VIII どのようにサタンが人を堕落させるかとサタンの邪悪な本質を明らかにする神についての言葉

次に、「女を惑わす蛇」について話そう。この蛇は、誰であろうか。(サタンである。)神の六千年にわたる経営(救いの)計画において、サタンは引き立て役であり……サタンの言動から、サタンがどのように行動し、どのように人間を腐敗させ、どのような性質を持ち、どのような表情であるかを理解できる。では、女は蛇に何と言ったのであろうか。女はヤーウェに言ったことを蛇に説明した。女の言葉から判断して、女は神が女に言った言葉の効力を、この時既に確認していたであろうか。女は、それを確認できなかったのではないか。新たに造られたばかりの者として、女には善と悪を見分ける能力も、周囲の物事を認識する能力も無かった。女が蛇に語った事柄によると、女は心の中で神の言葉が正しいと認めていない。女は懐疑的な姿勢であったからだ。だから、神の言葉に対して確固たる態度ではない女を見てとった蛇は、「あなたがたは必ず死ぬ訳ではない。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」と言った。この言葉には、何か問題があるであろうか。……この蛇は、どのような意図を持っているであろうか。(人間を惑わして罪を犯させようとする意図である。)蛇はこの女を惑わして神の言葉に耳を傾けさせまいとしたが、蛇はそのことをそのまま女に告げただろうか。(告げなかった。)蛇はそのままを女に告げなかったことから、蛇は極めて狡猾であると言える。蛇は、人間に気付かれないよう心の中に秘めていた所期の目的を果たすため、その旨を悪質かつ曖昧な方法で表現した。これが蛇の狡猾さである。サタンは常にこの要領で話をし、行動してきた。蛇は「必ず~訳ではない」のように言い、はっきりと語らなかった。しかし、この話を聞いて、無知な女の心は変わったであろうか。(変わった。)蛇の言ったことが所期の効果をもたらしたので、蛇は喜んだ。これが蛇の狡猾な意図であった。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身 4」より

ひどく汚れた国に生まれ合わせて、人は社会に駄目にされ、封建的倫理の影響を受け、「高等教育機関」で教えを受けてきた。後ろ向きの考え方、堕落した倫理観、さもしい人生観、卑劣な哲学、全く価値のない存在、下劣な生活様式と習慣──これらはすべて人の心をひどく侵害し、その良心をひどくむしばみ、攻撃してきた。その結果、人はますます神から離れ、ますます反対するようになった。人の性質は日ごとに悪質になり、神のために進んで何かを投げ出そうという者は一人としておらず、進んで神に従う者は一人としておらず、さらには神の出現を進んで探し求める者も一人としていない。それどころか、人はサタンの支配下で快楽を追求しているだけで、泥の地で肉体の堕落にふけっている。真理を耳にしたときでさえ、暗闇に生きる人々はそれを実行に移そうとは考えず、たとえ神の出現を見たとしても、神を探し求める気持ちにはならない。こんなにも堕落した人類がどうして救いの機会を持つことができようか。どうしてこんなにも退廃した人類が光の中に生きることができようか。

『言葉は肉において現れる』の「性質が変わらないままなのは、神に敵対していることである」より

初めて社会科学の考えを持つようになってから、人の精神は科学と知識に占領されてしまった。それからすぐ、科学と知識は人類を支配する道具となり、もはや人が神を礼拝する充分な余地はなくなり、神を礼拝する好ましい条件もなくなった。人の心の中で占める神の位置はどこまでも低められていった。人の心の中に神の居場所が無い世界とは、暗く、何の希望も無く、空虚である。そこで、人の心と精神を満たすために、多くの社会科学者、歴史家、政治家が現れて、社会科学の理論、人類進化の理論等、神が人を創造したという真理に反する理論を述べた。こうして、神が万物を造ったという真理を信じる人はますます少なくなり、進化論を信じる人の数は増加の一途をたどっている。旧約聖書時代の神の働きや神の言葉の記録を、神話や伝説として取り扱う人々はますます多くなっている。人々の心は、神の威厳と偉大さに対して、また神が存在し、万物を支配しているという教義に対して無関心になっている。人類の生存、そして国家と民族の運命はもはや彼らにとって重要ではない。人は飲食と快楽の追求にしか関心のない虚しい世界に生きている。

『言葉は肉において現れる』の「神は全人類の運命を支配する」より

科学を利用して人間を腐敗させるため、サタンは科学という名のもとに、人間の好奇心や、科学を追究し、奥義を調査する欲望[a]を満たす。またサタンは、科学の名のもとに、人間の物質的必要性と、生活の質を継続的に向上させる要求を満たす。したがって、サタンは科学という名のもとに、科学を手段として用いて人間を腐敗させる。サタンが科学を用いて腐敗させるのは、人間の考えや精神だけであろうか。わたし達の周囲に存在し、わたし達に見えるものであり、わたし達が接する人間や物事のうち、サタンが科学を用いて腐敗させる物事は、それ以外に何があるであろうか。(自然環境である。)その通りである。人間は自然環境により深刻な被害や影響を受けていると考えられる。科学や、科学による調査結果や結論を用いて人間を欺くほか、サタンは科学を、神が人間に与えた生活環境を無残に破壊し、濫用する手段としても用いる。サタンはこうした破壊や濫用を行うにあたり、人間が科学の調査研究を実施した場合、人間の生活環境は向上し続け、人間の生活水準は継続的に改善されるということ、さらには、科学の発展は、増え続ける人間の日常生活における物質的な必要性や人間の生活の質を改善させる継続的な必要性に資するためであることを口実とする。サタンは、こうした理由が無ければ、科学を進展させているのは一体何故か、と尋ねる。これが、サタンが科学を進展させる理論的根拠である。しかし、科学の進展は人間にどのような結果をもたらしたであろうか。人間を取り巻く身近な環境は、どのようなもので構成されているであろうか。人間が呼吸する空気は汚染されていないだろうか。人間が飲む水は、今でも本当に純粋であろうか。(純粋ではない。)さらに、わたし達が食べる食糧のうち、大部分のものは自然のものであろうか。(自然のものではない。)それでは、わたし達の食糧はどのようなものであろうか。わたし達の食糧は、肥料や遺伝子組み換えにより栽培され、様々な科学的手法による変異が生み出されているので、人間が食べる野菜や果実でさえも天然のものではない。人間にとって、改質されていない食品を探し出すのは困難になった。玉子でさえも、サタンのいわゆる科学により加工され、かつてのような味ではなくなった。全体像を見ると、大気全体が破壊され、汚染されており、山や湖沼、森林、河川、海洋その他地上や地下にあるもの全てが、いわゆる科学的進歩により破壊されている。つまり、神が人間に与えた生態系、生活環境全体が、いわゆる科学により汚染され、破壊されている。生活の質に関しては、要求を達成し、情欲と肉欲の両方を満たしている人々が多数存在するが、人間が生活する環境は、科学によりもたらされた「進展」により根本から破壊され、荒廃している。屋外や家庭内でさえ、人間は、汚染されていない空気を呼吸する権利を喪失した。これは人類にとって、悲しみではなかろうか。このような生活空間で生活することに、何かしら幸福なことがあるであろうか。人間はこうした生活空間で生活しているが、そもそも当初、この生活空間は人間のために神が創ったものであった。人間が飲む水、呼吸する大気、食べる食糧、木々や海洋など、この生活環境は、すべて神が人間に与えたものであり、生活環境は天然のものであり、神が定めた自然の律法に従う営みを行っていた。仮に科学が存在せず、人間が神の道に従って与えた物事に満足できたとしたら、人間は幸福で、あらゆる物事を最も自然な状態で享受していたであろう。しかし現在、そうした物事は、サタンによりすべて破壊され、損なわれ、人間の生活環境は最も自然な状態では無くなってしまった。しかし、こうした結果を招いた原因や、こうした結果に至った経緯を確認することができる者はおらず、さらにサタンにより人間に吹き込まれている概念を用い、科学を世俗的な見地から見た上で、一層多くの人々が科学に理解を示し、科学の道へと進んでいる。これは極めて忌み嫌うべき哀れなことではなかろうか。サタンが人間の存在する空間と生活環境を占領し、人間をこのように堕落させ、また人間もこのような進展を継続している今日、激しく堕落し、神に強い敵意を示す地上の人間を、神の手により消滅させる必要性は無いだろうか。神が人間を破壊する必要性は無いだろうか。(無い。)人間がこのような進展を継続するのであれば、人間はどのような方向へと進むであろうか。(破滅の方向である。)人間は、どのようにして破滅するであろうか。名声と利得に対する人間の貪欲な探索のほか、人間は継続的に科学的探求や徹底した調査研究を行い、自らの物質的欲求や肉の欲を絶え間なく満たしているが、そうした人間の結末はどのようなものであろうか。第一に、生態系の均衡が失われ、それに伴い人間の身体はそうした環境や、随所に蔓延する様々な感染症や伝染病、噴煙などにより汚染され、損害を受けている。こうした状況は、もはや誰も制御できないものであろう。それを理解した上で、人間が神に付き従わず、こうして常にサタンに付き従い、知識により継続的に自らを豊かにし、科学により絶え間なく人間の生活の将来を探求し、それらの方法によってこうした生活を継続した場合、あなたがたは、人類の結末がどのような物となるかを認識することができるであろうか。その結末は、どのようなものとなるであろうか。(破滅である。)その結末は、破滅である。一歩ずつ破滅へと向かっているのだ。したがって、科学は、人間が物事を判断する際に五里霧中となり、いくら目を凝らしても明瞭に見ることが出来ず、いくら努力しても理解できなくなるようにするために、サタンが作った秘薬あるいは遅効性の毒薬のようなものとして考えられる。しかし、サタンは依然として科学の名のもとに人間の欲望を刺激し、機先を制して人間を意のままに服従させ、地獄と死へと導こうとしている。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身 6」より

