真理を探求されている方々からのご連絡をお待ちしています

ソリッドカラー

テーマ

字体设置

字体调整

ラインスペース

ページ幅

0 件見つかりました

一致する内容が見つかりませんでした!

`

「虎の穴」から逃げる(その2)

シャオヨウ

平穏な2日間を過ごした後、サタンの邪魔と抑圧に再び遭遇するとは予想していませんでした。ある夜、私が全能の神を信じるのを阻止するため、母と数名の叔父、叔母、そして三従叔母がやって来ました。この状況を見て、私はとても腹を立てました。私は、「私が何をしたというのだろう。私は真の神を信じているだけだ。それは誤ちなのか。なぜ、彼らはいつまでもこれをし続けるのだろうか。」と思いました。この時、三従叔母がおかしな口調で、「ニーア、行きましょう!あなたのおばあさんに会いに家に行きましょう。」と言いました。三従叔母がこう言うのを聞き、驚きました。「彼らは私を母の家に連れて行くためにここに来たのだ。彼らは私を臨床的に正気ではない祖母の家で監禁するつもりだ!彼らは私の親戚だと言うのに。どうして、こんなにも無情になれるのだろうか!」その瞬間、私の母はロープを掴み、私に向って突進して来ました。彼女は床にひざまずき、私の脚を縛りました。私はとても不安になりました。私は、「何をしているのですか。なぜ、私を縛るのですか。」と叫びながら、母の手を押しやりました。これを見た2人のおじが私の方にやって来て、私が抵抗しないよう、1人が私の肩を上から押さえ込み、私はソファに座らされ、立ち上がることができませんでした。彼らのこの状態を目の当たりにして、私は、「神よ!彼らは私を罠にはめようとしています。彼らが成功したら、私は神を信じることができなくなり、教会に戻ることができなくなるでしょう。神よ!私に信仰と強さを与えてください。私をここから助け出してください!」と、心の中で神を急いで求めました。祈り終わると、体に特にエネルギーが湧き上がるのを感じました。私はもがきながら、「何をしているのですか。私を放してください!…」と叫びました。私が猛烈に抵抗するのを見て、彼らは私を放しました。私はとても神に感謝しました。神を真摯に頼る限り、非常に現実な方法で、神の偉業を目撃し、神が側にいて、常に見守っていることを実感すると言うことを実際に経験しました。私は、「この環境で、私は偽りのない心を神に捧げ、サタンを徹底的に辱める必要がある。」と考えました。そこで、彼らに断固とした調子で、「他の件でしたら、話を聞きます。しかし、神への信仰についてでしたら、私は神の言うことしか聞きません!全能の神は主の再来であると私は既に固く信じています。皆さんがどのように強要しようと、私がぐらつくことはありません!」と言いました。私が神に従うと決心すると、神の行ないを再び目撃しました。叔母の1人が、「彼女を縛るのは止めなさい。彼女を縛っても無駄です。彼女が固く信じていることが分かります。」と言いました。そして、彼らはすごすごと出て行きました。彼らが行ってしまうとすぐに、私は足を引きずるようにして歩きました。身も心もクタクタでした。全く力が残っていませんでした。私はベッドに横になり、そのまま寝てしまいました。翌朝、昨晩何があったかを思い出し、心がずっしりと重くなりました。親戚が私をどのように扱ったかを思い出し、「あぁ!母や親戚は、司祭や教会指導者が広めた噂に騙されている。彼らは繰り返し、私を強要しようと試みてくる。いつになったら、これが終わるのか。」と思いました。そして、兄弟姉妹といる時の状況を思い出しました。私達は一緒に 真理を求め、本分を尽くし、互いに助け合っていました。私をいじめる人は誰もおらず、私のガードを固める必要もありませんでした。私は自由を感じ、解放感がありました。毎日が豊かで平和でした。一方、今は、私の家で閉じ込められており、全く自由がなく、毎日、追い詰められているような感じがします。親戚や前の教会の人がまたいつ来るかも分かりません。良い日には、彼らは軽く私を叱責し、悪い日には、私を脅し、圧力をかけてきます。私は心の中の痛みと惨めな気持ちに圧倒されています。本当に教会に戻り、集会に出て、兄弟姉妹と一緒に賛美歌を歌い、神を賛美したいのです。

