神の声を聴いてキリストを認識する

第一章 全能神だけが天地万物を創造した唯一の真の神であることを認識しなければならない

1. 全能神は万物を支配する唯一の真の神である。関連する神の言葉は以下のとおりである。

「人類は宇宙万物の支配者が一体だれであるかを全く知らず、また人類の初めと将来をも知らず、ただやむを得ずこの法則の中で生きているだけで、だれもそこから抜け出すことができず、だれもそれを変えることができない。なぜなら、万物の間で、宇宙の上でとこしえからとこしえまでおられるその方がこのすべてを支配しているからである。彼は人類が今まで見たことのないその方であり、人類が今まで会ったことのないその方であり、人類に存在が認められていないその方であるが、人類の祖先に息を吹き込み、人類に命を与えたその方であり、人類が生存できるように人類を供給し、養うその方であり、人類を今日まで導いてきたその方であり、さらに、人類の生存に唯一頼りになるその方である。彼は万物を支配しており、宇宙の中の万物と生き物を支配している。彼は四季を掌り、風、霜、雪、雨の転換を調節している。彼は人類に日光を与え、また人類のために夜のとばりを下ろす。彼は天地を広げ、人類に山河湖とその中の生き物をもたらした。彼の業はどこにでもあり、彼の力はどこにでもあり、彼の知恵はどこにでもあり、彼の権威はどこにでもある。このすべての法則は彼の業の現れであり、彼の知恵と権威の表現なのである。だれが彼の支配から逃れられようか。だれが彼の按配から逃れられようか。万物は彼の目の前に生きており、彼の主権の下で生息している。彼の業と彼の力のゆえに、人類は彼が確かに存在することを認めざるを得ず、彼が万物を支配しているという事実を認めざるを得ない。彼以外に、いかなるものもこの宇宙を支配することができず、絶えずこの人類に供給することもできない。あなたが神の業を認識できるかどうか、神の存在を信じるかどうかにかかわらず、あなたの運命は疑いなく神に定められており、神は疑いなく永遠に万物を支配するその方なのである。彼の存在と彼の権威は、人類が認識できるかどうか、理解できるかどうかによって決まるのではない。彼だけが人類の過去、現在と将来を知っており、彼だけが人類の運命を決定することができる。あなたがこの事実を受け入れられても受け入れられなくても、近い将来、人類はこのすべてを自分の目で見るようになり、それは神がまもなくなし遂げる事実でもある。」

「言葉が肉体で現れる・神の経営の中でこそ人は救われることができる」より

「命の道は誰もが備えられるものではなく、誰もが容易に得られるものでもない。なぜなら、命はただ神から来るからである、つまり神自身だけが命の本質を備えており、神自身だけが命の道を持っているからである。だから神だけが命の源であり、神だけが絶えず流れる命の生ける水の泉なのである。天地創造の時から神は、命の活力が伴う仕事を大量にし、人に命をもたらす仕事をたくさんし、人に命を得させるためたくさんの代価を払った。なぜなら、神自身だけが永遠の命であり、神自身だけが人を復活させる道だからである。神はどんな時でも人の心の中にあり、どんな時でも人の間で生きている。彼は人が生活する原動力になり、人が生きる根本になり、また人がこの世に生きるための豊富な鉱物資源になった。彼は人を生き返らせ、それぞれの役目の中で粘り強く生きさせる。彼の力に頼り、彼の永久不滅の生命力に頼って、人は一代また一代と生きてきた。神の命の力は終始変わることなく人の間で支えていて、彼は普通の人が払ったことがない代価を払った。神の生命力は一切の力に打ち勝つことができ、さらに一切の力を越える。彼の命は永久で、彼の力は非凡だ。いかなる被造物も、いかなる敵勢力も彼の生命力を圧倒することはできない。いつでも、どこでも彼の生命力は存在しており、眩い光を放っている。天と地に巨大な変化が起こっても神の命は永久に変わらず、万物が無くなっても神の命は依然として存在する。なぜなら、神は万物の生存の起源であり、万物が生存するために頼りとする根本だからである。人の命は神から来るのであり、天の存在も神のゆえであり、地の生存も神の命の力によるのであり、生命力を持つどんなものも神の支配を超えることはできず、活力のあるいかなるものも神の権力の範囲から抜け出すことができない。従って、どういう人士であれ神の権威の下に帰服しなければならず、神の支配の下で生きなければならず、神の手中から逃れられない。」