あなたがたに尋ねるが、このようないわゆる知識とは、いったいどのようなものであろうか。知識とは、人々が知識を習得する過程の中で、サタンが人々に教えた生活の規則であり、人生の道ではなかろうか。それはサタンにより人間に吹き込まれた、人生の高尚な理想ではなかろうか。たとえば、偉人の考えや、有名人の誠実さ、英雄の勇猛さ、格闘技小説の主役や剣術家の武勇や親切心などは、世代を超えて影響を及ぼし、各世代の人々はそうした概念を受け入れて、そうした概念のために生活し、そうした概念を永遠に求めるよう仕向けられる。これが、サタンが知識を用いて人間を腐敗させる方法であり、手段である。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身 6」より

サタンは、いわゆる人間の知識の中に、サタンの人生哲学やその考え方を、かなり大量に浸透させている。そうすることで、サタンは、人間がサタンの思想や哲学、観点を借りて、人間が神の存在や神による万物支配や人間の運命の支配を否定するようにしている。したがって、人間の研究が進展し知識を得た時に、サタンが人間の精神に加えた観点や概念、思想などが原因となって、神の存在が曖昧なものとなっているように感じ、さらには神が存在しないと感じることさえある。サタンがこうした思想を人間の精神に加えるにしたがって、人間は腐敗してゆくのではなかろうか。(その通りである。)現在、人間は何を生活の基盤としているであろうか。人間は本当にこうした知識に依存しているであろうか、というと、そのようなことは無く、人間は、こうした知識に潜むサタンの思想、観点、哲学を生活の基盤としている。これが、サタンによる人間の腐敗の中核が発生する部分であり、サタンの目的であり、サタンが人間を腐敗させる方法である。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身 5」より

サタンは知識を餌として用いる。注意して聴くように。知識は餌の一種に過ぎない。人間は「学習に励み、日々向上」し、知識を武器のように身に付け、その知識を科学の扉を開くものとして用いるよう誘惑される。つまり、人間が身に付ける知識が多ければ多いほど、人間はより多くの物事を理解するようになる。サタンは、人間に対してこのようなことを言う。また、サタンは人間に対して、知識を身に付けるとともに、高尚な理想を育み、大志と理想を持つよう命じる。人間に知られることなく、サタンはこうした趣旨のメッセージを数多く送り、無意識のうちにそれが正しい、あるいは有益であると人間に感じさせる。人間は、知らぬ間にそうした道を歩み、知らぬ間に自分自身の理想と大志に向かって導かれてゆく。人間は、気付かぬうちにサタンに与えられた知識、偉人や有名人の考えから徐々に学び、そうした考えを受け入れる。また人間は、人間が英雄とみなす人々の行動から学び続ける。あなたがたは、こうした英雄の行動によりサタンが人間に対して唱道する事柄やサタンが人間に吹き込みたい事柄の一部を知っているであろう。サタンが人間に吹き込む事柄は何であろうか。人間は愛国心に溢れ、自国に忠誠であり、勇敢でなければならない。人間が歴史や英雄の伝記から学ぶのは、何であろうか。それは、個人的忠義心を持つこと、あるいは友達のために尽くすことである。こうしたサタンの知識の中で、人間は無意識のうちに多くの良からぬ物事を学ぶ。サタンが人間のために用意した種は、知らぬ間に未熟な人間の心に植え付けられる。こうした種は、人間に、自分達が偉大になる必要がある、有名になる必要がある、英雄になる必要がある、愛国心を持つ必要がある、家族を愛する人間になる必要がある、人間的な忠義感を持って友人のために尽くす人間になる必要があると感じさせる。サタンに魅惑された人間は、サタンが人間に対して用意した道へと、無意識のうちに進んでゆく。その道を歩んでゆくうちに、人間はサタンによる生活の規則を受け入れることを強要される。人間は、自分で全く気付かぬうちに独自の生活規則を作り出すが、それはサタンが人間に対して強制的に吹き込んだ規律に過ぎない。サタンは、物語や伝記など、サタンの餌を人間に少しずつ食べさせることのできる全ての手段を用いて、サタンの物事を人間に吹き込むと同時に、人間の学習過程の中で、人間に独自の目標を促進し、独自に人生の目標や生活の規則、人生の進路を決めさせる。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身 6」より

人間が知識を習得する過程において、サタンは人間が自分の欲を満たし、自分の理想を実現するよう、あらゆる手段を用いる。サタンがあなたを導きたい道について、正確に理解しているであろうか。穏やかに言えば、人間は知識を習得することは自然であり、何も悪いことが無いと考えている。人間は、高尚な理想を育むことや、大志を抱くことは、単に向上心があると言うことであり、それは人生において進むべき正しい道であると考える。人間が自らの理想を実現したり、人生において出世できたりするとしたら、そうした人生の方が素晴らしいのではなかろうか。そのようにして自分の祖先に栄誉をもたらすのみならず、歴史に自分の名を残すことは、良いことではなかろうか。こうしたことは、この世の人々から見れば、良いことであり、適切なことである。しかし、サタンは、邪悪な動機をもって、人間をそのような道へと導き、それで良しとするかというと、無論そのようなことは無い。実際には、人間の理想が如何に高尚であったとしても、また人間の願望が如何に現実的であり、適切であったとしても、人間が実現したい事柄、求める事柄は、2つの言葉と不可分な関連性がある。その2つの言葉は、人間それぞれの人生にとって不可欠であり、サタンが人間に吹き込みたいのは、その2つの言葉である。その2つの言葉とは、何であろうか。そのひとつは「名声」であり、もうひとつは「利得」である。2つの言葉とは、名声と利得である。サタンは極めて微妙な方法、人間の考えに極めてうまく適合する方法を用いる。その方法には、全く過激さが無い。人間は、無意識のうちにサタンの生き方や生活の規則を受け入れるようになり、人生の目標や方向性を決定し、またそうすることにより無意識のうちに人生の理想を持つようになる。そうした人生の理想がどれほど仰々しいものであったとしても、そうした理想は名声や利得と不可分な関係にある言い訳に過ぎない。偉人や有名人のみならず、全ての人々が人生において従う全ての事柄は、「名声」と「利得」のふたつだけに関連するものである。そうではないだろうか。(その通りである。)人間は、名声と利得を手に入れれば、それを利用して高い地位や莫大な富を堪能し、人生を楽しむことができると考える。名声と利得を手に入れれば、それを悦楽の追求と不徳な肉の快楽に利用できると考える。人間は、自分が求める名声と利得を得るため、無意識ではあるが率先して、自分の心身や所有する全ての物事、将来、運命を、すべてサタンに引き渡す。人間は、この引き渡しにあたり、一瞬たりとも躊躇することが無く、それを奪回する必要性を省みることも一切無い。このようにして人間がサタンを支持するようになり、サタンに忠義を尽くした場合、人間は自分自身を抑制することができるであろうか。無論そのようなことは無い。こうした人間は完全にサタンにより支配される。こうした人々は、自分達が沈み込んでいる泥沼から抜け出すことが一切不可能である。ある者が名声と利得の泥沼に陥った場合、その者は明るい物事、義なる物事、美しく良い物事を求めなくなる。これは、人間に対する名声と利得の魅力が強すぎるため、人間にとって名声と利得が人生を通して終わり無く永遠に追求するべきものとなってしまうことが原因である。これは真実ではなかろうか。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身 6」より

サタンは名声と利得により人間の思想を支配し、人間が名声と利得しか考えられないようにする。人間は名声と利得のために努力し、名声と利得のために試練を乗り越え、名声と利得のために恥辱に耐え、持てる全ての物事を犠牲にし、名声と利得を獲得して維持するためにすべての判断と決断を下す。このようにして、サタンは目に見えない足かせを人間にかける。こうした足かせが人間の身体に付けられ、人間はそれを外す力も勇気も無い。したがって人間は、無意識のうちにこれらの足かせをかけられた状態で重度の困難の中を歩んでゆく。この名声と利得のために、人間は神から離れてゆき、神を裏切るようになる。人間は世代ごとに邪悪になり、陰鬱になるので、人間はこのようにして世代を追うごとにサタンの名声と利得により破壊されてゆく。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身 6」より

