全能神教会App

神の声を聞き主イエスの再臨を喜んで迎えなさい!

真理を探求されている方々からのご連絡をお待ちしています

終わりの日のキリストの証人

ソリッドカラー

テーマ

字体设置

字体调整

ラインスペース

ページ幅

0 件見つかりました

一致する内容が見つかりませんでした!

`

8.正直な人と不正直な人の違いは何か。

神の言葉

正直であるということは、神に心を捧げるということである──何事にも神を偽らないこと、あらゆることについて、神に率直であること、事実を隠そうとしないこと、上の者に対して偽りなく、下の者を惑わすことがないこと、そして、神に取り入る為だけに物事をするようなことが決してないこと。つまり、正直であるということは、言行において不純でないことであり、神をも人をも欺かないということである。わたしの言っていることはまことに単純なことだが、あなたがたにとっては二重に困難なことである。言行において正直であるよりは、地獄に落とされたほうがましだと思う人は多いだろう。当然ながら、不正直な人々のために別の処遇が用意されている。もちろん、あなたがたが正直な人間であるために直面する大きな困難は、わたしも分かっている。あなたがたはとても賢く、自分の観点から他人を裁くのに巧みだ。それだからわたしの仕事はずっと簡単だ。あなたがたは、それぞれ心に秘密を抱いている。それでは、あなたがた一人一人に火の「試練」を下し、わたしの言葉への信仰に心から従うよう、仕向けよう。最後に、あなたがたの口から「神は信実な御方である」という言葉をねじり取ろう。そうすれば、あなたがたは自分の胸をたたいて、「人間の心は曲がっている」と嘆くことになる。

『言葉は肉において現れる』の「三つの忠告」より

わたしは他人に対して疑いを持っていない人を高く評価し、真理を容易に受け入れる人を好んでいる。わたしはこれらの2つの種類の人間を大切にする。わたしの目には誠実な者たちだからだ。あなたが非常に偽りに満ちているならば、あなたはすべての事柄およびすべての人に関して疑いを持つ、器の小さい心と思考を持っているであろう。このため、あなたのわたしに対する信仰は疑念の基礎に基づいている。わたしはそのような信仰は決して認めていない。本当の信仰がなければ、あなたは本当の愛からはほど遠い。そして意のままに神を疑い、推測するようであれば、間違いなくあなたは最も偽りに満ちた人である。

『言葉は肉において現れる』の「地上の神をどのように知るか」より

神の前ではきちんと振る舞い、とりわけ「礼儀正しい」けれど、霊の前では反抗的で放埒な行いをする者もいる。そのような人をあなたがたなら正直な者の数に入れるだろうか。もしあなたが偽善者で「社交」上手であるなら、あなたは神を軽んじていると断言しよう。もしあなたの言葉が言い訳と無価値な正当化だらけだとしたら、あなたには、真理を行おうという気持ちがないのだ。もしあなたが他人に言うことのできない秘密を多数抱え込んでいながら、光明を求めて自分の秘密──自分の中にあるやっかいな部分──を他人に打ち明けないでいるとしたら、あなたが救いを受けることは難しく、闇から抜け出すことも容易ではない。もしあなたが真理の道を求めることに喜びを感じるのなら、あなたはしばしば光の中に生きている。神の家で効力者であることを喜ぶ人で、人に知られなくとも勤勉に、良心的な仕事をし、決して何かを得ようとせず、常に与える者であるのなら、その人は忠実な聖徒だと言おう。報いを求めず、ただ正直であるのだから。率直であろうとし、すべてを与える心があり、神のために命を犠牲にして証しすることができるのなら、正直で、神が喜ぶことだけを願い、自分のことは考えず、自分のためには何も求めようとしないなら、そのような人は光に養われ、神の国で永遠に生きるのである。真の信仰と真の忠実さとが内にあるかどうか、神のために苦難を受けたことがあるかどうか、神に心から従っているかどうか、自分の心に尋ねればわかるだろう。もし、そうしたものが欠けているのなら、あなたの心の内には、不服従、欺き、貪り、不満が残っている。心が正直でないから、神に認められたこともなく、光の中で生きたこともない。人間が最後にどうなるかは、その人が正直で神への強い想いがあるか、清い魂の持ち主かどうかにかかっている。極めて不正直で、悪意に満ち、汚れた魂をもっているなら、その人の終着点は人が罰せられる場所だ。

『言葉は肉において現れる』の「三つの忠告」より

不正直な者は、その者の親戚や子どもも含めて、あらゆる者に対して自分の手口を仕掛ける。あなたがたがその者に対して如何に正直であったとしても、その者はあなたがたに罠を仕掛けるであろう。それがその者の本性の真の姿であり、その者は、それを本性とする。変化することは困難であり、その者は常にそのような行動を取る。たとえば、正直な人々は、時々悪賢い事や不正直な事を述べるが、そうした者は普段は正直であり、自分と係わる他人を不当に利用することなく、正直に行動する。その者が他人と話す時は、意図的に他人を試すような事は言わず、依然として極めて正直であり、自分の心を開いて他人と交流する。他の者は皆その者が正直であると言うが、それでも時折不正直な事を言う事がある。これは単なる腐敗した性情の表出であり、その者の本性を示すものではない。なぜなら、その者はそうした性格の者ではないからである。

『キリストの言葉の記録』の「どのようにして人間の本性を知ればよいか」より

前へ:不正直な人とは何か。なぜ不正直な人々は救われないのか。

次へ:正直な人への入りを実践するにはどうすればよいか。

他のお気に入り