「言葉が肉体で現れる・世の終わりのキリストだけが人に永遠の命の道を与えることができる」より

「神はこの世を創造し、神が与えた命を身に帯びた生命体である人をこの世にもたらし、それで人には父母ができ、肉親ができ、もう孤独でなくなった。人はこの物質世界を見た時から、神の定めの下で生きるように運命づけられていて、神の命の息が、各々の生命体を支えて『大人に成長』させるのである。この過程の中で、人は神の顧みの下に生きて「大人になる」と思う者はおらず、反対に父母の養育の恵みや人の命の本能によって『大人になる』と思っている。なぜなら、人の『命』はだれが与えたのか、どこから来たのか、さらに命の本能はいかに奇跡を生み出すかだれも知らないからである。人が知っているのは、食物が人の命を長引かせる根本であり、根気が命の存在の源であり、頭の中の信念が生きるための資本だということだけで、神の恵みと供給に少しも気づかず、このように神から賜わった命を無駄に消耗している……」

「言葉が肉体で現れる・神は人の命の源である」より

「人の運命はみな神の手に握られ、あなたは自分自身を支配することができない。人はいつも自分のために奔走し、せわしなく立ち回るが、それでも自分を支配することができない。もしあなたが自分の前途を知ることができ、自分の運命を支配することができれば、あなたは被造物であるのか。要するに、神がどのように働いても人類のためである。たとえば、神の造った天地万物は人に仕えるためのものであり、月、太陽、星を造ったのは人のためであり、動物、植物を造ったのは人のためであり、春、夏、秋、冬は人のためであり、これらはみな人の生存のためである。」

「言葉が肉体で現れる・人の正常な生活を回復して人をよい落ち着き先に導き入れる」より

「あなたがおぎゃあと生まれてこの世に来た時から、自分の職責を履行し始め、神の計画と定めのため自分の役を演じ、人生の旅を始めた。あなたの背景がどうであろうと、あなたのこれからの旅路がどうだろうとも、とにかく、天の支配と按配から逃れられる者は一人もおらず、自分の運命を支配できる人は一人もいない。なぜなら、ただあの方――万物の支配者だけがこのような仕事をすることができるからだ。人類ができてから、神はずっとこのように彼の仕事をし、この宇宙を経営し、万物の変化の法則とその運行の軌跡を指揮している。人はみな万物と同じように、こっそりと、知らず知らずのうちに神の甘さと雨露の滋養を受け入れており、万物と同じように、無意識のうちに神の手の支配下で生きている。人の心、人の霊は神に支配されており、人の生活もすべて神の眼中にある。あなたが信じる信じないに関わらず、命あるものであれ、死んだものであれ、何もかもが神の考えによって動き、変化し、更新し、そして消失する。これが神の万物を支配する方式なのだ。

闇夜がこっそりとやって来た時、人はだれも気づいていない。人の心には、闇夜がどのように到来したか、どこから生じたかを感じられないからだ。闇夜がこっそりと逃げると、人々は昼を迎えるが、この昼はどこから来たのか、どのように闇夜を追い払ったのか、人の心はなおさら知らず、また気づいていない。このように繰り返される闇夜と昼の変化と交替が、人類をそれぞれ異なる時期、異なる時代背景に導き入れ、それと同時に神のそれぞれの時期の仕事、それぞれの時代の計画を成就した。人はそれぞれ異なる時期に神につき従って歩んできたが、神が万物と生き物の運命を支配していることを知らず、神がどのように万物を支配し、指揮しているかを知らないのだ、これは今の人も以前の人も知らなかったことだ。」

「言葉が肉体で現れる・神は人の命の源である」より

「天地創造の時から、わたしはこの一団の人、すなわち今日のあなたたちを定めて選んだ。あなたたちの性質、素質、容貌、身の丈、生まれた家庭、あなたの仕事、婚姻、あなたのすべて、さらにあなたの髪の毛の色、肌の色、あなたの生まれた時間までもわたしの手に按配されるのである。あなたが毎日何をするか、どんな人に出会うかも、わたしの手に按配されるのである。まして、今日あなたをわたしの前にもたらすことは、なおさらわたしに按配されるのである。自分で自分をかき乱してはならず、平然と前へ進むべきである」。