このことが遭って直後に、さらに予想もしていなかったことが起こりました。ある日、夫と一緒に買い物に出かけました。帰宅し、神の言葉をMP5プレーヤーで読もうと思いましたが、プレーヤーを見つけることができませんでした。私は心配になり、部屋の中を行ったり来たりしました。「私のMP5プレーヤーはどこへ行ったのだろう。絶対に家に置いた。なぜ見つけられないのだろうか。」と考えました。突然、母が持ち去ったに違いないとひらめきました。ある日、母が私の部屋に入り、私がMP5 プレーヤーで神の言葉を読んでいるのを目撃したことがあるのを思い出しました。その後、母は頻繁に私の家に来ては、物を物色していました。私がMP5プレーヤーを見つけられないのは母が持ち去ったからだという確信がありました。こう考えると強い怒りを感じました。私は怒り心頭で母の家に行きました。私がドアを開けると、ちょうど、母が再従叔母と話しているところでした。母の所へ行き、「お母さん。私のMP5プレーヤーを持って行きましたか。あれは私のものです。持って行ったのなら、今すぐ返してください。」と言いました。母が「あなたのものなど取っていません。」と素気なく言うなど、思ってもみませんでした。母の軽蔑した眼差しを見て、私は苛立ちながら、「私はMP5プレーヤーを家に置いておきました。他の誰も触りもしないでしょう。私のものをいつも漁るのは、お母さんだけです。お母さんが取ったことは明らかです。返してください!」と言いました。母は、厳しい口調で、「あなたに返しません。私からあれを取り戻すことは決してないでしょう!」と言いました。その後、私がどんなに言っても、母は私に返してくれませんでした。仕方なく、手ぶらで家に帰りました。帰宅途中、とても惨めな気持ちになりました。「私はMP5プレーヤーを失ってしまった。もう、神の言葉を読むことができない。かつては、母や他の人が私の信仰を妨げに来ても、私は神の言葉を読み、神の言葉の導きを得ることができた。それにより、神の心を理解し、彼らからの攻撃に耐える信仰と強さを持つことができた。今は、MP5プレーヤーがもうない。私はどうすればいいのか。神の言葉がないなら、私はもうおしまいなのか。」と考えました。考えれば考えるほど、私は方向を失ったと強く感じ、霊がネガティブな穴に落ちていきました。極めて惨めな気持ちになりました。私が最も弱くなり、これ以上はない失望感を覚えた瞬間に、神の優しい言葉が私を啓きました。神の言葉の歌が、私の心の海に浮かびました。「今日、大抵の人々はそのような認識を持っていない。そういう人々は、苦しみには価値がなく、自分は世の中から見捨てられており、家庭生活には問題があり、神に愛されておらず、将来は暗いと考えている。一部の人々にあっては、苦しみがある点に達し、死を考えるようになる。しかし、それは真の神への愛ではない。そうした人は臆病者であり、忍耐力を持たず、弱く、無力なのである。…このように、終わりの日に、あなたは神に対して証しとならなければならない。あなたの苦しみがいかに大きくても、最後まで経験しなければならず、あなたの呼吸が止まるまで神に対して忠実であり続け、神に身を委ねていなければならない。これのみが真に神を愛するという事であり、これのみが強く確固とした証しとなるのである。」(『小羊が開いた巻物』より)神の言葉の導きにより、このような状況下でも私が神の証を立てられることを神が望んでいることを理解しました。物事がどんなに困難になろうと、絶対に、最後まで神に忠実で、神への信仰を失わないようにしなければなりません。私が遭遇した全ての抑圧について思い返してみて、次のことに気が付きました。出来事1つひとつが、霊の世界の戦いです。サタンはあらゆる手段を使い私を少しずつ打ち砕こうとしました。現時点では、これは私の「いのちと霊的栄養」を奪ってきました。それは、私の魂を飲み込もうとしているのではないでしょうか。サタンは本当に野蛮です。サタンの策略に落ちるわけにはいきません。私のMP5プレーヤーはどこかへ行ってしまいましたが、私にはまだ神がいます。神は、それでも、私を啓き、導くことでしょう。一瞬一瞬に、神を頼る限り、神は私があらゆる困難や苦難を乗り越えられるように助けてくれるでしょう。今後、私がどのような状況に直面するかにかかわらず、命ある限り、私は神の証を立てなければなりません。神の言葉は再び私を啓き、前進するのに必要な信仰を与えてくれました。

