生命の源であることは、神の万物に対する供給だけで十分証明される。なぜなら、万物の存続、生活、繁殖、継続を実現する供給物の源は神であるからである。そうした源は神以外には存在しない。神は、最低限度として必要なものであれ、人間が日常的に必要とするものであれ、人々の魂に対する真理の供給であれ、万物と人間に必要な物事の全てを与える。あらゆる面から見て、人間に対する神の身分と地位に関しては、万物の生命の源は神自身のみである。これは絶対的に確実である。神は、人間が目で見て感じる事の出来る物質世界の支配者であり、主であり、それに供給する方である。人間にとって、これは神の身分ではなかろうか。これは完全に正しい。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身8」より

神が万物を造って以来、神が定めた律法に基づき、万物は機能を続け、常に発展してきた。神に見守られ、神に支配されて、万物は人間の生存とともに常に発展し続けて来た。いかなる物も、これらの律法を変えたり破壊したり出来ない。あらゆる生き物が増殖できるのは、神による支配があるからであり、あらゆる生き物が生存できるのは、神の支配と管理があるからである。つまり、神の支配下においては、あらゆる生き物が規則正しく現れ、繁栄し、消滅し、復活する、ということである。春になると降り注ぐ雨が春特有の感覚をもたらし、地を潤す。地では雪解けが始まり、草が土の中から芽吹き、木々も次第に緑色へと変わる。こうした生き物全てが、地に新鮮な活力をもたらす。これが、あらゆる生き物が現れて繁栄している光景である。様々な動物も巣穴から出て春の温もりを感じ、新しい年を始める。全ての生き物が夏の暑さのなかで日差しを浴び、夏の温かさを楽しむ。様々な草木や植物は急速に生長し、花を咲かせて実を結ぶ。夏は、人間を含めて全ての生き物が活発である。秋には雨が涼しさをもたらし、様々な生き物が刈り入れの時期を迎える。あらゆる生き物が実を結び、こうした生き物が秋の実りを迎えるので、人間もまた冬の食料を準備するために刈り入れを始める。冬になると、全ての生き物が寒さの中で次第に休息し始め、静寂が訪れ、人間もまた休息して冬を過ごす。こうした春夏秋冬の移り変わりは、すべて神が定めた律法により行われる。神はこの律法によりあらゆる生き物と人間を導き、人間のために豊かで色彩に富んだ生活形態を設け、様々な気温と季節のある生存環境を用意した。こうした規律ある生存環境では、人間の規律ある生存と繁殖も可能となる。人間はこの律法を変えることができず、この律法に反することが出来る者は皆無である。この世にどれほど大規模な変革があろうと、これらの律法は存続する。なぜなら、これらの律法が存在するのは、神が存在するからである。その理由は、神の支配と管理である。この種の秩序ある、より広範な環境の中で、人間の生活は、そうした律法と規則の中で進歩する。これらの律法により何世代もの人間が培われ、また何世代もの人間がこれらの律法の中で生存してきた。人間は、何世代にもわたり、神が造った物事と秩序ある環境を享受してきた。人間がこれらの律法を元来のものであると感じたり、それを完全に軽視していたり、あるいはそれが神により指揮されている、支配されていると感じることが出来なかったとしても、いかなる場合も、神は常にこの変わることの無い業を常に行っている。こうした変わらない業における神の目的は、人間の生存と、人間が存続することが出来るようにすることである。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身9」より

神は、万物創造時に、山、平野、砂漠、丘、河川、湖沼の境界を定めた。……神は、様々な地形全ての間に、境界を定めた。境界の設定といった場合、それは何を意味するだろうか。それは、山や平野、砂漠、丘にはそれぞれ領域、範囲ないし一定の面積がある。さらに、河川や湖沼などの水域にも一定の水量がある。つまり、神が万物を造った時、神は全てを明確に分割した。……こうした神が造った様々な地形や地理的環境の中では、あらゆる物事を、計画された秩序ある方法で神が管理している。そうしたわけで、これら全ての地理的環境は、それを神が造ってから数千年、数万年後の現在も依然として存在する。こうした地理的環境は、依然としてそれぞれの役割を果たしている。ある期間に火山が噴火したり、地震が発生したり、地面が大きく動くことがあるが、それでもなお神は地形がその機能を喪失することを許さない。人間が享受し、見ることのできるこれら全てが地球上で秩序をもって存在することができるのは、ひとえにこのような神の管理とそれらのものに対する神の支配、そして律法を掌握しているからである。それでは、神はなぜ、地上にある全ての地形を、このような方法で管理するのであろうか。その目的は、様々な地理的環境で生存している生き物全てが安定した環境を得られること、それらの生き物全てが安定した環境の中で継続して生活し、増えることが出来るようにすることである。移動出来るものと出来ないもの、鼻孔で呼吸するものとそうでないものなど、こうした全ての生き物が、人間の生存のための、独自の環境を構成している。何世代にもわたって人間を育むことが可能であり、また人間が何世代にもわたり継続して平和に生存することが出来るのは、こうした環境のみである。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身9」より