「言葉が肉体で現れる・第七十四の言葉」より

「万物を造り始めた時から、神の力は発表され始め、流露され始めた。神は言葉によって万物を造ったのだから、彼がどの方式によって万物を造ったとしても、何のため万物を造ったとしても、とにかく、万物は神の言葉によって生じ、成り立ち、存在する。これが造物主の唯一無二の権威だ。人類がまだこの世界に現れていない時、造物主は彼の力、彼の権威によって人類のために万物を造り、彼特有の方式によって人類のために適当な生存の環境を用意した。彼がしたこのすべては、将来彼の息を得る人類のために用意された。つまり、人類がまだ造られていない時、神の権威は、人類と異なるあらゆる被造物の中で表現された。大は天体、光る物、海洋、陸地から、小は鳥獣類とさまざまな昆虫、微生物、および人の肉眼で見られないざまざまな菌類に至るまで、すべて造物主の言葉によって生存し、造物主の言葉によって繁殖し、造物主の言葉によって造物主の支配下に生きている。それらは造物主の息を得ていないけれども、やはり異なった形式、異なった構造によって造物主が彼らに与えた命の活力を表現している。それらは造物主が人類に与えた言葉の能力は得ていないが、それぞれ造物主がそれらめいめいに与えた、人類の言葉と異なる、命を言い表す方式を得た。造物主の権威は、外見から見れば動いていないように見える物質に命の活力を与えて、それらが永遠に消えないようにすることができるだけではなく、さらに、いろいろな生き物に繁殖し生息する本能を与えて、それらが永遠に姿を消さず、一代また一代と造物主がそれらに与えた法則、摂理を伝えるようにすることもできる。造物主の権威の行使方法はマクロの面とミクロの面にこだわらず、どんな形式の中にも限定されない。彼は宇宙の運行をつかさどることができ、万物の存亡を支配することもでき、さらに万物を動かして彼のために仕えさせることができる。彼は山河、湖の運行を管理することができ、その中の万物を支配することもでき、さらに万物に必要なものを供給することができる。これは人類以外の万物の中での、造物主の唯一無二の権威の表現だ。このような表現は一生だけのものではない。それは永遠に止まらず、休むことがなく、いかなる人、物もそれを変え、破壊することはできず、またいかなる人、物もそれに加えたり、減らしたりすることはできない。造物主の身分はだれも取って代わることができないから、造物主の権威はいかなる被造物も取って代わることができず、また、いかなる非被造物も到達できないのだ。」

「言葉が肉体で現れる(続編)・唯一の神自身 一」より

「人類の運命、万物の運命は、造物主の主宰と複雑で切り離せない関係にあり、造物主の支配と不可分の関係にある。つまるところ、人類と万物の運命がどうなるかは、造物主の権威と切り離せない関係にある。人類は、万物の法則の中で、造物主の支配と主宰を実感し、万物の生存する法則の中で、造物主のつかさどりを見、万物の宿命を総括して万物を主宰し、つかさどる造物主の方法を導き出した。人類と万物の生死輪廻の中で、人類は本当に万物の中の生き物に対する造物主の支配、按配を体験し、また本当に造物主の支配と按配がこの世のすべての法令、規則、制度を超越し、いかなる力や勢力も超越するのを見た。それゆえ、人類は造物主の主宰はいかなる被造物も破壊できず、造物主の定めの下にある万事万物はいかなる勢力も侵し、変えることができず、人類と万物がまさにこのような、天上の規定、天上の法律の中で生存し、一代一代と繁殖してきたのだ、ということを認めざるを得なくなった。これはまさに造物主の権威の本当の表れではないか。」

「言葉が肉体で現れる(続編)・唯一の神自身 三」より

(神の言葉全篇選録)

神が全人類の運命を支配している

人類の一員として、敬虔なクリスチャンの一員として、われわれはみな神の委託を全うするために身心をささげる責任と義務がある。なぜなら、われわれの全存在は神から来たのであり、神の支配によって存在するからである。もしわれわれが神の委託と人類の正義の事業のために身心をささげなければ、われわれの魂は神の委託のために殉教した人々に顔向けできず、われわれにすべてを供給する神にはさらに顔向けできない。