サタンは民間伝承や歴史書の叙述などを、数多くねつ造して、人間に対して伝統文化や迷信の登場人物などを深く印象付けている。例としては、中国の八仙過海、西遊記、玉皇大帝、ナーザの大暴れ、封神演義などがある。これらの例は、人間の心に深く根ざしているであろう。一部の人々は、これらの例の詳細をすべて把握していなくても、あらすじは知っており、そうした内容の概要が心に残って忘れることが出来ない。これらの例は、サタンがはるか昔に作り、サタンの様々な思想や人生哲学を何度となく流布してきたものである。こうした事柄は人間に直接的な危害を加え、人間の魂を蝕み、人々に次々と呪文をかける。つまり、こうした伝統文化、伝説、迷信から生まれた事柄を受け入れ、こうした事柄が心の中で確立された存在となり、心から離れなくなった時点で、それは呪文のようなものとなり、そうした文化、思想、説話に捕らわれ、影響されるようになる。こうした事柄は、人生や将来の見通し、物事の判断に影響を与える。とりわけ、こうした事柄は、人生の真理の道を追求する際に影響を与えるので、これはまさしく呪文である。その呪文を捨て去ろうとしても捨てられず、それは切っても切り捨てられず、打っても打ち倒すことが出来ない。そうではないだろうか。(その通りである。)さらに、人間が無意識のうちにこの種の呪文にかかった場合、人間は知らぬうちにサタンを信仰するようになり、心中にサタンの像が育まれる。つまり、こうした人々はサタンを偶像、崇拝対象として定め、過度の場合は神と同様に扱う。こうした物事は人間の精神に無意識のうちに存在し、人間の発言や行動を支配している。あなたはこうした説話の存在を無意識のうちに認め、それを実在の人物であると認識し、それらを実在する物事に変える。あなたは、無意識の領域で、これらの考えや物事の存在を受け入れる。また、あなたは無意識のうちに悪魔、サタンそして偶像を自宅や心に受け入れるのである。これはまさしく呪文である。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身 6」より

サタンは、どのように迷信を用いて人間を腐敗させるのであろうか。易断や人相占い、運勢占いなどに関して人間が知っていることは、将来の自分の運勢がどのようなものか、将来の道がどのようなものかを知る事が出来るということだが、結局のところ、既にそうした物事を支配しているのは、誰の手であろうか。(神の手である。)そうした物事は神の掌中にある。サタンは、こうした手段を用いて人間に何を知らせたいのであろうか。サタンは人相占いや易断を用いて、サタンが人間の将来における運勢を知っているということ、それらのことをサタンは知っているし支配しているということを、人間に知らせたいと考えている。サタンはそうした機会と手段を用いて、人間を支配し、人間がサタンを盲目的に信じ、サタンによる全ての言葉に従うようにしたいと考えている。……それでは、サタンはどのような手段を用い、どのような言葉であなたにサタンを信じさせるであろうか。たとえば、あなたが自分が何人家族かをサタンに伝えていないかも知れないが、サタンはあなたが3人家族で、7歳の娘がいると言うだけでなく、あなたの両親の年齢まで言うかも知れない。あなたが最初に疑念を抱いているとすると、それを聞いてサタンを少し信用出来ると感じるのではなかろうか。(その通りである。)するとサタンは「今日の仕事は困難で、あなたは上司から然るべき評価を受けられず、上司は常にあなたに反対している。」などと言うかも知れない。それを聞いたあなたは「まさにその通りだ。仕事はまったくうまくいっていない。」と思うであろう。それで、あなたはサタンをさらに信じるようになるであろう。そして、サタンは別の事を述べてあなたを騙し、さらにサタンを信じさせ、あなたは少しずつ自分がサタンを拒否することも、疑うことも出来なくなっていることに気付くであろう。サタンは些細な策略や、つまらない策略を何回か用いるだけで、あなたを魅惑しようとする。あなたは魅惑されているので、自分の姿勢を保つことが出来なくなり、何をして良いか分からなくなって、サタンの言葉に従い始めてしまう。これが、人間を腐敗させる上でサタンが用いる「実に聡明な」手段であり、その手段により、あなたは無意識のうちにサタンの罠にはまり、誘惑される。お分かりの通り、サタンは人間が良いと推測する事柄をいくつか述べてから、あなたが何をすべきか、何を避けるべきかを述べるが、そうしたことからあなたが罠にはまる過程が始まる。ひとたびこの過程が始まると、問題ばかりが発生し、サタンの言葉や、サタンがあなたに命じた行動のことを常に考え、気付かぬうちに、サタンに取り憑かれる。……これは、サタンが人間を腐敗させる方法のひとつではないだろうか。(その通りである。)人間は肯定的なものと否定的なものを区別する能力が欠如しているため、無意識のうちに、サタンの様々な手口によって徐々に惑わされ、騙されてゆく。人間にはそうした背丈や、サタンに打ち克つ能力が無い。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身 5」より

こうした伝統文化の背景では、サタンが人間に何かを浸透させているが、それは何であろうか。人間が祖先を忘れないようにすることも、そのひとつであろうか。たとえば、清明節には、人々が墓を掃除して祖先に捧げものをする。それゆえ人間は祖先を忘れないであろう。またサタンは、龍舟節などで、人間が愛国心を忘れないようにする。中秋節についてはどうであろうか。(家族で集まる。)家族で集まることの背景は何であろうか。家族で集まる理由は、何であろうか。(家族と感情を大切にすることである。)交流して気持ちをつなげることであろう。無論、旧正月や元宵節の祝賀については、背景となる理由に様々な説明方法がある。背景をどのように説明するかを問わず、それはすべてサタンがその哲学と思想を人間に浸透させる手段であり、それによって人間が神を離れ、神の存在を忘れ、祖先やサタンに捧げものをするようにさせたり、単に肉の欲のために飲み食いと娯楽を行うようにさせたりするのである。こうした祝祭日を祝うたびに、サタンの思想と考え方が人間の精神に深く植え付けられ、人間はそれに気付くことすらない。……サタンは様々な方法と言い訳により人間を支配し、脅迫し、束縛するので、人間は眩惑してサタンに気を許し、従ってしまう。サタンはこうして人間を腐敗させる。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身 5」より

「地獄の沙汰も金次第」はサタンの哲学であり、様々な人間社会に浸透している。この格言は人間ひとりひとりに伝えられており、各人の心の中に定着しているので、社会動向であると言えるであろう。人々はこの格言を受け容れないが、次第に馴染み深くなり、実生活のなかで、その格言に暗黙の了解を示し、その存在を認め、最終的にその格言に同意してしまう。……サタンがこの社会動向により人々を腐敗させた後、それは人間にどのように表出されるであろうか。あなたがたは、金銭が全く無い状態では、一日たりとも生存することができない、それは不可能であると感じないであろうか。(感じる。)人間の地位や、その者がどの程度尊敬できる人間かは、所有する金額を基準としている。貧困者は恥辱のため背を丸め、その一方で富裕な者は高い地位を得る。富裕な者は堂々と胸を張って威張り、大きな声で発言し、傲慢な生活を送る。この格言と社会動向は、人間に何をもたらすであろうか。多くの人々が、金を稼ぐことは、あらゆる犠牲を払う価値があると考えていないであろうか。人々は、より多くの金銭を得るために、威厳や誠実さを犠牲にしていないであろうか。多くの人々が、金銭が原因となって、自らの本分を尽くして神に付き従う機会を失っていないであろうか。これは人々にとって損失ではなかろうか。(その通りである。)こうした手口と格言を用いて人間をそれほどまでに腐敗させるサタンは邪悪ではなかろうか。これは悪意に満ちた策略ではなかろうか。人間がこのよく知られた格言を否定する段階から最終的にそれを真理であると認める段階へと進むうちに、人間の心は完全にサタンに奪われ、気付かぬうちにサタンに従って生きるようになる。この格言は、あなたにどの程度影響を与えているであろうか。あなたは真実の道や真理を知っているかもしれないが、無力なのでそれを追求できない。あなたは神の言葉を明確に知っているかも知れないが、進んで代償を払おうとも、代償を払うために苦難を受けようともしない。あなたは、むしろ自分の将来や目的を犠牲にして、最後まで神に反抗しようとする。神が述べる言葉や行う業を問わず、また、あなたに対する神の愛が深遠であることを、あなたがどの程度認識しているかを問わず、あなたはこの格言のために犠牲を払い、頑なに自分の指針を維持するであろう。このことは、この格言があなたの行動や思想を既に支配しており、格言を忘れるよりも、むしろこの格言に自分の運命を支配されることを望んでいる、ということを意味する。人間はこうした行動を取り、この格言に支配され、操られている。これは、人間を腐敗させるサタンがもたらす効果ではないだろうか。これはあなたの心に根付いているサタンの哲学と堕落した性質ではなかろうか。あなたがこうした行動を取った時、サタンはその目的を達成したのではないだろうか。(その通りである。)あなたは、サタンがこのようにして人間を腐敗させてきたことを理解できたであろうか。(理解できない。)あなたには理解できない。それを感じることができるであろうか。(感じることができない。)あなたには感じることができない。こうした場合のサタンの邪悪さを理解したであろうか。(理解した。)サタンは時間や場所を問わず、人間を腐敗させる。サタンは人間がこの腐敗から身を守ることを不可能にし、人間をこうした腐敗に対して無力にさせる。サタンは、あなたが無意識な状態にあり、あなた自身に何が起きているかを全く認識していない状況の中で、自分の考え方や観点、そしてサタンに由来する邪悪な物事を、あなたに受け容れさせる。人間はそうした物事を全面的に受け容れ、それらに例外は無い。人間はそうした物事を宝のように大切にし、そうした物事が自分自身を操り、もてあそぶ事を容認する。こうしてサタンによる人間の腐敗は、一層深まってゆく。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身 5」より