抑圧と苦難を経験する中で、私は神の言葉の力と権威を目の当たりにしました。毎回私はとてもネガティブで、弱く、混乱し、当惑した状態になっていましたが、私がサタンの策略を見透かし、神の証を立てるのに必要な信仰と力を神の言葉がもたらしてくれました。同時に、神がどの瞬間にも私の側にいると知ることができました。神は私の支えで、私のために道を開いてくれました。私の神への信仰は少しずつ大きくなっていくと同時に、家族を離れたいという気持ちが益々強くなっていきました。本当にこの「虎の穴」から脱出し、教会の兄弟姉妹の元に戻りたくなりました。主イエスは次のように語ったことがあります。「わたしの母、わたしの兄弟とは、だれのことか」…「神のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。(マルコによる福音書 3:33、35)そのため、私は神に祈り、この件について神に委ねました。私を導いてくれるよう神にお願いし、私自身も適切な機会を探しました。私の祈りに耳を傾けてくださったことに対し、神に感謝しました。2、3日後、神の導きにより、弟の監視の目をくぐり抜け、家から脱出することに成功しました。教会の生活をし、できる限り本分を尽くすために、再び、全能の神の教会に戻りました。それまでの1ヶ月以上に及ぶ苦難は、ついに終りを迎えました。私の心の中の鬱と問題は、煙のようにさっと消えていきました。サタンの暗い影響から抜け出し、「虎の穴」から脱出し、再び神の家族の元に戻れるよう私を導いてくださったことに対し、神に感謝しました。

この経験は私の記憶の中で色褪せることはありません。この経験において、私は神の愛、救済をはっきりと目の当たりにし、神が全ての瞬間に私の横にいて、サタンに騙されたり飲み込まれたりしないよう、私を守ってくださったことを知りました。同時に、この特別な経験により、司祭と教会指導者の見分け方を学ぶこともできました。彼らは気が狂ったように、全能の神に有罪判決を下し、冒涜し、噂を広め、私を騙すために偽の証言までしました。彼らはあらゆる策略を使って全能の神に私が従うのを阻止しようとしました。彼らの全ての邪悪な行動から、彼らは、私達が神の終わりの日の働きを受け入れ、神の国に引き上げられるようにするのを邪魔していることが分かりました。彼らは、私達の魂を貪り食う邪悪な悪霊です!この時、全能の神の告げた次の言葉の本当の意味をようやく理解しました。「信じる者と信じない者はもともと相容れないのであり、敵対する。」(『言葉は肉において現れる』の「神と人は共に安息に入る」より)司祭、指導者、修道女、教会メンバー、そして母は神を表面上は信じていましたが、神の声を理解しておらず、神を認識していないことが分かりました。彼らは再来した神の働きを受け入れるのを拒んでいます。同様に、神は彼らの信仰を認識していません。神の目には、彼らは不信心な者として映っています。彼らは神の終わりの日の働きにより明らかにされる有毒な雑草です。彼らは、本質が悪霊で、神に反対するキリストの敵です。さらに、家族からの抑圧と宗教者からの妨げは、全て、サタンに端を発している攻撃であることも分かりました。これは、熾烈な霊の戦いです。サタンはこれらを用いて私の信仰を妨げ、私に真実の道を諦めさせ、神を裏切らせ、サタンの“腕の中”に入らせ、神の人類への最後の救済の試みを失わせ、これら全てを地獄の中で破壊させようとしました。しかし、神の知恵は、サタンの策略に基いて行使されています。サタンが私を攻撃し、私の信仰を妨げる時、神は全ての瞬間に私を導き、率い、私が神の言葉を経験し、区別できるように学び、神の言葉を通して洞察を得られるようにし、神への私の信仰が完全になるようにしています。これは、私の神への信仰が真実かつ確固たるものになり、弱くならないようにするでしょう。1ヶ月と言うとても短い間にこれだけの真理を理解できるよう、私を導き、助けてくださった神に感謝します。今では、善良なものと邪悪なもの、美しいものと醜いものを区別することができます。私の神への信仰は強固なものになり、神にまた近づきました。痛みは本当に神の祝福です!私の将来の信仰において、神の働きをもっと経験し、最後までずっと神に従っていきたいと思います!

前へ:「虎の穴」から逃げる(その1)

次へ:この方法で争うことにより、とても大きな利益を得ます

他のお気に入り