神はこの世界を創造し、この人類を創造し、さらに古代ギリシア文化と人類の文明を創建した。神だけがこの人類を慰めており、神だけが昼も夜もこの人類を顧みている。人類の発展と人類の進歩は神の支配から離れられず、人類の歴史も人類の未来も神の手の按配から逃れられない。もしあなたが名実相伴うクリスチャンであるなら、あなたはきっとあらゆる国や民族の隆盛と衰退はすべて神に支配されていることを信じるだろう。あらゆる国と民族の運命がどうなるのかは神自身だけが知っており、この人類がどうなるかも神自身だけが把握している。人類がよい運命を持とうとし、国がよい運命を持とうとすれば、人類はみなひれ伏して神を礼拝し、みな神の前に来て神に悔い改め罪を認めなければならない。さもないと人類の運命と落ち着き先は一つの免れられない災難となるだろう。

ノアが箱舟を造った時代を振り返って見ると、人類は極めて堕落して、神の祝福を離れ、神の顧みを失い、神の約束をなくし、神の光がない暗やみの中に生きるようになり、その上人類は淫乱極まって、見るに堪えないほど堕落してしまった。このような人類は再び神の約束を受けることができず、神の顔を見る資格がなく、神の声を聞く資格もなかった。なぜなら、彼らは神を見捨て、神が与えられたすべてを捨て去り、彼らに対する神の教誨の言葉を忘れてしまったからである。彼らの心は神からますます遠くなり、その結果、彼らは堕落して理知を失い、人間性を失ってしまい、彼らはますます悪くなって、死への道を辿り、神の激しい怒りの中に落ち、神の懲罰の中に落ちた。ノアだけが神を礼拝し悪から遠ざかったから、神の声が聞こえ、彼に対する神の指示が聞こえた。彼は神の指示に従って箱舟を造り、さまざまな生き物を収容した。このように、一切の用意ができてから神は世界を滅ぼす仕事を始めた。世界が滅ぼされた時、ノア一家八人だけが運よく難を逃れて生き残ったのは、ノアがヤーウェを礼拝し悪から遠ざかっていたからである。

今のこの時代を見ると、ノアと同じように神を礼拝し悪から遠ざかることができる義人はもはや存在しないのに、神は変わりなくこの人類を厚遇し、依然としてこの終わりの時代の人類を赦した。神は彼の出現を渇仰する人を捜しており、彼の言葉を聞くことができる人を捜しており、彼の委託を忘れずに彼のために身心をささげる人を捜しており、彼の前で乳児のように従順で、彼に逆らわない人を捜している。もしあなたがどんな勢力の妨害も受けず神のために献身すれば、あなたは神の気に入る対象になり、神の祝福を受ける対象になる。もしあなたがとても高い地位があり、とても高い声望があり、たくさんの知識があり、たくさんの資産を持っており、多くの人に支持されていても、これらに少しも困惑されず、神の前に来て神の召しと委託を受け入れ、神があなたにさせる事をすれば、あなたのする事は世の中で一番意義があり、また人類の中の最も正義の事業になる。もしあなたが地位や自分の目的のために神の召しを拒めば、あなたのすることはすべて神に呪われ、さらに神に憎み嫌われる。もしあなたが大統領だったり、科学者だったり、牧師或いは長老だったりで、あなたの官職がどんなに高くても、あなたが自分の能力、自分の知識に頼って自分の事業をするなら、あなたは永遠の失敗者、永遠に神に祝福されない人になる。なぜなら、神はあなたのすること一切を受け入れず、あなたが正義の事業をしているとは思わず、あなたが人類の福利を図っているとも認めず、あなたがしているのはすべて人類の知識と人類の力を用いて、人類に対する神の守りを極力押し退けるのであり、神の祝福を拒否しているのだと彼は言うはずで、あなたが人類を導いて暗闇に向かい、死に向かっており、人類が神を持たず神の祝福を失う果てしのない発端に向かっているのだと彼は言うはずだからだ。