サタンは、こうした社会的動向を次々と用いて、人間の何を腐敗させるであろうか。(良心、理性、人間性、倫理である。)その他の回答はあるだろうか。(人間の人生観がある。)社会的動向は人間の漸進的退廃をもたらすであろうか。(もたらす。)サタンはこうした社会的動向を用いて、少しずつ人間を誘惑して悪の巣窟へと誘うので、社会的動向に捕らわれた人間は、気付かぬうちに金銭や物欲、邪悪と暴力を擁護する。ひとたびこうした物事が人間の心に入ると、人間はどうなるであろうか。人間は邪悪なサタンと化すのだ。それは、人間のどのような心理学的な傾向に起因するものであろうか。人間は、何を擁護するであろうか。人間は邪悪と暴力を好むようになる。人間は美徳を嫌い、またそれ以上に平和を嫌う。人間は通常の人間性による質素な生活を送ろうとせず、高い地位や大きな富を得ることを望み、肉の享楽を耽溺し、自分の肉を際限も制約もなく満足させるために努力を惜しまず、すなわち自分の求めるあらゆる事を行う。それならば、人間にこうした動向が浸透した場合、取得した知識はあなたをこうした事柄から解放する上で役立つであろうか。あなたに知られている伝統文化や迷信は、こうした窮地にあるあなたを救うために役立ち得るであろうか。人間に知られている伝統的な倫理や儀式は、人間が自制する上で役立つであろうか。例として、『三字経』について検討する。三字経は、人間がこうした社会動向の泥沼[b]から抜け出す上で、役立つであろうか。(役立たない。)このように、人間はどうなっていくのであろうか。人間はますます邪悪で、傲慢で、尊大で、自己中心的な悪意に満ちた存在へと変わってゆく。人間同士の愛情も家族同士の愛情も無くなり、親戚や友人同士の理解も無くなり、人間関係は不正と暴力に満ちたものとなる。誰もが不正な手段や暴力的方法を使用して、他の人間の中で生活することを望み、自分自身の生活を確保するために、人間は偽りを語り、不正行為を行い、暴力的になる。また人間は自分の所有物や利益を核とするために暴力を用い、暴力や邪悪な方法を用いて望む行為の全てを行う。このような人類は恐ろしいものではないか。(その通りである。)

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身 6」より

人間を腐敗させるためにサタンが用いる手段は、主に6種類ある。

第1の手段は支配と威圧である。つまり、サタンは人間の心を支配するために、あらゆることを行う。「威圧」とは何であろうか。(強要することである。)サタンは、脅迫して従わなかった場合の結末を考慮させ、強制的に言うことを聞かせようとする。人間は恐れて、それを敢えて無視せず、サタンの影響を受けざるを得ない。

第2の手段は不正と陰謀である。「不正と陰謀」には、何が伴うであろうか。サタンは話をでっち上げ、嘘をついて、陰謀により人間にそれを信じさせる。サタンは、人間が神により造られたとは決して述べず、また人間が神により造られたものではない、とも直接的に言わない。サタンは「神」という言葉を全く用いず、それを言い換える言葉を用いるので、人間は神の存在を全く知ることが無く、またサタンは人間が神の実体を知ることを決して許さない。この陰謀には、これ以外にも様々な側面がある。

第3の手段は強制的な教化である。強制的な教化がそこにはあるだろうか。(ある。)何について強制的に教化するのであろうか。強制的な教化は、人間の希望により行うであろうか。強制的な教化は、人間の同意により行うであろうか。(そうではない。)人間が同意するかどうかは無関係である。強制的な教化は、人間の無意識のうちに行われ、サタンの思想や生活の規則、邪悪な本質が人間に吹き込まれる。実際には、サタンが人間に吹き込む事柄は全て虚偽であり、うわべだけの異説であり、サタンが人間を腐敗させるために用いる異説と詭弁である。こうした邪悪な毒が人間の脳と精神に植え付けられ、人間を真に洗脳する。人間がこうした邪悪な毒素を受け入れると、人間は、人間でも亡霊でも無くなり、人間性のかけらもなくなる。

第4の手段は脅迫と誘惑である。つまり、サタンは、人間にサタンを受け入れさせ、人間をサタンに付き従わせ、サタンのために行動させるために、様々な手段を用いる。サタンは、目標達成のために必要とあらば、手段を選ばない。サタンは人間に対して僅かに親切を働くことがあるが、人間を誘惑して罪を犯させる。人間がサタンに従わなかった場合、サタンは人間を苦しめ、罰を与え、人間を攻撃して罠にかけるために様々な手段を用いる。

第5の手段は欺瞞と麻痺である。「欺瞞と麻痺」とは、サタンが、その実人間を欺瞞することが目的であるが、あたかもサタンが人間の肉や生活、将来を考慮しているように考えられるよう、人間の考え方と協調する何らかの甘い言葉や概念をでっち上げることである。サタンは、その後人間を麻痺させるので、善悪の判断が付かなくなり、人間は無意識のうちにサタンの道に従い、サタンに支配されてしまう。

第6の手段は、心身の破壊である。サタンは人間の何を破壊するであろうか。(精神など人間のすべてである。)サタンは人間の精神を破壊し、人間を無力にして反抗させないようにする。つまり、人間の精神は、自分の意思に反してサタンへと向いてゆく。サタンは、これらの考えや文化などを用いて、これらの事柄を日常的に人間に吹き込み、人間に影響を及ぼし、教化し、極めてゆっくりと人間の意志を滅ぼし、善人になりたくないと考えさせ、人間が信義と考える事柄を堅持する意志をくじく。無意識のうちに、人間は、流れに逆らって進む意志の力を失い、流されるままに堕落してゆく。「破壊」とは、サタンが人間を苦悶させ、人間でも亡霊でも無いほどの状態にし、人間を食い尽くす機会を得る。

これらのサタンが人間を腐敗させる手段は、それぞれ人間を無力にして反抗できない状態に陥れることが可能であり、人間にとって致命的なものであり、人間に対して反抗する余地を全く与えないものである。つまり、サタンの行動とサタンが用いる手段は、すべて人間を堕落させ、人間をサタンの支配下に陥れ、人間を邪悪の泥沼に陥れて脱出不可能な状態に陥れる可能性がある。以上が、サタンが人間を腐敗させるために用いる手段であり、これらの手段は極めて残忍であり、悪意に満ち、陰険であり、卑劣なものである……

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身 6」より

数千年に及ぶ古代文化や歴史に関する知識により、人間の思考や概念、精神的観念は極めて固く閉ざされ、浸透不可能かつ分解不可能なものとなっている。人間は、あたかも神により地下牢に追放されて二度と光を見ることが無いかのように、十八層地獄で生活している。封建的思想が人間を迫害し続け、人間は辛うじて呼吸するほどまで息が詰まっている。人間には反抗する力が全く無く、ひたすら黙して耐え続けている。義と公平のために敢えて戦い、立ち上がる者は今まで一人もいなかった。人間は毎日領主の虐待と暴挙の下で動物同然に生活して年を重ねてゆくだけである。人間は神を求めて地の幸福を享受しようと考えたことが無い。それは、ひからびて色がくすんだ枯れ葉のように人間が打ち倒されたかのようである。人間は遙か昔に記憶を失い、人間の世界という陰府で絶望的に暮らし、自分が陰府もろとも滅びるよう、最後の日の到来を待っており、人間が待っている最後の日は、あたかも安らかな平和が人間に授けられる日であるかのようである。封建的倫理は、人間の生活を「ハデス」へと陥れており、人間が反抗する能力は一層少なくなっている。様々な虐待により、人間は徐々にハデスの深い所、神から一層遠い所へと強制的に陥れられた。現在、神は人間にとって全く知らない存在であり……古代文化の知識は、神の前から何も言わずに人間をさらって魔王とその末裔に引き渡した。四書五経は、人間の思想と観念を新時代の反逆へと導き、人間が四書五経を記した者達を一層崇拝するようにして、人間が抱く神の観念を助長した。魔王は冷酷に、そして人間が気付かぬうちに、人間の心から神を排除しつつ、面白がって人間の心を奪った。その時以来、人間は魔王の顔をした醜く邪悪な霊に取り付かれている。神への憎しみが人間の胸を満たし、魔王の凶悪さが日々人間の中に広がってゆき、ついに人間は完全に滅ぼされた。人間は自由を失い、魔王の呪縛から逃れる事が出来なくなった。ゆえに、人間は1か所に留まり、囚われることを余儀なくされ、魔王に降伏し、服従した。