山には、それ自体に山としての価値があり、海にも海としての価値がある。このように、両者が相互に干渉せず、通常通りに存在可能な状況においては、両者は相互に制限もする。大きな山は洪水を起こさないように大波を制限して人々の家を守り、またこれにより海は海中に棲む生物を繁栄させることができるようになる。この環境は、自然に形成されたものであろうか。(そうではない。)これもまた神により造られた。これらの光景から、神が宇宙を造った時、神は山がそびえる場所、小川が流れる場所、強風が吹き出す方角と吹き込む方角、大波はどの程度の高さかが、予め決められていたことが分かる。神の意図と計画は、これらの物事全ての中にあり、それは神の業である

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身7」より

神がこれらの生き物を造る遥か以前に、神はそれらの生き物のための棲息地、つまり固有の生存環境を用意した。これらの生き物には、それぞれ固定された生存環境、固有の食料、固定の棲息地、生存のための気温などがそうした生き物の生存に適した、固定された棲息地がある。このように、そうした生き物は方々を彷徨ったり人間の生存を侵害したり、人間の生活に影響を及ぼしたりすることは無い。これが、神が全ての生き物を管理する方法である。こうした事は、すべて人間に最適な生存環境を与えるためのものである。万物のうち、生き物には、それぞれ固有の生存環境の中に生き延びるための食料がある。その食料により、生き物は土着の生存環境に固定されている。生き物はその環境に固定されているのである。そうした環境においては、生き物は、それらの生き物のために神が定めた律法に従い、依然として生存と繁殖を続けている。この種の律法や神の予定があるため、あらゆる生き物は人間と調和して相互作用し、人間とあらゆる生き物は相互依存している。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身9」より

万物がそれぞれの律法を失ったとしたら、万物は存在しなくなるであろう。万物がそれぞれの律法を失ったとしたら、万物のうち、あらゆる生き物が存続不可能となるであろう。人間もまた、人間が自らの生存を依存している、自らの環境を失うであろう。人間がこれら全てを失うとしたら、人間は世代を超えて繁殖し、生存してゆくことが出来なくなるであろう。人間が現在まで生存してきたのは、神が人類を様々な方法で育むために、人間に対して万物を与えたからである。人間が現在まで、つまり今日まで生存してきたのは、神が様々な方法で人間を育んでいるからである。こうした好ましく秩序のある固定された生存環境により、地上の様々な種類の人間、様々な人種の人間が、予め定めた範囲内で生存出来るのである。この範囲や境界を越えることが出来る者は居ない。なぜなら、それらを定めたのは神だからである。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身9」より

神はどのような業を行って、様々な人種を配置したであろうか。まず、神は比較的大きな地理的その他の環境を用意し、人間のための様々な場所を割り当て、そこで人間は何世代にもわたり生存してきた。生存のための範囲は決定されている。そして人間の食事、生活、何を食べるか、何を飲むか、生活手段など、神はこれらの事柄も遠い昔に決定した。そして、神が万物を創造した時、神は様々な人種のために様々な用意を行った。土壌の構成成分、気候、植物、地理的環境には、様々なものがある。異なる場所には異なる鳥、獣が居り、異なる水域には異なる種類の魚や水産物があり、昆虫の種類でさえも神により決定された。……こうした様々な側面の相違点は、人間が見たり感じたり出来ない場合もあるが、神が万物を作っている最中に、神はこれらの側面を決め、異なる地理的環境、地形、生物、人種を用意した。神は様々な種類の人間を造ったので、神はそれぞれの人種に必要とされる物事やその生活様式について知っていた。従って、神が造った物事は、極めて善良である。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身9」より