社会科学が誕生して以来、科学と知識が人類の心を占め、さらに進んで科学と知識は人類を統治する道具になり、こうして人類には神を礼拝する十分な空間と、神を礼拝するより多くの有利な条件がなくなり、全人類の心の中で神の地位はますます下がっていった。人類の心の中に神が地位を保てない世界は暗黒であり、希望がなく、空虚である。それに伴い、多くの社会科学者、歴史学者、政治家が出現して、その社会科学論、人類進化論などの、神が人類を創造したという真理に背く論調を発表して、人類の頭と心を満たした。こうして、神が万物を創造したと信じる人はますます少なくなり、進化論を信じる人はますます多くなった。ますます多くの人々が神の仕事の記録と神の旧約時代の言葉を神話伝説と見なして、神の尊厳と神の偉大さは人の心の中で薄れてしまい、神の存在と神が万物を支配しているという信条は人の心の中で薄れてしまい、人類の存亡と国家・民族の運命は人にとってもう重要ではなくなり、人類はみな酒食遊楽にふける空虚な世界の中に生きている……神が今どこで働いているか、神がどのように人類の落ち着き先を支配し、按配するかを自ら進んで探す人はあまりにも少ない。こうして、知らず知らずのうちに人類の文明はますます人の願いどおりに行かなくなり、さらには多くの人はこのような世界で生きているよりも、かえって死んだ人たちのほうが楽しいと感じるようになり、文明が発達してた国の人々でさえこのような不平をこぼすのである。なぜなら、神の導きがなければ、たとえ支配者或いは社会学者がみなでありったけの知恵を絞って人類の文明を支えても何の役にも立たないからである。いかなる人も人類の心の空虚を埋めることはできない。なぜなら、いかなる人も人の命になることができず、いかなる社会論調も空虚感に悩まされる人を解放することができないからである。科学、知識、自由、民主、享楽、安逸が人にもたらすのはせいぜい一時の慰めだけであり、これらがあっても人類はやはり罪を犯し、社会が不公平だと不満を言うことは避けられず、これらがあっても人類が探求する渇仰と欲望を遮ることはできない。人は神に造られたのだから、人類の無意味な犠牲と探求はただ人にますます多く悩みをもたらすだけであり、人々はびくびくして不安な毎日を過ごしており、人類の未来にどう向き合うか、将来の道にどう向き合うかも分からなくなり、しかも人類は科学や知識を恐れ、さらに空虚な感覚をも恐れるようになった。この世界では、あなたが自由な国にいても人権のない国にいても関係なく、人類の運命から逃れることはできない。あなたが支配者であれ支配される者であれ、あなたは人類の運命ㆍ奥義と落ち着き先を探求したいという欲望から抜け出すことができず、さらにわけの分からない空虚な感覚からも抜け出すことができない。人類に共通するこれらの現象は、社会学者に社会現象と呼ばれるが、このような問題を解決できる優れた人物は一人もいない。人はつまるところ人で、だれ一人として神の地位と神の命に取って代わることはできない。人類が必要としているのは、腹をいっぱいにすることと、人々が平等で自由な公平社会だけではなく、神の救いと神の人類に対する命の供給である。人類は神の人類に対する命の供給と神の救いを得てこそはじめて、人類の需要と人類の探求の欲望、人類の心の空虚が解決される。もしある国、ある民族の人々が神の救いや神の顧みを得られなければ、そこの国と民族は没落に向かい、暗黒に向かって、結局は神に滅ぼされるのである。

あなたの国は今とても栄えているかもしれないが、もしあなたが自分の国民を神から遠ざけるなら、その国はますます神の祝福を受けられず、国の文明はますます人々に踏みにじられ、やがてその国の人々は立ち上がって神に敵対し天を呪うことになり、知らず知らずのうちにその国の運命はこのように駄目になってしまう。神は強大な国を興して神に呪われた国々に対処し、そのような国々を地球から亡くしてしまうはずである。一つの国と民族の繁栄と存亡は、その国の支配者が神を礼拝しているかどうか、彼の国民を導いて神に近づき、神を礼拝するかどうかにかかっている。しかし、この終わりの時代に、心から神を探し求め、神を礼拝する人はますます少なくなっているから、神はキリスト教を国教とする国々を非常に厚遇し、これらの国々を集めて世界で比較的正義がある陣営とし、無神論国と真の神を礼拝しない国々は正義の陣営の対立派になった。このように、神は人類の間で働くことができる場所を持つだけではなく、同時に正義の権力を行使する国も得て、神に反抗する国々に制裁と制約を受けさせるのである。それにもかかわらず、神はもっと多くの人の礼拝を受けられないのは、人類が神からあまりにも遠く離れ、人類があまりにも長い間神を忘れていて、地球上には、正義を行使する国と非正義を阻止する国があるだけだからである。しかし、これでは神の念願が全然かなえられていない。なぜなら、どの国の統治者も神に自分の国民を統治させないし、どの国の政権党も自分の国民を組織して神を拝ませることはせず、神はそれぞれの国、それぞれの民族、それぞれの政権党の心の中のみならず、それぞれの人の心の中にさえそのあるべき地位をなくしてしまったからである。世界には一部の正義の勢力がいるが、人の心の中に神の地位がない統治はとても脆弱で、神の祝福がない政治の舞台は混乱して、一撃にも耐えられない。人類が神の祝福を失ったら太陽を失ったのと同じで、統治者がいくら真面目にこつこつと彼の国民に何かを貢献しても、人類が一緒になって何度正義の大会を召集しても、大勢を一変させることはできず、人類の運命を変えることはできない。人はみな、衣食が足り、人類が仲よく暮らす国こそがよい国、よい指導者がいる国だと思っているが、神はそう思わず、神を礼拝する人がいない国は彼が滅ぼすべき国だと思っている。人の考えはいつも神の考えとは大きな隔たりがある。だから、国の首脳が神を礼拝しなければ、その国の運命は大変悲惨になるばかりか、落ち着き先もなくなるのである。