『言葉は肉において現れる』の「業と成長 (7)」より

魔王は人間の若い心に無神論の腫れ物の種を植え付け、「科学技術を学び、四つの近代化を実現せよ。この世に神はいない。」など、人間に偽りを諭した。それだけでなく、魔王は「私達の勤勉な労働により素晴らしい国を建てよう。」と繰り返し宣言し、全ての者に対して、幼少時代から自国のために仕える訓練をするよう要求した。人間は無意識のうちに魔王の前へと導かれ、魔王は (あらゆる人間を掌握している神を名乗り)躊躇無く人間を我がものとした。魔王は、一度も恥じらうことは無く、恥辱を覚えることは一切無かった。さらに、魔王は厚かましくも神の選民を自分の家の中に捕らえ、ねずみのように机上に飛び乗り、人間に自分を神として崇拝させた。魔王は、何という無法者であろうか。魔王は「この世に神はいない。風は自然の法則が原因である。雨は凝結して水滴となって地表に落ちる水分である。地震は地質学的変化に起因する地表の振動である。干ばつは太陽表面の原子核工学的障害により起こる大気の乾燥である。これらは自然現象である。そのうちどれが神の業だというのか。」などという衝撃的な中傷を唱える。その上魔王は、「人間は古代の類人猿から進化したもので、現在の世界は、約10億年前の原始社会から進化したものである。ある国家の栄枯盛衰は、その国家の国民の手により決まる。」などという恥知らずな事を呼びかける[a]。後ろの方では、人間に魔王を上下逆にして壁に掛けさせ、机上に鎮座させて崇拝させる。魔王は「神はいない。」と唱えるが、魔王は自らを神とみなし、真の神を執拗に地の果ての外へと追いやろうとする。魔王は神の地位に立ち、魔王として君臨する。何と途方も無く馬鹿げたことであろうか。魔王は、有害な憎悪により人間に滅びをもたらす。神は魔王の宿敵であり、神は魔王と折り合いを付けることが不可能であると思われる。魔王は神の駆逐を謀り、罰を受けることも捕らわれることも無いまま[1]の、まさしく魔王である。どうして人間が魔王の存在を容赦できようか。魔王は、神の業を阻止し、打ち砕いて台無しにする[2]まで休むことが無く、それはあたかも最後にどちらかが滅びるまで、魔王は神に反抗し続けたいかのようである。魔王は、故意に神に反抗し、常に神に近付く。魔王の忌まわしい顔は、完全に仮面を剥がれて久しく、打ちのめされてあざが出来ている。重度の窮状にあるが、それでも神への憎悪が衰えることは無く、それはあたかも魔王が神を一口に呑み込んで自分の心の憎しみを癒やすことを望んでいるかのようである。こうした憎むべき神の敵を、どうして人間は容赦出来ようか。人間の生涯の望みを叶えるには、魔王の根絶と完全な駆除によるほか無いであろう。どうして魔王を意のままにさせるのを許しておけるであろうか。魔王は、人間が天日を知らず、行き詰まって愚鈍になるまで人間を腐敗させた。人間は正常な人間の理知を失った。私達の全てを捧げて魔王を打ち焼き払い、未だに残る危険性に対する恐れを解消し、神の業が早急に嘗て無い輝きに達することが出来るようにしようではないか。この悪党どもは人間の中に来て、徹底した騒動と混乱を引き起こした。そうした悪党どもは全ての人間を原理の縁へと追い詰め、粉砕してその屍をむさぼることを密かに企んでいる。

『言葉は肉において現れる』の「業と成長 (7)」より

深く根付いた民族的伝統と精神的姿勢は、人間の純粋な子供のような心に影を落として久しい。またそうした事柄は、あたかも感情や自我の意識が全く欠如しているかのように、一抹の慈悲もなく人間の魂を攻撃してきた。そのような悪魔のやり方は極めて残忍であり、それはあたかも「教育」と「育成」が、魔王が人間を殺す伝統的方法であるかのようである。魔王は自らの「深遠な教え」を用いて、その醜悪な魂を隠し、羊の皮を被って人間の信頼を得てから、人間が寝ている隙を利用して、人間を完全にむさぼり食う。人間は何と哀れであろうか。自分が育った大地が悪魔の大地であることや、自分を育てた者が自分の敵であり、自分を傷つける者であることを、どうして人間が知り得ようか。しかし人間は全く目覚めない。人間は、飢えと渇きにいやと言うほど苛まれながら、自分の「両親」が自分を育て上げた「厚情」に報いる用意をする。人間とは、そうしたものである。現在、人間は、自分を育てた王が自分の敵であることを、未だに知らない。地には死者の骨が散在し、悪魔が絶え間なく浮かれ騒ぎ、「暗黒の地」で人間をむさぼり食い続け、墓で人間の骸骨と共に居て、いたみ切った人間の身体が残されていればそれを食べようと無駄な努力をしている。しかし、人間は無知なままであり、悪魔を敵として扱ったことが無く、むしろ心から悪魔に仕えている。

『言葉は肉において現れる』の「業と成長 (9)」より

上から下まで、そして最初から最後まで、魔王は神の業を阻害し、神に協調しない行動を取り続けてきた。古代文化遺産や貴重な古代文化の知恵、道教や儒教の教え、儒教の五経と封建時代の礼に関する話が、人間を陰府に陥れた。現代の先進科学技術も、発展した農工業、そして商業も、全く見当たらない。むしろ魔王は、故意に神の業を阻害し、それに反対し、それを破壊するために、古代の「類人猿」により広められた、封建時代の礼をひたすら強調する。魔王は現在に至るまで人間を苦しめてきたが、それだけでなく人間を完全に食い物にする[5]ことを望んでいる。そうした封建時代の倫理規定に関する教え、古代文化の知恵の継承が、人間を長年にわたって蝕み、大小の悪魔へと変貌させて来た。神を快く受け容れ、神の降臨を歓迎するであろう者は、ごく僅かである。人間の表情は殺気に満ち、至る所で死の気配が感じられる。そうした者は、神をこの地から排除することを求め、神を抹消するために、刀剣を持って陣を組んでいる。悪魔の地全体において、偶像が広まり、人間は、神はいないと教えられ続けている。この地の上には、吐き気を催すような紙と香の焼ける臭いが強く漂っており、窒息するほどである。それはへびがとぐろを巻く時に放つ汚泥の臭いのようであり、人間は嘔吐ずにはいられないほどである。それに加えて、悪魔達の読経が、かすかに聞き取れる。その声色は陰府の遠い所から聞こえるようであり、人間は背筋が凍るのを感じずにはいられない。虹色の偶像がこの地全体に散在し、それがこの地を幻惑の世界へと変え、魔王は自分の邪悪な謀りが成就したかのように、常に薄笑いを浮かべている。その一方、人間はそれに全く気付かず、自分の理性が無くなり、自分が打ち倒されるほどまでに悪魔が自分を腐敗させたことに気付かない。……悪魔は人間の中に来て享楽にふけり、混乱を助長する。悪魔の阻害行為により、世界的な日和見主義的風潮[6]が興り、人間の心を狼狽させる。また、悪魔が人間を歪めたため、人間は見るに堪えない醜悪な獣のようであり、元来の聖い人間の姿は皆無である。悪魔は、地における暴君としての権力を掌握することさえ望む。悪魔は神の業を妨害しており、それにより神の業は辛うじて前進し、銅と鋼の壁のように、人間を封じ込めることが出来る。極めて多くの罪を犯し、極めて多くの問題を引き起こしてきた悪魔には、どうして罰を待つ以外に何か期待出来ることが有るだろうか。悪魔と悪霊は、地上を暴れ回り、神の心と丹精を込めた努力を封じ込めて、それらを浸透不可能なものとしている。何という大罪であろうか。どうして神が不安にならずにいられようか。どうして神が怒らずにいられようか。悪魔は、神の業に対して重篤な妨害や反対を引き起こしている。まったく反逆的過ぎる。