神により定められた、万物の成育に関する律法の観点から見ると、種類を問わず、全人類が神による供給、神による養育の下で生活しているのではなかろうか。これらの律法が破られたり、神がこの種の律法を定めなかったとしたら、人類の将来的見通しはどのようなものになるであろうか。人類の基本的な生存環境を人類が喪失したとしたら、人類には食料源があるであろうか。食料源が問題になる可能性があるであろう。もし人間が食料源を失ったとしたら、すなわち人間が食べ物を得る事が全く出来なかったとしたら、人間は1か月間存続出来ないであろう。人間の生存が問題となるだろう。したがって、神が人間の生存、継続的な存在と増殖のために行う業のそれぞれが、極めて重要である。神が万物に対して行う業のそれぞれが、人間の生存と密接に関連し、人間の生存と不可分である。そうした業は、人間の生存と不可分である。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身9」より

万物は神の支配から切り離すことが出来ないので、神の支配から自分を切り離すことが出来る人間は居ない。神による支配と供給を失うと、人間の命、すなわち人間の肉にある命は消滅するであろう。これが、神が人間の生活環境を定めたことの重要性である。人種を問わず、また東洋、西洋など居住地域を問わず、人間は、神が人類のために用意した自らの生存環境から自らを切り離すことはできず、神が用意した生存環境による養育と供給から自らを切り離すことができない。あなたの生活手段や、あなたが生活を依存している物事、肉にある命の維持を依存している物事が何であれ、あなたは神による支配と管理から自らを切り離すことが出来ない。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身9」より

神が万物を造った時、神は様々な手段と方法により、万物の釣り合いを取るようにし、山や湖沼の存続条件、植物や様々な動物、鳥、昆虫の生活条件の釣り合いを取った。神の目的は、神が定めた律法に従って様々な生き物が生活し、繁殖できるようにすることであった。あらゆる生き物はこれらの律法に反することができず、またこれらの律法は破ることが出来ないものであった。人間が安全に生活し、何世代にもわたって繁殖可能であるのは、この種の基本的な環境の中のみであった。ある生き物が、神が定めた量や範囲、神が支配している増加率、頻度、数を超えている場合、人間の生存環境は様々な程度の被害を受けるであろう。それと同時に、人間の生存が危機に瀕することになるであろう。…したがって、人間がこうした釣り合いを失った場合、人間が呼吸する空気が損害を受け、飲む水が汚染され、必要とする気温も変化し、様々な程度の影響を受けるであろう。こうした事態が発生した場合、人類の土着の生存環境に甚大な影響と問題が発生する。このような、人間の基本的な生存環境が破壊された状況では、人類の運命と将来の見通しは、どのようなものになるであろうか。これは極めて深刻な問題である。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身9」より

神の業には、それぞれに神独自の意図がある。人間にはこの意図が理解できないものの、その意図は常に人間の生存と密接に関連している。その意図は、人間の生存と関連していて、不可分である。なぜなら、神は無益な業を一切行わないからである。行われる業それぞれについて、その原則と原理には神の計画と知恵が含まれている。その計画と意図の根底にある目的は、人間の保護、災害や生き物による侵害、万物による人間に対する危害の回避における人間の支援である。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身9」より

人間にとって万物がどのような存在であるか、神が造った物それぞれの役割、それが人間にどのような影響を及ぼし、どれほど大きな利益をもたらすかを神は知っているので、神の心では、こうした物事全てに計画があり、また神は神が造った万物のあらゆる側面を管理している。したがって、人間にとって、神が行う業は、全て極めて重要であり、全て必要なものであった。万物の生態的な現象や万物の自然の律法を見ると、神が造った物それぞれの必要性に疑念を抱かなくなるであろう。あなたは、神による万物に対する采配と、神が人間に施す様々な方法について、無礼な言葉を使って勝手な判断をすることが無くなるであろう。また万物に対して神が定めた、神の律法に関しても、勝手な結論を行わなくなるであろう。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身9」より

それでは、神にとって、「神による万物の統治」の「万物」には、何が含まれるであろうか。この「万物」には、人間が見て触れることのできる物だけでなく、目に見えず、触れることの出来ない物も含まれる。これは、神による万物の統治の真の意味のひとつである。これらの物事は目に見えず触れることの出来ない物事であるが、これらの物事もまた実在する物事である。神にとっては、その物事が神の目で観察可能であり、かつ神の統治の範囲内にあれば、その物事は実在する。人間にとって、それらの物事は抽象的であり、想像不可能なことであり、目に見えず触れることが出来ないとしても、神にとって、それらの物事は実在する。神が支配する万物のもうひとつの世界は、そのようなものであり、それが神が支配する万物の範囲の、もうひとつの部分である。……