神は人類の政治には参与しないが、それぞれの国と民族の運命を掌握しており、この世界を支配しており、全宇宙を支配している。人類の運命は神の計画と密接に関係していて、いかなる人、いかなる国、いかなる民族も神の支配から逃れられない。人類の運命を知りたいなら必ず神の前に来なければならない。神は彼に付き従い、彼を礼拝する人類を栄えさせ、彼に逆らい彼を捨てる人類を衰退させ滅ぼすだろう。

聖書に記載されている、神がソドムを滅ぼした時の情景を回想し、またロトの妻がどうして塩の柱になったのかを振り返り、ニネベの町の民がどのように粗布をまとい、灰をかぶって悔い改め罪を認めたかを見てみなさい。二千年前のユダヤ人がイエスを十字架につけた結末――ユダヤ人はイスラエルから追い出され、世界各国に逃亡し、多くの人が殺戮され、全民族がかつてない亡国の苦痛を受けたことを顧みなさい。彼らは神を十字架につけてしまった――この上なく大きな罪を犯した――神の性情の怒りに触れた。彼らは彼ら自身がしたことのゆえに代価を払わなければならず、彼ら自身がしたことのゆえにすべての悪い結果に責任を負わなければならなかった。彼らは神を罪定めし、神を捨てたのだから、彼らの運命としては神の懲罰を受けるしかなかった。これこそ彼らの統治者が国と民族にもたらした苦い結果と災難である。

現在、神は再び人の間に来て彼の仕事をしており、彼が仕事をする第一番目の場所は独裁支配者の集大成 ――中国――無神論の堅固な砦である。神は彼の知恵と能力で一団の人を得たが、この過程で中国政権党の様々な追跡を受け、苦難を嘗め尽くし、枕する所がなく、身を置く所もなかった。それでも彼はやはり彼のなすべき仕事――言葉を言い、声を発し、福音を広める仕事をしている。神の全能はいかなる人も計り知ることができない。神を敵のように見なす中国のような国でも、神はこれまで彼の仕事をやめたことはなく、逆に彼の働きと言葉を受け入れる、より多くの人を得た。なぜなら、神は人類の一人一人を最大限救うからである。われわれはみな信じている。神がなし遂げようとする事はいかなる国も、いかなる勢力も阻むことはできず、神の働きを妨害し、神の言葉に逆らい、神の計画をかき乱し、ぶち壊すような者たちは、最後には神の懲罰を受けるのだと。神の働きに逆らう人がいれば、神はこの人を地獄に投げ込む。神の働きに逆らう国があれば、神はこの国を滅ぼす。立ち上がって神の働きに敵対する民族があれば、神はこの民族を地球から消し去り、生き返らせない。わたしは諸民族、諸国そして各職業の人々に、皆来て神の声を聞き、神の働きを見、人類の運命に関心を寄せるように勧める。神が人類の間で至聖、至尊、至高の唯一の礼拝対象になるようにし、アブラハムの子孫がヤーウェの約束の中で生きていたように、初めに神に造られたアダムとエバがエデンの園で生きていたように、全人類が神の祝福の中で生きられるようにする。

神の働きは逆巻く大波のように滔々と盛んで、だれも彼を引き留められず、だれも彼の歩みを止められない。彼の言葉に心を込めて耳を傾け、彼を求め渇仰する人だけが彼の足跡に従い、彼の約束を受けることができる。それ以外の人はみな壊滅的な災難と当然の懲罰を受けるだろう。

「言葉が肉体で現れる」より