『言葉は肉において現れる』の「業と成長 (7)」より

この地は数千年にわたり不浄の地となっており、耐えがたいほど汚れ、悲劇に溢れる。至る所に幽霊が彷徨い、欺し偽り、根拠の無い告発を行い[2]、冷酷かつ残忍であり、この幽霊の街を踏みつけて屍の山を残した。腐った屍の悪臭が地を覆って充満しており、その地は堅く警護されている[3]。誰が空の彼方の世界を見ることが出来ようか。その悪魔はあらゆる者の身体をがんじがらめにして両眼をえぐり出し、口を堅く封じる。魔王は数千年にわたって現在まで猛威を振るい、幽霊の街を堅固に警備しており、それはあたかも難攻不落の悪魔の城のようである。その一方、警護に当たる番犬の群れが睨んでおり、番犬は神による不意討ちで完全に滅ぼされるのを強く怖れ、平和と幸福の余地は無い。こうした幽霊の街に住む人間が神を見たなどということが、どうして有り得るだろうか。そうした者は神の高貴さや愛しさを享受したことが、嘗てあったであろうか。人間の世界の物事について、そうした者はどのように認識しているであろうか。そうした者のうち、誰が神の切なる望みを理解できるであろうか。肉にある神が完全に隠れたままであっても、不思議では無い。悪魔が残忍非道をはたらくような、こうした暗黒社会において、瞬く間に人々を殺す魔王が、愛しく懇切で聖い神の存在を、どうして容認出来ようか。どうして魔王は神の到来に喝采を送ることができようか。まったく卑屈な者どもである。そうした者は恩を仇で返し、神を侮って久しく、神を虐待し、残忍を極め、神を少しも敬うことなく、強奪や略奪を行い、良心を完全に失い、親切さのかけらもなく、純真な者を無分別な物事へと誘惑する。遠い昔の祖先はどうだろうか。愛された指導者はどうだろうか。そうした者は皆、神に反抗している。そうした者の干渉により、地にある者すべてが闇と混沌に陥れられたのだ。宗教の自由というが、どうだろうか。市民の正当な権利と利益というが、どうだろうか。そうした物事はすべて、罪を隠蔽する手口である。誰が神の業を受け容れたというのか。誰が神の業のために命を捧げ、血を流したというのか。親から子へ、何世代にもわたって、奴隷とされた人間は不作法に神を奴隷としてきた。そうした物事がどうして怒りを買わずに居られるであろうか。数千年におよぶ憎しみが心に凝縮され、数千年におよぶ罪深さが心に刻み込まれている。こうした状態で、どうして憎悪感を覚えずに居られようか。神の仇を討ち、神の敵を掃討し、敵が二度と蔓延ることを許してはならない。また敵が意のままに問題を起こすことを許してはならない。今こそが、仇討ちの時である。そのために、この悪魔の忌々しい顔を裂き、盲目にされてありとあらゆる苦難を受けてきた人々が、苦難から立ち直って邪悪な年老いた悪魔に背を向けて立ち去ることが出来るよう、人間は長きにわたり全力を注ぎ、かつ全面的に取り組み、あらゆる代償を払ってきた。なぜ、神の業に対してそのような難攻不落の障害を建てるのか。なぜ神の民を欺く様々な謀りを用いるのか。真の自由や正当な権利と権益はどこにあるのか。公平さは、どこにあるのか。安らぎは、どこにあるのか。温もりは、どこにあるのか。偽りに満ちた謀りを用いて神の民を欺すのは何故か。神が来るのを武力で抑制するのは何故か。

神の業に対する障害は、どれほど大きいであろうか。その大きさを知る者が果たして居るだろうか。人々は深く根ざした迷信的偏見に囚われているならば、誰が神の素顔を知ることが出来ようか。時代遅れで極めて浅薄かつ不合理な文化的知識で、神が述べた言葉をどうして完全に理解できようか。そうした人々が直接顔を合わせて口移しにそうした言葉を語られたとしても、そうした人々がどうして理解できようか。時として、あたかも神の言葉に全く耳を貸さないかのようなこともある。人々は少しも反応せず、首を横に振って全く理解しない。こうした状況が、どうして懸念されないことが有り得ようか。こうした「かけ離れた[4]古代の文化の歴史と知識」により、そうした無価値な人々の集団が形成されてきた。この古代文化、貴重な遺産は、屑の山である。それは遠い昔に、筆舌に尽くせぬ永遠の汚点となった。そうした物事により、人々は神に反抗する手口や技術を覚え、国内教育の「系統的で許容度の高い指導」により、人々はそれにも増して神に反抗的になった。

『言葉は肉において現れる』の「業と成長 (8)」より

ヤーウェがサタンに「あなたはどこから来たか」と訊ねった時、サタンは何と答えたであろうか。(ここでも「地を行きめぐり、あちらこちら歩いてきました」と答えている。)ここでも同じ答えである。なぜこの言葉がサタンの標語あるいは規範となったのであろうか。サタンは忌まわしいものではないのだろうか。この忌まわしい言葉は一度述べれば十分である。サタンがこの言葉を繰り返すのは何故だろうか。これはあることを証明する。それは、サタンの本性が不変である、ということである。その醜悪な顔は長いこと隠し通せないものである。神はサタンに質問し、サタンはそのような答え方をするのだから、サタンが人々をどう扱うかなど言うまでもない。サタンは神を怖がることも、畏れることもなく、神に服従することもない。したがってサタンは、神の前でこの神の質問を茶化し、それに同じ言葉で答え、その答えで神を困惑させる無節操に横柄な態度を取る。これがサタンの醜悪な顔である。サタンは神の全能性を信じず、神の権威を信じず、神の支配権の下に従うことなど、当然望まない。サタンは常に神に対抗し、神の業を攻撃し、その働きを全て粉砕しようとする。これがサタンの邪悪な目的である。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身 4」より

へびは女に言った、「あなたがたは必ず死ぬ訳ではない。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。

……

……サタンの口調は、どのような性質を示すものであろうか。この話から、サタンのどのような本質が分かるであろうか。(邪悪な本質が分かる。)邪悪ということだが、サタンは狡猾であろうか。おそらくサタンは表面的にはあなたに微笑みかけるか、全く無表情であろう。しかし、サタンは胸中で、いかにして自分の目的を果たすかを計画しており、あなたはその目的を知ることができない。そしてあなたは、サタンの様々な約束や、サタンが語る利点に惑わされる。あなたは、そうした約束や利点を良いものであると判断し、サタンの話す内容が神が述べる話よりも役立ち、重要であると感じる。このような状態になった時、人間は服従する囚人となるのではないか。(その通りである。)それでは、サタンが用いる手口は極悪非道ではないのだろうか。あなたは深みにはめられ、沈んでゆく。何をすることもなく、サタンのふた言で、あなたはその手口にはまり、サタンに従わされてしまう。こうしてサタンの目的が達成される。そうではないだろうか。(その通りである。)こうした意図は邪悪ではなかろうか。これがサタンの元来の姿ではないか。(その通りである。)サタンの話から、人間はその邪悪な動機と醜悪な姿、その本質を知った。……

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身 4」より

邪悪なサタンは、聖なるもの、義なるもの、光あるものを宝とすることが全くできない。サタンはその本性である邪悪と、サタンが用いるこれらの方法によって徹底的に行動するのを、抑えることができない。自らが神から罰を受けたり滅ぼされたりする代償を払ってでさえも、頑なに神に反抗することを辞さない。これが邪悪であり、サタンの本性である。そうしたわけで、この聖句では、サタンが「皮には皮をもってします。人は自分の命のために、その持っているすべての物をも与えます。しかしいま、あなたの手を伸べて、彼の骨と肉とを撃ってごらんなさい。彼は必ずあなたの顔に向かって、あなたをのろうでしょう」と言っている。サタンは何を考えているのであろうか。神に対する人間の畏れは、人間が神から多くの利益を得ていることに起因する。人間は神から利益を得ているので、神は善良であると言う。しかしそれは、神が善良であるからではなく、人間が神から多くの利益を得ているため、人間は神を畏れることができるのである。人間からそうした利益を奪ったならば、人間は神を見捨てるであろう。サタンは、その邪悪な本性のため、人間の心が真に神を畏れるとは信じない。それは何故か。その邪悪な本性のため、サタンは聖さが何かを知らず、ましてや畏れ敬うことなど、知る由もない。サタンは神に従うということが何かを知らず、神を畏れるということが何かも知らない。サタンは神を畏れないので、「神を畏れることのできる人間などいない。そんなことは不可能だ」と考えている。そうではないだろうか。(その通りである。)サタンは邪悪ではないであろうか。(邪悪だ。)サタンは邪悪である。……サタンの邪悪な本性は一時的な衝動でも、環境により発生するものでもなく、何らかの理由や状況から発生する一時的な徴候でもない。絶対にそのようなことは無い。サタンはそのようでしかいられないのだ。サタンは善良なことが一切できない。聞いて気分が良くなることをサタンが述べたとしても、それはあなたがたを誘惑するためである。気分が良くなればなるほどそれは巧妙だということであり、言葉が優しければ優しいほど、その言葉の背後に隠された悪意が増大する。これら2つの聖句から、サタンの顔や本性は、どのようなものだと考えるであろうか。(陰険で悪質で邪悪なものである。)サタンの主な性質は邪悪であり、特に邪悪と悪質―悪質と邪悪である。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身 4」より

サタンは人間を大切にするであろうか。サタンは人間を大切にしない。サタンが人間をどうしたいのであろうか。サタンは人間を傷つけることを望み、そのことしか考えていない。そうではないだろうか。それならば、サタンが人間を傷つけることを考える際、サタンはそれを喫緊の精神状態で行うであろうか。(その通りである。)人間に対するサタンの業に関し、サタンの邪悪な特質を十分に言い表し、あなたがたがサタンの忌々しさを知ることができる、2つの言葉がある。人間に対するサタンの方法では、サタンの目的を果たして無謀な野望を実現させるため、常にサタンは強制的に個々の人間を「占有」し、その人間に「付着」して最終的にその人間を支配し、害を及ぼす。「強制的に占有」するとは、何を指すであろうか。それはあなたの同意の上で行うであろうか、それとも同意無く行うであろうか。それは、あなたの意識の中で行うであろうか、それとも無意識のうちに行うであろうか。それは、完全に無意識うちに行う。あなたが無意識の状態で、おそらくサタンがまだ何も言わず、何も行っておらず、何の前提も背景もない時、サタンはあなたを取り巻いて存在している。サタンはあなたを利用し、強制的に占有し、あなたに付着し、あなたを完全に支配し、危害を加えるという目的を果たす。これが、サタンの神への対立において最も典型的な意図と行動である。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身 4」より