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身10」より

霊的世界とは、物質世界とは異なる重要な場所である。……霊的世界の存在は、人間の物質世界と不可分の関連性がある。霊的世界は、神による万物の統治のうち人間の生死の周期において重要な役割を担い、この役割がその存在が重要である理由のひとつである。……このように、人間が見ることのできない世界における天の命令や律法、統治組織は、物質世界におけるどの国家の法令や組織よりも遙かに優れており、この世界に生きるもののうち、そうした命令や律法、統治組織に背いたり濫用したりしようとする者は、一切居ないであろう。……様々な段階と領域において、執行官は厳密にその任務と規則を遵守する。なぜなら、執行官は天命に背いた時の報いが何か、神がどのように邪悪を罰し、善良に報いるか、神がどのように万物を統治し、支配するか、そして神がどのようにして天の命令と憲章を実施するかを明確に理解しているからである。……天の命令と規則があるため、霊的世界は、神による統治、支配、そして神の性質と神が持っているものや神であるものに関連する。……霊的世界は、物質世界と共存し、同時に神による支配と統治の対象となっているものの、神による霊的世界の統治は、神による物質世界の統治よりも遙かに厳格なものである。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身10」より

つまり、死後に生まれ変わって行く先まで、ある者の人生全体、すなわち、男になるか、女になるか、またその者の使命や将来の人生で経験すること、障壁や、どのような祝福を享受するか、誰に出会うか、何が起こるかについては、誰もそれを予測したり、回避したり、逃げ隠れしたり出来ない。すなわち、あなたの人生が決定された後は、あなたに何が起こるかについて、どれほど懸命に、またどのような方法を用いてそれを避けようとしたとしても、霊的世界で神により定められた人生の進路を外れることは決して出来ない。なぜなら、生まれ変わった時、あなたの運命は既に決定されているからである。それが良いか悪いかを問わず、全員がそれに直面し、前進し続ける必要がある。これは、この世に生きる者全員にとって不可避な問題であり、それよりも現実的な問題は存在しない。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身10」より

生き物の死、すなわち物理的な生命の終焉は、その生き物が物質世界から霊的世界へと移動したことを示す一方、物理的な生命の誕生は、生き物が霊的世界から物質世界に来て、その役割を負い、果たし始めるということを示す。それが生き物の出発であるか、到着であるかを問わず、そうした出発と到着は両方とも霊的世界における業と不可分である。ある者が物質世界に到来した時、霊的世界において、その者が生まれる家庭、その者が現れる時代、時期、そしてその者が担う役割に関して、その者に適した采配と定義は、神により既に完了されている。そうしたわけで、その者の生涯全体、その者の行動や、その者が進む方向性は、霊的世界における采配に従い、一切の誤り無く進行してゆく。その一方で、物理的な生命が終焉を迎える時、そして終焉のかたちと場所は、霊的世界においては明瞭で認識可能である。神は物質世界を支配し、また霊的世界を支配し、また神は通常における魂の生死の周期を遅延させることは一切無く、ある魂の生死の周期に関する采配において誤ることも一切無い。霊的世界の当局に仕える執行官は、それぞれ神の指示と支配に従い任務を遂行し、なすべき事を行う。そのため、人間の世界では、人間が認識するあらゆる物質的現象は秩序があり、混沌は一切存在しない。こうしたことは、すべて神の秩序ある万物支配と、神の権威による万物支配のおかげであり、神の支配下にある物事には、人間が生活する物質世界のほか、人類の背後にある目に見えない霊的世界がある。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身10」より

万物を支配し、管理しているのは、神である。神は、存在するあらゆる物事を造り、管理し、また支配し、施す。これが神の地位であり、身分である。万物すなわち存在する全ての物事について、神の真の身分は創造主であり、支配者である。それが、神が所有する身分であり、神は万物にあって唯一の存在である。神の被造物のうちひとつとして、人間の世界にあるか、霊的世界にあるかを問わず、何らかの方法や申し開きにより、神の身分や地位を装ったり、神の代理となったりすることの出来るものはいない。なぜなら、万物を支配する身分と力、権威、そして能力を持つ者は、ただひとりしか存在せず、それが唯一の神自身であるからである。神は万物の中で生き、動いている。神は万物のうち最も高い場所へと昇ることができる。また神は、血と肉のある人間のひとりに身をやつし、人間と対面して苦楽を共にすることも可能である。それと同時に、神は万物に命じ、万物の運命や方向性を決定する。さらに、神は人類全体の運命と方向性を導く。このような神は、あらゆる生き物が崇め、付き従い、知るべき存在である。したがって、どの種類の人間に属するかを問わず、神を信じ、付き従い、敬うこと、またあなたの運命に対する神の支配と神の采配を受け容れることのみが、あらゆる人間や生き物にとって、必然の選択肢である。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身10」より

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