神は業を行い、人間を慈しみ、見守るが、サタンは常に神の働きの邪魔をする。神が大事にする人間を、サタンも見ていてつけ回す。神がその人間を求めると、サタンは持てる力の全てでどんなことでもして神の行うことを阻もうとし、隠された目的を達成するため、あらゆる邪悪な方法で神の業を試し、邪魔し、挫折させようとする。サタンの目的は何であろうか。サタンは神が人間を得られなくなることを求めている。サタンは神が求める人間を求め、その者を自分のものとして支配し、掌握してサタンを崇拝させ、サタンと共に邪悪なことを行わせることを求めている。これはサタンの悪意に満ちた動機ではないか。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身 4」より

(マタイ4:1~4)さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。すると試みる者がきて言った、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。

……悪魔は「もしあなたが神の子であるなら」と述べているが、悪魔は、主イエスが神の子であることを心の中で知っていたであろうか。悪魔は、彼がキリストであることを知っていたであろうか。(知っていた。)それではなぜ「もし」と述べたのであろうか。(悪魔は神を試そうとしたからである。)無論、悪魔は神を試そうとしていたが、その目的は何であっただろうか。悪魔は「もしあなたが神の子であるなら」と述べている。悪魔は、心の中でイエス・キリストが神の子であることを知っており、それは極めて明瞭であったが、悪魔は主イエスに服従し、主イエスを礼拝したであろうか。(しなかった。)悪魔は何をしたかったのであろうか。悪魔はそのように述べて主イエスを怒らせ、罠にかけようと誘惑し、主イエスを騙し、自分の思うつぼにはめて行動させたいと考えていた。これがその言葉の意味ではなかっただろうか。悪魔は、心の中で、それが主イエス・キリストであることを明らかに知っていたにもかかわらず、そう述べたのであった。これはサタンの本性ではなかろうか。サタンの本性は、どのようなものであろうか。(悪賢く邪悪で神を全く敬わない。)サタンは、神を全く敬わない。この場面におけるサタンの邪悪な行動は、何であろうか。サタンは神を攻撃したかったのではなかろうか。サタンはそうした手段により神を攻撃したいと考えており、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」と述べたが、これはサタンの邪悪な意図ではなかろうか。(その通りである。)実のところ、サタンは何をしようとしていたのであろうか。サタンの目的は極めて明瞭である。サタンはそうした手段により、主イエス・キリストの地位と身分を否定しようとしていた。悪魔は「神の子なら、これらの石をパンにしてみよ。それが出来ないならば、おまえは神の子ではない。神の子でないならこの働きをする必要はない。」と述べている。これがその言葉の意味であっただろうか。サタンはこの方法で神を攻撃し、神の業を崩し、破壊することを望んでいた。それはサタンの悪意であり、狡猾さである。サタンの悪意は、サタンの本性が自然に表出されたものである。サタンは主イエス・キリストが神の子であり、受肉した神自身であることを知っていたにもかかわらず、こうした行動を取らずにはいられず、神をつけ回し、攻撃を続け、甚大な労力を払って神の業を妨害し、破壊して神と敵対した。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身 5」より

ここで、サタンが述べた「これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」という言葉を分析する。石をパンにすることには、何か意味があるだろうか。それには意味が無い。食べ物があるならば、それを食べればよい。なぜ石を食べ物に変える必要があるのだろうか。これに何か意味があるだろうか。(無い。)この時、主イエスは断食していたが、間違いなく彼は食べ物を持っていたであろう。主イエスは食べ物を持っていたであろうか。(持っておられた。)それならば、ここでサタンがそう述べたのは、不合理であることが分かる。このようなサタンの不忠と悪意から、サタンがどれだけ矛盾していて不条理であるかが確認できるであろう。サタンは多くの業を行う。サタンの性質が悪意に満ちていること、そしてサタンが神の業を破壊することが分かる。サタンは憎むべきものであり、腹立たしいものである。しかしその一方、あなたはサタンの言葉と行動の根底にある稚拙で不合理な本性に気付くであろうか。(気付く。)これはサタンの本性の明示である。サタンの本性はそうしたものであり、サタンはそのような行動を取る。人間にとって、この言葉はばかげており、滑稽である。しかし、サタンはまさにそうした言葉を述べることがある。サタンは無知であると言えるであろうか。ばかげているだろうか。サタンの邪悪さは随所に見られ、継続的に明示されている。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身 5」より

(マタイ4:5~6)それから悪魔は、イエスを聖なる都に連れて行き、宮の頂上に立たせて言った、「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい。『神はあなたのために御使たちにお命じになると、あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』と書いてありますから」。

まず、サタンの言葉について話をしよう。サタンは「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい。」と言い、次に聖句を引用して「神はあなたのために御使たちにお命じになると、あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう」と述べた。このサタンの言葉を聞いて、あなたはどのように感じるだろうか。この言葉は極めて幼稚ではなかろうか。この言葉は幼稚で、非常識で、忌まわしい。わたしがこう述べるのは何故であろうか。サタンは常に愚かなものごとを行い、自らを極めて賢いと考え、聖句を頻繁に引用し、さらには神の言葉までをも引用して、神を攻撃し、試そうとする。サタンのこうした行為の目的は、神の業の計画を破壊することである。しかし、あなたはサタンの言葉について何か気付くことはあるだろうか。(サタンの言葉には悪巧みがある。)サタンは常に誘惑する者であり、率直な発言をせず、試すこと、惑わすこと、誘惑することなどにより遠回しな口調で話す。サタンは神と人間の両方を等しく試す。サタンは、神と人間の両方ともが無知で、愚かで、物事をありのままで明確に見分けることが出来ないと考える。サタンは神も人間も、サタンの本質を見抜くことができず、サタンの狡猾さと邪悪な意図を見抜くことができないと考えている。これがサタンの愚かさの原因ではなかろうか。(その通りである。)さらに、サタンは公然と聖句を引用するが、サタンは聖句を引用することで、自らの信憑性が得られ、あなたが誤りを指摘したり、騙されるのを回避したりできなくなると考えている。サタンが不合理であり、稚拙な点は、こうした部分ではなかろうか。(その通りである。)

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身 5」より

(マタイ4:8~11)次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて言った、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」。するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。そこで、悪魔はイエスを離れ去り、そして、御使たちがみもとにきて仕えた。

悪魔であるサタンは、それまで2度の謀略に失敗したにもかかわらず、もう一度試そうとする。サタンは世界の全ての国々とその繁栄ぶりを主イエスに見せた上で、悪魔を拝むよう求めた。こうした状況から、悪魔の真の特徴について、何が分かるであろうか。悪魔であるサタンは完全に無恥ではなかろうか。(無恥である。)サタンはどれほどまで無恥であろうか。すべて神により造られたものであるにもかかわらず、逆にサタンはそれを神に見せて「これらの国々の繁栄を見よ。私を拝むならば、これをみんな与えよう。」と述べた。これは立場が逆ではなかろうか。サタンは無恥ではないだろうか。神は全てを造ったが、それは神の享楽のためであっただろうか。神は人間に全てを与えたが、サタンはそれを全て奪った上で、「私を拝め。私を拝むならば、これをみんな与えよう。」と述べた。これが、サタンの醜悪な顔である。サタンは完全に無恥であろう、そうではないか。サタンは「恥」という言葉の意味すら知らず、これはサタンの邪悪さの一例にすぎない。サタンは「恥」が何であるかすら知らない。サタンは神が万物を造り、それを管理し、支配していることを明らかに知っている。すべての物事が神のものであり、人間のものではなく、ましてやサタンのものではないが、それにもかかわらず悪魔であるサタンは、厚かましくも、そのすべてを神に与えようと述べた。ここでも、サタンは不合理で無恥な業を行っていないだろうか。神は一層サタンを忌み嫌うであろう、そうではないか。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身 5」より

サタンは不条理であると言えるであろうか。(そう言える。)サタンは神が真理であると認識できるのだろうか。サタンは決して神が真理であると認識したり認めたりすることはない。それがサタンの本性である。さらに、サタンには、そのほかにも人間が反感を抱く本性があるが、それは何であろうか。主イエスを試そうとした時、サタンは心の中で何を信じていたであろうか。サタンは、神を試し、たとえそれに失敗するとしても、神を試した。サタンは、たとえ罰を受けるとしても、神を試した。神を試しても何ら良い結果が得られないにもかかわらず、サタンは神を試し、しつこく最後まで神に対抗した。こうした本性は、どのようなものであろうか。それは邪悪ではないだろうか。(その通りである。)

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身 5」より

サタンは人間を堕落させ、支配し、人間はサタンの腐敗した性質に従って行動し、サタンにより腐敗された世界で、腐敗した人々と共に生活する。多くの人々が無意識のうちにサタンにとりつかれ、吸収されているので、人間にはサタンの邪悪な本性がある。サタンの業と言葉の全てから、その傲慢さを知ることができ、狡猾さと邪悪さが理解できる。サタンの傲慢さは、主としてどのように示されるであろうか。サタンは常に神の地位を奪うことを望んでいるであろうか。サタンは、人々がサタンに従い、サタンを支持し、サタンを崇拝するよう、常に神の業と地位を崩壊させて自らがその座に就くことを望んでいるが、それがサタンの傲慢な本性である。しかし、サタンが人々を腐敗させる時、サタンは陰険で背信的な方法を採る。サタンが人間に業を行う場合、サタンは神を拒絶し、神に反逆する方法を直接的に人間に対して伝えない。サタンが神を試すとき、サタンは公然と「私はあなたを試し、攻撃する」と述べることは無いが、サタンはどのような方法を採るであろうか。(誘惑である。)サタンは誘惑し、試し、攻撃し、罠を仕掛け、さらには聖句を引用する。サタンは様々な言動と行動により邪悪な動機を実現させようとする。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身 5」より

サタンはその邪悪な悪意に満ちた本性を、随所で継続的に明示する。それでは、サタンはこうした明示を自然に行うであろうか。(自然に行う。)誰かがそれを扇動するであろうか。誰かがそれを支援するであろうか。誰かがそれを強要するであろうか。(しない。)それは全てサタン自らが行うものである。これがサタンの邪悪な本性である。サタンは、神の業のすべてについて、その実施方法を問わず、ぴったりと神をつけ回している。サタンの言葉や行動の本質や真の特徴は、サタンの本質すなわち邪悪で悪意に満ちた本質である。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身 5」より

サタンは人道的で正しく、道徳があるように思われるが、その本質は残忍かつ邪悪である。

サタンは、一般大衆を騙すことにより、名声を得る。通常、サタンは義の先導者的かつ模範的存在として、自分自身の立場を確立する。義を守るという旗印のもと、サタンは人間を傷つけ、その魂を食い物とし、また人間を麻痺させ、騙し、扇動するためにあらゆる手段を講じる。サタンの目標は、自分の邪悪な行いを人間に認めさせ、それに人間を従わせること、サタンと共に神の権威と支配に反対させることである。しかし、その陰謀や策略、下劣な特徴についてわきまえるようになり、サタンの踏み台にされ、騙され、奴隷として仕えること、あるいはサタンと共に罰を受けて滅ぼされることを望まなくなると、サタンは従前の聖なる特徴を一変させ、仮面を破り捨て、真の邪悪で残忍で醜い獣のような素顔を現す。サタンは、自分に従うことを拒んだ者と、サタンの邪悪な力に反対した者全てを皆殺しにすることを、何よりも好む。この段階で、サタンは信頼のおける紳士的姿を装うことは出来なくなり、被っている羊の皮の下の醜い悪魔のような特徴を持つ正体を現す。サタンの陰謀が明るみに出た時、その真の特徴が現れた時、サタンは激怒してその野蛮さを現し、人間を傷つけ、食い物にするサタンの欲望が強くなって行く。これは、サタンが人間が目覚めることに対して激怒するからである。サタンは、捕らわれの身から解き放たれて自由と光を得ようとする人間に、強い復讐の念を抱いている。サタンの怒りは、サタンの邪悪さを保護するためのものであり、またその獣のような性質を真に披瀝するものである。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身 2」より

サタンの行動は、万事においてサタンの邪悪な性質を示す。サタンが人間を惑わせて自分に従わせようとする初期の取り組みから、サタンが自分の邪悪な行いに人間を引きずり込む、サタンによる人間の搾取や、サタンの真の姿が現れ、人間がそれを認めて見捨てた後のサタンの執念深さまで、サタンが人間に対して行うあらゆる邪悪な行いのうち、サタンの邪悪な本質が披瀝されないものは無く、サタンは肯定的な物事と全く関係が無いという事実を証明しないものは無く、サタンはあらゆる邪悪な物事の根源であることを証明しないものは無い。サタンの行動は、すべてサタンの邪悪さを守り、サタンの邪悪な行いを継続し、正しく肯定的な物事に反抗し、人間の通常の生活の律法や秩序を破綻させる。サタンの行いは、神への敵意であり、神の怒りが滅ぼすものである。サタンには自分自身の怒りがあるが、その怒りはサタンの邪悪な性質を発散させる手段である。サタンが憤慨し、激怒する理由は、サタンの陰謀が明らかになったことや、その策略を成功させるのが困難であること、神の代わりとして君臨するというサタンの向こう見ずな野心と願望が打ち砕かれ、阻止されたこと、人間を支配する目標が何の価値もないものとなり、永遠に達成出来なくなることなどである。サタンの陰謀が結実することや、サタンの邪悪が拡散するのを阻止して来たのは、神が度々召喚してきた、神の怒りであるため、サタンは神の怒りを嫌うと同時に畏れている。神の怒りが適用された時は常に、サタンの下劣な真の姿が披瀝されるだけでなく、サタンの邪悪な願望も明らかにされる。同時に、人類に対するサタンの怒りの理由が白日の下にさらされる。サタンの激昂は、サタンの邪悪な性質とサタンの謀略が、真に明示されたものである。無論、サタンが激怒した時は、毎回邪悪な物事の破壊を予告している。つまり、肯定的な物事に対する保護と維持、そして、反抗することが許されない、神の怒りの本質がその後に続く。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身 2」より

サタンの行動や、サタンが起こした奇跡を何と呼ぶであろうか。それらは、力であろうか。それらを権威と呼べるであろうか。無論、それは力ではなく、権威とも呼べない。サタンは邪悪を率い、神の業のあらゆる側面を覆し、損なわせ、妨害する。現在まで数千年にわたり、人間を腐敗させ、虐待し、人間を誘惑し、欺して悪行を行わせ、神から拒否される存在にして、死の淵に向かわせたサタンは、かつて人間による祝賀や称賛、敬愛に値することを行ったことがあろうか。仮にサタンが権威と力を持っていたとすれば、人間はその権威や力により腐敗させられていたであろうか。仮にサタンが権威と力を持っていたとすれば、人間はその権威や力により危害を被ったであろうか。仮にサタンが権威と力を持つとすれば、人間はその権威や力により神を捨てて死へと向かうのであろうか。サタンには権威も力も無いのであれば、サタンの行為の本質は何であると判断すべきであろうか。サタンの行為全てを単なる謀略であると定義する人々もいるが、わたしはそうした定義はそれほど適切ではないと考える。人間の腐敗による邪悪な行いは、単なる謀略であろうか。サタンがヨブを虐げた邪悪な力と、ヨブを虐げ悩ませようとする激しい願望は、単なる謀略では得られないものである。思い出してみると、丘や山に広く群れていたヨブの動物たちは、一瞬にして消え去った。ヨブが所有していた大量の富が一瞬で消えた。これは謀略だけで成し得たことであろうか。サタンの業の性質は、損害、妨害、破壊、危害、邪悪、悪意、闇など、否定的な言葉に該当するので、そうした不正で邪悪な出来事の全てはサタンの行為と密接に繋がっており、サタンの邪悪な本質と不可分のものである。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身 1」より

サタンの「力」や、大胆さ、野望がどれほどのものであったとしても、サタンの損傷を与える能力がどれほど優れていたとしても、サタンが人間を腐敗させ、誘惑する能力の幅広さがどれほどのものであったとしても、サタンが人間を威嚇する謀略や計略がどれほど狡猾であったとしても、またサタンが存在する形態をどれほど変化させることができたとしても、サタンには生き物を造る能力や、万物に対する律法や規律を定める能力があったことは無く、命のあるものかないものかを問わず、どのようなものも支配する能力があったことは無い。広大な宇宙の中で、サタンから生まれた人間や物、サタンのおかげで存在する人間や物、サタンに統治され、支配されている人間や物は、全く存在しない。それとは反対に、サタンは神の支配権の下で生活する必要があり、さらに神の指示と命令にすべて従う必要がある。神の許可なくしては、サタンにとってひとしずくの水やひと握りの砂に触れることさえ困難である。また神の許可なくしては、サタンは蟻を地に這わせることさえままならないのであるから、神の造った人間を動かすことなど到底できるはずがない。神から見ると、サタンは山のユリの花よりも劣り、空を舞う鳥や海の魚にも劣り、地のウジ虫にも劣る。万物の中におけるサタンの役割は、万物に仕え、人間のために仕え、神の業と神の経営(救いの)計画に資することである。サタンの本性がいかに悪意に満ちているか、その本質がいかに邪悪であるかによらず、サタンにできることは、神に仕え、神に対照を提供するという、その機能に従順に従うことのみである。これがサタンの本質であり位置づけである。サタンの本質は命や力、権威から切り離されており、サタンは神の手の中にある玩具のようなもの、神のための役立つ道具に過ぎない。

『言葉は肉において現れる(続編)』の「唯一の神自身 1」より